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不死騎  作者: 槙原勇一郎
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研究報告

公国中央医局の伝染性吸血病対策室は、三十名ほどの医学、生物学の研究員と武器や医療機器を開発する十名程度の技師、五名ほどの事務員から組織された研究機関である。それが、膨大な資料と設備ごと、護国騎士団本部に移ってきた。シモンは地下牢の入り口に近い大きな部屋を三つほど用意していたのだが、機材などでだいぶスペースを取られてしまい、入りきらない分は急遽即席の物置を立てて対応せざるを得なかった。


新任の責任者はカリス・クリステルである。非常勤参事官から常勤で重要部門の責任者に抜擢された形である。本来のクリステル財団総合診療所所長の地位については、護国騎士団本部に警護の関係から住み込むことになった時点で休職の形を取っていた。


カリスはまず研究者たちを集め、それぞれの研究テーマと進捗を報告させた。


「患者が必要とする血液の量について研究しております。現在、およその量は検討がついておりますが、血液の成分比率によって代わる物ですので、エネルギーとなる成分の特定を進めております」

「その研究はヨアヒム・カイパー博士も進めていたはずよ。論文は読まなかったの?」

「医学会の論文誌にはありませんでしたが・・・」

「カイパー博士が医学会に論文を発表しないことは有名よ。でも、医局へ報告書は出ているはず。すぐに確認しなさい。それから、エッシャー先生がカイパー博士の最新の研究メモをお持ちです。博士はすでに成分を特定して、それを牛血から生成する方法まで発見しています。ロビー・マルダー氏の生存にも必要なものですから、急いで製法を確立しなさい」


カリスよりも十歳は年上であろう研究員がビクビクしながら報告する。カリスは少し不機嫌であった。まったく、責任者であったマウリッツは何をやっていたのか。対策室の研究員たちは上司に頼りすぎで、自分たちの判断で研究を進めることができていなかったのだ。マウリッツ・スタンジェと言う希代の研究者一人に数十名の助手がいただけという感じであった。それも、それぞれが何をやっているのか目が行き届いていない。婚約者が組織を運営するには甘すぎることには気付いていたが、これほどとは思わなかった。


『ま、それぐらいの欠点があったぐらいがかわいいけどね』


これは口に出していないが、贔屓の引き倒しと言うものだろう。


「次!」

「私は患者の筋肉量の異常増大を抑える方法を研究しております。これができれば、エネルギーの消費を軽減させ、血の飢えの頻度を減らすことができます。また、その過程で痛覚の消失と筋肉量の増大に深い関係があることもわかっております」


医学院出のエリートらしい若手の研究員が幾分自慢げに話す。カリスは冷たい視線を投げかけた。


「エッシャー先生がすでに同様の研究を進めます。試薬ではありますが、すでに筋力の異常発達と痛覚の喪失を抑える方法を発見されてました。ロビー氏はそれによって以前と変わりないレベルの筋力と痛覚を維持しています。エッシャー先生から研究資料を受け取り、ロビー氏の経過を観察しなさい」

「え・・・は、はっ」

「次の人!」


ほめられるものと思っていた若者はたじたじになる。公国最大の医療研究機関でもカイパー派の医師たち個人の研究能力にはまったく追いついていないのだ。


「え・・・えと・・・私は患者の皮膚の日光による損傷について研究していま・・・います。感染した場合、わずかな時間で皮膚の保水力が失われ、日光によって表皮から水分が蒸発し、結果として火傷の様な状態になるというのがそのメ、メカニズムです」


やたらとおどおどとしているのは、まだ二十代前半と思われる女性の研究員であった。ほとんど下を向いて、机の上の資料を読みながら話を聞いていたカリスが顔を上げる。


「それを抑える方法は?」

「完璧とはいいがたいですが、まず、一日数回の入浴を行い、皮膚に十分な水分を含ませるようにします。そしてそのたびに植物性の油を表皮に塗ることで水分の蒸発を妨げることが可能です」

「一日数回というのは結構不便ね。でも、今のところ一番の成果よ。名前は?」

「ま、マルガレータ・バレンツです。まだ研究助手ですが・・・」

「今日付けであなたは主任研究員に昇格です。先ほどの二人と一緒にロビー・マルダー氏の治療および臨床実験を行うチームを編成しなさい。あなたが責任者よ」

「え・・・でも、私・・・まだ二十四ですし・・・」

「年齢なんて関係ないわ。あなたが一番成果を出している。それ以外に理由は必要ありません。ロビー・マルダー氏についてはあくまでエッシャー先生が主治医です。治療の方針は彼に確認するように。それから、試薬の投与などは必ず事前に本人とエッシャー先生に説明して承諾を得ること。エッシャー先生は忙しいからなかなかつかまらないわよ。今の話は簡潔に報告書にまとめて、説明に行くように。さ、すぐに始めなさい」

