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不死騎  作者: 槙原勇一郎
14/34

ケテル村から

ケテル村の診療所では、ヤンに変わって別の医師が村人たちの診療を行っていた。


「マルコさん、エッシャー先生の言いつけはちゃんと守っているみたいですね」

「ああ、本当に酒が飲めなくなったら困るからなぁ。酒はグラス二杯まで、五日に一回は飲まない日を作っているよ。死ぬならぽっくりがいいね。そうだろう?スタンジェ先生」

「はは、長生きしてください。カスペル君!いつもの薬を用意してマルコさんに渡して!」

「はい。かしこまりました」


カスペルが控え室横にある薬品庫に小走りで入っていく。


マウリッツはファン・クラッペの辞令を使ってケテル村にヤンの代理として来ていた。目的は別にあるが、とりあえず、代理の医師として働いている。カスペルはすべての事情を知っていた。


「次の方!どうぞ」


言われて入ってきたのは、しゃれた服を着てめかしこんだ美人であった。二十代半ば、サスキアよりは若干年上であろう。装飾は控えめだが、上質の素材で作られたセンスのいい服がよく似合う。昨今ではアメルダムでもなかなかお目にかかれない貴婦人らしい貴婦人である。


「姉さん!また来たの?」

「あら、カスペル、ずいぶんなこと言うじゃない。あら?」

「エッシャー先生ならアメルダムに出張中だよ。こちらは代理のスタンジェ先生」

「はじめまして。お嬢さん。カスペル君のお姉さんですか。どこかお加減でも?」


丁寧な対応でマウリッツは尋ねる。実を言えば中央医局長についてからのマウリッツは、組織の長としての事務仕事や伝染性吸血病対策室での研究に追われ、医者らしく患者と向き合う機会はほとんどなかったのだが、だからと言って、いざ診察となれば、ヤン同様に温かみのある言葉で患者の気持ちを和ませることを怠ったりはしない。元々気さくな男なのだ。


「先生。姉はいつもエッシャー先生が目当てで、どこも悪くないのに理由をつけて診療に来るんですよ。相手にしなくていいんです」

「おやおや。まあ、今日はもう患者さんももういないし、コーヒーでもいかがですか?ええと、お名前は?」

「カレン・ファン・ハルスです。エッシャー先生が留守だなんて・・・」

「うーん、あの男、女っ気がないと思って心配していたんですが、あなたのような美しい方に慕われているとは・・・」


などと言っているが、実際にはカリスと出会うまでのマウリッツはヤンと大して変わるものではなかった。シルヴィアの手引きでカリスに強引に迫られるまでは、まともな恋愛の経験もなかったのである。四十を目の前にしてやっと得た伴侶であった。


「お姉のことをエッシャー先生はぜんぜん相手にしていないんですよ。どうも気付いてもいないみたいで・・・」

「あきれたやつだなぁ・・・」


などと言いながら、マウリッツも実はカリスからのアプローチに長いことまったく気付いていなかった。シルヴィアの協力でやっと二人は付き合い始めるきっかけを得たのである。一方で、ヤンにサスキアを引き合わせることを考えたのもマウリッツであるから、多少はバツが悪い。カスペルは両方の事情を知っていたのだが、実はヤンは何度かサスキアの話をカスペルにしたことがあり、その時の表情からヤンの気持ちはほぼ理解していた。もっとも年少でありながら、最も訳知りなのはこの紅顔の医生である。


三人はカスペルが入れた薄めのコーヒーを飲みながら談笑し始めた。


「エッシャー先生はいつお戻りになるのかしら・・・」

「うーん、重大な仕事をしているのでね。ずいぶんかかると思いますよ」

「いっそのこと・・・私もアメルダムに行っちゃおうかしら」

「えっ?」


カスペルとマウリッツは声をそろえて驚いた。


「実はね、ファン・レオニー国務卿閣下からファン・ハルス家に依頼があったのよ。国務府に出来たら家柄のいい貴族の令嬢に手伝いに来てほしいって。この辺で貴族の令嬢って言ったら私しかいないじゃない」


ルワーズ公国では軍隊以外の国家機関の職員には一定以上の割合で女性を雇うことが義務付けられている。保守派のファン・レオニーはシルヴィアのこともあり、女性の採用には積極的ではないのだが、せめて、地方の名門貴族の令嬢を使うことで、貴族間の結びつきを強めることに利用しようと考えていたのだ。


