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不死騎  作者: 槙原勇一郎
15/34

騒乱夜会

「う・・・うう・・・マウリッツのバカァっ・・・あうぅぅ・・・」


カリスはすでに正体不明であった。会場から持ち帰った瓶だけでなく、自分の部屋においてあったものも含めて、もう何本も飲み干している。グラスにも注がず、ラッパ呑みで。


「お、お姉さま・・・」

「あ、う、さ、さ~ふ・・きうぁ~・・・だってさ、考えてもみてよ・・・フリップ王国って、国境地帯は吸血鬼に占領されているみたいなものじゃない・・・わ、私・・・結婚前に未亡人になんてなりたくないよぉ・・・危ないことばっかりしてぇ・・・」


鼻水をたらしながら泣きじゃくる。颯爽とした仕事の出来る美女として視線を集めるカリス・クリステルのこんな姿をパーティで公開しては、確かに、自立した女性の砦とも呼ばれる中央医局内の士気かかわることだろう。


「・・・ぅぅぅ・・・で、でもね・・・でもね・・・この手紙の・・・一番最後ね・・・」

「最後?」


サスキアは姉の涙とこぼしたワインでべちゃべちゃになっている手紙だったものを拾い上げて、滲んだ文字を解読してみる。手紙の最後には次の言葉があった。


『カリス、君がいるから医局を留守にできる。本当に申し訳ないと思っている。だが、フリップ王国への潜入は必要なことだ。必ず帰ってくるから、そのときはすぐに式の準備を始めよう。体に気をつけて。みんなにもよろしく』


「そ、そうよ・・・帰って来るよねマウリッツ・・・そしたら結婚・・・その間は私が医局をって・・・うぅぅ、うん。わだじ・・・が・・・がんばる!マウリッツが帰ってくるまでがんばるくぁらぁっ!ちゃんと帰ってぎてねぇ・・・・」


どうやら、もう自己解決したらしい。どんなに崩れても自分で立ち直ることが出来ると言うのも、この女医の真価であるかもしれなかった。急に立ち上がり、服を脱ぎ始める。あわててサスキアはあいていたカーテンを閉めた。カリスはそのまま怪しい足取りで、部屋の隅にある浴槽で冷水を頭からかぶった。


「っぷ・・・ぷぅぅぅっ!キクわぁ。もういっぱい」


再び冷水をかぶる。


「ふうっ!よし、すっきりした。御免ねサスキア。もう大丈夫よ」

「あ、そ、そう・・・よかったわ。お姉さま」

「私は立直りの速さが持ち味よ」


浴室から戻ってくる義姉にタオルを渡す。カリスはすばやく体を拭いて、元の服装に戻った。酔いが完全に抜けたわけではないだろうが、すでに平常の彼女を取り戻している。いっそ、潔い感じであった。


「ごめんね。サスキア。エッシャー先生は?」

「あ、あの・・・さっきお会いして、マウリッツ様のお手紙を持ってきた、カレンさんって方と・・・」


サスキアが目に涙を溜め始めた。多少は呑んでいたんで、涙腺が緩んでいたのかもしれない。


「あ・・・そうか・・・、弟さんがカスペル君って、この前の話の・・・で、サスキアはそこで引き下がってきちゃったの?」

「え・・・でも・・・私は・・・」

「あのねぇ・・・エッシャー先生はああいう感じで、にっぶい男だけど、それだけに強引に女から誘われた押し切られちゃうかもしれないのよ。あの、カレンさんって人も綺麗だし、シルヴィアに見劣りしない礼儀作法を身につけている貴婦人って言うのもめったにいないわ」

「そんな方がいらっしゃるなら・・・私・・・」


ぐいっ!とカリスはサスキアの頭の後ろから腕を回して肩をつかんだ。横から顔を覗き込んで強い口調で言う。


「馬鹿っ!あなた、ずっと想ってたんでしょ?エッシャー先生の力になりたいんだって、十年以上あなたは努力していた。私はあなたの姉よ。ずっとそれを見ていたわ。単にお仕事に役に立ちたいとか、そんなんじゃないでしょ。少しは素直になりなさいよ!」