「は、はい!がんばります!」

「よろしい」


マルガレータは感激していた。何せ憧れのカリス・クリステル医師から直々にお褒めに預かったのだ。しかも、二十四歳の女性が助手からいきなり主任研究員である。年上の研究員を部下にするというのは、一体どうしていいか途方にくれてしまいそうだが、とにかく張り切って少し離れた会議卓で打ち合わせを始めた。


医師の研究担当者の次は生物学の研究者たちである。だが、こちらは彼女を失望させたというよりも怒らせた。


「馬に吸血鬼の血液を投与することで、強力な軍馬を作る研究をしております。馬の場合は人間などの場合よりも凶暴化しない不死鬼となる確率が高く、通常の馬同様に調教が可能です」


バンッ!


カリスが両手で机をたたいて立ち上がった。


「その研究についてスタンジェ医局長の許可はあったのっ?!」

「い、いえ、医局長はお忙しく・・・」

「では、誰の指示で?」

「ファン・クラッペ検死室長です。研究テーマが思いつかずにご相談しまして・・・」


カリスはめまいを覚えた。研究テーマを自分で考えられないと言うのも酷いが、よりによって、ファン・クラッペに相談するとは・・・


「他にもファン・クラッペ医師の指示で研究していた者は名乗り出なさい!」


合計三名の研究者がおずおずと出てきた。全員生物学の研究者である医学の研究者よりも、さらにマウリッツの目が届いていなかったことを突かれてたのだ。


「すでに聞いているとは思いますが、ファン・クラッペ医師は今回の人為的な伝染性吸血病流行の主犯格として、公国全土に指名手配されています。医師資格も昨日付けで停止となりました。医局長の許可を得ずに、彼の研究に手を貸していたあなたたちも、本来であれば処罰の対象となります。しかし、今は人手が足りません。あなたたちの研究は犯行グループに成果を利用されている可能性が極めて高いでしょう。自分たちの研究成果を整理し、それによって、どのように応用がなされる可能性があるかを検討したうえで報告所を提出しなさい。それから、応用されていたとして、それに対抗する手段を考えるのも貴方たちの責任です。そこの二人!ファン・クラッペ医師に支持されていた研究テーマはっ?!」


三人とも顔面蒼白だった。震えながら二人の研究者が報告を始める。


「わ、私は、不死鬼となった哺乳動物の行動特性について研究していました。観察を続けておりましたが、あまりはっきりとした成果はでておりません」

「わかりました。その研究は中止です。他の二人の作業を手伝うように」


あまり優秀には見えない中年の研究員が頭を下げた。


「私は不死鬼と吸血鬼の血液を混合したものを実験動物の脳に注射し、確実にその行動を制御するための研究を進めて参りました。吸血鬼が十分なエネルギーを取った直後のおとなしくなった状態とは少し違い、不死鬼の血液の影響で知的な活動は続くものの、自由意志はなく、調教されていれば機械のように指示されたままの行動を取るようになります」


カリスはいやな予感がした。何か引っかかるものを感じたのだ。


「それは人間に応用できる可能性はある?」

「実験するわけには行きませんので、しかとは・・・しかし、可能性は十分にあるかと」


確かに、人体実験をしないとわからないことである。だが、ファン・クラッペならやりかねないのではないかと思った。だとすれば、この研究を応用して彼は何をしようとしているのか・・・。


「すべての研究メモやデータを整理して報告書を提出しなさい。それを持って、私とエッシャー先生の前で説明してもらいます。急いで!」

「しょ、承知しました!」


この研究の意味するところは自分にはよくわからない。だが、ヤンならば何かわかる可能性もある。わからないことにくよくよしている余裕はないので、気になりつつも仕事の続きに戻った。午後には怪我を押しながら、対吸血鬼の戦術立案に責任を負うこととなった、カレルと共に対吸血鬼用の武器や治療器具を開発する技師たちからの報告を受けることになっている。彼女はとにかく多忙であったが、それでも、適切に一つ一つの問題に対処していった。


