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不死騎  作者: 槙原勇一郎
13/34

操死鬼

ヤンの執務室に駆け込み、不在であることを確認したシモンは、シルヴィアが執務室代わりに使っている応接室に駆け込んだ。


「エッシャー先生は?!」

「ヤンなら中央医局よ」

「くそっ!」


シルヴィアの回答に苛立ちを隠せない。これほど血相をかいているシモンは珍しい。


「何があったの?」

「ファン・ダルファー邸の地下に隠し部屋がありました。そこで・・・テオ・ファン・ダルファーの死体が・・・」

「えっ!どういうこと?」

「隠し部屋は実験室としての機能を備えていましたが、そこにおびただしい数の死体があったのです。その中に、テオ・ファン・ダルファー本人の死体も・・・」

「他の死体は?」

「ファン・ダルファー家の使用人や警備兵、それから浮浪者や流れ者の旅人と思われるものも含まれます。そして全員・・・腐敗の状況から伝染性吸血病に感染していたものと思われます。テオ本人も含めて・・・」


右手のこぶしを額に当て、シルヴィアは考えた。


「だめだわ。私ではその意味はわからない。捜査は続けているのね?」

「はっ!」

「テオが首謀者であれば話は簡単でした。でも、そうでないのなら、捜査は一からやり直し。でも、護国騎士団の捜査だけではどう考えても手が足りないわ。吸血鬼の軍隊と戦う準備も進めないといけないし。シモン君、すぐに書簡を用意するから保安兵団のピエト・ファン・サッセン兵団長のところに行って!捜査をやり直すなら、護国騎士団だけじゃだめ。あとはヤンが戻ってきてからにしましょう」


シルヴィアは自分の判断を保留した。あまりにも情報がたりない。可能性としては主犯であったテオを不死鬼たちが殺害すると言う、犯行グループ内の抗争という可能性もある。しかし、それを確信できるものは何もないし、仮にそうであったとしても、公国筆頭侯爵家の持つ経済力を切り捨てるには、別の後ろ盾が必要なはずである。ファン・クラッペ医師は技術面を掌握しているとしても、軍隊を支えるほどの経済力はない。


すぐに用意された書簡を持ってシモンは保安兵団本部に走った。その背中を見送るシルヴィアの目には不安と正体不明の疑念が渦巻いていた。




「なるほど。集団失踪事件については聞いている。伝染性吸血病を人為的に流行させて反乱を企図しているものであるということも。首謀者の特定に協力を要請されて断る理由はないな」


シルヴィアからの依頼にピエト・ファン・サッセンは快く応対した。護国騎士団にも捜査部門はあるが、その規模は保安兵団に遥かに及ばない。護国騎士団はあくまで軍隊であって、平時は情報機関としての機能を兼ねているだけに過ぎないが、保安兵団はそもそもが治安維持を目的とした一種の司法組織だからだ。


四十歳になったばかりのピエトは元々護国騎士団第二部隊長であった男で、かつて第一部隊長であったウィレムと次期護国騎士団長の座を争っていたこともある。本人も過剰にウィレムを意識していたところもあったのだが、今ではウィレムのことを認めている。


ピエトは執務机に備えられた伝声管の蓋を開けて、やや大きな声をだした。


「クリスティアン・ヨンキント本部長を呼んでくれ」


伝声管はここ数年、公国政府機関の各庁舎での採用が始まった設備である。各部屋から伝声室に金属製のパイプをつなげ、担当官が伝言を中継して、別の部屋に言葉を伝える。発案者はマウリッツであった。彼の趣味はさまざまな道具の発明にある。医療用に限らず、様々な道具を開発している。しかし、公国中央医局も護国騎士団も予算の都合上採用は見送られていた。


「クリスティアン・ヨンキント参りました」


程なくして現れたのは、三十代半ばの保安兵団アメルダム本部長だった。


「護国騎士団第三部隊長代理のシモン・コールハースです」

「ヨンキント本部長。護国騎士団が進めている吸血鬼による反乱事件の捜査に協力してほしい」


クリスティアンはあまり驚きはしなかった。


「ほう。もっと早く協力要請があると思っておりましたが・・・」

「実は護国騎士団ではテオ・ファン・ダルファー候を反乱の主犯格と考えておりました。そうであれば、後は捜査と言うよりも吸血鬼の軍隊と戦うことに集中できます。しかし、状況が変わったのです。反抗グループ内で何があったのかはわかりませんが、テオ・ファン・ダルファー候は吸血鬼化した死体で発見されました」