そう言って、ほとんど空になって転がっているだけのワインの瓶の中から、半分くらい残っているモノを見つけて手に取った。


「ほらっ!景気付けに呑んでっ!普通にいけないなら酒の力を借りる!もう、押し倒そうが、裸で迫ろうが誰も責めないから、勢いつけてやって来いっ!」

「や、ちょ、ちょっとお姉さまっ!んぐっ・・・」


カリスは無理やり、サスキアの口にワインを注ぎ込んだ。結局そのままボトル半分ほどを一気飲みにしてしまった。


「・・・ぁ・・・ぅぷ・・・お姉さま・・・酷いぃ・・・」

「酷いじゃない!さあ、いくよっ!エッシャー先生をモノにして来いっ!」


カリスはさらにもう一本の瓶を手に取り、強引にサスキアを部屋の外に連れ出した。そこにシルヴィアから話を聞いたらしいマルガレータが現れた。後ろには顔に平手打ちの跡を貼り付けたピーテル・ブルーナがいる。


「あら、先生!もう大丈夫なんですか?」

「私は大丈夫よ。大丈夫じゃないのはこっち!」

「サスキア・・・?」


サスキアは酒を飲めないわけではないが、進んで酔うまで呑むほうではない。数日同じ部屋で寝泊りしていても、酔っ払ったサスキアというのは始めてみた。


「ぅぅ・・・ま、まりゅ・・ぐぁ・・れぇたぁ・・・ヤンに・・・ャンに・・・かれ・・くぁれんしゃん・・・私・・・」

「サスキア?あの、どうしちゃったんです?これ・・・」


先ほどのカリスと似たような状況なのだが、マルガレータはその場にいなかったので良くわからない。


「例のエッシャー先生の医生、カスペル君だっけ?彼のお姉さんが来ているのよ。国務府からの特別監察官になったとかで、しばらく護国騎士団本部に居座るみたいよ」

「え?じゃあ、エッシャー先生は・・・」

「もう、二人でどっかに行っているわ。手ごわいわよ。シルヴィアに負けない気品のある貴婦人なんて他に見たことないわ」

「ちょっと!サスキアっ!泣いている場合じゃないでしょっ!」

「そうよっ!だから今、酒飲ませて勢いつけて、もう、なりふり構わず迫らせようと・・・」

「え?あの・・・先生?」


カリスが崩れたところを見てなかったマルガレータは初めてカリスが酔っていることに気付いた。実を言えば、カリスもマウリッツとの馴れ初めは『酔った勢いで押し切る』形だったのだ。その時はシルヴィアが万端に準備を整えていたのだが。


とにかく、四人は練武場に移動した。カレンは貴婦人であるから、さすがに暗がりに連れ込んで強引になどと言うことはしないだろうが、もともとヤンは目立つことが嫌いである。人けのないところでいい雰囲気になっている可能性もあるかもしれない。とにかく四人は、一緒に会場を歩き回ってヤンとカレンを探し始めた。




会場の盛り上がりは最高潮であり、あちこちに討ち死にするほど呑んだ連中が転がっているのだが、護国騎士団の酒の強さは公国一である。こんな様子で朝まで飲み騒ぐのは彼らの普段の状態なので、中央医局の男性職員などはついてはいけない。保安兵団員は対抗意識もあるのでかなりがんばってはいるが、それでも、その数を減らしてきている。


「くっくっ・・・本当にこれが吸血鬼と戦う軍隊かね?」

「その吸血鬼のお前が一緒に酒を飲んでいるっていうのも妙なことだがな」


ワイングラス片手に中庭の壁に寄りかかって話をしているのは、ロビー・マルダーと保安兵団のピーター・レイン主任捜査官であった。ロビーは不死鬼となったため、固形物を消化できるほどに消化器系は機能していない。しかし、酒などの液体は通常通りに摂取可能であることがわかったので、今宵のパーティにも参加していた。


「ところでいいのかい?レインの旦那だって一人者だろ?せっかくこれだけ姉ちゃんたちがいるってのに。あの、護国騎士団長のかみさん、あんたみたいな寂しい男に女作らせるためにこんなパーティしかけたんだろに」

「ふんっ!お前を一人にしておけるか。俺はお前の監視だ」

「へえへえ。逃げやしませんよ。逃げたら生きてけねえよ。それに、あのちんちくりんのお嬢ちゃんや、看護婦のお嬢さんに悪いしな。こんなに真剣に他人に何かをしてもらったことはねえし・・・」

