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不死騎  作者: 槙原勇一郎
19/34

正体

フリップ王国の国境地帯。と言っても、フリップ王国は広く、ルワーズ公国の二十倍の面積を持つ広大な領土の中では国境よりと言う程度で、既にケテル村とザーンの間の距離よりも長い道のり彼らは移動していた。


彼らとは、マウリッツ・スタンジェとカスペル・ファン・ハルスの二人である。二人は、最初にたどり着いた無人の村で、一台の馬車を手に入れた。ただし、この村だけでなく、途中で通った村々では人間だけでなく、馬も一頭も残っていなかったため、馬車を引いているのは三頭の騾馬である。


手綱を握っているのはカスペルだった。通常、ルワーズ公国の貴族の子弟は乗馬を習うが馬車の乗り方は知らない。カスペルは貴族の師弟でありながら型破りな若者で、庶民の子供たちと共に遊び、馬車の扱いもファン・ハルス家が経営する運輸業者の御者にせがんで教授されたものだった。


「しかし・・・人がいませんねぇ・・・」

「それは予想していたけど、馬すら居なかったのは妙だね」


話し相手がお互いしか居ない二人は、そろそろ話題も尽きかけてきた。最初はヤン・エッシャーの話がいくらでもあったのだが、そろそろネタもなくなってくる。それでもそれぐらいしか共通の話題と言うのはあまり無い。


「どうなってますかねぇ・・・姉さんとサスキアさん。三角関係になっちゃったのかなぁ・・・」

「うーむ、ヤンはそういうことをはっきりするタイプではないからなあ。二人に言い寄られていることにすら気づかない可能性もあるね。まあ、サスキアもあんまり積極的にいける娘ではないけど、だからと言って、カレンさんが押し切れるかと言うと・・・まあ、無理だろうなあ・・・」


二人は、この時には既にヤンとサスキアが婚約したことも、カレンが自ら身を引いたことも知らない。


「カリス・・・怒っているかなぁ・・・」

「はは、気になりますか?やっぱり」

「さすがに帰ってみたら、婚約解消とか言われたら・・・」

「へこみますよね」

「残念なような、独身の自由が継続してうれしいような・・・」

「・・・」


マウリッツはある意味では結婚前の最後の独身生活を満喫している状態なのだ。元々女遊びなどには縁の無いタイプだが、結婚自体が自由の敵と言う気もしていたので、カリスに会うまでは一度も考えたことがなかったのだ。ただ、お互い仕事を持つ身であり、仕事上でもパートナーとしてお互い頼りにできる存在であって、滅多にいないほど理想的な女性ではあった。これほど傑出した能力の持つ夫婦と言うのは、ルワーズ公国でも他にはファン・バステン夫妻だけであろう。


「ところで、カスペル君。ひょっとすると、うまくいけばヤンは今回のことが終わったら、サスキアをつれてケテル村に来る可能性がある。そうならなければ、そのときはカレンさんの可能性もあるね」


既に前者で状況は確定しているのだが、二人は知らないのはしかたない。


「そうなったら君はする?」

「そうですねぇ・・・新婚夫婦の邪魔はしたくないですね・・・サスキアさんもエッシャー先生とケテル村に来ることにならなかったら、同じことで困るでしょうね」

「私はかまわないと思ってたんだがね。カリスは新婚生活に妹は要らないと言って、やたらとヤンとの縁談をまとめようと躍起になっていたから・・・」

「どうしましょうかね・・・近くに部屋でも借りて診療所に通うか・・・、実家には帰りたくないんですよね・・・」

「アメルダムに来ないかい?田舎の診療所にいくら居ても、医者としての経験は十分にはならないし。その気があるなら、公国医学院に推薦してあげよう。うまくいけば、中央医局直轄の診療所かクリステル財団の総合診療所で研修も受けられる。カイパー博士がその気になれば、博士の手ほどきもうけられるし・・・」

「ほ、ほんとうですか?!お、お願いします」


実はこれも、既にヤンの方でも決めていることなのだが。


そんな、それほど楽しくも無い話をしながら二人は馬車にずっと揺られていた。


「よし、そろそろ御者を代わろう」

「いいですよ。疲れてませんし」

「いや、そろそろ君のメス使いの練習の時間だね」

「うっ・・・そうですか・・・」


マウリッツと御者を代わったカスペルは、荷物の中から筒状のものを取り出した。筒の横には小さな穴がいくつか開いており、そこに糸が通されている。これはヤンがマウリッツの屋敷で研究室に入るときに行ったのと同じことをする、言うなればおもちゃである。


円筒の中にいくつかの糸を通し、他の糸には触れずに一番奥にある意図だけをメスで切る。カスペルは不器用な方ではないが、マウリッツの用意した問題を解くのにはかなり苦戦していた。


「くそっ・・・うーん・・・こうやって・・・だめだ・・・じゃあ、こうして・・・ああ、切ってしまった・・・」

「練習練習!実際の手術の時に余計に内臓に傷をつけてしまっては大変だからね」


男同士の大して色気の無い会話はここで中断された。マウリッツは黙々と手綱を操り、カスペルはぶつぶつと言いながら、メスと円筒をいじっている。



突然、馬車の前に数名の男達が現れた。まだ日は高く、男達は薄着である。もうすぐ冬だと言うのにだ。そして、手にはそれぞれに農具や棒などを持っていた。吸血鬼ではありえない。