ファン・ファルス家は辺境であるドルテレヒト州内の唯一の自治領主で、ケテル村もその勢力範囲に入っている。と言っても、ルワーズ公国では自治領主の権限は著しく制限されており、税率も勝手に決めることはできない。州卿に代わってささやかな領域の統治を代行していると言う程度ではあるが、辺境の自治領主ほど伝統があり、貿易や工業事業を営んでいることも多く巨大な資産を持っている場合が多い。ファン・ハルス家もアメルダムにステーン湖の水産物を運ぶ運輸業で大きな財産を得ている。


その時、診療所の外から声が聞こえた。カスペルが応対に出て行く。


「先生!大変です!来てください!」


カスペルの声にあわててカレンと共に玄関に出る。玄関に来ているのはザーンから来た州政府の役人であった。役人は丁寧な口調で話し始める。


「アメルダムからの緊急指令で、周辺地域のすべての住民をザーンの城壁内に収容することになりました。伝染性吸血病の流行のためだそうです。ここまでは来ていませんが、ゼーラント州ではいくつもの村が襲われたそうです」

「それは、どなたの名義の指令ですか?」


やはり、マウリッツは丁寧な口調で尋ねる。


「名義は護国騎士団のファン・バステン将軍ですが、将軍は今ザーンにいらっしゃいます。実際に発令したのは、将軍の依頼で騎士団長の代理をされていると言うヤン・ファン・バステンという弟君です」

「え?ヤン先生が?」


いったのはカレンで、マウリッツとカスペルは事情は想像できている。


「あなたはファン・バステン将軍と話すことはできますか?」

「はあ、今はザーンの護国騎士団支部に発令所を設けておられますので・・・」

「では、伝えてください。マウリッツ・スタンジェはフリップ王国に渡り、国境の向こう側で吸血鬼対策に動くと」

「え?」


役人だけでなくカレンも驚く。


「私は公国中央医局長マウリッツ・スタンジェだ。わけあって特別の任務のためにここでフリップ王国に渡る準備をしていた。ヤンのことだからこういう大げさな指令を出すことも想像していたので、それを待ってステーン湖渡ろうと考えていたのです。ファン・バステン将軍には心配するなと伝えてください」

「は、はっ!」

「それから、こちらのお嬢さんはファン・ハルス家のご令嬢です。こちらは弟さんで、ここでヤン・エッシャーの医生をしているカスペル君。二人をアメルダムまで護衛つきでいけるように手配をお願いします」

「は!了解いたしました!」


急に改まって役人は卑屈な態度をとる。地方に巡回することのある軍関係者と違い、中央医局長などと言う政府機関の重要人物に会うことなど滅多にないからだ。


「先生!待ってください。私はフリップ王国にご一緒します!」


カスペルの言葉にその場の全員が驚いた。が、カレンだけは『またか』と言うように、ため息をついて、額に手を当てた。


「カスペル君、フリップ王国の国境地帯は今極めて危険な状態だ。私が行くのは王都アキテーヌだが、危険地帯を横断することになる」

「先生、先生はエッシャー先生と違って武術の訓練はされないですよね?私はエッシャー先生に稽古を受けています。エッシャー先生によると医術よりも筋がいいとか・・・」


マウリッツは驚いた。そんなことの前に医者として教えるべきことは山ほどあるというのに・・・。


「こいつはまた・・・とんでもない医生がいたものだが・・・。しかし、ヤンのところに行けばカスペル君だって彼を手伝えるだろう?」

「私なんて邪魔なんじゃないですかね?エッシャー先生には、・・・ええと、サスキアさんがついておられるんでしょう?」

「さ・・・サスキアって・・・女の人の名前よね・・・」


一人違うことに関心が向かったカレンを無視して、カスペルはさらに説得を続ける。


「エッシャー先生には、いろんな人がついてますけど、スタンジェ先生には誰もいないじゃないですか。ルワーズ公国はエッシャー先生に任せてフリップ王国をお一人でどうにかされるつもりなんですよね?私一人ぐらいはお手伝いさせてください」