「ほう。結構楽しそうな身分じゃないか」

「そこだけな。お嬢ちゃんにはあれで男がいるらしいし、看護婦さんの方は、エッシャー先生に惚れてるぜ。あれは相当」

「ほう。先生も隅に置けんな」

「いや、あれは難しいぜ。エッシャー先生は女に免疫ゼロだな」

「ふっ・・・」


二人は、ヤンとサスキアを肴に呑んでいる。


「旦那よ。あの、なんだっけ、あんたの助手」

「レベッカ・ローレンツか?今日付けで捜査官に昇進だ。不死鬼軍事件に関する重要な情報を得たということでな」

「ほう・・・で、あのちょっとお堅いねぇちゃんはどこにいったんだ?」

「あの女はな・・・こういう人けが多いところでは、痴漢のおとり捜査をはじめる習性があってな」

「は?」

「たぶん、その辺を露出度の高い格好で歩いて、寄ってきた男を捕まえては説教を始めているはずだ。ほれっ!」


レインが指差した方角の少しはなれたところを、レベッカ・ローレンツが歩いている。保安兵団の女性用の制服を着ているが、わざわざ胸元を大きく広げ、スカートをベルトで丸めて太ももをだいぶあらわにしている。一人の護国騎士団員の襟首をつかんで引きずっていた。ピーターもロビーも知らないが、それはディック・ファン・ブルームバーゲンであった。実は彼女に裸婦画のモデルをしつこく頼んだかららしいのだが、そこまで二人はわからない。


「ルワーズ公国ってのは、国家の中枢に変人が集まる国なのかね?」

「現場の方はな。だが、あのレベッカも結構重い十字架を背負っている」

「ほう?」

「あいつは五年ほど前に婚約者がいたんだ。新進気鋭の実業家でな。それが事業の失敗を契機にすっかり落ちぶれてしまって、最後には麻薬取引に手を出しちまった」

「いろいろあるな・・・」

「ああ。その婚約者に手錠をかけたのがローレンツ捜査官自身だったのさ。まだ、アメルダム大監獄に収監されている・・・」


ロビーはピーターの顔に同情以外の何かが見て取れたがそこでは何も言わなかった。




シモンは一人で屋内の練武場にいた。パーティを盛り上げようと、最近のこの男に特有の方法で馬鹿をやり、シルヴィアにお灸をすえられた後は、酒も飲まずに一人ここに来ていた。


手には二本の剣が握られていた。右手には刺突用のレイピア、左手には、マンゴーシュとも呼ばれる短剣パリーイング・ダガーである。これは、スペルファなどで決闘用に用いられる武器と剣技であった。


一人稽古だが、シモンには明確に敵の姿が見えている。長身で異常発達しながらも、無駄な部分のないしなやかな筋力を維持している。先日激烈な戦いを演じた不死鬼であった。


不死鬼の剣技は独特だった。常人では扱いきれない重い長剣を振るいながらまったく隙がない。それは不死鬼の持つ絶大な筋力を破壊力ではなく速さに特化して使っているからである。一見大振りに見える攻撃であっても、体制を崩すことなく、それどころか、まるで壁にはじかれたように、半拍も置かずに逆方向から切っ先が跳ね返ってくる。常人の筋肉であれば、腱が千切れるほどの負荷がかかるはずだが、不死鬼ゆえにその動きが可能なのである。


シモンにしても、ヤンにしても、力任せの攻撃を振るう不死鬼であれば、理にかなった武術によって、いくらでもそれを封じる自信があった。地下牢でも丸腰でなければ、あの女の不死鬼をヤンは倒していただろうし、ファン・ダルファー邸においても、あの鎧の不死鬼がいなければそうしていたはずである。


だが、シモンと戦った長身の男だけは違った。長い時間互角と見える打ち合いを演じてはいたが、あれは相手が本気でなかったからだと感じている。そして、本気を出すことを躊躇する理由もわかっていた。


シモンの見る幻影の男は横殴りの強烈な一撃を振るう。シモンはそれを後ろに飛んで交わすが、間一髪いれず、最初の一撃よりもさらに早い攻撃が逆側から繰り出される。それをしゃがみこんで交わすと、今度は切っ先を旋回させて、頭上から剣が振り下ろされてくる。シモンはその剣に対し、絶妙な角度で右手のレイピアを差し出した。シモンの見る幻影では火花を散らしながら、長剣はレイピアの刀身をすべり、シモンの右スレスレを通り過ぎる。それと同時に、パリーイング・ダガーを敵ののど元に突き出した。