「降りろ!」


リーダー格と思われる男の声に、マウリッツはのん気に言った。


「ふーむ、野盗には見えないが・・・カスペル君、とりあえず、言うことを聞いてみよう」

「はい」


二人は言われたとおりに降りた。丸腰のままで。


「さて、どんな御用ですか?」

「用だと!貴様ら医者が妙なこと考えて、うちの子供から血を取ったりするから、具合悪くなったんだ!」

「そうだっ!うちの上さんはそれで、起き上がれなくなった!」

「娘は弱って風邪を引いただけで死んじまった!」


男達は口々に罵る。


「医者と言うことはわかっているようですが、私はルワーズ公国から来たばかりです」

「うそつけっ!ルワーズからなんて入ってこれるかよ!ノールトの方で戦争があったって聞いたぞ!」

「ほう、そうですか。我々はステーン湖を船で渡ってきましたので・・・」

「うるせぇっ!ごちゃごちゃいうな!ぶっ殺してやる!」


興奮して話し合いなど通じそうもない。マウリッツは他に服を持っていないのか、明らかに医者とわかる服装・・・つまり白衣を着たままで旅をしている。もう冬も近いのでコート代わりのつもりなのかもしれない。


「先生・・・これはちょっと埒があきませんよ。危なくなったら馬車に飛び込んでくださいね」

「ええ、私はヤンみたいに武術なんて野蛮なことはしないただの医者だからね」

「野蛮なことはしないって、やたらと武器とか開発しているみたいですけど・・・おっと!」


突然、先頭の男が干草を集めるのに使うフォークで殴りかかってきた。その瞬間、マウリッツは身軽に馬車に飛び乗り、カスペルは紙一重でフォークをかわして、左手で柄を掴む。


「ちっ、はなせ!」

「離せと言われて離す人はいませんよね。たぶん」


ドンッ!


カスペルの右手が男の胸を強く押した。思わぬ力で突き飛ばされる。


フォークを見てカスペルは柄とフォークの先をつなぐ目釘が取れかけているのに気づいた。手早くそれを抜き、先をはずしてただの棒にする。


「話し合っても無駄みたいなんで、ちょっとだけ痛い目を見てもらいますよ。大丈夫。スタンジェ先生は名医だから、多少の怪我ならすぐに治してくれますから」

「応急処置はしますが、骨折とかされたら無理ですよ」


やたらとのん気な二人の様子が余計に男達を興奮させた。


「コノヤローッ!」

「やっちまえっ!」


それぞれに叫んで襲い掛かってくる。


カスペルは棒を回転させる。回転している棒を左右に振ると、男達の得物は絡め取られ、明後日の方向に飛んでく。槍などの棒状の武器を使う場合の最も基本的な防御法である。


「・・・・っ!」


まだ十代にしか見えない、それもどちらかと言うと華奢な若造の武技に、素人でしかない男達は驚く。


その瞬間、カスペルは男達の中に飛び込んだ。まず、最初にフォークを奪った男のみぞおちに一撃、次に後ろから飛び掛ってきた男に振り向きもせずに棒を突き出し、顎に直撃させて昏倒させる。そのタイミングで左右同時に二人が襲ってきたが、身をかがめて攻撃をかわし、一人の股間に一撃。もう一人の足に棒を絡めて転倒させ、のど元に棒を突きつけた。ほとんど一瞬のことである。


「ヒューッ!なるほど。ヤンがほめるだけはある」


武術にはからっきしのマウリッツでもカスペルの手練はわかった。素人相手とは言え四人を相手に鮮やかなものである。


「さて、おとなしくしてもらえますか?話せばわかってもらえるはずです。私と先生はあなた方に害を加えている連中と敵対している者ですから。が、とりあえず、寝てしまった方々が起きるのを待ちましょうか。話を聞いてもらえますか?」

「う・・・あ・・・ああ・・」


男はあいまいに頷いたが、既に抵抗の意思は無かった。


「まあ、気付けぐらいぐらいなら直ぐだ。怪我をさせずにまとめたところはたいしたものだよ」


マウリッツが馬車から降りてきて、一人一人を確認した。股間を打たれて悶絶している男は、睾丸がつぶれてないことを確認して、無事な男に腰の辺りを軽く叩かせる。顎に一撃を喰らった男は昏倒していたが、一時的なものだったので、背中から両肩のあたりにきつく力を入れると気が付いた。みぞおちに一撃を喰らった最初の男は胃液を吐き出していたが、こちらも程なくして、平常に戻る。


「私はマウリッツ・スタンジェ。ルワーズ公国で伝染性吸血病、おそらくあなた方は吸血鬼を何かの呪いか怪物のように考えておいででしょうが、公国では病気としています。私はその専門医です」