カリスは伝染性吸血病の専門家ではないが、マウリッツは他にたいした話題のある男ではないので、食事などに出かけたときの会話もそればかりであったし、サスキアが熱心に勉強していたのでそれに付き合ったりもしていた。だが、何よりもカリスの実務能力の高さが、専門家たちを使いこなすのに最大限に役立った。マウリッツは逆に自分自身があまりにも優れた専門家であったため、部下たちを使うと言うスタンスにはなかなかなれたかったのかもしれない。





国公との謁見の翌日はとにかく皆忙しかった。シモンはファン・ダルファー邸の詳細な調査のために捜査部の担当者と共に出かけていたし、ヤンは中央医局で自殺した事務員三名についての捜査の指揮を執らねばならなかった。シルヴィアにいたっては懐妊中の身であるので、無理はしないことにしてはいたが、大量の手紙を書いて、方々に根回しをしている。


こうなると、どうしてもサスキアは暇をもてあます事になった。看護婦ではあるが、医師や研究員ではないし、ヤンの身の回りの世話と言っても、それほどやるべきことはない。しかも、実を言えば中央医局に出かける前のヤンと軽い口論をして喧嘩になってしまったのだ。



「エッシャー先生、お疲れ様です。コーヒーでも入れましょうか?」


コーヒーは近年盛んになった海上交易によって大量に持ち込まれるようになったものである。最近では一般市民にも手の届くものがでてきた。上流階級では午後のコーヒータイムは一般化し始めている。


「ああ。ありがとう。ところで、サスキア・・・」


実を言えば再会して以来、あまりにことが多すぎて、二人がゆっくり話すのはこの時が初めてだった。


「あの・・・二人でいる時ぐらいは、ヤンでいいよ。人前でけじめをつけるのは大切だけどさ」

「え、あ・・・はい」


サスキアはうつむいて黙ってしまった。二十八歳と二十四歳、すでに十分大人の二人ではあるのだが、まるで離れ離れに過ごしていた思春期が今になって訪れたかのようだった。


「あの、エッシャ・・・ヤン・・・、私・・・」

「ん?」

「あ、いえ、ケテル村ってどんなところなの?アメルダムの外には出たことがないから・・・」


二人になると何をしゃべっていいのかもわからなくなったらしい。ぎこちなく話題を振る。


「ああ、ステーン湖畔の田舎の村だ。湖でとれる鱒は味がいいし、のどかなとてもいいところだよ。みんな優しい人たちばかりさ」

「やさしいって・・・女の人も?」

「ん?まあ、近所のおばさんたちはずいぶんと親切にしてくれるよ。あとは、ああ、カスペルのお姉さんがよく来るかな。近隣で唯一の貴婦人だね。診療所の運営費も寄付してくれているし」


ピクリ、とサスキアの眉が動いた。


「へえ、どんな人?きれい?」

「まあ、美人じゃないと言う人はいないと思うね。なぜかたいして悪くもないのにしょっちゅう診療所に来るんだ。風邪だの、転んだだの、理由をつけてね。え、あれ?」


ヤンはサスキアの表情を見てびっくりした。目に涙を浮かべている。


「そ、そう。よかったわね。綺麗なお姉さんのいる医生がいてくれて、大助かりでしょ」

「お、おい。何を怒ってるんだい?」

「いえ、失礼します。エッシャー先生」


そのまま何もいわずそそくさとヤンの執務室を出て行ってしまったのである。気になりはしたのだが、すぐに来客があったので後を追うことはできなかった。入れ違いに入ってきたのは、マルガレータ・バレンツである。同年代のサスキアが目に涙を溜めて出て行くのを不審げに見送ってから、ヤンの前で報告を始めた。


「クリステル先生よりロビー・マルダー氏の治療と臨床実験の責任者に任命されました。マルガレータ・バレンツ、研究じょ・・いえ、研究員です。」


本当はすでに主任研究員昇格の辞令を受け取っているのだが、なんとなくそう口にすることがはばかれるような気がして、『主任』の二文字を省いていた。主任研究員も研究員には違いないので別におかしくはない。


「ああ、聞いている。論文も読ませてもらったよ。私やマウリッツとは違った視点のアプローチで面白い。年上の男共を使うのはなにかと面倒だろうが、がんばってくれ。クリステル先生みたいにはすぐには行かないだろうけど」

