表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死騎  作者: 槙原勇一郎
18/34

一勝一敗

護国騎士団第一部隊長レム・ファン・リートフェルトは緊張していた。


ゼーラント州の州都ノールトには州内の全住民が集まっている。と言っても、そもそもがゼーラント州の人口は極端に少ない。国境地域であるということもあるが、十年前の戦争ではフリップ王国軍の進軍経路であったため、途中の村々はほとんど焼かれ、略奪の対象となった。さらに、戦後の伝染性吸血病の流行でも、その被害を甚大に受け、元々少ない人口がさらに半減したのである。


今回場合はさらに、いくつもの村が人為的な伝染性吸血病の流行、もしくは不死鬼軍による血液を目的とした強制移住と見られる失踪により丸ごと無人となっているため、ゼーラント州でノールトに収容していた人数はドルテレヒト州の二十万に比べて遥かに少ない八万程度、一地方都市、それも小規模な方のザーンの人口のどうにか二倍程度でしかなった。


このノールトの八万の民衆は、不死鬼軍に備えてザーンに移動することになる。ザーンの収容能力ではさらに八万を受け入れることには無理があるが、何割かの民衆はアメルダムなど比較的安全な方面へさらに疎開していくことを希望したため、こうした措置を取れることになったのである。


ノールトは言うなれば不死鬼軍との来るべき戦争の最前線である。わざわざこの城砦都市を空城にするについては、ヤン・エッシャーにある目論見があった。不死鬼軍は放置していても、いつかは何らかの動きをとらざるを得ない。血液と言う確保しづらい資源を常に補給しなければならない維持することが難しい軍隊だからだ。おそらくはフリップ王国側の国境地帯では、民衆から血液を提供させる仕組みを用意しているとは思われる。だが、マウリッツ・スタンジェがフリップ王国に潜入した今となっては、それもいつまでも続けることが出来るとは限らないのだ。フリップ王国側が血液の供給元になっている村々を開放することに動く可能性が高くなったからだ。


それでも、ヤン・エッシャーがノールトを空城にするのは、不死鬼軍をルワーズ公国側に誘い出すためである。血液の供給元となる人口は多ければ多いほど無理がなくなる。すでに数千乃至一、ニ万程度には膨らんでいると思われるので、どれだけの数の村をそうした形で利用しているかにもよるが、過剰に血液を拠出させれば不満も高まる。何より、健康的な状態を維持できる限界以上に採血してしまっては、住民からの採血自体ができなくなってしまう。


一方で、ルワーズ公国側の方が吸血鬼対策が進んでいることも彼らは良くわかっているはずである。おそらくは、統一した意思で動いているわけではないと思われる不死鬼軍の首脳部に亀裂を走らせるための仕掛けでもあるのだ。空城となった、ノールトを占領するかどうかだけでももめるはずである。


それゆえに、レム・ファン・リートフェルトは緊張していた。完全に空城になってから、接収しに来るだけならいいが、ついでとばかりに移動している民衆に襲い掛かれば、敵は城だけでなく、大量の血液を得ることができるのだ。



日中を選んで移動を始めたわけだが、それでも、皮膚のダメージへの対策はしている可能性があるし、その気になれば、理性や思考のない吸血鬼であれば、大やけどを負ったような状態になっても、進軍してくる可能性も考えられた。


レムの予想は当たった。ちょうど、移動する民衆の最後尾が城門を出たタイミングで、フリップ公国国境へ向かう街道に砂塵が上がるのが見えた。遠眼鏡を取り出すと、千程度の吸血鬼の群れが見えた。全員、鎧などは着用していない。明らかに雑兵と言った体である。皮膚はだいぶダメージを追ってはいるが、厚手の服を着込んでいるがために、活動に問題が出るほどにはただれているわけではなさそうだった。油を浴びさせている可能性もある。


緊張していたと言っても、レムは備えていないわけではなかった。状況がはっきりして、むしろ落ち着いた態度で迎撃体制を整える。レムは護国騎士団内で『戦う哲学者』の異名を取るほどに思慮深い男だ。


「騎馬隊二百は住民と共にザーンに向かえ!歩兵八百で迎撃する!対吸血鬼密集防御体制を用意!」


騎馬隊は八万の民衆をせかしながら去っていく。民衆と言っても八万の中には元々のノールトの城兵なども含まれているから、戦力としては千人程度が民衆を守ることになる。


八百の迎撃部隊はヤン・エッシャーの発案による特殊な迎撃体制を取った。


三百名が、百人ずつ、三種類の奇妙な盾を構えた。一列目に並んだ兵士たちは、全身を隠すことが出来る大きさの長方形の巨大な盾を構える。それを、左右のものと三分の一程度ずつ重なるよう並べる。


第二列目はもっとも奇妙な盾を持っており、それは巨大な円盤状の盾だった。それを、第一列の盾の上、小さなくぼみになっている部分に持ち手の部分を載せるように構えた。この盾の持ち手は、縄で出来ており、構えてもこの盾はぶらぶらとゆれる。


第三列目の盾は第一列目の盾の半分程度の大きさで、それを、一列目の盾の上に並べた。高さ三メートルほどの、金属製の壁が出来上がる。


異常な速度で走りよってくる吸血鬼たちは、そんなことはお構いなしに、壁に向かって突撃してくる。壁の十歩ほど手前で先頭の吸血鬼たちは飛び上がり、異常発達した筋力でその豪腕をたたきつけてくる。


「キシャーッ!」


吸血鬼は声帯をうまくコントロールすることが出来ないので、獣のような声しか出せない。


グワシャーンッ!!


