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不死騎  作者: 槙原勇一郎
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出撃前

護国騎士団長代理ヤン・ファン・バステンことヤン・エッシャーが自らの出陣を決めた翌日、昼の間は大急ぎで出陣の準備が行われた。


護国騎士団第三部隊のうち半数の五百人は、シモン・コールハース隊長の下で、対吸血鬼装備を用意する。また、伝染性吸血病対策室の生産部で大量に用意された、筋力の異常発達を抑える薬物『アンステロド』、吸血鬼化の段階で脳神経の破壊を抑え理性と思考を残す『不死鬼化剤』、吸血鬼の人口食料『牛血粉』、そしてマルガレータ・バレンツ主任研究員の開発した日光による皮膚の破壊を抑える『ゼリーオイル』も輸送されることとなった。


公国中央医局から選ばれた従軍医師たちは、軍医として経験が豊富な者ばかりである。伝染性吸血病患者の治療経験がある者はカイパー派の医師の三人と、伝染性吸血病対策室に所属する少数しかいない。対策室の医師はロビー・マルダーの治療をケーススタディにして、より完全な治療法を模索している最中なので、専門的な治療の知識よりも戦場に慣れた者を選ぶことにしたのである。


総勢、五百五十名。うち五百名が第三部隊の騎士たちで、すべて騎兵。三十名が輸送部隊で、これは保安兵団から要員が選ばれた。そして、残り二十名が従軍医師たちである。


派遣部隊の総司令官はヤン・ファン・バステン護国騎士団長代理であり、第三部隊長シモン・コールハースが副将を務める。僅かな人数ではあるが、間違いなく護国騎士団でも最精鋭の五百人である。五百人の騎士一人一人が精鋭というわけではない。騎士の質で言えば、護国騎士団の各隊は平均化されている。ヤン・ファン・バステンとシモン・コールハースという傑出した二人の指揮官が彼らを最強足らしめるはずなのだ。





出陣の前夜、護国騎士団本部ではささやかながら壮行会が開かれた。わずか数日前に、大パーティを催したばかりなので、護国騎士団には珍しくつつましい宴会となった。五百人以上の出撃部隊が一箇所に集まってではなく、一時金が配布され、個別に共にすごしたい者と過ごす様にとの通達がでた。戦友どおしで街に繰り出す者もいれば、家族との時間を過ごす者もいる。あぶれた連中百名あまりのために、シルヴィアは牡鹿亭を貸しきったが、幹部たちは護国騎士団本部の応接室で食事を共にすることにした。


「今日の料理の半分は、マルガレータが用意したそうよ。ああ、大丈夫。ちゃんとサスキアが手ほどきしているから」

「ク、クリステル先生!今日はすごいがんばったんですよっ!」

「・・・塩と砂糖間違えるのだけはやめてほしかったな・・・」

「サスキア!ちょっと婚約したら急に毒舌になったんじゃない?なに?余裕でもでてきたの?」

「そ、そんなことないわよ・・・」

「まあ、まあ。婚約中の女があんまり不機嫌だと未来のだんな様に愛想尽かされちゃうわよ」

「お姉さまが言うのはどうかと思いますわ」

「わ、私は先生にそこまで言えない・・・」


カリスはこめかみに青筋を立てているが、それ以上は何もいわなかった。サスキアは機嫌が良くなると、若干言葉がきつくなる。ただ、今のは多少意識してのことかもしれない。未来の夫となる男が、医師とは言え過酷な生き方を選びがちであることはよくわかっていた。戦場に送り出す側の女の務めというものを、シルヴィアを見てサスキアはよく学んでいた。


「いいですね・・・エッシャー先生・・・戦場に向かうにあたって・・・俺も一度ぐらいは女性に見送られたいなぁ・・・」


情けない声を出すのはシモンである。『サスキア嬢防衛隊』は解散したが、『カレン・ファン・ハルス様親衛隊』に入隊する気もなく、目下、悪ふざけのネタを持っていない。このまま戦場に向かうので、どうやって戦場で疲れたときにそれを吹き飛ばせばいいのかを少々悩んでいるようだった。と言っても、この男がこうした馬鹿騒ぎをするようになったのは、この半月程度、ヤン・エッシャーと行動を共にするようになってからである。ヤンが妙に生真面目な男なので、代わりに騒いでやっていると言うところだった。


