表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

現説・泣いた赤鬼

作者: おでん

かつて赤鬼と呼ばれ恐れられた柔道家が、妻のために最後の戦いに臨む

昔、柔道界に「赤鬼」と呼ばれる男がいた。

赤鬼はオリンピックをはじめ、数々の大会で勝利を重ね、圧倒的な力と強さを誇った柔道の王者だった。赤髪と鍛え抜かれた巨体、鋭い眼差し。対戦相手からは恐れられ、観客からは熱狂的な歓声を浴びていた。

しかし、そんな赤鬼にも引退の時が訪れた。

競技の舞台を去った彼は、愛する妻とともに静かな生活を始める。これまで支えてくれた妻への感謝を胸に、穏やかな余生を送ることが彼の新たな目標だった。


だが、その蜜月は長く続かなかった。

妻が重い病に倒れたのだ。治療には途方もない費用が必要だった。全財産をつぎ込んでもなお足りない額に、彼は悩み、絶望する日々を過ごした。それでも諦めることなく、彼は方々に支援を求めた。

しかしそんな莫大な額を集めることは難しく、彼は途方に暮れていた。

そんなある日、とある有名格闘家が赤鬼に接触してきた。

「もし俺と試合をして、俺に“わざと”負けるなら、治療費を全額出してやる。」

その条件を聞いた赤鬼の胸に、怒りと屈辱が渦巻いた。

「わざと負けるだと…?」

柔道は、彼のすべてだった。己を鍛え、相手を敬い、正々堂々と勝利をつかむ。それが柔道の精神であり、彼が命を懸けて守ってきた誇りそのものだった。わざと負けるなど、赤鬼の名を捨てるに等しい行為だ。

しかし、病室で眠る妻の姿が頭をよぎる。

これまで、彼の栄光を影で支え続けてくれた彼女。献身的に彼のために生きてくれた彼女を裏切ることはできない――だが、その彼女を救うために、自分が築き上げてきたものを捨ててしまってもよいのだろうか?

彼は苦悩に苛まれた。


試合の日が来た。

観客が埋め尽くした会場。リングに立つ彼の目は鋭く、その佇まいは全盛期の赤鬼そのものだった。

だが、赤鬼の心の中では葛藤が渦巻いていた。

試合が始まると、対戦相手は容赦なく攻めてきた。赤鬼も本能で反撃する。だが、そのたびに妻の顔が浮かび、動きが鈍る。相手はそれを見逃さず、彼を何度も叩きつけた。

会場は歓声に包まれるが、彼の目には何も映っていなかった。最後に彼は、わざと隙を見せ、大技を受けた。観客の歓声が最高潮に達し、試合は幕を閉じた。


病室。

妻が目を覚ますと、夫がベッドのそばに座っていた。

顔には無数の傷跡があり、拳は腫れ上がっていた。それでも、彼は微笑んでこう言った。

「手術は成功したよ。もう大丈夫だ。」

その言葉に、妻は夫の赤鬼としての苦悩と犠牲を理解した。

「どうして…そんな無茶をしてまで…」

彼女が涙ながらにそう尋ねると、彼は、ただ言った。

「君を守るためなら、俺は何度だって同じことをするさ」

その目から大粒の涙が流れた。

妻は彼を抱きしめ、震える声で言う。

「ありがとう、ウィリアム。本当にありがとう…」

その瞬間、かつて「赤鬼」と恐れられた彼の姿はどこにもなかった。そこにいたのは、愛する者のためにすべてを捧げた、ひとりの心優しい男、ウィリアムだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