公国中央医局などと言っても、フリップ王国の一般の住人にわかるはずもない。


「伯爵の・・・手下の医者じゃないのか?」


リーダの男が言う。


「伯爵とは誰です?」

「アズナブール辺境伯だ」

「ほう・・・レオンス・ド・アズナブールは十年前の戦争の責任を取って、所領であったこの辺りを召し上げられたように聞いてましたが・・・」


レオンス・ド・アズナブールは十年前の戦争におけるフリップ王国側の総大将を務めた人物であった。全軍の七割以上を失うと言う大惨事となったため、その責任をとって所領の大半を失ったのである。それ以降、ステーン湖畔からこのあたりまでの地域は、国王の直轄領、と言えば聞こえはいいが、事実上、支配者の居ない放置された無政府状態になっていたのだ。


「ほ、本当に知らないのか・・・一ヶ月以上前に、アズナブール辺境伯はここに帰ってきた。国王陛下からこの土地の支配権を返していただいたと言って・・・」


それに別の男が続ける。


「だが、変なんだ。伯爵の連れてきた兵士と医者みたいな格好をした連中が、最初は五日に一回のぐらい村にやってきて、村人全員から血を取っていった。最初は注射で少しずつだった・・・」


また別の男が続ける。


「そ、それが・・・半月ほど経ってから回数が頻繁になって、量も増えた。俺たちは大丈夫だが体の弱い子供や女たちはどんどん具合が悪くなっていった。体が悪いから辞めてくれと言っても聞いてくれないんだ・・・」

「なるほど・・・採血を頻繁に続ければ、確かに体がどんどん弱ります。風邪で亡くなったというのは本当にお気の毒ですが、ありえることです」

「先生・・・でも、どういうことでしょうか・・・」


カスペルが口を挟む。


「血液を集めるのはもちろん吸血鬼を養うため。ペースが上がってきたのは、吸血鬼を増やしすぎたから。おそらく、血に飢えた者を増やして、ルワーズ公国側、ゼーラント州辺りを攻略するつもりだったんではないかな。それが、ヤンの策略でほとんど無人になってしまった。あわてて、フリップ王国側で必要な量を確保しようとしたために、無理をしたというところか・・・」

「そんな・・・」


それでは、ヤンのせいみたいじゃないかと思ったのだ。


「いや、カスペル君。物事には常に表と裏がある。そして、ヤンのしていることは別に悪いことではない。ルワーズ公国側の人民を守り、そして、先々吸血鬼の軍を滅ぼすことに繋がる布石なのだから・・・。ただ、彼らが気の毒なのも確か。やりきれない思いは私にもある・・・」


男達には二人の会話がほとんどわかっていなかった。どうやら吸血鬼のことも知らないらしい。単に意味もわからず血液を提供させられていたのだ。


「みなさん。残念ながら今すぐに私の力でどうにかできることではありません。できるだけ、お子さんや奥様には栄養のあるものを食べさせて、今は耐えてほしいとしか言えません。ですが、私と彼はこれから王都アキテーヌに向かいます。そして国王陛下のお耳にこのことを入れ、レオンス・ド・アズナブール辺境伯の横暴を訴えます。おそらく、彼は本当に国王陛下からこの土地を返還されたわけではないしょう。反乱の門で討伐されるよう、必ず説得しますから、それまでどうかお待ちください」

「・・・先生・・・すまねえ・・・俺ら何にも知らないで・・・襲い掛かっちまって・・・」


男達は啜り泣きを始めた・・・


「いえ、こちらこそ痛い思いをさせて申し訳ありません。もう、立てますね。こんなことをしたとばれては大変でしょう?日のあるうちに帰りなさい。何も無かったふりをしないと・・・」


トボトボと男達は帰っていった。


「なんだか・・・本当にやりきれないですね・・・」

「ええ。急ぐ必要がある。これはヤンのせいと言うより、私のせいだ。アキテーヌに早くつけば、ああいう苦しみを少しでも減らすことができる。さあ、カスペル君!急ごうっ!」


二人は馬車に飛び乗り、騾馬を急かしてその場を離れて行った。




ウィレム・ファン・バステンは憂鬱であった。長年自分と共に戦った部下を失ったと言うこともあるが、そのことが護国騎士団本部の仲間たちの心を沈めている可能性を考えてのことだった。護国騎士団の強さとは、『不謹慎な陽気さ』にある。それを作り上げたのはウィレム本人だが、自分が居ない状態でそれを維持できてるかどうか心もとなかったのだ。


護国騎士団本部にたどり着いたウィレムは、中央医局や保安兵団の人員も合流して、大所帯となった本庁に入った。ヤン・エッシャーの居所を通りすがりの医局の研究者と思しき娘に聞く。


「エッシャー先生でしたら、大広間の演壇に執務机を置いてお仕事されてます。ちょうど、大広間に開設されている司令部に行くところですので、ご案内しますね」


答えたのはマルガレータ・バレンツであるが、ウィレムとはお互いに初対面である。もちろん、護国騎士団本部は本来の彼の仕事場で、大広間と言われれば直ぐにたどりつけるが、案内してくれると言うのならついていこうと思ったようだ。


意外なことに、護国騎士団本部の雰囲気は暗くない。戦友の死という凶報があっても、騎士団員の士気は旺盛に見えた。むしろ、何か浮き立っている感じさえする。


「なにか、いいことでもあったのかね?前線では指揮官クラスに死者もでたはずだが・・・」

「はい。そのお知らせが来た時には、みんな一応に沈んでしまって・・・エッシャー先生の叱咤で心を奮い立たせても、本部全体が悲壮感に包まれてました・・・」

「それが、どうしてこんな感じに?」

「それが・・・実は、ヤン・エッシャー先生がご婚約なさいまして、その知らせ一つで皆さんすっかり元気を取り戻したんです。私の親友で先生の幼馴染のサスキア・ウテワールと・・・」

「!」


ウィレムは驚き、そして喜色を浮かべた!