ウィレムはそういうシモンのことをよくわかっている。そして、胸のうちでは賞賛していた。過酷な戦いを目の前にして、周囲を明るくするために自ら馬鹿をやれる男こそ、本当の勇者であると、この公国元帥になりたての男は本気で考え、自らも実践しているのだ。


「シモンさんって、そういう女性は過去にもいらっしゃらなかったんですか?」


そう、カレンが訊いたのを女性たちは少し驚いた。この上品な娘は汗臭い男は苦手と公言しているし、何よりそういう男が似合わない。シモンなどに興味があるはずもないが、ただの気まぐれなのだろうと皆考えた。だが、落ち着いて考えてみれば、シルヴィアとウィレムの組み合わせも、結婚前にはありえないように見えたことだろう。


「ま、シモン君は長年、自分の恋人は剣って言う・・・変態だったのよ」

「あら、そういう異常性欲というのもあるのですね。世の中にはいろんな殿方がいらっしゃること」

「何でも変態につなげないでいただきたいのですが・・・」


ヤンと会って以降、すっかり変態と言う二つ名が定着してしまっている。


応接室に集まったのは、ヤン、シモン、ウィレム、シルヴィア、カリス、サスキア、カレン、マルガレータ、ピーテルの九人である。カレルは遠慮したのか、牡鹿亭の方に行っており、保安兵団のピーター・レインとレベッカ・ローレンツはロビーと共に中庭で酒を飲んでいるようであった。最近ロビーは機会があれば外の空気にあたるようにしている。ピーターはそれに豆に付き合ってやっているのだが、そろそろ『男色ではないのか?』と言ううわさが流れ出したため、レベッカにも付き合わせたらしい。


ささやかな宴は、それほど大騒ぎにはならず、楽しげな笑い声が時おり聞こえてくるぐらいの、アットホームなものであった。最近すっかり酒癖が悪くなったカリスも、痛飲すると暴れだすウィレムも、今日は控えめであった。しいて言うなら、サスキアの酒のペースが若干いつもより速い。気づくと、サスキアはテーブルに突っ伏して眠ってしまった。


「あらら・・・珍しいわね。サスキアが・・・エッシャー先生。未来の奥様をお部屋までお連れいただけないかしら?ああ、大丈夫、除いたり隣の部屋で聞き耳立てたりしないから、お好きにしてよろしいわよ・・・ぬふふ・・・」


すっかり人品が下がったと言われるカリスが言う。控えめにしているとは言え、多少なりとも酒が入れば、この女医の発言は若干下品になる。


「カリス・・・婚約者が長期不在だからって欲求不満が表面に出てくるのは見苦しくてよ・・・女として」

「そ、そこまでおっしゃらなくても・・・奥様はいいわねぇ。いとしの旦那様が帰ってきてくださって」

「いいえ、これからお腹の中の子を育てないといけないのに、もう一人大きくてきかん坊の子供が帰ってきたので、結構大変ですのよ」

「そんなにかわいくないでしょう。義姉上」


ヤンは笑いながら、サスキアを両手で抱えて部屋をでた。


「あの二人・・・あれだけの照れ屋が婚約しただけでずいぶんと・・・」

「逆に人に見られるのが快感になってたりして・・・」

「それでは・・・ロビー氏にお借りしたこれで・・・」


シモンが先日ロビーが使った盗聴器を懐から取り出す。


パシッ!


シルヴィアが扇子で叩いた。ただし、それほど怒っていない。軽くである。


「いい加減、静かに二人にしてあげなさいよ」

「冗談ですよ。これはまた別の機会に・・・」

「おい・・・」






「サスキア・・・ごめん・・・」

「どうして謝るの?」


応接室からサスキアとマルガレータが寝泊りしている寝室は程近い。廊下をまっすぐ進んだだけ、三つとなりの部屋である。ヤンはサスキアを抱き上げたまま歩いていた。この二人がこんな形でいることはめったにないのだが、誰も見てはいなかった。


ヤンに抱き上げられ、首にしがみついたまま、サスキアは話していた。実はそれほど酔ってはいない。婚約前には考えられないようなことだが、ヤンと二人になるための芝居だった。


「ヤン・・・わかってるから・・・私はマルガレータとピーテルさんみたいにずっと一緒に居たわけじゃないし、お姉さまとマウリッツ様みたいにお仕事で対等にできるわけじゃないけど・・・ヤンは・・・変わってないから・・・わかってる・・・」