これにはさすがにクリスティアンも驚いた。


「なるほど。捜査は振り出しに戻ったと言うことですか。ヤン・エッシャー氏による電光石火の強制捜査については聞いておりました。さすがファン・バステン将軍の弟君と思い、出番はなくなったかもしれないと思っていたのですがな・・・」


眉間にしわを寄せ手ながらクリスティアンは言った。しばしの沈黙の後、突然兵団長執務室のドアをノックする音が聞こえてきた。


「ピーター・レイン主任捜査官です」

「入れ」


ピーター・レインは三十代半ばに見える。蟹股で歩き、あまり上品には見えない男だが、人相から相手の人物を測るシモンはこの人物がかなり腕利きの捜査官であると感じられた。ピーターは一人ではなかった。後ろに女性の捜査官が控えている。


「護国騎士団の方がお越しと聞きましたので。亡霊ファントムロビーを拘束されているとか?」

「そのようだが、今はその話をしているときではないぞ。レイン主任。君がずっとロビーを追っていたのは知っているし、彼の逮捕に向けた情熱もわかるが・・・」


顔をしかめてクリスティアンが言う。


「はい。伝染性吸血病に感染したと言う話も聞いております」


シモンは驚いた。ロビーの捕縛についてはともかく、吸血鬼化については、中央医局や護国騎士団の関係者にも口止めをしている。この捜査官はおそらく自力でそうした情報を調査したのだ。


「実は、こちらのレベッカ・ローレンツ捜査助手は二ヶ月前からテオ・ファン・ダルファー侯爵の邸宅を調査していたのです。ロビーが狙っていると検討をつけていましたので。彼女が感じた異常についてご報告させていただければと思いまして・・・」

「異常とは?」


これはシモンである。


「こちらは護国騎士団の第三部隊長代理になられたシモン・コールハース殿だ」

「はあ。ご高名はかねがね」

「何が異常に感じられたのですか?」

「使用人や警備兵たちの態度・・・と言うよりむしろ行動全般です。ところで、座ってもよろしいですか?」


ピエトに向かって言う。どうも自分たちの思惑通りに会話を進めるために、いろいろと考えてきているようだ。上司を利用したりすることに関しても、かなりの腕利きなのだろう。


「いいだろう。座りなさい」

「では、詳しいことはローレンツ助手から説明させます」

「私は三ヶ月ほど前からファン・ダルファー邸が亡霊ロビーの次のターゲットではないかと疑っておりました。あの邸宅は過去にも何度か被害にあっておりますので、できれば、保安兵団の警備隊を配置し、網を張って彼を捕らえたいと考えたのです」

「まあ、私としては難しいと考えておりましたがね。ロビーは事前に狙った屋敷の警備状況を綿密に調べます。こちらが網を張ったりしても、確実にそれを察知し、犯行をあきらめるでしょう。それでも、ファン・ダルファー候としては、自邸での盗難事件という不名誉を避けることが出来るので、許可したのです」


ピーターが付け加える。


「ところが、ファン・ダルファー候はそれを断りました。いえ、正確には候に会うことすら出来ませんでした。警備兵に門前払いを受けたのです。それも、まったく会話がかみ合いませんでした」

「どういうことですか?」

「私が何を話しても、候は誰ともお会いになりませんの一点張り。理由を聞いても答えないと言うのは、まあ、あることですが、挨拶をしても、世間話をして打ち解けてみようと考えても、同じことしか口にしないのです。気味が悪いくらいでした。無表情のまま抑揚のない声で」

「・・・」


シモンは何か引っかかった。一見どうでもいいことなのだが、彼の勘がそこに状況を把握する糸口があることを告げている。しかし、その意味はわからない。


「ピエト兵団長、クリティアン本部長、まず、ご協力の手始めにこのお二人を護国騎士団本部にお貸しいただくことはできませんか?」

「ああ、この二人は亡霊ロビーの専任捜査員だったから今は暇だ。レイン主任を協力チームの責任者にしよう。捜査員や兵員の増員も含めて彼に相談してくれ。できるだけの便宜は測る。次期国務卿候補と言われるファン・バステン夫人の依頼だ。断ることはできんよ」