「そうか!ヤンの野郎っ!このタイミングでか。あのグズが、こんなに早くなぁ!」


マルガレータは総司令官を乱暴な口調であげつらうウィレムに軽い反感を覚えたが、大広間についたので何も言わずにいた。


大広間に入ると、相変わらずかわるがわるヤンの席には祝辞を述べる部下がくる。実際にはほとんどただの冷やかしなのだが。


「これはこれは、ヤン・エッシャー殿、ご婚約されたそうで、三十近くになってようやく独身生活に終止符を打たれるのは何より。重畳重畳」

「あ、兄上!」

「え、エッシャー先生のお兄様・・・と言うことは、ウィレム・ファン・バステン将軍!?」


マルガレータは知らずに応対していたことにあせったが、そんなことはウィレムはまったく気にしていない。そこにシモンが現れた。仕事の話をする前に一度馬鹿話をするのもこの騎士団の特徴である。


「ファン・バステン将軍!無念でございます!将軍不在の間に結成されたサスキア嬢防衛隊!僅か数日を持ちまして解散とあいなりました!」

「ふむ。悪ふざけのネタがなくなったのは惜しいが、他にいくらでも見つけようがある!次を考えよっ!」


スパーンッ!


突然、書類の束でウィレムは叩かれた。


「あんたか!こういう馬鹿なことさせているのはっ!」


シルヴィアである。


「あのなぁ・・・戦場から帰還した亭主に挨拶より前に突っ込みいれるってのはどうだ?」

「あんまり馬鹿なことばかり目の前で言われると、お腹の子供の胎教に悪いわ」

「え?」

「兄上、おめでとうございます。」


今度は、次々とウィレムに向かって祝辞が述べられた。


「ファン・バステン将軍。おめでとうございます。」


そう述べたのはピーテルである。やや顔を紅潮させている。


「ほう、ブルーナ主任主計官!仕事も相変わらず完璧だが聞いているぞ・・・」

「え?」

「貴様!我が護国騎士団の伝統を何たるものと心得るか!恋人ができたら、宴会の席で全員の前で紹介した上に、そこで接吻をかわしてさらに・・・」


スパパーンッ!!


「やめなさいって!そういうことやるから、騎士団員の既婚率がさがるのよ!」

「いや、これも・・・伝統で・・・」

「んな馬鹿な伝統を作ったのはあんたでしょうが!」

「で、誰なんだ?ピーテル・ブルーナ氏のお相手は?」

「あなたをつれてきた、そこのかわいらしいお嬢さんよ」

「えと、マルガレータ・バレンツです。ロビー・マルダー氏の治療チームリーダーをしております。」


マルガレータは自分で名乗り出た。いずれ結婚を考えているのだから、今のうちにピーテルの上司に顔を通しておくのは悪くない。


「ほほう・・・これまたお似合いのお二人だ。では、直ぐ今晩にでも騎士団全員の前で・・・」


ゴンっ!


今度は椅子で殴られた。


「しつこいっての!いい加減父親になるんだから自覚持ちなさいっ!」


司令部に笑いが溢れた。この夫婦漫才こそが護国騎士団最大の名物なのである。




「さて、話を始めさせてもらおう」


落ち着いたところで、ウィレムを交えて会議が始まった。


「まず、ファン・バステン将軍、急なご帰還の理由を教えていただけますか?」


兄のことだが改まって言う。


「不死鬼の軍将の身元についてだ。俺も気づいたことはあるが、まず、こちら側の調べについて聞きたい。まず、イエケリーヌという女の身元についてだ」


この質問にはピーターが答える。


「保安兵団ピーター・レイン捜査官であります。保安兵団では名前を伺って以降、あらゆる犯罪者の資料、貴族名簿、紳士録をあたりました。イエケリーヌ・エラスムスなる女性については、複数人該当者がおりますが、めぼしいのは一人・・・」

「何者だ?」

「前公国元帥フーゴー・ファン・ドースブルフ伯爵の私生児、本名イエケリーヌ・ファン・ドースブルフ。エラスムスは母親の姓です。伯がメイドに手をつけて生ませたとか・・・」

「どこにも似たような話はあるものだな・・・」


一瞬、ウィレムの言葉にヤンはいやな顔をした。


「しかし、それがどうして不死鬼になったのでしょうか?」

「どうやら、一年ほど前から・・・父親ともども行方不明です」

「!?」

「私生児ではありますが、ファン・ドースブルフ伯は既に奥方を亡くしておられます。イエケリーヌも伯の屋敷で育っていました。部門の誉れ高い家系ですから、女性とはいえ武術の訓練を受けていたものと思われます」