「しかし・・・」

「それに・・・あなたを一人でいかせてアメルダムに帰ったら、カリスさんになんと言えばいいのか・・・」


カスペルはカリスにもサスキアにも会ったことはない。マウリッツに会ったのも、ヤンの代理として来たつい先日が初めてである。だが、生活の様子は一度ケテル村に来たことのあるシルヴィアから伝えるように言われており、様々な事情もその筋の文通で知っていた。マウリッツの悪巧みに乗ったのもシルヴィアを通じてである。


「カレンさん。弟さんを止めてください」


たまりかねたように姉の方にとめることを依頼したのだが・・・


「さ・・・サスキアって誰です?」


目が据わっている。


「ええと、いえ、その話はあとで・・・」

「カスペルは一度言い出したら聞きませんわ。私、エッシャー先生からお聞きしたことがあります。医術はまだまだだけど、短槍と体術は護国騎士団の騎士の中に入っても負けないレベルかもしれないって。稽古でも三回に一回は一本を取るそうですよ」


カスペルは胸をはって腰に手を当てた。まだ子供らしさの残る十七歳の医生は想像以上に頑固であった。また、マウリッツには武術の素養はないが、ヤンが医者でありながら、武術家としても一流以上の腕を持つことは知っている。そのヤンに三回に一回は一本を取れると言うのなら、カスペルの武技はかなりのものなのだろう。


しかたなく、マウリッツは折れることにした。


「・・・わかりました。では、カスペル君は一緒に行きましょう。生きて帰れるかわかりませんよ!」

「先生こそ、結婚を目の前にカリスさんを未亡人にする気ですか?せめて僕ぐらいの護衛は必要ですよ」

「まったく・・・ヤンのやつはどういう教育をしているんだが・・・」


マウリッツは観念した。


「では、カレンさん。お手数ですが、すぐに手紙を書くのでアメルダムにお持ちいただけませんか?」

「ええ、よろしくてよ。どなたに宛てたものかしら?」

「一枚は、ヤンに。それから、私の婚約者のカリス・クリステル。おそらく彼女は中央医局でヤンを手伝っているはずです。それから君!」


マウリッツが呼んだのは、話が決まるのを待っていた役人である。


「ウィレムにも手紙を書くから、それは君に持っていってほしい。これは重要な書簡だ」

「はっ!了解いたしました!」


マウリッツはその場で三枚の手紙を書いて、カレンと役人に渡した。カスペルもヤン宛にマウリッツに同行する許可を求める手紙を書いた。


「それじゃ、姉さん。エッシャー先生に会ったらよろしく伝えてください。あんまり怒らないでくださいって」

「ま、あなたのことは先生はよくわかってらっしゃると思うわよ。私のことはさっぱりわかってくださらないんだけど・・・で、サスキアさんてどなたなんですか?」


マウリッツが少し悩んだ後で思い切って言うことにした。どうもこの姉弟が相手だと、いろいろと押し切られてしまうようだ。


「アメルダムの私の部屋でメイドをしている娘ですよ。私の婚約者の義理の妹でしてね」

「あら、でエッシャー先生とはどんなご関係なのかしら?」

「子供のころに同じ孤児院にいたことがあるとか。まあ、幼馴染ってやつですね」

「あら、そうですか。ただの幼馴染の方でらっしゃるんですのね。じゃあ、仲良くなっていろいろ先生のことを教えていただかないと」


『ただの』をやたらと強調して言う。マウリッツもカスペルも困ってしまったが、こんなことは本人がどうにかすることだと思い、何も言わないことにした。





三日後の早朝、マウリッツとカスペルは、漁師であるマルコの船でステーン湖の対岸に渡った。


「マルコさん。すぐに引き返してくださいね。村に戻ったら役人の指示に従ってザーンに避難してください」

「ああ、わかっとるよ。どうせ死ぬならぽっくりとは思うが、もうちょっとは酒を飲みたいからなぁ」

「はは。本当に長生きしてください。ヤンの奴は鱒が好物だから、余計にあなたのことを大切に診ているんですよ」

「ああ。先生も気をつけてな」


対岸の人気のない浜辺でマルコと別れた二人は、慎重な足取りでフリップ王国内を進んでいった。





ザーンでは、ドルテレヒト州全体の全住民が収容されることになっている。辺境ではあるので、全体で二十万人程度にしかならないが、ザーンの元々の人口は四万人でしかない。ザーンの内部に親戚がいる者はそこに泊まるが、他の者たちは行政機関の建物や、裕福な商人の屋敷などに割り当てられ、それでも入りきらない者たちは、急遽空き地などに掘っ立て小屋を建てて住まうことになった。