実を言えば若いころのピエト・ファン・サッセンはシルヴィアにあこがれていたことがある。ファン・フェルメール伯爵家の女当主では高嶺の花過ぎると思っていたのが、家格も同程度で同じ護国騎士団の部隊長であったライバルのウィレムが彼女と結婚してしまったという過去を持つ。だが、ウィレムの器量が自分以上であることもよく理解しており、わだかまりはない。


「ありがとうございます。それでは、お二人はこのまま一緒に騎士団本部までご足労願います。私では判断できないことでもエッシャー先生ならわかることもあるでしょう。お二人の持つ情報が必要です」


ピーターはうなずいてから一つ自分の希望を述べる。


「わかりました。ところで、ロビーとは面会をさせていただけますかな?保安兵団では、彼の犯行とされている事案の中に模倣犯によるものが含まれていると考えています。彼の犯行ではないものを特定して捜査に役立てたい。それに・・・」

「レイン主任は保安兵団で唯一、ロビーを発見し、後一歩まで追い詰めたことのある男でしてね。ロビーへの拘りも人一倍強いが、捜査官にはよくあることで、自分が追い続けている犯人にはどこか身内のような感情を持つことがある。相手の考えていることを常に読み続けておりますからな。恋人か親友のように錯覚されてくるのです。伝染性吸血病に感染したいきさつを聞いて、冷静な彼も憤慨したぐらいだ」

「恋人はないでしょう?」


クリスティアンの話にピーターは苦笑いする。


「わかりました。私の権限では許可できませんが、エッシャー先生はご理解くださることでしょう。彼が主治医ですので」

「騎士団長代理と中央医局長代理を兼ねているのにそんなことまで?いくら公国一の知恵者と言われる方でも負担がかかりすぎでは?」

「そうですね・・・どうも、あまりに優秀な方はなんでも自分でやろうとしてしまうようで。スタンジェ医局長もそういうところがあったとか。そこを、ファン・クラッペ医師に突かれて、伝染性吸血病対策室の研究機能を敵に利用されてしまったようです・・・」

「ちょっと考えないといけないところですな」


ピエトが渋面で言う。若手の優秀な人物が陥りやすい問題であった。





護国騎士団本部に戻るとヤンは戻ってきていた。すぐさま会議が開かれる。会議には技師たちとの打ち合わせを終えたカリスとカレルの姿もあったが、みなが一様に驚いたのは、そこにロビー・マルダーもいたことである。夕刻とは言えまだ日は出ている。


「まだ、晴れの日の昼間に外に出ることは難しいかもしれませんが、四時間ごとの入浴と、その後に植物性の油、今はオリーブの油を使っていますが、それで満たした浴槽に入り、顔や頭皮にいたるまで油分を行き渡らせる事でこのように行動可能となりました。若干、油のにおいが気になるかもしれませんが、それについては、適当な材料を検討中です」


マルガレータが報告する。


「まあ、そこまでは気を使わなくてもいいだろう?就任初日で早速成果が出たとはすばらしい」

「実際に試す機会がなかっただけですので。これは伝染性吸血病患者が継続的に生存しいけるなら必要なことと思います。食料についても、カイパー博士の成果から栄養剤の製造を始めましたが、ロビー氏に味見していただいて、味覚を満足させることが出来るものを作ろうと思います。人はパンのみに生きるのではありません。日々を楽しんで生きれるようにならなければいけないと思います。食事や外出を楽しめないで、様々な精神的負担のかかる不死鬼の生活を長期に続ける苦痛なだけの人生ではいけないと思います」


ヤンの質問への回答に皆驚いた。マルガレータは単に吸血病患者を生かすことだけではなく、彼らができるだけ普通に生活し、人生を楽しむようになれることを目指している。そこまで頭が回っていたのは彼女だけだった。