第二列目の兵士たちが持つ丸い盾がけたたましい音を立てた。わざわざ響きやすい材質の金属で作られた、楽器と言ってもいい盾である。吸血鬼たちは自らの攻撃で発生した大音響で、異常に敏感な聴覚に大きなダメージを受ける。最前列の吸血鬼は半数がそれで昏倒していた。


「弓箭兵!瀉血矢を打て!」


通常の弓矢ではよほどの強弓でもない限り、吸血鬼にダメージを与えることは難しい。だが、マウリッツ・スタンジェの発案によるこの矢は、吸血鬼の体に突き刺さると、血液を凝固させずに大量に対外に流出させることができた。矢じりは通常のものより細く、注射針のように穴が開いており、そこから血液が吸い上げられ、噴水のように噴出す。血液を急激に失った吸血鬼は行動不能になる。直前まで全力疾走していたならなおさらだった。


二百の弓箭兵が壁を越えて瀉血矢の雨を降らせた。盾の壁の向こう側では、吸血鬼の大量に吹き上がる。さらに・・・


「突撃兵!吸血鬼どもの首を枯れ!」


残りの三百の突撃兵は手に剣や槍ではなく、長大な棒の先に巨大な鎌が付いたものを持っていた。それを使って、次々と吸血鬼の首を刈り取る。すでにほとんどの吸血鬼は音響攻撃と瀉血矢でダメージを負っており、突撃兵のすることは戦闘というよりも作業でしかなかった。


八百人の歩兵で千五百の吸血鬼を被害ゼロで絶滅させたのである。これは、十年前に僅か二千の護国騎士団第一、第二部隊で最終的には数万の吸血鬼を掃討したことを考えれば、それほど異常な事態ではなかった。理性のない吸血鬼の群れは、戦術さえ誤らなければ決して恐れる必要は無いのである。



吸血鬼たちには細かい戦術を駆使することなどはできない。ただ、血に飢えた状態で戦場に送り込んだだけに過ぎないが、それでも、戦場まで移動させるためには指揮官が必要であった。


第一部隊に全滅させられた吸血兵の部隊を指揮していた不死鬼は苦虫を噛み潰したような顔をした。


「なぜ、こんな意味の無いことしなければならないんだ?負けるとわかっていながら仕掛けろなどと・・・。抱えきれないほどの兵力を抱えるからこういうことになる・・・」


若い、丁寧に全身に油を塗って皮膚へのダメージを抑えている不死鬼は苛立ちを隠せさない。第一部隊が民衆を追って見えなくなったことを確認して、十分に血液を取っておとなしくなった状態の吸血鬼、千人を引き連れて、ノールトに入城していく。




レム・ファン・リートフェルトの上官に当たるウィレム・ファン・バステンは、ザーンからケテル村方面に出撃していた。率いているのは第二部隊、ヘンドレック・ファン・オールトが七百、ウィレムは三百を借り受けて率いている。ケテル村はステーン湖を渡ればすぐにフリップ王国領から直接上陸でき、護国騎士団の前線基地であるザーンに進軍してくるには絶好の拠点となりえる。


一方でウィレムはケテル村に軍を配備するつもりはなかった。ケテル村一つを確保したところで、上陸地点は他にいくらでも考えられるし、ザーンとの連絡が絶たれれば孤立してしまう。むしろ、現在はケテル村に敵軍が上陸するのを待っているような状態なのだ。ただし、何も楽に占領させてやる必要はないので、いろいろと罠を仕掛けている。また、ケテル村からザーンに向かう街道にも罠を仕掛けて、進軍を遅らせる準備が出来ている。こうした柔軟な戦術を駆使するためにも、地域住民の城砦への収容には大きな意味があったのだ。


「将軍!北方より吸血鬼と思われる軍勢が接近してきます!その数およそ八百!」


ヘンドレックは勢い込んで叫ぶ。カレル・パレルケレンネに次ぐ軍歴を誇る第二部隊長は、カレル以上の武勲を挙げながら、直情的過ぎ、短気であるために騎士団長や兵団長への昇進を逃していると言われる男である。


すでに夕方となっていた。吸血鬼の行動には問題ない程度の日差ししかない。


「全員騎乗!騎射隊は対吸血鬼鏑矢を用意!」


この対応も、ヤン・エッシャーが作成したマニュアルに従ったものであった。対吸血鬼用鏑矢もマウリッツ・スタンジェの発案によるものである。鏃のすぐ下に取り付けた鏑は通常のものよりもさらに大きい音を出すように作られている。