『駄目だ!』


シモンはもう一度構えなおして、一から同じ攻防を始める。


「ヨハネスにはまだかなわないのかね。隊長代理殿」


突然、入り口近くから声が掛かり、シモンは驚いた。声をかけてきたのはカレルである。片手にワイングラスを持っていた。


「カレル隊長。お休みなられてたのでは?」

「いや、どうも楽しげな夜に自宅で寝ているのはつまらなくてな。先生にも少しだけなら呑んでかまわんと許可をもらったよ」

「そうですか・・・」


少しの間をおいてからカレルが再び話し始める。


「やはり、あの男は、ヨハネス・ファン・ビューレンか・・・」

「・・・はい。顔は見てませんが間違いありません・・・」


シモンはそれ以上何も言わなかった。


「まさか、不死鬼として生きておったとはな。奴に勝つための稽古か?」

「はい。しかし、不死鬼となっていなくても、私が彼にかなうとは・・・」

「いや、奴に勝てるのはお前だけだ。こればっかりはエッシャー先生にも任せられない。ファン・バステン将軍がいればまた違うだろうが・・・いや、それでもやはり、お前が切らなければならない。余人に任せられると思うな」

「カレル隊長・・・」


カレルには有無をうわさぬ迫力があった。このようなカレルの姿をヤンは知らない。長年の付き合いがあるシモンであってもそうそうは見たことがなかった。


「シモンよ。お前はもう、剣士としても、軍将としても一人前だ。先日の強制捜査後の激励は良かったぞ。ちゃんと、部下たちの士気をとらえている」

「いえ、あれはむしろサスキアさんやシルヴィア様のお手柄ですよ。それからカレル隊長の」

「いや、あそこでお前が叫ばねば、私の伝令も、シルヴィア様の配慮も、サスキア殿の言葉でさえ何も役に立ちはしなかったろう。サスキア殿の言葉に反応した皆の心の動きを捉えたのはお前だ」

「・・・」


シモンは妙に頑固な物言いが気になった。


「シモンよ・・・私は護国騎士団第三部隊長の座を正式に辞職する。後任はお前だ。エッシャー先生を補佐できる軍将はお前しかない」

「なっ?引退されると言うのですか?この時勢に?!」

「いや、まさか楽隠居と言うわけにはいかんよ。しかし、私は年老いた・・・。戦場では役に立たん・・・」

「・・・」


シモンは言葉につまった。シモンもヤンもすでに感じていたことではある。護国騎士団一の宿将カレル・パルケレンネはこの日の翌日、護国騎士団長夫人シルヴィアから護国騎士団主任参謀の肩書きを与えられ、対不死鬼軍の第一線から正式に退くこととなった。シモン・コールハースの第三部隊長代理の『代理』の二字は、わずか数日で外されることとなったのである。




パーティはまだ続いているが、泥酔してしまったり、こっそり二人や複数人のグループで抜け出していった男女も多いので人数は減ってきている。シルヴィアとしては、まずまずの首尾であった。無骨な男どもにもいい加減色気づいてもらわねばならなかったのだから。


その時、人気がなくなったとの見計らって、そろそろと近づいてきた者がいる。シルヴィアでさえほとんど気に留めていなかったが、よく見ればおよそ場違いすぎる人物である。どう見ても、カレルよりも更に老齢、老人といっていい背格好であり、服装もみすぼらしく、この会場にはまったくふさわしくない。にもかかわらず、まったくの自然体で目立つこともなく、練武場の演台近くにいるシルヴィアの元に現れたのである。