「君の言うとおりだ。バレンツ主任。よく言ってくれた。引き続きがんばってくれ。ロビーも協力を頼む。遠慮せず彼女の料理がまずければどんどん言ってやってくれ」

「体に塗る油に果物や花のにおいをつけるって言われた時は驚いたがね。あんまりそんな趣味はないからな。そこのお嬢ちゃんの少女趣味には付き合いきれないかも知れんが」


お嬢ちゃんと呼ばれて憤然となったマルガレータ以外の全員が笑った。これから、深刻な問題を議論しようと言うときなのだが、全員に急に余裕のようなものが生まれた。


「さて、テオ・ファン・ダルファーの死体については報告を受けた。ローレンツ助手の証言に加えて、ロビー・マルダー氏が屋敷に侵入したときの状況を改めて聞こう」


ヤンが議長を務める形で会議は始まった。


「前も言ったとおり、以前に入ったときとまったく変わらない警備だった。気持ち悪いぐらいに。まるで機械仕掛けみたいで、まったく同じ時間に同じ動きで見回りまでするんだ。あそこの連中は反省しないだけでなくて、何も考えていないんじゃないかと思ったよ」


『機械仕掛け』と言う言葉にカリスがはっとした。


「本当に・・・何も考えられなくなっていたのかもしれません・・・」

「と言うと?」

「ファン・クラッペ医師が対策室の研究員を利用して試みていたことです。動物実験のみでしたが、吸血鬼と不死鬼の血を使って、思考力を奪い、思うままに機械のように他人の指示で動かそうというものです。担当していた研究者はそれを操死鬼と呼んでいます。自由意志はなく、自分からは何もできませんが、誰かから指示されたことは忠実に行うようになります」

「つまり・・・ファン・ダルファー邸は操死鬼だらけの屋敷になっていた可能性があると」

「はい。ファン・クラッペ医師が人体でのそれに成功していればの話ですが・・・」


全員言葉を失った。


「悪魔の所業だな・・・」

「ファン・ダルファー邸で発見された遺体にはかなり古いものがありました。主に浮浪者と思われる遺体です」


シモンの報告である。


「ファン・クラッペ医師はファン・ダルファー邸でそうした実験を繰り返し、最後には、屋敷の全員を操死鬼にして利用していたと言うことでしょう。確かに理論的にはわかる。吸血鬼の血液である程度脳の神経を殺し、しばらくしてから不死鬼の血液を入れて、神経破壊を抑える。神業的な腕がないとタイミングが難しいがね。ロビー、以前に侵入したのはいつだ?」

「今から半年ほど前だ」

「シモンさん、ファン・ダルファー候はこの半年間どんな動きをしていたかわかりますか?」

「ほとんど公けには姿をあらわしていません。屋敷に訪れた彼の事業の関係者は皆一様に、屋敷の雰囲気がおかしかったとは思っていたようです。候に直接会ったという人物も、候はほとんど会話らしい会話をせずに、自分の言いたいことと、単純な返事だけしか口にしなかったと。その際、常にその隣に看護婦の服装をした女がいたことも共通しております」

「この前の不死鬼の女だな・・・」


ヤンは腕組をして考え始めた。


「しかし・・・不死鬼は昼間は活動できないはずでは?」


疑問を口にしたのは、ピーターである。


「いや、ファン・クラッペ医師は伝染性吸血病開発室の研究成果をすべて把握していた可能性があります。バレンツ主任の研究は半年前にはある程度の結論が出ていた。その後は、必要な入浴の頻度と油の量を知る実験をしていただけ。そうだね?」

「はい。私はファン・クラッペ医師とはほとんど話したことはありませんが、彼はスタンジェ医局長の目を盗んで、頻繁に研究室に来ていました。私の報告書も見ていたかもしれません」

「あなたの報告書だけど、マウリッツのところには上がってないし、どこに行ったかもわからないの。上がっていれば、マウリッツだって注目したはずよ。ひょっとすると、ファン・クラッペがそれを盗み出して、マウリッツの目に留まらないようにしていたのかもしれない。自分がその研究を使うために・・・」


言った後で、カリスが唇を噛んだ。婚約者の迂闊さに苛立ちを覚えるが、一方で、何の力にもなれなかったのは自分なのだ。非常勤参事官である自分が、伝染性吸血病対策室の状況を抑えていればよかったのである。しかし、ファン・クラッペによるスキャンダルのリーク以来、目立った動きを医局内で行うことにははばかりがあったのだ。これがファン・クラッペの狙いだったのかもしれない。