「ああ、確かに油断できないほどの腕だった」


腕組をして思い出す。ウィレムがこういうほどの腕前と言うのはなかなかいない。男でもめったにいないのだ。


「そして、一年以上前から伯本人も含め、まったく姿を現していないのです」

「やはりか・・・」

「やはりとは?」


ヤンが聞き返す。それに答えたのは意外なことにカレルだった。


「確信はありませんでしたが・・・やはり、あの鎧の男はファン・ドースブルフ伯・・・」

「そうだ。気づいていたか・・・」

「確信できないためエッシャー先生にもお話しておりませんでした。ただ、声が伯のものと似ているとは感じていたので・・・」


フーゴー・ファン・ドースブルフは十年前の戦争当時の公国元帥である。戦後、伝染性吸血病への対策に消極的であったことと、ファン・レオニー伯との政争に破れ、人望を失って退陣した人物である。しかし、もともと武断派の彼は、戦場にあっては勇猛で、戦術や戦略にも長けた有能な軍将だった。ウィレムやカレルなど、十年前から既に護国騎士団の中枢にいた者なら何度も面識はある。


「ファン・ドースブルフ伯は、十年前の戦争で両国軍どちらかへの参戦を主張されていた。そして戦後は・・・」

「吸血鬼を使って、フリップ王国に進軍することを主張していた・・・」

「!?」


ウィレムに続けたシルヴィアの台詞に他の全員が絶句した。


「一般的にはほとんど知られていないことだけどね。そのために、国境地域での流行をしばらく放置しようと主張したのです。私と陛下で説得しましたが、掃討作戦を裁可せず、ウィレムが当時のファン・ピケ騎士団長の命令書を偽装して強引に作戦を決行したのです」

「つまり・・・十年前の構想を実現するために、自ら不死鬼となって、今度はルワーズ公国に仇なすつもりだと・・・」


青ざめた顔でシモンが言う。


「いや、ルワーズ公国に攻めることが目的ではないと思う。今聞いた伯の人なりからすれば、軍事力と言う手段が目的に摩り替わったタイプだ。医学研究と言う手段を目的化し、医者の倫理観から外れる研究に没頭したファン・クラッペと同じように・・・」


やはり、青ざめた顔でヤンが言う。


「まあ、とにかく、不死鬼軍の将帥についてめぼしは付いたな。あとはもう一人、長身長髪の黒づくめで、シモンとやりあったと言う不死鬼の剣士だが・・・」

「将軍、エッシャー先生・・・一人心当たりがあるのです・・・」

「!」


シモンの台詞にまた全員が驚く。シモンはカレルと視線を合わせて、カレルが頷くのを確認してから話し始める。


「おそらく・・・男の名はヨハネス・ファン・ビューレン。十年前若くして、護国騎士団第一部隊副隊長だった男です」

「よ、ヨハネスがだと・・・しかしやつは・・・」

「ええ、ヨハネスは十年前の吸血鬼掃討戦の時、吸血鬼にのどを食い破られ、吸血鬼ごと断崖絶壁から身を投げて壮絶な戦死を遂げた・・・はずでした・・・未熟な私をかばって・・・」

「なぜ奴だと?」


シモンは一度、ため息をつき、顔を上げたから話し始める。


「不死鬼の剣技ですが、異常発達した筋力で単に振り回すだけでもなく、通常の人間が使う剣技でもなく、効率的に異常発達した筋力を生かした独自のものでした。ただ、その太刀筋は・・・私自身がヨハネスから教えられたものとよく似ておりました」

「シモンさんは、そのヨハネス・ファン・ビューレンとどのような・・・」


質問したのはカレンである。武略のことには口を出さないようにしていたのだが、思わずきいてしまった。


「彼は、公国武塾で私の教官でした。師匠と言っていい関係です。そして、私が武塾を出ると同時に、護国騎士団第一部隊、ファン・バステン将軍の部隊に配属され、私も見習いで入隊しました」

「ああ、シモンはよくヨハネスに懐いていたな。ヨハネスは若かったが、当時は間違いなく公国随一の剣士だった」

「吸血鬼掃討戦の中盤、山岳地帯での戦闘時、私はミスを犯しました。十数名の吸血鬼に囲まれ、死を覚悟しました。吸血鬼になるぐらいなら、その場で自殺をしようとしたとき・・・」

「ヨハネスが飛び込んできたのか・・・」


ヤンの口調は重い・・・普段おちゃらけているシモンの過去に驚いている。いや、あの馬鹿騒ぎやおちゃらけが彼のカモフラージュであることは知っていた。元々は堅苦しい人物なのも予想が付く。だが・・・


「その時のヨハネスの剣技はすさまじいものでした。筋力の異常発達した吸血鬼達を瞬く間に切り伏せます。正確に心臓を貫いていくのです。しかし、後方から攻撃があったからといって、吸血鬼は理性がありませんから、私への攻撃はやめません。私も必死に応戦しましたが、当時の私の力では歯が立たず、私の首筋に一人が噛み付いてきました・・・」