「どうやら、経過は順調な用じゃの。ウィレム殿のお子様は」

「か、カイパー博士!」


老人はヤンとマウリッツの師匠であり、公国全土の医師たちの尊敬を集めるヨアヒム・カイパーであった。


「ほほほ、驚かせてしまったの。ふむ。ヤンもうまくやっているようだし、そろそろマウリッツもフリップ王国に向かうころじゃろう」

「博士・・・いったいどこにいらっしゃったんですか?ああ、みんなを呼んで参ります」

「いや、あなただけに話をしたくての。みなを呼ぶには及ばんよ」

「でも・・・」


シルヴィアでさえ、この老人のマイペースには振り回されてしまう。


「マウリッツは東のフリップ王国に向かったが、わしは西のインテグラ王国に向かう」

「インテグラ王国に?なぜです?」

「今回の件はの、主犯は誰かなどと考えても余計にわからなくなる。手段と目的が逆さまなのじゃよ。きっかけはファン・クラッペというヤブ医者じゃが、その萌芽は十年前のわしらの仕事の遣り残しじゃ。しかし、もう、それだけじゃすまないところまで来ておる」

「いったいどういう・・・」

「なに、そのうちヤンならわかるじゃろう。それではの、シルヴィア殿。みんなによろしくな。それから無理はいかんよ。丈夫なお子を生みなさい」


飄々とした態度で、近づいてきたときと同じようにいつのまにか人々にまぎれて博士は消えていった。





騒ぎは中庭の壁際で起こった。ピーターとロビーが二人で飲んでいたあたりである。


「吸血鬼野郎っ!のんびり酒なんか飲みやがって!貴様なんぞっ・・・」


後に続く言葉は理解不能であった。吸血鬼野郎と呼ばれたのはロビーである。酔っ払い相手なので腹も立たないが、少々相手がしつこかった。怒りを覚えたのは隣で飲んでいたピーターである。


「なんだ貴様っ!貴様はこの男の医師団のメンバーだろうがっ!患者に向かって何を言うかっ!」


ピーターの一喝は多くの犯罪者を震え上がらせて自供に追い込んできたものである。だが、泥酔した医師には通用しなかった。医師の名はフレデリック・ファン・ビーヘル。マルガレータをリーダーとするロビー治療チームのメンバーで、先日の研究報告の際、研究の内容がヤンとかぶっていた上に、進捗が遅いためにカリスの叱責を受けた男であった。たまたま近くにはマルガレータ、カリス、サスキア、ピーテルがいた。


「ファン・ビーヘル研究員!なにをやってるんですかっ!」


マルガレータが強く言うが迫力が足りない。まだ、年上の男性を叱責するほどの風格は備わっていないのだ。そもそも、ファン・ビーヘルは医学院におけるマルガレータの三つ先輩であった。こうして立場が逆転することなど誰も予想していなかったのである。


「へんっ!何で俺がこんな小娘の下働きしないといけないんだ?俺は医学院で主席だった!中央医局でも誰よりも早く正式な研究員になった!」

「ファン・ビーヘル研究員!泥酔しているとは言え、口に気をつけなさい!患者の前で言っていいことと悪いことがあります!研究員としてだけでなく医師としても失格よ!」


カリスが厳しい口調でたしなめるが、ファン・ビーヘルには届かない。


「あの、ヤン・エッシャーってヤブ医者だってそうだ!俺を馬鹿にしやがって。何がカイパー派だっ!医学院にも入れない、田舎周りの木っ端医者がでかい顔しやがってっ!マウリッツ・スタンジェだってそうだ!不死鬼が出てきたら尻尾巻いてにげていっちまったじゃねぇかっ!」


カリスが怒りを覚えたが、その前にファン・ビーヘルに近づいていった者がいる。


パァーンッ!


乾いた音が響き渡った。小気味のいい平手打ちの音である。ファン・ビーヘルの頬には、ピーテル・ブルーナのものよりも、更にはっきりとした手形が付いた。ひっぱたいたのはサスキアである。


「あなたは本当に医者ですか?」

「なんだこの・・・」


サスキアのあまりの迫力に言葉続かない。


「あなたはなぜメスを握ったの!なぜつらい勉強を続けたのっ!自分がえらくなるため?!医者である以上、あなたも患者のために生きているのよ!ヤン・エッシャーはそのことを一番わかっている。だからあなたの上にいる。マルガレータもそう。ロビーさんが生きていくためにできることをなんでもしようとしている。あなたはどうなの?ロビーさんはあなたの患者でもあるのよっ!」

「サスキア・・・」


マルガレータは目に涙を浮かべていた。彼女はほとんど酒を飲んでいない。サスキアはつい先ほどまで嘔吐するぐらいに酔っていたのだが、ファン・ビーヘルがヤンの名前を出した瞬間に飛び起きて近づいていったのだ。カリスが再びふらふらし始めたサスキアに近づき、後ろから両手で肩を支えた。