サスキアは泣いている。涙を見せないために首にしがみついているのだ。ヤンが戦場に行くことは、ウィレムやシモンとはまったく意味が違う。ヤンは単に戦闘の指揮を執るだけでなく、戦場で吸血鬼化する者を救おうと考えているのだ。それは、自分の身を守るために敵を倒すのではなく、自分を殺そうとするかも知れない相手を救おうと言うことである。


「必ず生きて帰ってくるから、プロポーズしたんでしょ?」

「ああ・・・必ず・・・君が待っているなら・・・必ず・・・」


二人はサスキアの部屋に着いていた。ベッドに腰掛けてから二人とも何も言わなかった。ただただ、ずっとお互いを見つめ合っているだけだった。




応接室の方は最高潮だった。ヤンとサスキアがいなくなると、結局いつものドンちゃん騒ぎになっていた。ウィレムはさすがに暴れるまで呑まないが、カリスはマルガレータに絡み始めていた。だが、カリスもシルヴィアもこの部屋の中で起こっている異常には気づいている。


カレンのシモンを見る目がおかしいのだ。楽しげに談笑しているかと思えば、突然ボーっとした表情で見つめていることがある。シルヴィアとカリスは時おりカスペルがよこす手紙にあった言葉を思い出していた。


『姉はとても惚れっぽいので・・・』


そうあった。だからヤンに惚れているようでも、それはたとえ本気であっても、振られたからと言って長く引きずることもないという話だったのだ。


『何もシモン君なんかに・・・』

『いや、でも、まあ、悪いことではないのかも・・・』

『問題はシモン君がどうするかよね・・・』


年長の女性二人はぼそぼそと小声で話す。盛り上がっているので、周りには聞こえない。


「あの・・・シモンさん。こんなこと聞いていいのか、わからないのですけれど・・・例のヨハネスと言う方に出くわしたらどうなさるんですか?」


急に場違いな話を始めたのは、当のカレンである。馬鹿話で盛り上がっていたシモンもこの話題になると急に真剣な顔つきになった。


「会えば・・・おそらく戦うしかありません。なぜ彼が不死鬼軍に身を投じたのかはわかりませんが、ドースブルフ伯やそのご令嬢と違い、彼は自然発生した不死鬼です。しかも、それから十年以上生きている。場合によっては始めにファン・クラッペと組んで動き出したのは彼かもしれない。これはエッシャー先生も同意見でした。そうであれば・・・」

「そうであれば?」

「何かよほどの理由があってやっていることだと思います。説得は無益でしょう。言葉ではなく、剣でしか、彼とはもう語り合えません」

「あえて・・・そんなお辛い役目を・・?」

「はい。他の者に譲ることは出来ないことです。私のために彼は不死鬼となった。彼が不死鬼であり続け、戦い続けると言うのならば、終止符を打つのは私の役目です」


シモンも真剣に答えた。他の者が聞いてきたならこれほど真剣に答えたのだろうか?


「私・・・何も出来ませんけど・・・お祈りいたしますわ。貴方が彼に勝つことではなく、戦いがあっても、それがあなたの未来を明るくするものであることを・・・」

「カレンさん・・・」


他の者がいるにもかかわらず、既に二人の世界に入ってしまっていた。一方で、何か色濃いめいたものとは違う雰囲気が二人の間にはあった。二人は本当に真剣であった。


「実は・・・私・・・十年前に父を亡くしております。伝染性吸血病で・・・」

「!」


部屋にいる全員が驚いた。だが、考えてみれば別におかしな話ではない。ケテル村はドルテレヒト州にある。戦場からは少し離れているが、大量発生した吸血鬼はケテル村周辺まで進出していた時期がある。ファン・ハルス家は東部の名門ではあるが、アメルダムでは必ずしも名は知れていない。カレンの父については、誰も知らなかった。


「父は・・・皆さんのおっしゃる不死鬼でした。屋敷まで侵入してきた吸血鬼と戦い、私の目の前で喉に・・・」


カレンは少し酔ってもいるのかもしれない。先日、サスキアを後押ししたときは、幾分違った涙を流している。涙の色さえ違うように思えた。深い悲しみが溶かし込まれているかのようである。