シモンは泣いてはいない。だが、涙は流していないが、心が泣いていることは誰にでもわかった。それでも、毅然として、顔を上げ、やや硬い表情で話を続ける。


「ヨハネスは私に噛み付こうとしていた吸血鬼の前に自分の腕を差し出し、代わりに噛み付かせ、そのまま吸血鬼を抱えて崖の中に飛び降りたのです」

「つまり、あなたの命の恩人」

「ええ、彼は・・・私の身代わりに不死鬼となったのでしょう。彼を・・・彼を止めるのは・・・私しかおりません。エッシャー先生とファン・バステン将軍にお約束を賜りたい。ヨハネス・ファン・ビューレンと剣を交えるのは私であると言うことを!」


ヤンより先にファン・バステンがそれに答えた。


「ヨハネスの死、いや、不死鬼となって生きていたわけだが、それは俺にも責任のあることだ。あいつは、一番優秀な部下だった・・・シモン、戦うのはお前に任せる。決して負けるなよ。あいつを・・・あいつを止めてくれ」

「シモンさん、私はそのヨハネスと言う男はよく知らない。だが、あなたにとって大切で、そして、借りのある人間であると言うことはわかりました。彼のあの剣技、対抗できるとしたらあなただけでしょう。秘密の特訓はそのためですね?」

「ご存知でしたか・・・」

「ええ。彼と戦えるのはあなただけだ。ただ、それは私事です。あなたは既に護国騎士団第三部隊長。こちらの方もお願いします。おそらく、ヨハネスは既に十年も不死鬼として生きてきています。他にはこれほど長寿の不死鬼はいないかもしれない。ヨハネスのような過酷な生き方をせずとも、不死鬼が生きていけるようにすることが、私たちの仕事です。部隊長としてはこのことも念頭においてご協力ください」

「はっ!非才なる身全力を持ちまして!」


すさまじい覚悟が表情から読み取れた。だが、それにはやや不吉なにおいも感じ取れる。ヤンはそれを見て、声を高めて続けた。


「ただし!死ぬことは許しません!必ず生きて戦い抜くのです!」


ここで一息置いて、立ち上がりさらに声を高めた。


「シモン・コールハース第三部隊長に命じる!第三部隊長として不死鬼軍討伐の第一線に立ち、敵の首領格の一人、ヨハネス・ファン・ビューレン打倒の責任者たることを!そして、必ず生きて、不死鬼達との戦いを後の世に伝える証人たれっ!」


物腰の柔らかいヤンが声を高めると、それは雷鳴のごとく響いた。シモンは一度立ち上がり、ひざまずいて拝命の姿勢をとる。


「承知・・・いたしました・・・」

「こうまで露骨に指揮権を奪われるとむしろ痛快だな」


ウィレムが言う。厳粛になりすぎた雰囲気を修正しようと試みたのだ。


「いえ、兄上。私は国公陛下から『ファン・バステン将軍不在の間』と言う条件で護国騎士団長代理の職についております」

「そのことだが・・・そのこともあって俺はこっちに来たんだ。明日、陛下に呼ばれている。お前と、シモン、カレルも一緒だ」

「えっ?こっちにはそんな話は・・・」

「来てないだろうな。あんまりおおっぴらにしたくない事情があるらしい。たぶん、お前が喜ばない話だろうよ。ヤン」

「また特別辞令ですが・・・数日前に出たばかりなんですがね・・・」



翌朝、四人が参内すると、謁見室にはジェローン以外に、トーマス・ファン・ピケ元帥だけがいた。ただ、ファン・ピケは本来いいるべきジェローンの隣ではなく、自分たちと同じ謁見者側の席にいる。


「多忙な中呼び立ててすまない。国境地帯での戦闘開始については聞いた。ヘンドリック隊長の死、誠に残念だ。彼を特進扱いとし、生前にさかのぼって将軍位を与える。」

「はっ!」


将軍は本来騎士団長および兵団長にあたらえられる称号だが、戦死後に名誉称号として与えられることもある。


「呼び立てしたのは他でもない。不死鬼軍のスポンサーについて、情報が入った」

「えっ?」

「とんでもないところからな。ファン・ピケ!説明せよ!」


国公と言えど、本来公式の場で臣下を呼び捨てにすることはない。ファン・ピケを呼ぶのならば「元帥」、または役職名の「軍務卿」と呼ぶのが正しいのだが、あえてジェローンは呼び捨てにしている。


「は、ははっ!二ヶ月ほど前、ファン・クラッペなる医師が私に接触してまいりました。私の妻が熱病にかかりまして、それを治療したのですが・・・」

「!?」


ヤンたちは驚いた。保安兵団と言えど、本来上官たる公国元帥のことまでは捜査に憚りがあったのだろう。それはわかるが、それにしてもファン・クラッペがファン・ピケと接触していたとは。


「彼の者は私に一つの提案をしてまいりました。ルワーズ公国軍を増強するために、不死鬼の軍団を編成してはどうかと・・・そうすれば護国騎士団以上の戦闘力を持つ部隊を私の手で編成できるだろうと・・・それを断ると・・・国境の向こうにはルワーズ公国の吸血鬼軍隊をほしがる方が他にいると、ほのめかしておりました」