もちろん、護国騎士団のザーン支部にも人がいっぱいであった。小さな子供や老人のいる家庭が優先的に政府機関の建物に入るので、ウィレムの執務室でも、赤ん坊の泣き声が隣の部屋からずっと聞こえている。


「こいつは大変だな・・・子供なんて作るもんじゃないな。金がかかる上に安眠まで妨げられる。しかし、ヤンのやつめ。ずいぶん面倒なことを考えてくれたものだ。」


ウィレムはそうぼやくが、ヤンの狙いは十分にわかっている。ピーテル・ブルーナ主任主計官が全体的な計画面を担当することもわかっているので、何も心配してはいなかった。


夜、執務室でワインを口にしていると、一人の役人と貴族の令嬢と思われる娘が現れた。ケテル村でマウリッツと話した役人とカレン・ファン・ハルスである。まず、役人がマウリッツからもらった手紙を渡す。


「ほう・・・ま、ケテル村にいることは想像していたけどな。野郎一人でフリップ王国に乗り込むか・・・」


独り言であったのだが、カレンはそれを聞いていた。


「一人ではありませんわ。私の弟がくっついていってしまいました」


ウィレムは驚いて顔を上げる。


「お嬢さんは?」

「カレン・ファン・ハルスと申します。弟はヤン先生の医生としてお世話になっておりますわ」

「ああ、確かカスペル君だね。そうか、あなたはそのお姉さんか。でマウリッツについていったと?」

「弟はエッシャー先生に医術だけでなく、短槍と体術も習っていました。私はよくわからないですけど、エッシャー先生によると医術よりも筋がいいらしくて、先生でも三回に一回は稽古で一本を取られるとか。それで危険なフリップ王国に向かうスタンジェ先生の護衛をしたいと申し出まして・・・」

「ほう・・・まあ、ヤンから三回に一回一本をとるというのは相当ですな。安心とは言いがたいですが、それでも十分頼りになる。何、心配要りません。マウリッツは武術はからきしですが、頭は下手するとヤン以上に切れる。ヤンほど無鉄砲なこともしないでしょう」


安心させるつもりでいったのだが、どうやらカレン自身、弟のことはそれほど心配していないようだった。医者としては半人前にもなっていないが、貴族の出の癖にどこででも生きていけそうな、そう言う若者なのだ。


「はい。実は私はそのこと以外に、一つ別にお願いがあってまいりました」

「なんでしょう?私に出来ることならさせていただきますが」

「実はスタンジェ先生と弟から、アメルダムにいる方に宛てたお手紙を預かっております」

「誰宛でしょう?」

「エッシャー先生と、もう一つはスタンジェ先生の婚約者の方です」

「ああ、カリス・クリステル先生ですな。彼の婚約者も医師なのでね」

「それと実は私は公国務府から職員にと招聘を受けております」

「なるほど。確か公国務府では女性職員の割合が規定より下回っていると聞いてますからな。国公陛下から叱責されたのかもしれない。ファン・レオニー伯は地方貴族と中央との結びつきを強化したいと考えておられますから、そういうことでしょうな」


別にファン・レオニーに含むところはない。むしろ、ウィレムは自分の妻に押さえつけられている国務卿に多少の同情はしていた。地方貴族と中央との結びつきを強めることも別に悪いことではない。身分にかかわらない採用をとは思うが、それもそれほど急ぐことではないはずであった。女性の採用について妥協しただけでも、ファン・レオニーを見直す気になったぐらいである。


「うむ。いいでしょう。護国騎士団は毎日二回、アメルダムとの連絡に早馬を飛ばしています。ここ数日は警戒を強めて、人数を増やしていますが、彼らとアメルダムまで一緒に行ってもらいましょう。カレンさんは馬は大丈夫ですかな?」