「は、はい。早速ロビー氏の容態を確認させていただきたいのですけれども・・・」

「いいだろう。警備兵に私の名前を出せば入れてくれる。それから、これが私とマウリッツ、カイパー博士の研究資料だ。目を通しておいてくれ」

「了解いたしました。ところで・・・今の方は・・・」


余計なことかもしれないと思いながら、思わず口に出してしまった。


「ん、あ、ああ・・・クリステル先生の義理の妹さんだ。サスキア・ウテワール。看護婦の資格を持っている。私とは幼馴染でね・・・」

「・・・泣いておられましたよ・・・」

「え・・・あ・・・そ、そうか・・・」


マルガレータは、やはり同年代で男性のピーテル・ブルーナと比するほどの童顔である。医学院の医生たちの中に混じっても最年少に見えるかもしれない。が、どうもこういう話になると、童顔も表面上の幼さもあんまり関係ないらしい。


「さしでがましいとは思いますけど、お忙しいからって多少は気を使ってあげた方がいいですよ。あんなかわいらしい方ですのに・・・」

「いや、ああ・・・まあ・・・。あ、よし、早速ロビー氏の様子を見てきてくれ。何せここには今までたいした機材もなかったから、ちゃんとした検査もそれほど出来ていないんだ。よろしく頼む」


そう言って、ヤンはコートを着込み始めた。そろそろ中央医局に行く馬車の準備ができるころではあるが、まだ迎えの者は現れていない。


「はい。失礼します」


それ以上は余計なことは言わずに部屋の外に出てから、マルガレータはため息をついた。どれほど優秀な人でもわからないことはあるのだと思ったのである。




「そう。確かに気になるわね。人を機械のように操るための研究か・・・」


シルヴィアはカリスが口にした対策室での報告の内容を聞いて考え込んでしまった。二人は忙しい中でもわずかな休憩時間を作ってコーヒーを楽しんでいる。


「ええ。あのセクハラ常習者のヤブ医者、いったい何を考えていたのか・・・。それにしても、マウリッツもマウリッツよ。自分でなんでもやっちゃって、周りのことをちゃんと見ていないからこんなことになるのよ」

「スタンジェ先生はヤンもそうだけど天才だから。周りがついていけなくても、かまわずずんずん進んでしまうところはあるわね。でも、よかったじゃない?」

「何がかしら?」

「今ここにスタンジェ先生がいたら結婚直前に大喧嘩よ。似たような仕事で共働きは喧嘩になりやすいとは言うけどね」

「そ、そんなことないわよ」

「あら。まあ、喧嘩出来る程の余裕もないわよね。二人とも仕事の虫だから」


いつもヤンとサスキアをからかう二人だが、やはり、既婚者で年齢も上のシルヴィアにはカリスでさえもかなわないようだった。


「ま、近くにいても喧嘩どころか会話をする時間すら作れてない二人もいるけどね。あら?」


コーヒーを持ったまま庁舎の中庭側の窓に近づいたシルヴィアが急に驚いたような顔をした。


「どうしたの?」

「あそこにいるのは、我が護国騎士団の台所を預かる、ピーテル・ブルーナ主任主計官よ。あの童顔のピーテル君が女の子と歩いているわ。誰かしら・・・」

「あら、さっき話したロビー・マルダー氏の治療リーダになったマルガレータ・バレンツ主任研究員ね。っと・・・うーむ・・・いい雰囲気ねぇ・・・」


コーヒーに口をつけてからシルヴィアはポツリと言った。


「あんなお子様みたいな二人でもうまくやっているのにね。」


今は護国騎士団全館で休憩時間となっている。特別急ぎの仕事がないものは、コーヒーを飲んだり、おしゃべりをしたりして、リラックスした時間を過ごしている。吸血鬼との戦いは長くなりそうなのでこうしたことも必要だった。これはシルヴィアの考えで実施に移されたことである。こういう気遣いは男たちにはないものだ。




「ピーテル。私、助手から一気に主任研究員に昇格よ!クリステル先生にもエッシャー先生にもほめられて・・・」

「すごいじゃないか!僕も実は・・・いや、誰かはいえないんだけど、とてもほめられてね。護国騎士団での仕事が落ち着いたら、財政府に移らないかって」

「うわぁ。なんだか今回の事件で私たちぐんっと評価が上がったわよね。二人とも一人前になったら・・・約束・・・覚えてる?」

「うん。もちろんさ。へへ・・・」

「ふふふ・・・」


ぱっと見ればおままごとに見える二人なのだが、実際にはよっぽどヤンとサスキアの方がおままごとだった。そこにそのサスキアが通りかかる。少し目が赤く腫れている。所在なさげにとぼとぼと中庭を歩いている。