「ファン・クラッペという男はただのセクハラ医師ではないな。陰険で底の浅い男に見えて、やっていることは相当に考え込まれている。なにより・・・医師と言ううより、人間としての倫理観が完全に欠如しているかのようだ。こういうやつは恐ろしいことをしでかす」


長年犯罪者を見てきたピーターが言う。知能犯と言うのはそういう人物が多いが、彼はその極め付けであるように思われた。


「これで、主犯格の特定が遠のいたわね・・・」


シルヴィアが嘆息した・・・。


「いえ。私は元々テオは利用されているだけと考えていました。操死鬼にされていたとまでは思いませんでしたが」

「えっ!?」


ヤンの言葉に会議室の全員が驚く。


「動機が弱すぎますし、彼はあれでもこの国の権力者です。自分自身で画策するなら、危険な不死鬼と共闘関係など結ばなくても、人間の兵を集めて反乱を起こせます」

「では、いったい誰が・・・」


シモンが当然の疑問を口にする。


「はっきりとしたことはいえません。ですが・・・この国の人間とは限りません。医局で自殺を図った三人の密偵にはフリップ王国の出身者が含まれていました。それに、敵が一枚岩で一人の首謀者を中心には動いていない可能性があります。ここまでの彼らの動きもあまり整合性が取れていない。ちょうど私も保安兵団にご協力を依頼したいと考えておりました。護国騎士団は彼らの攻勢に備えることで手一杯です。地道な捜査をお願いすることになりますが、よろしいですか?」

「もちろんです。私はそこにいるロビー・マルダーをずっと追っていましたが、あなたに捕らえられたせいですっかり暇ですからな」


冗談ともいえない声で言った。


「悪かったね。レインの旦那。俺は捕まるならあんたがいいと思っていたさ」

「ふんっ!他人の手先になって動いてドジを踏み追って!」


ロビーとピーターは追われるものと追うものの関係だったはずで、それも一度しか接触したことはない。だが、二人はまるで親友同士のように見えた。長年お互いの心理を読みあって動いていた二人とはそういうものらしい。


「まず、保安兵団はファン・ダルファー邸に過去一年間出入りしていた者全員を洗い出してください。ファン・クラッペと三名の不死鬼だけであそこを操死鬼の屋敷に出来たとは思えません。それから、医局で自殺していた密偵の方は私の方で調べます」

「待ちなさい!ヤン、医局の密偵の方も保安兵団に頼むべきよ」


シルヴィアが厳しい口調で言った。


「あなたは現場の陣頭指揮など執るべきじゃない。みんながもたらした状況を把握して方針を示せるのはあなたしかいないのよ。今は手足よりも頭を使うようにしなさい」

「しかし・・・」

「エッシャー先生、保安兵団の操作能力を舐めてもらっては困ります。両方の捜査をする十分な人員も用意できますし、先生はあまり動かないほうがいい。あなたがあちこちに出向いていては、何かあったときの報告先にも困るのです」


ピーターが言う。シルヴィアやシモン、カリスも問題視していた点であった。


「と言って、執務室にこもっていたら、かわるがわるにみんな報告に来て、いちいち通達を出すって言う面倒なことになるだけね。護国騎士団本部には伝声管の設備もないし。よし、この建物の大広間に司令部を開設しましょう」

「司令部?」

「国公陛下より今回の人為的な吸血病の流行と反乱事件を、不死鬼軍事件と公称し、すべての公国政府機関を連携させて解決に当たれとの勅令が下りました。ヤン・エッシャーをその責任者とするとも。あなたは護国騎士団長の代理だけど、ウィレムは国境周辺を押さえないといけないから、アメルダムではあなたが総指揮官よ。すべての情報があなたに上がり、あなたの方針に従ってみんなが動くようにしないといけない」

「で、その司令部とは?」


シモンが口を挟む。


「広間の演壇にヤンの執務机を起きましょう。私たちはそこを取り囲むように席を作ります。私たちの指示で動く人員はその後ろに。伝令として動く要員は常に演壇の横のスペースに待機させましょう」