「はい。乗馬は得意ですわ」

「それなら大丈夫。駿馬を一頭用意するので、伝令隊と一緒にアメルダムまで行って下さい。明日の朝出れば、夕方までにはアメルダムに着くことができます」

「ありがとうございます」


カレンは完璧な貴婦人としての礼をして見せた。女性の解放が進む中で礼儀も廃れ始めたから、これほど優雅に挨拶できる女性も珍しい。ウィレムはシルヴィアより年下では初めて見たように思われた。


「ところで・・・ファン・バステン将軍とエッシャー先生とはご兄弟と伺いましたが・・・」

「ええ。まあ、腹違いですがね」

「エッシャー先生は女性には興味をお持ちではないのでしょうか?」


ワイングラスに口をつけていたウィレムは、むせてワインを少し机にこぼしてしまった。


「ああ・・・ええ・・・そんなこともないでしょうがね。慣れてないのでガツガツしていないところはあるでしょうが・・・」


喜んで、もう一度礼をして部屋を出て行った後姿を見送りながら、口の中だけで独り言を言う。


『ヤンの野郎・・・これはもめるぞ・・・』


心配していると言うよりも、自分がアメルダムにいないために、騒ぎが起きても見れないことを残念に思っている様子であった。





その日はヤンが通達を伝書鳩で発した強制捜査の日から五日後であった。通達はその日のうちにザーンにも届いたが、住民の受け入れ態勢を作り、順に周囲の村に通達を出しているうちにそれだけかかったのである。


その間に護国騎士団本部ではある計画が立てられていた。協力して不死鬼軍事件に取り組むことになった、護国騎士団、公国中央医局、保安兵団の合同で大パーティを催すことになったのである。非常時に何をするのかと頭の固い閣僚たちは言ったものだが、それを聞いた国公ジェローン・ルワーズは賛成して、自分の資産から費用の大部分を負担したのである。


目的は協力機関同士の懇親と士気の高揚にあるのだが、実は隠れたもう一つの理由があった。ジェローンもそのことを考えて賛成したのである。女性の社会進出が進められているルワーズ公国内において、特に政府機関に勤める者の間では晩婚化が極端に進んでいた。シルヴィアはその問題を憂慮しており、また、困難な任務に挑み、命を懸けることになる護国騎士団員が一人でも恋人でも作って、自分の命をつなぐことに関心を持ってほしいと思ったのである。護国騎士団員は『死を賭して戦う』ことに美学を感じている武人気質の若者が多いからだ。ウィレムはそんなことは奨励していないのだが、軍隊である以上そうした精神風土があることはいたしかたないことだった。


パーティは護国騎士団本部の敷地全体を使って行うことになった。総勢数千人が参加する大パーティである。最初にヤンが練武場の演題に立って挨拶をした。強制捜査前の勇ましい訓示とは違ってこういう席でのスピーチはあまり得意ではない。


「ここに集まった諸君は、これから困難な任務に挑まねならない。関係各所が協力していくためにも、ここでお互いに懇親を深め、固い絆で結ばれることが、不死鬼軍との戦いに挑んでは大事なことである!このパーティには国公陛下も・・・」


パーンッ!


突然ヤンの頭が思いっきり扇子で叩かれた。


「堅いわっ!」


シルヴィアである。この席でヤンにこのようなことを出来るのは兄嫁たる彼女しかいない。その場で代わりにスピーチを始めた。


「みなさん!堅いことは抜きにして、今日は楽しみましょう」


そして、護国騎士団ではおなじみの掛け声をかける。


「酒の一滴は血の一滴!」


それに応えて護国騎士団員が全員で唱和する。


「一滴呑むたび、一敵屠らんっ!」


その一声が乾杯の音頭となってパーティが始まった。護国騎士団員と保安兵団員はそれで盛り上がったが、中央医局のインテリ男性たちは多少引いている。逆に中央医局に多い女性たちはそう言う体育会系の男たちが珍しい。黄色い声をだして騒ぎ出した。


「なんだか、ああいうちょっと馬鹿っぽい感じの男ってかわいくない?」

「あ、あっちの兵士さんちょっといい男よ。あれはきっと護国騎士団の方ね」

「ねぇねぇ、あっちの方も三人よ。一緒に呑もうよ。声かけてよう!」


キャッキャと騒ぎながら、護国騎士団の若い男たちに近づいていく。



少し離れたところでその様子を見ていたシルヴィアは狙い通りの雰囲気になっていることにニヤリとした。本人は妊娠中の身であるので、酒を飲むことを控えている。手には桃の果汁が注がれたグラスを持っていた。