「父に噛み付いた吸血鬼は兄の剣で心臓を突き刺され、絶命しました。父は、正気を保っていました。でも、どうしていいかわからなかった・・・」


誰も何も言えなかった。カレンの話は現在となっては生々しすぎた。これから同じことがいくつもおこるかもしれないのだ。


「父もわかりませんでした。今のエッシャー先生のような方が近くにいたわけではありませんし、何より、伝染性吸血病が病とも思われていなかったころです。父は自分はのろわれたと言い、血の飢えを感じ始めた時、自らの命を絶ちました・・・」

「カレンさん・・・」

「私は、そのヨハネスと言う方がどのような方かは存じません。どうやって十年を生き延びたのか、それもわかりませんけれども、彼が十年も生きられるなら、本当は・・・父にも生きてほしかった・・・でも・・・もう、取り戻せないことなのもわかっています」


全員がカレンの話を聞き入っていた。カレンがヤンに惚れた理由もこれかもしれない。ヤンは自分を捨ててでも、誰かを救いたいと考える男だ。サスキアがいなければ、今回の出陣はまさしく死を覚悟してのものとなったろう。そして、何よりも戦場で吸血鬼に血を吸われた兵士たちが自殺したことがヤンを最前線に向かわせたのである。


「父は勇敢な人でした。でも、一つだけ・・・許せないのですわ。自ら命を絶ったことが・・・生きていてほしかった・・・そのためなら、私の血を啜ってでも生きていてほしかった・・・」


カレンはもう顔を上げることはできていなかった。顔にハンカチをあてたまま、テーブルに突っ伏したまま話している。


「シモンさん、あなたの大切な方は・・・生きておられたのですね・・・でも、その方と・・・あなたは・・・」

「カレンさん・・・」


シモンは相当呑んでいたのだが、既に酔いを印象付けるものは顔に出てはいない。


「ご理解いただけないかもしれない。私はこれから・・・ヨハネスと殺し合いをするかもしれない。私にとって、彼は兄のような存在でした。それは、私にとって超えねばいけない壁と言うことでもあるのです。結果はわかりません。どちらか、あるいは両方の死かもしれませんし、共に生きる道もあるのかもしれません・・・でも、戦いは避けられないのです。私は・・・彼と戦わなければ、先には進めない・・・」

「殿方のお考えは私にはよくわかりません・・・ただ、貴方が私と同じような・・・いえ・・・私以上の辛い思いを今もされているのだと思って・・・余計なことを申し上げてしまいました」


カレンは顔を上げて、涙が頬をつたうままに笑顔を見せた。


「いえ。ありがとうございます。今一度、自分の気持ちを確認できました。私は彼と戦います。カレンさんのお父上は、あなたを守るために死をお選びになった・・・それを私は良いとも悪いとも言えません。あなたをこれだけ苦しめている過去なのですから。私には、機会が与えられている。もう一度、過去に向き合う機会です。贅沢なことかもしれません・・・」


おちゃらけてごまかしていた、シモンの気持ちをカレンがもっとも敏感に感じていたのだった。それは、自身の過去の体験が、シモンの隠していたものに感応したからであろう。二人の間には、まだ共感と言えるものしかなかったが、それでも、シモンが始めて女性と気持ちを通わせた瞬間だった。




「ロビー・・・何を考えているんだ?」

「なんのことだい?旦那・・」


夜、そろそろ外で酒を呑むのには寒い季節が近づいている。ロビーとピーターはそれでも外を選んでいた。ロビーは外の風にあたれることが、自分が人間であることを感じさせてくれるという。不死鬼となった自分がどうにか人間らしくいれるのは、ヤンやマルガレータを初めとする多くの人々のおかげではあるが、それでも、時おり妙に不安になるのだ。自分は人間なんだろうかと・・・。


「あの、エリートの若造に何か頼んでいただろ?」

「ああ・・・なに、他人の世話になるだけってのが気が引けるだけさ」

「だから何をしようとしている?」

「ま、何もないに越したことはないが、もし、俺が世話になっている連中に何かあるなら、その時は恩返しの機会だと思っているだけだ・・・これ以上は何もいうつもりはないね」

「そうか・・・強情な奴だな・・・」


二人の男の会話をレベッカはただ聞いていた。男同士にしかわからないこともあるのだと言うことを、女性捜査官は知っていた。




翌朝、早い時間にザーンへの増援部隊は出発した。既にザーンには二十八万の民衆と、三千の軍勢が収容されている。そこに五百と言う人数は微々たるものかもしれない。だが、この五百が不死鬼との戦争を実際に左右することになるのだった。

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