「ファン・ビーヘル研究員。明日から十日間、あなたを謹慎処分とします。今のことだけでなく、これまでのあなたの態度、考え方をじっくり反省しなさい。サスキアは一つも間違っていることを言ってません。バレンツ主任。交代の要員は出せないけど、サスキアに手伝わせるから、彼の研究を継続しなさい」

「は、はいっ!」


こちらもつい先ほどまで酔っ払っていたカリスが毅然とした態度で処分を下した。


「さ、なんだかしらけちゃったけど、夜はまだ長いわよ。呑みなおしましょ」

「ま、まだ呑むんですか・・・」


マルガレータが言った瞬間、サスキアはカリスの胸にカクンと倒れこんで、寝てしまった。


「あっちゃ・・・肝心のサスキアがノックアウトだわ・・・」

「先生・・・呑ませ過ぎです・・・」


二人は先ほどのサスキアとカレンがカリスを運んだように、サスキアを自室に運んでいった。


「エリート医師のにいちゃんよ・・・」


ファン・ビーヘルに話しかけたのはロビーである。


「ま、あんたのこともわからないでもないぜ。あのお嬢さんたちみたいに、まっすぐに生きられるもんじゃねえわな」

「お、俺の気持ちなどお前にわかるか・・・」

「わかんねえよ。エリートの先生の気持ちなんかな。俺は盗人で今は伝染性吸血病患者だ。別にあんたを慰めようと思ったわけじゃないぜ」


何をするつもりだとは言わずに後ろのピーターは黙っていた。


「あんたよ、十日も謹慎したあとだって、たぶん、チームには戻ってこれないだろ?その間に俺の頼む研究をしといてくれないか?」

「はんっ!エッシャー先生にでも頼んだほうがいいだろ!俺はたいした才能もない学歴だけのヤブ医者だ!」

「だからあんたに頼みたいんだ。まともな医者じゃ請合ってくれんからな。」

「どういうことだ?!」

「興奮すんなよ」


ぼそぼそと、ピーターに出さえ聞こえない声でファン・ビーヘルに何かを告げた。


「あ、あんた、それ・・・自分の命を縮めるのか?」

「なに、俺だってこんなもんできれば使わずに済ませたいさ。だが、必要な時は来るかもしれない。できるだけ、生きていたいが、必要なことがあればってことだ。よろしく頼むぜ」

「・・・わかった・・・どうせ暇だからな・・・」


余人にはわからない会話であったが、これ以降ファン・ビーヘルは問題を起こすことはなかった。



騒ぎを聞きつけたヤンは、マルガレータやピーテルと歩いているカリスを見つけた。そろそろマルガレータはピーテルとどこかに行きたいのだが、カリスが離してくれないらしい。ヤンの後ろにはカレンがいる。


「クリステル先生。なにやら騒ぎがあったようで」

「あ、エッシャー先生。たいしたことはありませんわ。でも、ちょっと考えないといけないかもしれませんね。私も少し配慮が足りませんでした」


明らかに酔ってはいるのだが、仕事の話になると酔いはどこかに跳んでいくらしい。


「まあ、何もかも完璧には行きませんよ。バレンツ主任はよくやっていると思いますし」

「あ、ありがとうございます!」


なぜかピーテルまで頭を下げる。


「カリス!そろそろマルガレータさんとピーテル君を離しておやりなさいな」


シルヴィアが近づいてきた。カイパー博士が来ていたことを口にしようか迷ったが、翌朝のことにすることにした。


「あ、義姉上。身重の体に負担ですよ。そろそろお休みになられては?」

「そうね。そろそろそうさせてもらうわ。あら、サスキアさんは?」


ギクリ、としたのはヤンとマルガレータである。カリスはなぜかポンと手をたたいた。


「エッシャー先生!サスキアはなんだかちょっと飲みすぎてしまったみたいで。私も正直だいぶ酔ってしまいました。普段そんなに呑み慣れてない娘ですから、診てあげていただけないかしら?」