徒歩ではあるが、なまじの馬よりも速く走る吸血鬼たちが五十メートルまで迫るのを待って、ウィレムが号令する。


「撃て!」


百騎の騎射隊ががいっせいに矢を放つ。百本の矢は吸血鬼を傷つけることはほとんど出来なかったが、それが放つ極めて音程の高い音の本流が吸血鬼たちに降り注がれた。致命的なダメージを与えるほどのものではないが、それによって、進軍速度が一時的に落ちる。


「そらっ!尻撒くって逃げろっ!」


ウィレム・ファン・バステンは公国最強の軍である護国騎士団の騎士団長であり、将軍の称号を帯び、場合によっては公国元帥代理として国軍府の実質的長となることもありえる。それが、こんな指示を堂々と言う。しかし、護国騎士団の兵士たちは皆それになれてしまっている。


千騎の騎兵隊はザーン方面に向けて一目散に逃げ始めた。一度速度を落とした吸血鬼たちはそれを追い始める。


馬に乗っていたところで吸血鬼の全力疾走から逃れることはできない。筋力の異常発達は腕力だけでなく、脚力も常人とは比べ物にならないほどにする。しかし、物事には常に表と裏がある。筋力が異常発達した吸血鬼は普通の人間ほどにも持久力はない。まして、理性の無い彼らはそれを理解しない。結果が出るまでそれを予測できないのだ。


吸血鬼の攻撃は多くの場合、ターゲットに対して高く跳躍し、上方から襲い掛かる。しかし、今回の場合は全力疾走した跡で、既に跳躍するだけの体力を残していなかった。そして、ウィレムの指揮する騎兵隊が、ある地点を微妙に迂回して走っていることなど気づくはずもなかった。


あと十メートル程度にまで接近してきた吸血鬼たちが、突然転んだ。そして立ち上がることができない。体を起こしたところで、立とうとするとまた転ぶ。転んだ吸血鬼たちの足は膝と足首の中間辺りで切断されていた。


草むらに隠した罠である。丈夫な鋼線を偽装した杭に縛り付けたものがいくつも張られていたのだ。人間の軍隊相手であれば、先頭の兵がこれにかかった時点で進軍を一度停止するし、そもそも、骨まで切断するほどの勢いで突っ込んでくることなど出来ない。吸血鬼はそうした思考も痛覚もないために、次々に突進し、足を切断されていった。


それが止まったのは、吸血鬼を指揮する不死鬼がその場に到着したことを意味する。どうやら、猛獣を飼いならすかのように、吸血鬼を操る方法があるようだ。指揮官と思われる人物はフルヘルムで顔を隠している。その周囲には鎧を着た幾分おとなしそうに見える吸血鬼の兵たちが見える。


「立てないやつは無視していい!鎧を着込んでいるやつらを殴り倒せ!」


逆進した騎士たちの手には槍や剣ではなく、人間の頭ほどある鉄球が先端に付けられたメイスが握られていた。扱いやすい武器ではないが、馬上から振り落とすだけで、頭蓋が破壊できる。吸血鬼は剣で切りつけても、心臓を貫くか、大動脈を切断でもしない限り致命傷にはならない。しかし、打撃に対しては、頭蓋が破壊されて平気なわけではない。体についても、痛覚は無くとも破壊された骨が再生するわけではない。


「つっこめぇぇぇっ!」


ファン・オールトが興奮した様子でメイスを手にした騎士たちを嗾けた。次々と吸血鬼の頭部に鉄球を叩き付ける。頭蓋を破壊された吸血鬼たちが次々と倒れていく。


ウィレムの前には指揮官と思われる人物がいた。間違いなく不死鬼であろう。気になったのは、着込んでいる鎧が護国騎士団の、それもまだザーンにいる部隊には配布されていない新デザインの装備であることだ。数日前にアメルダムからの報告にあった、女性の不死鬼のこと思いも出だす。ウィレムはあてずっぽうで、話しかけた。


「ご婦人と戦うのは本意ではないが、これはいたしかたありませんな。よろしければ、お名前だけでも承りたいですが」


戦闘中でもこうした口をきくのがこの男の特徴だった。


「・・・イエケリーヌ・エラスムス・・・」


答えが返ってきたのは意外だった。ただ、家名も別に思い当たることのとある名前ではなかった。


「では、エラスムス殿。ここは戦場ですので、その作法に従ってお相手いただけますかな・・・」


言い終える前に、イエケリーヌは愛用のフレイルを振るった。フレイルは防御しにくい武器である。剣などで受けることも難しい。場合によっては、巻きつけられて武器を奪われることもある。ウィレムはそれを受けたりはしなかった。鞭のようにたたきつけられてくるフレイルの鉄鎖を巧みな手綱さばきで馬ごと避ける。それと同時に突き出した剣をイエケリーヌは仰け反ってかわした。不死鬼独特の発達した筋力により、明らかに無理のある体制になっても、倒れることはない。


「女性の方から急がれるのは野暮と言うものですよ。男に我慢をさせることを覚えていただきたいものですな」


へらず口をやめないのは余裕があるからではなく、それを演出するためであった。不死鬼との戦闘は十年前の掃討戦で何度かの経験がある。しかし、その時の不死鬼はただ単に、吸血鬼が理性を持っていたというだけで、高度な戦闘訓練を受けた相手ではなかった。ほとんどは元々雑兵である。イエケリーヌと名乗った女の不死鬼は明らかに戦闘訓練を受けていた。