「なぜ、それをもっと早く報告しなかったのだ?いや、迷っていたのだな?ファン・バステン家に対抗できる切り札になるかもしれないと・・・」

「は・・・」


ウィレムもヤンも言葉が出なかった。


「まあ、最終的には良心が勝り、実際には手をつけなかった。奴らに協力していれば、極刑も免れ得ないところだが、それは許そう。だが、そのことを黙っていたがために、奴らの策動を許した。その責任の取り方は自分で決めよ」

「こ、公国元帥の称号を返上し、軍務卿の地位を辞任いたしまする・・・」


おそらくは、謁見の前の時点でこのやり取りは決まっていたのだろう。ウィレム自身の手で追求させないためだ。ウィレムやヤンが謁見の間で上司ある軍務卿を弾劾することになどなれば、公国元帥の権威は失墜し、ファン・ピケ自身、死を選ばざるを得なくなるまで追い込まれてしまうかもしれない。


「宮廷書記官!特別辞令を発布する!」

「はっ!」


例によってあわただしく、辞令の書面が用意される。


「トーマス・ファン・ピケ伯爵の軍務卿、公国元帥の辞意を受け入れる!」


ファン・ピケは頭をさげ、彫像のように動かない。


「護国騎士団長ウィレム・ファン・バステン将軍を臨時の軍務卿代理とし、公国元帥の称号を与える!」


軍務卿の人事については、国公だけで決めれるものではない。だが、現役者の辞任と言うことなので、代理を指名する責任は国公にある。いずれ、落ち着いた後に全閣僚の了承をもって正式な軍務卿になることだろう。


「護国騎士団主任参謀カレル・パルケレンネを軍務府首席参事官に任命する!ファン・バステン元帥が不死鬼軍討伐に自ら出陣している間は、軍務府においてその代理を務め、後顧の憂いをなからしめよ!」


めまぐるしい人事の変転に目を回す思いだが、カレルは僅か数日でまた肩書きが変わった。


「護国騎士団長代理ヤン・ファン・バステンについては、本来ウィレム・ファン・バステンの不在の間の臨時代理との扱いであったが、この人事に関連して、当面の間騎士団長代理の職を続けてもらう!これは新たに辞令は必要ない。申し訳ないが、よろしく頼む。ことが終わるまでの間だ。」


後半はヤンの耳元にぼそぼそと言った。ヤンのことは実はよくわかっているジェローンなので、あえてこう言ったのだ。


「ファン・ピケ伯爵は下がっていい!」

「はっ!」


ファン・ピケはむしろさっぱりした様子で下がっていった。ウィレムにいつ公国元帥の職を奪われるかとビクビクする生活からやっと開放されたのである。決して無能ではないが、ウィレムを部下に持つには器量不足だったということだろう。


「さて、国境の向こうでルワーズ公国の吸血鬼軍・・・どう思う?」

「国境の向こうに居ながら『ルワーズ公国の』という言葉を使う場合には、お一人しかいらっしゃいません」


ヤンは多少躊躇しながらもはっきりと続けた。


「アルベルト・ルワーズ殿かと思われます」


アルベルト・ルワーズはジェローンの甥にあたる。しかし、現在のルワーズ公国では国公の一族として認めていないため、『殿下』の尊号を使うことができない。


「だろうな・・・だが、フリップ王国がまたアルベルトを使ってルワーズへの支配権を主張しようなどと言うのは無理がある・・・奴の独断か・・・」

「そのあたりは、マウリッツ・スタンジェがそのうち報告をもたらすかと」

「ああ、そこはそれを待つしかないが・・・この後はどうする?」


本来、ここで発言すべきはウィレムである。今や名実共に公国軍の最高指揮官に就任したのだから当然のことなのだが、あえてウィレムはヤンの言葉をまった。それだけ、ヤンの知略を信頼しているのだ。自分はヤンのいわれたとおりに動く操り人形でもいいと思っているのだ。


「私が、前線に赴きます。国境地域では、おそらくノールトとケテル村が敵の拠点となることでしょう。しかし、彼らはそこを確保しても肝心の糧食、血液を確保できません。程なく、二箇所からザーンに進軍してくるものと思います」

「あえて、ファン・バステン元帥ではなく、君が行く理由は?」

「公国元帥自らが陣頭に立つ前に、護国騎士団長がまず前線に立つのが筋と言うものです」

「それはそうだが・・・」


実はヤンは兄と兄嫁のことを気遣っているのだ。兄嫁の懐妊中に兄に危険なことなどさせたくないのである。ウィレムはそのことを敏感に感じた。シモンとカレルもだ。そして、ジェローンもやや遅れてその推測にたどり着いた。


「エッシャー殿、あなたはご婚約されたと聞いた。結婚前の花嫁を未亡人にするなどということはあるまいな?」

「え!?な、なぜそれを・・・」


婚約したのはつい昨日。もちろん、宮廷に報告を入れるような話でもない。護国騎士団本部内ではあっという間に広がったが、それがここまでくるとは思われない。


「私の耳は地獄耳さ。その知らせ一つで、凶報に衝撃を受けた護国騎士団の士気が回復したと聞いている。それより、厳しい戦いであることは間違いない。それでもあえて元々軍人でもないあなたが前線にでるのか?」