「え、ああ、はい。自室にいるのですか?参りましょう」


その瞬間、ヤンとカレン以外が無言で連携を始める。


「あ、エッシャー先生、私とピーテルはちょっとどっかにいかせていただきます」

「ど、どっかって?」

「いえ・・・その・・・あの・・・ちょっと二人でしけこみます」

「し、しけこむって、おい・・・」


マルガレータはピーテルを引っ張って本当にどこかに行ってしまった。


「ああ、マウリッツ・・・」


カリスはもはや文字が判別不能のマウリッツの手紙を取り出し、においを嗅ぐようにしてから、恍惚とした表情でどこかに消えた。


重要な役割を負ったのは、最年長のシルヴィアである。これはいたしかたないと自分の仕事をしっかりとする。


「ええと、カレンさんでしたね。私は国務府の非常勤顧問も兼ねております。よろしければ、少しお話させていただけないかしら?」

「あ、はい。是非、よろしくお願いいたしますわ。私、アメルダムは初めてなものですから、公国政府機関についても詳しくありませんので、エッシャー先生もシルヴィア様にご相談したらいいだろうとご助言くださって・・・」

「あら、ちょうどいいわね。ほら、ヤンっ!突っ立ってないで、早くサスキアさんの様子を見に行っておやりなさいな」

「は、はあ、行ってまいります。では、カレンさん、楽しんでいってください。」


ヤンだけでなくカレンも鈍い。シルヴィア以外のどう考えてもまずい演技と口実に気づきもせずに、一人でサスキアの元へ向かった。




サスキアは眠っているようだった。すぐ隣のマルガレータが使っているベッドに腰掛けて様子を見る。一応、過剰なアルコールの摂取による急性アルコール中毒やショック症状がないかを確認したが、それほどひどい様子はなかった。


突然、サスキアが寝言を言い始める。いや、実はサスキアは酔ってはいたが目は覚めていた。ただし、決してしらふではない。そのため、普段抑えている感情が抵抗なく出てきたようである。


「ヤン・・・ごめんなさい・・・私・・・あせっちゃって。あなたの役に立ちたいって。でも、今は何もできないから・・・」

「サスキア・・・そんなことない。ロビーのことだってずいぶんとがんばってくれているじゃないか」

「私ね。ずっとヤンの役に立ちたいって、一緒に患者のこと考えて助けられるようになりたいって、ずっとそう考えてきたのに・・・」


ヤンは何を言っていいのかわからなかった。だが、意を決したように言葉を搾り出す。


「サスキア・・・謝るのは私の方だ。その・・・たぶん、私が無神経だから・・・」

「ヤン・・・」


潤んだ瞳をあけてサスキアはヤンを見つめる。


「ロビーの手術の時も、強制捜査から帰った時も、君がいなければ私は何もできなかった。君がそばにいてくれないと・・・」


ふと気づくと、サスキアは小さな寝息を立てて眠っていた。なぜか安心したような、あどけない笑顔を浮かべている。ヤンはめくれていた毛布をサスキアにかけなおしてやり、部屋を出ようとした。


「あ、あら、え、エッシャー先生・・・」


部屋の出口にはマルガレータとカリスが聞き耳を立てていた。後ろにピーテルもいる。ヤンは赤面をした。


「な、何やっているんです?」

「いえ、あ、私は、ほら、サスキアの部屋で寝泊りしているので・・・」

「エッシャー先生!こんなチャンス滅多にないですよ!もっと押し切っちゃっていいんですよ!いっちゃってくださいよ!どうせ本人だって喜ぶから寝込み襲ったっていいんですっ!姉の私が許しますぅっ!」

「ちょ、ちょっとクリステル先生!」


完全に出来上がっているカリスの口をマルガレータが塞ぐ。


「ええと・・・じゃ、バレンツさん、サスキアをお願いします。二日酔いになるかもしれないから、お水でも用意しておいてください。クリステル先生も、もう、飲みすぎですよ」


すたすたとヤンは自室に消えていった。




翌朝は大部分の職員は休みを取っていたが、出勤していた者もまともに機能できなかった。護国騎士団本部全体が二日酔い患者の集団と化していたのだ。宿直の者や本部に部屋を借りている者たちでなくとも、宿直室で雑魚寝をしているものも多くいた。彼らを辟易させたのは、保安兵団の主任捜査官ピーター・レインが真夜中に何回も寝言を叫んでいたことである。


「ロビーっ!!!逮捕だぁっ!!!」


部下であるレベッカによれば、痛飲するたびに必ず起こる現象なのでそうである。

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