名乗って以降はイエケリーヌは何もしゃべらない。それが突然、攻撃の手を止めて、別の方向に顔を向けた。隙はない。顔をこちらに向けたままフレイルを振るってきたので、一度距離をとらざるを得なかった。


「ちっ!しまった!」


イエケリーヌの向いた方向を見てウィレムの減らず口はとまった。視線の先ではヘンドリックが苦戦していた。ウィレムがイエケリーヌと戦っているうちに、ヘンドリックの部隊はメイスの攻撃で吸血鬼たちを蹂躙していたはずだが、状況を把握し切れてないにもかかわらず勢いにのって前進しすぎたのだ。


いつの間にか新手の吸血兵が現れ、ヘンドリックの部隊に横撃を加えていた。その部隊の指揮を取っているのは、重装備の鎧を着込んだ男である。その男だけは騎乗にあった。イエケリーヌの攻撃のため、救援に駆けつけることができない。



戦闘の雰囲気に興奮したヘンドリックは顔を真っ赤にして騎乗の不死鬼に突撃した。


「貴様は何者か!」


決してヘンドリックは無能ではない。勇猛でいくつもの武勲を挙げたカレルに次ぐ老練の猛将である。だが、老いて思考に柔軟性を欠きはじめたことも確かであった。頭に血の上った彼には、自軍が不利な状況にあることを承知しながら、適切なタイミングで撤退を選ぶことができなかった。


「ふんっ・・・隊長程度の地位のまま老いさばらえたか。ヘンドリックよ」

「き、貴様なぞに呼び捨てされる覚えはないわっ!?何者だ?!」

「死ぬ者が訊いてどうする?」


そう言った瞬間、複数の吸血鬼がヘンドリック本人ではなく、馬に飛びつき、豪腕に任せてその腹を引き裂いた。ヘンドリックは地面に投げ出される。


「短気の上に短慮。平和ボケした騎士団の隊長程度がお前には似合いだったな」


馬上から、振り下ろされた剣で、ヘンドレックの首は落とされた。


その瞬間から、護国騎士団第二部隊は浮き足立つ。だが、ウィレムは冷静だった。まずはイエケリーヌとの戦闘を中断しなければならない。ウィレムは左手を鎧の中に突っ込んだ。取り出したものをイエケリーヌに投げつける。


「・・・っ!?」


イエケリーヌの動きが突然止まった。鎧の隙間から噴水のように血を噴出す。ウィレムが投げたものはレム・ファン・リートフェルトが使った瀉血弓の鏃と同じ構造のものだった。大きな瀉血針に尾翼をつけたような、ダートと呼ばれる投擲用ナイフの形をしている。


この武器は、すぐに抜き取れば、出血は止まる。刺さっている間しか、血を吹き出させることはできない。だが、イエケリーヌがあわててそれを抜いたときにはウィレムはそこにはいなかった。ファン・オールトの首を刎ねた直後のもう一人の司令官に一撃を浴びせ、すぐに戦場を突っ切って大声を上げる。


「ひくぞっ!」


一時茫然自失となった兵士たちはウィレム言葉にどうにか反応した。崩れた陣形を整え、ザーン方面に向けて失踪する。戦闘直後で消耗していた吸血鬼たちはそれを追う事はできなかった。




「ゼーラント州ノールト周辺と、ドルテレヒト州ケテル村周辺で吸血鬼との戦闘がありました!」


戦闘があった翌日の午前、護国騎士団本部の司令部に急報がもたらされた。あえて大声で報告したのはシモンである。


「ノールトでの戦闘では被害はなく、住民のザーン避難も滞りなく行われました。レム・ファン・リートフェルト隊長以下第一部隊千名はザーンを目指して移動中です!」

「ケテル村側は?!」


シルヴィアはいやな予感がしていた。


「罠を仕掛けるためにケテル村とザーンとの間の街道に出ていた、ファン・バステン将軍と第二部隊も吸血鬼の軍勢と遭遇・・・被害は・・・十名が死亡、五名が吸血鬼に噛み付かれ、自らその場で命を絶ちました。そして・・・」

「まだ何かあるの?」

「ヘンドリック・ファン・オールト隊長が敵の手にかかりました・・・」


司令部が沈黙する。戦闘が始まれば被害が出ることは当然覚悟していた。だが、まださか緒戦で部隊長を失うことになるとは思っていなかったのだ。


「ファン・バステン将軍からの書簡には詳しい戦闘の様子が書かれています」


幹部たち全員がヤンの席の周りにあつまった。ヤンが渡された書簡を読む。


「吸血鬼の戦闘力よりも、指揮官である不死鬼の戦術指揮を見くびっていたかもしれません。最初はこちら側の罠で相当のダメージを与えることができましたが、この・・・重装備の鎧を着た男、おそらく我々がファン・ダルファー邸で会ったあの男だと思いますが、彼の部隊による横撃は、ちゃんと計算しつくされたものです・・・」