「はっ!もちろん、死ぬ気などありません。勝つためです。国境地域は兄よりも私の方が詳しいですから。何より、本格的な戦いになれば、必ず兵士の中に伝染性吸血病に感染する者が現れます。即座に対応できる体制を作るためには私が前線に出るべきかと」

「戦場で吸血病患者を治療すると言うのか?」

「は!既にロビー・マルダー氏は治療チームリーダ、マルガレータ・バレンツ主任研究員の手により、だいぶ普通の生活を出来るようになってきております。いずれは、健常者と同様に働いて自活することも可能となるはず。前線での被害はまったくなしと言うわけにはいきません。しかし、そうして感染した兵士たちを治療することには戦略的な意味もございます」

「敵方の不死鬼達にも通常の生活が出来る可能性があることを知らしめると言うことか・・・前線にあっても、指揮官としてだけでなく、医師としても戦うと・・・」

「はっ!それが、私の戦いでございますれば」


ウィレムも、シモンも、カレルも始めて聞く考えであった。いわれてみれば確かにこの方法が一番、不死鬼達の離反を招くための動きに繋がる。軍人であるウィレム以下三名には出てこない考えであった。


「ケテル村周辺での戦闘において、五名の兵士が感染し、自ら命を絶った・・・そのようなことはもうさせたくありません」

「わかった・・・前線はそなたに頼もう。医師たちも連れて行くといい。ファン・バステン元帥!よろしいか?」

「は!」


弟を危険な目にあわせることは気が引ける。しかし、自分には出来ないことをヤンはやろうとしているのである。これは自分の出る幕ではないのかもしれないと思った。





謁見が終わり、護国騎士団本部の司令部で今回の人事の内容とヤン・エッシャーの出陣が知らされた。蜂の巣をつついたような騒ぎになる。


「え、エッシャー先生!先生は指揮官である前に医師であるはず!何もそんな危険なところに・・・」

「医師であるから、前線に赴くのです。兵士たちとそして、不幸にも不死鬼軍で戦うことになった吸血鬼や不死鬼達のためにです」

「でも、なにかあったらどうするんです!サスキアは・・・」


猛反対しているのはカリスである。自分の婚約者も危険な目にあっているが、そうは言ってもあくまで医者としての仕事である。ヤンは軍の司令官として戦場に赴くのだ。医者としての義務があると言っても、司令官として、場合によっては部下を守るために自分の命をなげうたなければならない。


「・・・サスキアが・・・サスキアが待っているなら・・・私は必ず帰ってきます!」


多少の照れを見せながらはっきりとヤンは口にした。


「エッシャー先生・・・」


カリスは何も言えなくなった。


「ヤン・・・」


気づくと直ぐ近くにサスキアが立っていた。話を聞きつけてきたのだ。直ぐ後ろにマルガレータもいる。


「サスキア。大丈夫だ。必ず帰ってくる」

「・・・ヤン・・・待ってるから・・・」

「ああ・・・」


誰も冷やかしたりはしなかった。サスキアの気丈さと、ヤンの決意の強さがに皆感じ入った。


「クリステル先生。中央医局は先生にお願いします。元々吸血病対策室以外は各部局長の判断で動いていますが・・・」

「はい。承知しました。ロビー氏の治療に進展があれば随時連絡します」

「お願いします」

「護国騎士団本部についてはシモン隊長に・・・」

「エッシャー先生!私もザーン参ります!」


シモンが声を張り上げた。


「私の任務は第三部隊長だけではありません。ケテル村を出て以降、あなたの命をお守りすると言う命令に変更はなかったはず」

「しかし、それでは護国騎士団本部は・・・」

「それは俺が見る。軍務府の方はカレルがいるから大丈夫だ。シモン!任せたぞ!」


ウィレムはヤンと自分が同じところにいるわけには行かないことをわかっている。ヤンが前線に出るなら自分は後方に、後方にいるなら自分は前線に出るべきなのだ。一方でシモンのことを信頼していた。ヨハネス・ファン・ビューレンのことも含め、前線に出るべきなのはこの若い二人なのだろう。ヤンの身辺を任せてもいいのはこと男だと考えた。何より、前線にはヨハネスが現れる可能性もあるのだ。


「第三部隊の半数五百を連れて行け。アメルダムにはそれほど戦力を置いておいても意味がない。だが、それ以上はザーンの負担になるだろう」

「はい。そうさせてもらいます。場合によってはザーンに入城する前に一戦することになるかもしれません。明後日、出立します」


ヤンの言葉に皆、頷かざるを得なかった。本来軍将ではないヤンを矢面に立たせることに、護国騎士団員には多少の抵抗があった。だが、この男が前線に立たねばならない理由も理解している。


「ふぅ・・・決めてしまったんならしかたないわね。明日は壮行会をしましょう。さ、さっさと準備を終わらせるのよっ!」


シルヴィアの一声が雰囲気を明るくした。涙に濡れた出陣は護国騎士団には似合わない。

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