「ふふ、みんな楽しんでいるみたいね」


カリスが近づいて来て言う。


「あら、婚約者が行方不明の方も楽しんでくださいな」

「女同士で楽しむことにしましてよ。旦那様がお出かけされている奥様とね」

「あら、ピーテル君の彼女とサスキアさんじゃない」


少しはなれたところから、こちらに向かってくる二人を見てシルヴィアが言う。


「ああ、マルガレータ・バレンツ主任ね。なんだかサスキアとすっかり仲良くなったみたいでね。サスキアも暇しているとろくなこと考えないから、仕事も手伝わせているの。ああ、部屋に同居もしてもらっているわ」

「クリステル先生!エッシャー先生は・・・」

「ああ、ヤンはこういうパーティで騒ぐのはあんまり得意じゃないから、きっとどっか隅っこにいるわよ」


答えたのはシルヴィアである。


「あら、まだ、うじうじしているの?サスキアさん・・・」

「うじうじって・・・お仕事は大変だけど楽しいですし、マルガレータも一緒にいてくれますから・・・」

「大事な問題の方はどうにもなってないみたいね・・・」

「今はエッシャー先生のお仕事には直接私がお役に立てることはありませんから。マルガレータのお手伝いでがんばりますわ」

「って、ちょっと、大事なのは仕事に役立つかどうかじゃないでしょ?」

「え・・・?」

「あなた、ずっとヤンのこと好きなんでしょう?」

「え・・・そ・・・そんな・・・私・・・ずっとヤ・・先生のお役に立ちたいって・・・」


『こ・・・この娘はまた・・・』


シルヴィアはあきれた。ヤンもヤンだが、サスキアもサスキアでこれではそうそう進展しそうにもない。カリスも肩をすくめる。マルガレータもここ数日何度もこんな会話をしていたようで、諦めたように首を振っていた。


「でも、ほら、あなたがそうやってうじうじしているから、マルガレータはピーテル君に会いにいけないじゃない。エッシャー先生のところに行かないならここで呑みなさい」


カリスは、だんだん必要なとき意外はマルガレータを呼び捨てするようになった。面倒になってきたのである。なんだか、もう一人妹が出来たような感じがするのだが、二人の妹のどちらが年下かと言うと微妙な感じがするのだ。


「そ・・・それが・・・クリステル先生・・・」


マルガレータは肩を落としてプルプルふるえながら、別の方向を指差した。その先にはなぜか男ばかりの人だかりができている。


「さあさあ、保安兵団の諸君も中央医局の皆さんも。われわれ不死鬼軍事件に挑む男たちにとっての女神様!地獄に舞い降りた天使!サスキア・ウテワール様をお守りすると言う聖なる目的に賛同される方は、是非!サスキア嬢防衛隊にご参加ください!今なら我が護国騎士団の誇る画聖!このディック・ファン・ブルームバーゲンの筆によるサスキア嬢のデッサンを漏れなくプレゼント!」


叫んでいるのはなんとシモンである。その横には、この馬鹿らしい有志部隊を作り上げたファン・ブルームバーゲンがいる。彼は強制捜査後のささやかな宴会の間にこの会を作り上げたのだが、数日後に入会してきたシモンが第三部隊長代理に昇進したのを機に、彼に『サスキア嬢防衛隊』の隊長の座を譲ったのである。


さらにその近くで、入会者にサスキアのデッサンを配っているの人物をマルガレータは指差していた。半分泣きべそをかいているピーテル・ブルーナである。


そろそろとシモンに近寄った直後、シルヴィアの扇子が再び炸裂する。


パァーンッ!!