「ウィレムにも少し油断があったかもしれないわ」


沈痛な面持ちでシルヴィアが言う。ファン・オールトは短気な男であったが、シルヴィアにとっても長年の仲間であった。


「しかし、喪に服しているような時間はありませんし、失敗に落ち込んでいる場合でもありません。吸血鬼たちが攻撃を仕掛けてきたと言うことは、いよいよ本格的な戦闘が始まると言うことでしょう。エッシャー先生!敵がこちらの手の内も計算に入れてきていることは確かです。新しいことを考えませんと」


長年の戦友の死を知らされながら、まったく動揺していないのはカレルであった。これが本来の武人の姿である。ここで自分が動揺しては、それだけで護国騎士団の士気が低下する。


「おっしゃるとおりです。被害が出たことを嘆いている場合ではありません。二点、兄上からの報告には注目すべき点があります。一つは、敵の女性の不死鬼、彼女が名乗ったイエケリーヌ・エラスムスという名前、レイン捜査官!すぐにこの名前について調査を!」

「はっ!」

「それから、その上官と思われる鎧の男。彼はファン・オールト隊長との会話からすると、護国騎士団の幹部についての知識があるように思われます。過去の軍関係者についても調査を強化してください。特に、行方不明のものや死因に疑問のあるものを」

「はっ!保安兵団の全力を向けまして」

「お願いします。兵力的なダメージは多くありませんが、心配なのは前線の兵士に同様が生まれることです。兄上がいれば大きく崩れるようなことはないと思いますが・・・」

「そこは心配してもしかたないわ。兄の心配までしていたらあなたがもたないわよ」


シルヴィアがあえて言う。他人のことまで背負い込もうとする悪い癖がヤンにはある。ウィレム・ファン・バステンは公国一の軍将でありこの程度のことで崩れるわけも無い。


「すみません。すこし自惚れてました・・・ん?兄上は明後日の朝ザーンを発ってこちらに向かうと言ってます。どういうことでしょうか・・・」

「ファン・バステン将軍が?」

「レム隊長がノールトから戻られると同時にこちらに向かうと・・・何か重要な、書簡には書けない報告があるみたいですが・・・」

「なるほど・・・では、それまでの間に出来ることを進めておきましょう。騎士団長代理、ご指示を」


改まった姿勢でシモンが指示を仰ぐ。ファン・オールト死亡の知らせに衝撃は受けていたが、動揺はなかった。ヤン・エッシャーの明哲さを持ってしても不死鬼軍が強敵あることはわかっていた。改めて戦闘を迎えるにあたって、簡単に勝利を得ていれば、部下たちに侮りが生まれたかもしれない。


シモン自身は一つ秘密を抱えている。知っているのはカレルだけである。これをヤンに話すべきかどうか迷ってはいるが、ウィレムには相談すべきことだった。


「イエケリーヌ・エラスムスなる女性の身元を確認するのが第一です。それから、本日出立の物資と追加の人員は予定通りザーン向かわせます。ファン・リートフェルト隊長の指揮下でザーンを固める必要があります。その後は、あえて出撃することは禁じます。野戦ではやはり吸血鬼に対抗し切れないことがありますが、篭城戦ならこちらに分があります。それから・・・」


ここで、一度話をとめ、立ち上がって司令部全体を見渡した。


「全員!心して聞け!ゼーラント州とドルテレヒト州での戦闘は、これからの本格的な不死鬼軍との戦いの幕開けである!緒戦より護国騎士団の部隊長を失うと言う痛手をこうむったが本当の戦いはこれからだ!気を引き締め、各自任務に精励せよ!ファン・オールト隊長と兵士たちの死を無駄にするなっ!」


司令部に席を持つ数百名全員が姿勢を正した。


「全員、戦死者に対し黙祷!」


文武の人員全員が目をつぶり、胸に手を当てた。


「やめ!各自、任務にもどれっ!」

「はっ!」


護国騎士団にある対不死鬼軍対策司令部は軍隊と政府の組織の合同で運営されているが、任務の過酷さを和らげるために様々な形で一見のん気に見えるような演出がなされている。一日二回の休憩時間や合同パーティなど、妙に平和な雰囲気を作り出しているのはシルヴィアである。だが、緊張感を欠いているわけではない。こうした時のヤンの場の締め方は、ウィレム・ファン・バステンと同様で、部下たちの精神にメリハリを付けさせる絶大な効果があった。




たとえ、前線でこうした問題が持ち上がって、いや、だからこそ、休憩時間には意味がある。そう考えているのはシルヴィアで、変に生真面目なところのあるヤンは部下たちには休憩を薦めるものの自分はずっと仕事をしている場合が多い。一方で休憩時間に何をしていいのか良くわからないところもあるようだった。幹部たちとコーヒーなどを口にすると、つい、仕事の話を始めてしまうので、最近では遠慮している。


