81.光の塔 ⑱
――そしてゴルディアスは下界、火に包まれ出したとはいえいまだ原形保つ強固な監獄傲岸と見下ろしながら、ふいに忌々しげに眉ひそめ呟き零していた。
「……燃え始めたのは良いが、このままでは一向に埒が明かん。いよいよあれを出すとするか」
そしてその右手が今までずっと掴んでいた赤いレバーから離れ、中央、自らの身体の正面に位置する真っ黒なそれへと移動する。一際大きく頑丈な作りで、幾つも並ぶレバーの中でも特に目立って存在感主張している……。
「もう手緩い技など使わん。ひと思いに全て、そうこの二層もろとも吹き飛ばしてくれるわ」
かくて隠しようのない興奮のもと自然と笑みが零れ、加えてさらにターバンの下、黒々とした瞳に至っては、そこに映ったのはもはや人外の者としか思えないほどのギラついた輝き。そう、それはまるで極上の獲物ようやく追いこむこと適った、げに執念深き飢えた猛獣のごとくだ。
むろん、全ての基体となる憎しみの炎もますます強く、そして烈しいくらいに。
「いかに儂とお前らの間に力の差があるか、これで十分過ぎるほど分かるだろう――」
はたして獰猛にも舌なめずりまでして見せるや、そんな猛々しい熱量はそのまま、ゴルディアスは続けて、青い文字映る眼前の表示板に左手で何ごとかを次々入力していったのだから。
彼にとっては余りに手慣れた作業なのか、実に流れるような速さで、しかし傍から見れば何一つ意味、いや読み方すら解読のできない、奇妙極まる文字の数々を――。
「ククク……」
そしてそれと同時に、その魁偉な口からは、止め処なく狂おしい哄笑さえ滾々と溢れ出させており。
◇
「え、ちょっと、何あれ!」
――いっぽう、窓辺に近づきロビーの指示通り上空見上げるや、クロニカは途端驚きの声上がるのを禁じ得なかった。思わず桟に手をかけ、慌てて半身外へ乗り出させていたほどである。
「何かが、出てきた……?」
すなわち、銀翼の巨大船の底部、クジラの腹を彷彿とさせるそこの一画が突如として城門のように開き、見る間にその内部の暗がりから恐るべき物体が顔を見せてきたのだ。
そう、それはまさしくやや細長で、黒く不吉な金属の塊。遥か下から見上げてさえ、その吊り下げられたものの巨大さがまざまざと理解できるほどの。
「……もしかして、あいつの新しい武器?」
「そのようだな」
すると隣で同じように窓辺から視線上げていたロビーが、すぐさま同意の声述べてくる。むろんいくら冷静な彼でもさすがにあの偉容一目すれば恐怖隠せなかったようで、その声には間違いようもなくあからさまな震え含まれていた。
「あるいは、ここがなかなか焼け落ちず、ついに痺れを切らしたということなのかもしれない」
「……余程私たちが目障りってことか」
「そう、特に、アクセル君が」
そして続いたのは重々しくも鋭い一言。加えて当然ながらそれはクロニカも充分予期していた言葉。――はたして彼女は特に驚いた風もなく、すぐ隣へ応じていたのだから。
「やっぱり、あの子の力はゴルディアスにとってもとんでもない脅威と映ったってわけね」
「並みのブレイカーのはずはないからな、彼は。もちろん僕らでも容易に分かったくらいに」
「それでご丁寧にしっかり止めを刺そうと……。だとするとあのヤバそうな塊の持つ威力は――」
そうして相棒が余りの事態に半ば呆然とそう呟くと、その続きを引き継ぐように、青年は途中から静かに、しかし同時に力強く口を挟んできたのだった。
「恐らく並大抵のものではない。そう、この監獄一帯程度なら、軽く壊滅させることできるくらいの」
「そりゃえらいことで……」
「落とされたら、まず助かる可能性は零だな」
そう、変わらずまじまじと遥か上空の死の使いへ、水色の視線避けることなくしかと差し向けながら。
――もはや逃げも隠れもできない、まさしく真の正念場が今やすぐ、その目の前までやって来たうえは。
◇
どこまでも暗く虚無的な空間で、ひたすら音もなく永遠に自転し続けている、たったひとつきりの物体――。
そこは地表より高度600カディス以上の地点。むろん生きる者の姿影すら無き、寂寥と沈黙だけが支配する重力限りなく薄い領域。
すなわちそれが落ちることもなく、かといって遠くへ離れて行くことも決してない、永劫に渡る周回運動するべく計算し尽くされた均衡、完璧なまでに成り立った。
「推進装置による位置移動、全て完了」
「エンジン噴射実行。恒星センサーによる姿勢制御完了致しました」
「レーダー照射、指定された地上ポイント、間もなく完全捕捉致します」
そうして次々と少女の耳へ、いや心の中へと届く、機械たちが寄越してくる命令実行報告。忙しないほどの速度と正確さだが、しかし少女は決して心乱すこと一切なく、それをただ大人しく真綿のように受け容れていく。
もちろん彼女にとっては皆まさしく自らの分身たちのようなもの。その声を聞き届け理解するのは、ただ座っていてもできるほど単純で容易い……。
――かくて先程アクセルの声を聞いてから開始されたその一連の動作にかかった時間は、まだほんの数十分程度のことであったろうか。
宙と大地、余りにもかけ離れた範囲を活動域とするため、むろん必ずしも瞬時の行動とは言えなかったが、しかし以前と何ら変わらず装置間の複雑な連携は完璧に取れ、全ての緊急準備がスムーズに淀みなく整えられていったイメージだ。
そう、何より少女の持つ<眼>が、今やようやく果てしなき下方にある敵の姿、しかとその視界に捉えようとしていたのだから。
(大きな、翼……)
はたしてもう<眼>に大分映っているかの者の大胆不敵な姿形は、さらに電波の正常化によって雲が晴れるがごとく明瞭さをいや増していき……。
(では、あの下でアクセルは――)
よってふいに少女の胸にぽっと灯りだしたのは、じりじりとした形容し難き気持ち。人ならぬ身ではあれ、それはどこか狂おしい想いまでもたらしてしまう、完全なる不確定要素。
――早く、会いたい。そして、もっと声が聞きたい……。
珍しくもそんな切なげな声が、刹那我知らず巨大な構体のあらゆる部分にひっそり響き渡っていたように。
そして。
「――『イーレムの光』、スタンバイ、ただ今完了いたしました」
(……あ!)
それから僅か一瞬の後、時を合わせたようにあらゆる補助系機器類の事前動作が一斉に終わり告げ、途端神託のごときその言葉が機内に流れると、
(さあ、ようやくこれで全ての準備が――)
疾く彼女はあの十全たる感覚ありのままに取り戻し
かくてついにアクアマリンを想起させる水色の瞳も溢れんばかりの生気で一挙に眩しく包まれ
(アクセル、誰にもあなたを傷つけることはさせないから)
――そう、ようやくくっきりとその視界へ映し出された<箱舟>の全貌眼下にするとともに、<失われた聖域>、そう呼ばれるオーバー・ブレイクのまさに中心部に厳かに鎮座する奇妙な円環へと、少女は自らの意識そっと移動させていったのである。