「あ、ちょっと・・・ピーテル、ごめんね。ちょっとあの人と話してくる」

「あ、うん。僕も戻らなきゃ。じゃ、またあとで」


ピーテルを見送ってからマルガレータは、サスキアを追いかけて声をかけた。


「サスキアさん!」

「え、あ、はい。あなたは・・・」

「クリステル先生の部下のマルガレータって言います。さっき、エッシャー先生のお部屋の前でお見かけしたので・・・」


二人は同い年である。二人とも年齢よりも若く見えるが、マルガレータの方がさらに童顔だった。しかし、会話はマルガレータの方がリードしている。


「どうされたんですか?エッシャー先生と何か?」

「あ、いえ、その・・・気になさらないでください・・・」


サスキアの瞳からまた涙があふれ始めた。

マルガレータはハンカチを取り出して、拭いてやりながら、肩に手を乗せて壁際の人気のないところまでサスキアを誘った。


ヤンと再会してからはあまりにいろんなことがありすぎた。神経が張り詰めっぱなしだったサスキアも、ヤンとの喧嘩をきっかけに何かがぷつりと切れてしまったようだ。マルガレータに頭をなでられながら、子供のように泣きじゃくり、ヤンの部屋での出来事を話した。


「サスキアさん・・・私はよく話し合うことだと思うわ。あなたは十年以上ずっと先生のことを想っていたのでしょ。ちゃんと話し合わないとわからないことはたくさんあるわ。こういう時だからなかなか時間はないけど、時間は作らなきゃ。少しでも二人で話せる時があれば、ちゃんと分かり合えることもあるわ」


ふと、休憩時間が終わったことに気付き、多少はあせりを感じながら、マルガレータは続けた。


「先生は今中央医局に出かけているし、戻ってきた後も打ち合わせとかいろいろあるでしょうけど、仲直りの方法なんていくらでもあるのよ。ほら、サスキアさんって料理はお得意?」

「え・・・ええ、ここに来る前はマウ・・・いえ、スタンジェ先生のところでメイドをしていたから・・・」

「先生の好きな食べ物もわかるでしょ?あちこち出かけたりで、ちゃんとした食事を取ることも難しいはずだから、お弁当でも持たせてあげたらどうかしら?それに手紙でも忍ばせてしまえば・・・」


サスキアは赤面した。


「そ、そんな・・・お弁当は作って差し上げようとは思ってたけど、手紙なんて・・・恥ずかしいし・・・」

「あらら、何言っているの。直接話す時間はそうそうないし、せっかくその機会があってもうまくしゃべれなくて喧嘩になっちゃったんでしょ?恥ずかしがっていたら、何も進まないわよ」

「で、でも・・・」


マルガレータと話しているうちに、サスキアはすっかりうちとけてしまった。自分よりもさらに子供に見えるマルガレータが、カリスとはまた違った意味で姉のように思われてきた。


「あ・・・ごめんなさい。もう打ち合わせにいかなきゃ・・・新米中間管理職も大変なの。年上のおじさん方に指示したりしないといけないから。私、だいたいはロビー・マルダー氏の地下牢か、その横の研究室にいるから、何かあったら訪ねてきて」

「あ、ありがとうございます。私は義姉の部屋の隣に寝泊りしているから・・・」

「ええ、またお話しましょう。それじゃ・・・」


マルガレータは遅刻してしまったと口にしながら、転びそうな危なっかしい走り方でその場を離れていった。




「そう言えば・・・あの娘ったら同年代の友達って言うのもあんまりいたことがなかったわ」

「ヤンもそうよね。今はシモン君とか、仕事の関係ではあるけど、ちょっと悪友っぽいのが増えていきそうだけどね」


忙しいはずなのだが、暇なことにシルヴィアとカリスはずっと窓からサスキアとマルガレータの様子を伺っていたのだ。


「バレンツ主任研究員も、見た目の割には結構しっかりしているわね。まあ、あんまり遅刻とかはしてほしくないけどなぁ」

「あら、あなただってそろそろ仕事に戻らないといけないんじゃないかしら?カレル隊長と一緒に技師たちの報告を聞くんじゃなかったっけ?」

「あっ!大変・・・じゃ、行くわね」

「さて、私ももう十枚ほど手紙を書きますかね。大変大変・・・」


カリスを見送ったシルヴィアは、腰の辺りを軽く拳で叩きながら、窓辺に置いてあるライティングデスクに歩み寄る。ふと、窓の外を見るとシモンが捜査員たちと戻ってきたところだった。なにやら、血相を変えて門前の馬車から此方に向けて走ってくる。


「何があったのかしら・・・まったく・・・ことが多すぎるわね。そういえばカイパー博士は何をされているのやら・・・」

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