そこにカレンが現れた。なぜか後ろでシルヴィアとカリスがクスクスと笑っている。


「エッシャー先生。こういうときだからこそ、根をつめすぎるのはよろしくありませんわ。ちゃんと休憩を取られたほうがよろしいかと」

「え、ああ、そうなんですが・・・どうも仕事のことが頭から離れなくてね」

「せめて、みんなから見られる司令部の席をたって、お散歩でもされたらどうですか?」

「そうだね。ああ、それではカレンさんもご一緒にいかがですか?」


カリスがヤンから見えないように縦面する。


『おいおい・・・』


そこですかさずシルヴィアがカレンに話しかける。打ち合わせをしたわけではないが、女性たちはなぜかこういうときは無言の連携を発揮できるのだ。


「カレンさん、国務府との書類のやり取りにちょっと不備があってね。休憩時間なんだけど、ちょっとお手伝いいただけないかしら?あとから、一緒にコーヒーでも飲みましょう」

「あら、そうですか。先生、残念ですけど私は・・・あ、ロビーさんでもお誘いしたらいかがですか?マルガレータさんの開発した新しいお薬、だいぶ良いものみたいで、昼間の日差しでも短時間ならまったく問題なくなったとおっしゃってましたわ。殿方同士でお話したいこともおありでしょうし・・・」


あえて『サスキアを誘え』と言わないのも、照れ屋のヤンを旨く差し向けるための計算である。ロビーと話せと言うのは、多少は仕事的な意味も持つから、生真面目なヤンには効果的だった。


「そうですね。一応私が主治医になっていますが、ここ数日はほとんど話もできていない。ちょっと行ってきます。じゃ、何かあったら呼んでください。義姉上、クリステル先生、お願いしますね」


幹部の休憩時間は交代制になっている。ヤンが席をはずす間は何かあればこの二人が対応するのだ。



他人が聞けば多少不自然な話なのだが、ヤンはまったく気づいていない。こういうところは本当に、公国随一の知恵者と呼ばれる男なのか、みんなが疑問に思っている。


地下牢、と言うよりも伝染性吸血病に関する病棟と研究室を兼ねる地下室を尋ねると、相変わらず忙しそうにマルガレータ・バレンツが走り回っていた。


「お疲れ様。バレンツ主任も休憩時間ですよ。ブルーナ主任主計官も忙しいけど、ちょっと根つめすぎだから、二人でおしゃべりでもしてリフレッシュさせてください」

「あ、あら、エッシャー先生。こちらに起こしになるのはここ数日珍しいですね」


マルガレータは応対してから、こっそりと、サスキアの背中を押した。サスキアは妙に緊張した面持ちである。ただし、やはりヤンは気づいていない。多少、先日のパーティ以来話す機会も無かったこともあり、気まずいような感じもあるようだ。


「ロビー。調子はどうだい?バレンツ主任の新しい油薬は結構効果が高いと聞いたよ。久々に昼間の外の空気でも吸ってみないか?テラスでコーヒーでも・・・」


だが、ロビーも実はマルガレータから話を聞いている。ここで、そのまま乗ってしまっては意味がない。


「ありがたいが・・・今日はちょっとアバラの方の調子が良く無くてね。あんまり動きたくないんだわ」

「そうか。では、ここで少し話でも・・・」


そこで急にルドガー・フリースが口を挟んだ。研究者としては自立性にかける男だが、なぜかこういうときだけは自発的に状況をつかんで行動に移すらしい。


「あ、エッシャー先生、実はロビー氏の筋力異常発達の状況についてデータを取らねばならなくって。ああ、サスキアさんは食事の片付けも終わりましたし、お時間ありますよね。先生のお相手をお願いしてもいいですか?」

「え、あ、は、はい!」


緊張していたせいで、少し調子の外れた声で返事をするサスキア。


「え、エッシャー先生、参りましょう。久しぶりに先生にコーヒーを入れさせてください」

「あ、ああ。そうだね・・・」


さすがに、不自然に感じたようだが、だからといって何がと言うとわからない。


マルガレータはサスキアに向かって親指を立てて見せた。ロビーとルドガーは視線を合わせて、多少いやらしい笑みを浮かべる。二人は連れ立って、護国騎士団長執務室に向かった。中庭に面してテラスがある。




護国騎士団長執務室の隣には、シルヴィアが以前執務室代わりに使っていた応接室がある。そこに、適当な言い訳をして、同行を断った者が皆そろっていた。マルガレータ、カレン、ロビー、なぜかマルガレータに無理やりつれてこられたピーテル、シルヴィアまでいる。カリスはさすがに休憩時間ではないのでいなかった。


カーテンを締め切り、隣との壁にロビーが何かの道具を取り付けている。


「これは、俺があちこちの屋敷に忍び込むための事前調査に使っていた道具でね。これぐらいの壁なら、向こう側の物音を聞くことができるんだ。こうやって、壁にぴったりこっちを貼り付けて・・・」


逆にヤンたちには聞こえるはずもないのだが、やたらと声を低めて話す。


「よし、大丈夫だ」


全員が壁際により、一つしかない耳当てのようなものに顔を寄せる。聞き取りづらいことはあるが、どうにか会話の内容はわかった。


「な、なんだか、ひ、久しぶりね。こうして二人になるの・・・」


サスキアは言うが、二人で話したことなど、再会して以来一度しかない。それも、例の喧嘩別れをした時だ。壁の向こう側では複数人から忍び笑いが漏れる。二人はテラスには出ておらず、執務室で話をしているようだ。