「何をやっとるか!この変態男っ!」

「え、いや、サスキアさんに悪い虫がつかないように、花を愛でる気持ちで見守ると言う精神風土を保安兵団や中央医局のご面々にもお伝えしようと・・・」

「あなたのせいで、せっかく女の子をカリスに連れてきてもらったのに、みんな引いちゃうでしょ!カレル隊長は休んでるんだから、あなたがここでは護国騎士団の最高位なのよ!それがまったく・・・」


ところが、そこから少し離れたところで、中央医局の女性たちがまた騒ぎ出した。


「くすっ!ちょっと馬鹿なことやる男の人ってホントにかわいいわね。面白いし」

「うちのインテリ男共なんて、つーんとすましててちっとも面白くないものね」

「ねえねえ、あのデッサンってあそこにいる騎士さんが書いているんだって。私たちも書いてもらわない?」


あれよあれよと言う間に、ディックの周りに人だかりができた。さらにピーテルの周りも女の子が集まりだす。


「この騎士さんかわいい!ねえねえ、一緒に飲もうよ!」

「きゃ、赤くなった!かーわーゆーいっ!」


そこにマルガレータが走ってきて、ピーテルの襟首をつかんだ!


「ちょっとっ!ピーテル顔貸しなさい!」


その瞬間、ピーテルの周りに集まっていた娘たちは急に冷めたように引いていった。彼女たちは看護技術室の看護婦たちで、珍しい女性研究員のマルガレータのことは知っていた。


「なーんだ。マルガレータ・バレンツ主任の彼氏みたいよ」

「でも、言われてみればあの二人すっごいお似合いね」

「なんだか、かわいらしいカップルよね。ちょっと応援しちゃいたくなる」


女性たちの会話はとどまることを知らない。そのうち、シモンの周りにいた男たちも、女性たちに声をかけられて去っていった。残ったのはシモンだけである。


「・・・・」

「あんた・・・ホント馬鹿ね・・・」


離れたところで傍観していたカリスがサスキアに向かって言う。


「マルガレータみたいに、首根っこひっつかまえてでも近くにいないと、誰かに持ってかれたって知らないわよ?」

「え・・・でも・・・お姉さまだって・・・」

「う・・・大丈夫!マウリッツは浮気なんて絶対しない!」


力強く言う割には、表情は不安げであった。


「すみません。ヤン・エッシャー先生はこちらですか?」


見慣れない服装の娘が話しかけてきた。中央医局の職員でも保安兵団の女性捜査員でもないので目立っていた。シルヴィアにはそれが国務府の臨時職員に与えられるものであることがわかる。


「ええと、どっかその辺の隅っこの方にいるんじゃないかと思いますけど、あなたは?」


聞き返したのはカリスである。


「私はケテル村から参りました。カレン・ファン・ハルスと申します。この度、国務卿ファン・レオニー閣下より国務府からの特別監察官として、護国騎士団本部に派遣されました。実はケテル村からお手紙を預かって持ってまいりまして・・・」

「ああ、特別監察官のことは聞いているわ」


言ったのはシルヴィアである。政敵であるファン・レオニーの一種の嫌がらせととっていたのだが、カレンの印象は悪くない。これほど、貴婦人として洗練された振る舞いの出来る女性と言うのは珍しかった。


ファン・レオニーの嫌がらせは実は最初の時点で大失敗であった。国務府内にはシルヴィア派の職員が多いので、わざわざ辺境から貴族の女性を呼び寄せたのに、本人がよりによって、ヤン・エッシャーの味方になるつもり満々だったのだから。


「で、お手紙と言うのは誰から?」

「マウリッツ・スタンジェ医師と、私の弟でエッシャー先生の医生のカスペル・ファン・ハルスからです。あと、スタンジェ先生からはカリス・クリステル様宛のお手紙もお預かりしておりますわ」

「え?マウリッツっ!わ、私がカリス・クリステルです」

「あ、では、これが・・・」


カリスは言い終わる前にカレンの手からそれをひったくった。


「あらら・・・ごめんなさい。彼女、スタンジェ先生の婚約者なの。結婚直前に離れ離れで、消息すらはっきりしてなかったから。やっぱり、彼はヤンの診療所にいたのね」


シルヴィアが代わりに謝る。


「いえ。心中お察ししますわ。でも・・・」

「へ・・・え・・・マウリッツ・・・ふ・・・フリップ王国に?じゃあ、しばらく帰ってこないじゃないの・・・いつになったら結婚できるのよ・・・」


カリスはがっかりしていた。


少しはなれたところで、サスキアは背中を向けて震えていた・・・。


『どうしよう・・・医生のカスペルさんのお姉さんて・・・』


ここ最近頼りきりだったマルガレータは近くにおらず、カリスは手紙で茫然自失なので、どうしていいかわからなくなったのだ。


「って言うか・・・中央医局はしばらく頼むって私に全部押し付けてるんじゃないの!あぁぁっ!ファン・クラッペが怪しい動きしていたから気をつけろって・・・気付いていたならどうにかしなさいよっ!」