「なるほど。いちいち報告に執務室に行かなくてもいいですし、必要ならすぐに打ち合わせができますな」


ピーターが言う。護国騎士団ではあまりこういうことを考えたりはしないが、保安兵団は伝声管の採用にもわかるように、こうした事務処理や情報伝達の効率化への関心が高い。




シルヴィアの提案はすぐに実行にされ、ヤンは全員の視線にさらされる形になった。少々居心地が悪そうであったが、便利は便利である。何があってもすぐに状況を把握できるからだ。


だが、こうなるとますますサスキアと二人になる時間などはなくなってしまった。ヤン自身は忘れたとまでは言わないまでも、状況が状況だけにそんなことを考えている余裕はない。だが、サスキアはヤンの周りに人が集まることで、ますます暇になっていった。掃除や食事を用意する人員まで新たに増員されている。


会議の翌朝、サスキアは自室に徹夜明けのマルガレータを招いた。彼女は一晩中、ロビーの食事の製造方法を検討していたのだ。どうも彼女の部下は協力的ではない。今まで助手でしかなかった年下の女性がいきなり上司になったのだから無理もないが。


「お疲れ様。少しは寝たほうがいいわよ。なんだったら私のベッドを使って」

「ありがとう。もう、中間管理職も大変なのよね。正直年上のおじさんやエリートの医学院の先輩に細かいお願い事なんて出来ないし・・・」


まだ出会って一日しかたっていないのだが、二人はすでに何年も一緒にいた親友のように打ち解けていた。


「私は何にもすることがなくて・・・今のヤンには私なんて必要ないのかもしれないし・・・」


どうもサスキアは昨日の件から落ち込んでいた。マルガレータに話す時だけはヤンのことを名前で呼ぶが、話題は自分を責めるものばかりだった。再会したばかりの毅然とした彼女の姿はそこにはない。かなり無理をしていたのだろう。


「!」


眠い目をこすっていたマルガレータが急に顔を上げた。


「そうだ!サスキアって看護婦の資格ももっているんでしょ?伝染性吸血病のことはわかる?」


ヤンとのことを思い出して、ふさぎこんでいたサスキアはびっくりして答えた。


「え、ええ、ヤンの役に立ちたいと思って勉強していたし、マウリッツ様にも少しは指導をうけたわ。あと、ロビーさんの手術は手伝ったし・・・」

「なら、クリステル先生にお願いして、私の仕事を手伝ってもらえないかしら?人手はぜんぜん足りないし、みんな協力的じゃないし、細かいこともお願いしづらいのよ。サスキアがきてくれれば、きっとぐっと楽になる!」

「え・・・でも・・・」

「いつまでもエッシャー先生のことでくよくよしているぐらいだったら手伝ってよ。体でも動かせば少しは気も晴れるわ。泣き顔や落ち込んだ顔も甘える時はいいけど、忙しくしている男には実は負担にしかなんないものよ」


そこにノックもせずにカリスが突然部屋に入ってきた。


「あら、バレンツ主任。おはよう。なんだかすっかりサスキアと仲良くなっちゃったのね」

「あ、お邪魔しています。クリステル先生。あの、一つお願いが・・・」

「廊下まで聞こえていたわよ。いい考えだと思うわ。どうしたって、あの二人はあなたに十分に協力するとは思えないし、たいして優秀でもないしね。他の人員もまわす余裕はないから・・・サスキアっ!どう?あなたは暇をもてあましたことなんかないから、どうしていいのかわからないんでしょ?」

「お姉さま・・・」

「ほら、しゃきっとしなさい。エッシャー先生といったい何があったの?」


何も言わないサスキアに代わってマルガレータが説明した。


「あっちゃ~・・・エッシャー先生も相当その辺はだめ男ね・・・きっと何がまずかったのかも気付いてないわよ。ああ、たぶん、その医生のお姉さんとやらが自分に気があるってこともわかってないわね。だから、そんなこと平気で言えるのよ」