「あ、ああ、そうだね。ロビーの治療チームでがんばってくれていると聞いたよ。バレンツ主任の仕事はとても責任が重いから大変だろうけど、君がいれば大丈夫だと思ったよ」

「う、うん・・・」


『いけ!いくのよ!サスキアさん!ここが勝負!』


一番力んでいるカレン。押し倒せだの言わないのはさすがお嬢様で、酒を飲んだカリスであれば、もっと下品なことを口にするだろう。


「あ、あのね・・・ヤン・・・」

「ん?」


『おおっ!い、行くか!』


応接室の全員が息を飲んだ。


「こ、今回のお仕事が落ち着いたら、やっぱりケテル村に戻るの?」


『うーん、まあ、流れはまだ悪くないわ。』


シルヴィアがぼそぼそと言う。他の者は皆やたらと頷く。


「そうだね。私にはあんまり都会の生活はあわないらしい。実は今後は公国政府の仕事ももう少し頻繁に手伝ってほしいとはいわれているのだけど、ケテル村に帰るのは構わないってお墨付きももらったからね」


『だめよ!普通よ・・・普通の会話過ぎるわ・・・エッシャー先生ったら、まったくサスキアの様子に気づいてないのね・・・』


小声でマルガレータ。


『あんまり遠回しじゃだめですわ。私、五年間もそれで手を焼いてきたんですもの・・・』


もう、未練は無いらしいカレン。しかし、逆にサスキアとのことがはっきりしないのは余計に我慢できないらしい。


「そういえば、君はどうする?カリスさんとマウリッツが結婚した後もメイドを続けるのかい?」


『おおっ!波が来たわよ!波が!ここよ!』


いつに無く興奮しているシルヴィア。


「お、お姉さまには、新婚生活に妹は要らないって言われちゃって・・」


『だめだって!もっと押さなきゃ!』


これはマルガレータ。


「そ、そうか・・・マウリッツの屋敷は出ることになるんだね・・・」


『そうじゃねぇだろ!エッシャー先生!』


ロビーもすっかりメンバーになじんでしまっている。


「あの・・・」

「あの・・・」


二人が同時に言いかける。二人とも顔は真っ赤だが、そこまでは隣室のメンバーにはわからない。


「あ、どうぞ・・・そっちから・・・」


これまた二人同時になってしまった。


『あれ、どうなってるのよいったい・・・』


鼻息の荒いマルガレータ。


「ああ、実はカスペル・・・私の医生だけど、今回のことが終わったらアメルダムの公国医学院に入れようと思ってね。私のところに居ても、患者は少ないからいい経験はなかなかできない。マウリッツとクリステル先生に頼もうと思っていて・・・」


『あ~・・・話がそれてきちゃった・・・』

『いや、まだですわ・・・これは・・・』


マルガレータの言葉をカレンが遮る。


「そしたら、診療所は私一人になってしまうんだ・・・もし・・・よかったら・・・」


『おおっ!』


「ヤン、あの・・・私・・・」

「いや、まあ、その・・・都合が悪かったり、他に予定があるならいいんだ」


『おいおい・・・先生・・・・』


「ヤン、覚えてる?ロビーさんの手術の後に私が言った事・・・いやだって言われても絶対着いていくんだって・・・」


『きたっ!きたぞ~っ!!』


「だから・・・ずっと・・・手伝わ・・せて・・・」


『ようしっ!えらいっ!』


「サスキア・・・そ、それだけじゃないんだ・・・」


『?』


「あの・・・その・・・か、看護婦としてだけでなくてさ・・・」


『こ・・・これは・・・』


「その・・・」

「ヤン・・・私も・・・」


『き・・・き、きましたわ・・・一気にここまで・・・』


カレンはこぶしを握って力んでいる。ちなみになぜかピーテルは後ろの方で鼻血をだしていた。


「け、け・・・けけ・・・」

「?」

「結婚しようっ!」


ゴンッ!