カリスは手紙を読み進めるたびに絶叫しているので、さすがに見かねたシルヴィアがサスキアに声をかけた。


「サスキアさん!ちょっとカリスがあんまり騒ぐと、さすがに下の者に示しが付かないわ。つぶれるまで呑むかも知れないけれど、とりあえず、目立たないところに連れて行ってやって。目立つのはまずいわ。やっぱり」

「あ、はい!」


そうシルヴィアが言ってくれたことに感謝をしていたのだが、思わぬところからさらに声がかかって来た。


「あら、あなたがサスキアさん?」

「っ!?え・・・あ、そうですが・・・」

「スタンジェ先生からエッシャー先生の幼馴染って伺って。よろしくお願いしますわね」

「え、あ、はい。よろしくお願いします」

「さ、お姉さんをどこかにお連れしましょう。お手伝いいたしますわ。お部屋にお連れした方がいいかしら?こちらにお泊りなの?」

「あ、ありがとうございます。こちらです」


まったく悪意のないカレンは親しげにサスキアに接する。サスキアも決してカレンに悪い印象は持たなかったのだが、ヤンの話が頭を掠めていた。


カリスはいつの間にかワインの瓶を持って一気飲みをはじめていた。自棄酒である。サスキアとカレンが両側から支えて自室に連れて行ったのだが、部屋に戻ってからも泣きながら呑み始めたので、とりあえずほおっておいて会場に戻ることにした。


「エッシャー先生宛てにスタンジェ先生と弟からお手紙を預かっているのですけど、どこにいらっしゃるのかしら・・・」

「これだけたくさんの方がいらっしゃるので、見つけるのは大変ですわ。明日にした方がよろしいかも知れませんよ。お酒も入っておられるでしょうし・・・」

「うーん、でも・・・」


サスキアが恐れいたことをカレンは口にした。


「わ、私、実は先生のことずっとお慕い申し上げてて・・・早くお会いしたいんですの。お願い!サスキアさん、一緒に先生のこと探して!」

「え・・あ・・・は・・・はい・・・」


思わず返事をしてしまったサスキア。その時、廊下の正面から当のヤンが現れた。


「あ・・・サスキア・・・ん?あ、あれ?カレンさん?」


一瞬、カレンは抱きつきそうな勢いで走りよっていったが、思いとどまった。この辺は貴族の令嬢としての教育を近年では珍しいほどしっかり受けているので、節度は守る。


「お久しぶりですわ。エッシャー先生。私、国務卿閣下の招聘をお受けして、こちらに特別監察官としてお邪魔することになりましたの。ケテル村でスタンジェ先生とカスペルからお手紙を預かっておりますわ」

「マウリッツからっ!やはりケテル村でしたか。手紙と言うのは・・・」

「こちらです」


落ち着いた態度で、しかし、優雅に魅力的な笑みを浮かべながら手紙を手渡す。サスキアにはこんなまねはできない。


「なるほど。やはり、フリップ王国か。カスペルまで着いていくのは、まあ、彼のことですから大丈夫でしょう。カスペルなら多少の危険には十分立ち向かえます。マウリッツは間違った判断をする男ではありませんから。心配ありませんよ」

「はい。私も心配しておりませんわ。ところで、先生に久々に大変お会いできてうれしいですわ。これから、しばらく私も護国騎士団本部にお世話になることになりますから、よろしくお願いしますわね」

「え、あ、そうですか・・・まあ、とりあえず今日はちょうどパーティですから楽しんでください」

「ええ、先生、ご一緒させていただいてよろしいかしら?」

「ええ。サスキア!君も・・・い、一緒にいかないか?」


先日のことを気まずく思いながら、ヤンとしては精一杯で誘ったのだが、サスキアの反応はよくなかった。


「いえ。私は・・・あ、姉の様子が気になりますので。お二人でいってらっしゃいまし。では・・・」


スタスタとカリスの部屋に向かって戻っていってしまった。


パーティはまだまだ続いている。

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