「すごいですね。そこまでわかるなんて」

「え、あ、まあ、マウリッツだって似たようなものだからね・・・」

「あらら、クリステル先生も苦労なさったんですね」

「あなたとメガネの主計官みたいに何でも順調に行かないわよ」

「あら・・・」


マルガレータが赤面した。ピーテルとのことは隠しているわけではないが、上司にまで知られているとは思っていなかったのである。


「まあ、女同士の会話はいつでもできるから、それぐらいにしておくとして、どう?サスキア。バレンツ主任のことを手伝ってあげて」

「・・・はい」


サスキアは目をこすりながら言う。カリスはまだ心配だった。


「そうだ、バレンツ主任。今は自宅から通っているの?」

「ええと、一応そうなんですけど・・・遠いから通うのは大変で・・・遅くなっちゃったので昨晩は徹夜で仕事してました」

「あらら、体を壊されたら困るわ。女性用の宿直室なんてさすがに用意できないしね。いっそ、この部屋でサスキアと同居しない?」

「え?」


年少の二人がそろって驚く。


「ここは中央医局から少し距離があるから、あの近くに住んでいるなら通勤も大変でしょ?彼氏のうちに泊まるってわけにもいかないだろうしね。ピーテル君は独身寮だろうから」

「え・・・あ・・・あの・・まあ・・・」

「サスキアはいいわよね?公私共にバレンツ研究員を助けてあげて。責任ある身分になると女は男以上に大変なのよ」

「あ・・・はい・・・」

「いいかしら?バレンツ主任?」

「あ、はい。私はありがたいですから。じゃ、サスキア、よろしくね」

「夕方に一度帰って着替えや荷物を持ってきなさい。それぐらいの時間はあの二人に仕事させないと。ベッドなんかは・・・ああ、ピーテル君に言えば用意してくれると思うわ」


なんで、カリスがピーテルのことを君付けにしているのかよくわからないが、とにかくマルガレータはうれしかった。サスキアが優秀な看護婦であるらしいことはわかるし、気詰まりな年上の男たちだけの職場も楽しいものになる。本部内で安心して寝泊りできれば仕事にもっと集中できるのだ。何より、沈みがちなサスキアを元気付けてあげる時間が取れる。


「よし、じゃ、バレンツ主任、妹のことも頼むわ。世話のかかる娘だけどよろしくね。エッシャー先生のだめっぷりについては・・・まあ、急いだって始まらないわよ」


しゃべりながら、サスキアの朝食をつまみ食いし、忙しそうに部屋を出て行った。颯爽とした身のこなしはマルガレータがあこがれるところだが、どうもあのようにはうまくいかない。


「じゃ、サスキア。よろしくね。楽しみだわ。なんだか、学塾時代のお泊り会みたいで」

「あ、うん。マルガレータ・・・その・・・なんか・・・ありがとう」

「何言っているの。いろいろこれから私の方が手伝ってもらうんだから」

「うん。あたし・・・がんばるわ」




こうしてサスキアはカリスのはからいで、公国中央医局の臨時職員の身分を得、ロビー・マルダー治療チームに席を得たのである。そのことを聞いたヤンは複雑な表情をして何も言わなかった。報告したカリスはその場では何も言わず、シルヴィアにそのことを話す。


「二人とも、離れ離れだった十年をお互いに知らないからでしょうね。探りあいが出来るほど器用でもないし、そもそも経験不足なんだわ」

「経験不足どころか、まったくないんでしょ。本当はお互い相手のことしか頭になかったから、経験値ゼロなのよ。ああ、もう、見てらんないわ」


頭をかきながら言うカリスにむかって、シルヴィアは皮肉な笑みを浮かべる。


「そう言うあなたも、ちょっと前までは『鋼鉄の処女』とか言われていたんだけどね」

「う・・・私は別に経験値ゼロってわけでもなかったわよ・・・」

「一ヶ月ともったことなかったでしょ?優秀すぎる女は難しいわよね。あなただとスタンジェ先生ぐらいじゃないと男が馬鹿に見えてしょうがなかったでしょうしね」

「あなたはどうだったのよ・・・」

「さあね。私は社交界の花って呼ばれていたけど、あんまり爵位の高い貴族には興味なかったなぁ・・・面白みがなくって」

「それで、面白いところ満載のファン・バステン将軍の押しかけ女房になったのね」

「ま、そう言うこと」


二人はどんなに多忙になっても、一日一回以上のこうした会話を絶やすことはなかった。そして、そう言う気持ちの余裕を、不死鬼軍事件の対策にかかわる全員に持たせようと考えていたのである。不死鬼たちとの戦いはそれだけ、精神に負担をかけるものであることを、彼女たちは理解していた。

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