隣室で力んでつんのめったマルガレータが壁に頭をぶつけた。


『マ、マルガレータさん!いいところで!』

『ご、ごめんなさい・・・』

『大丈夫よ。ヤンはこんなこと気づかないから・・・』


「うん・・・」


サスキアの目には涙が浮かんでいたが、子供のころと変わりない笑顔だった。


「やったーっ!」


隣室から拍手が聞こえてきた。


「な、なんだ?」


ヤンは隣室に走りこんだ。


「何騒いでいるんです?」


ドアを開けると、壁際でみんなが大騒ぎしていた。


「よ、よかったわぁ・・・晩婚化が問題だって取り組んでいるのに、身内に婚期が遅れている男がいたんだもの・・・」


大げさにハンカチで出てもいない涙を拭きながらシルヴィア。


「もう・・・はらはらしっぱなしでしたわ・・・ぐったりしちゃいました」


自分が譲ったことはもう忘れたのかカレンはなぜか放心気味。マルガレータはなぜか鼻血をだして倒れているピーテルを快方している。そしてロビーは・・・


「いやあ、お二人さん。よかったよかった。暗い話題だけじゃやってらんないからな」


ヤンとサスキアは赤面したまま立ち尽くしていた。




「いやあ、よかったよかった。これで私の新婚生活も安泰ね」


やたらとうれしそうにカリスが言う。その日の夜、二人の会話を盗聴していた応接室で、シルヴィアとカリスはワイングラスを片手に話していた。


「スタンジェ先生が帰ってきたら、結婚式が続くわねぇ。あなたたちと、ヤンたちと、ああ、マルガレータさんとピーテル君もね」

「そのころにはファン・バステン家もにぎやかになってそうね」

「ああ、そういえばウィレムが帰ってくるなら、教えてあげなくちゃね。いいかげん」


暗い話題で落ち込みそうな時期なので、明るい話題は出来るだけ共有したいところなのだが、さすがに、ヤンとサスキアの婚約を発表しろと言うのは二人の承諾を得られそうになかった。だが、マルガレータなどは黙っているはずもないので、どうせ数日のうちにうわさになるだろう。


「難問が一つ片付いたわね」

「護国騎士団長婦人も大変ねぇ。他にもかたづけないといけない無骨な男や行き遅れそうな女がたくさんいることですし」


とにかく、護国騎士団員の既婚率の低さは大問題になっているのだ。保安兵団などと比べても極端で、その理由は、騎士団長たるウィレムが毎晩呑みに連れて行くから、まじめに女性と付き合う時間もないのではなどと、軍務府からいやみを言われることもある。


「ふむ。とりあえず・・・男はいくらでもいるから・・・次はカレンさんね」

「ええ。彼女こそ今回の立役者だわ。彼女がああいってくれないと、絶対話は進まなかったんだから。だれかいないかしら・・・」

「未婚で年齢が近いとなると・・・護国騎士団でめぼしいのは、シモン君とディック・ファン・ブルームバーゲン・・・」

「ろくなのいないわね・・・」


カリスはちょっと酷いが、何せ『サスキア嬢防衛隊』の前隊長と現隊長である。とてもとてもカレンが気に入るとは思えなかった。


「保安兵団だと・・・まあ、少し上だけどピーター・レイン捜査官とか・・」

「私はあの人は部下のレベッカさんと実は怪しいと思うわ・・・」

「たしかにね・・・」

「中央医局で思いつくのは、年齢が近いのはフレデリック・ファン・ビーヘルだけど、あんなことした人はねぇ・・・ちょっと器が小さすぎるわ・・・」

「本当はロビーさんは年齢的にもいいんですけど・・・」

「元盗賊よ?貴族の令嬢とって言うのは問題がありすぎるし・・・それに・・・これから治療が進んでも、伝染性吸血病患者は生殖能力を失うのよね・・・うーん・・・どうにかできれば一番いいけど、まだまだそこまでは難しいわ・・・」


二人は、いろいろと知り合いの男性を吟味してみたが、なかなか結論がでない。それほど真剣に話しているようにも見えないが。


「あ・・・いっそのこと・・・」

「誰?」

「カレンさんなら家柄もまあどうにか申し分ないし、ジェローン陛下ってのはいかがかしら?」

「そ、それは・・・」

「まあ、陛下は何せ、今の世界中のどの君主よりも慎重に結婚相手を選ばないといけないから大変だけどね」


ジェローン・ルワーズはそろそろ結婚していていい歳なのだが、結婚相手が誰かではなく、結婚することそのものが政治的な意味を持つ人物なのだ。誰と結婚しようと、フリップ、インテグラの両王家を刺激することになる。場合によっては戦争の原因になりかねない。十年前の戦争以降、両国においてはルワーズ公国の位置づけはあいまいなままなのである。事実上、完全独立の状態であっても、形式上は両国の廷臣であるからだ。


とにかく、ヤン・エッシャーとサスキア・ウテワールの婚約は、ヘンドリック・ファン・オールトの死と言う凶報の持つ不吉さを打ち消してしまった。翌日には発表をしたわけでもないのに、護国騎士団本部に勤務する全員が知っていたのである。司令部の机にかわるがわる祝辞を述べにくる部下たちにヤンは赤面したし、『防衛隊』から、寄せ書きと花束を贈られたサスキアはマルガレータの影に隠れてしか行動できなくなってしまった。


実は問題になったのは、『サスキア嬢防衛隊』である。さすがに総司令官の婚約者を、『花を愛でる気持ちで見守ると言う精神風土』とやらを発揮して、デッサン書いて配ったり、『サスキア嬢を称える歌』を歌ったりするのは憚りがありすぎる。しかも、先日のパーティでディック・ファン・ブルームバーゲンがレベッカ・ローレンツ捜査官に逮捕(?)されて以来、なぜかサスキアを書かなくなった。


困ったのはシモンである。悪ふざけのネタがなくなったからだ。そこで考えたのが、騎士団内の新興勢力『カレン・ファン・ハルス様親衛隊』との合併である。が、先方の方では、極めて完成度の高いデッサンを書いて提供する、ディック・ファン・ブルームバーゲンのいない防衛隊にはまったく興味が無い。


結局シモンは悪ふざけのネタを失い、せいぜいピーテル・ブルーナをからかうぐらいしか、気晴らしになることもないという状況になってしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