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8. 情報屋

 「こりゃ珍しい、外からのお客さんかね」


 昼日中建付けの悪い戸を開けてその人物が入ってきた時、思わず白髪の老婆は驚きの声を上げていた。加えてそれまで店台で頬杖ついていた体勢をやおら解き首まで前へ突き出して、そのまま相手の素性をじっくり見定めんとする。よほどその市外の客人が珍しいということか、それはどう見てもあからさまなまでに興味津々という態だった。


 「ええ、ちょっとあなたにお尋ねしたいことがあって」


 対して相手――まだ齢20にもなっていないであろう若者が実に涼しい風で答える。声音だけでなく、その全体的ないでたちまでもが何とも怜悧ですらりとした雰囲気だ。

 当然灰色の長衣の上に赤いケープまとった老婆は、商品ならぬ自分に関するその意外な言葉に、すぐさま少なからぬ警戒心を覚えたのだった。


 「聞きたいこと? でもあたしは裏町のしがない薬草屋に過ぎないよ。あんたみたいな若いよそ者に話すことなんて……」

 「薬草売りというより、今日は『千の耳』サリヤ殿に用があるのです」


 だが若者はそんな老女の態度など気にした感もなく言葉を続ける。あくまで自分としてはごく普通のことを言っているだけ、そんな様相も露わに。


 「?……何のことだか。あたしはそもそもパルカって名前だよ」


 むろん相手が声を落としてその奇妙な呼び名を真っ向否定してきても、彼の示したのは立て板に水という素振りでしかない。いやむしろ若者は畳みかけるように、()く次の一言を放っていたのだ。それはまさしく落ち着く隙も与えないほどの速攻というやつであった。


 「ではケルン・マクシムからあなたのことを伺っていると言っても?」

 「……え? まさかあんたあいつの知り合いなのかい?」

 「ええ、クライアントとでも説明するべきか」


 はたして若者の続けてのそんな不思議と穏やかな声が、(びん)やら壺やら雑多に並んだ棚前に陣取る老婆をしてあからさまなほど動揺させる。彼女としてはたちまち抵抗する気を失くさせるくらい、どうやらその名前は驚きに価するもののようだった。

 不意打ちというべきか、途端相手を見つめる眼がまざまざと一変していたのだから。


 「ふうん、よりにもよってあの厄介者ブレイカーが依頼主……、じゃああんたも、何かヤバいことに足を突っこんじまったってことだね」

 「そういうことです。それゆえ是非あなたの力をお借りしたい」


 そんな薬草屋へ静かに答えてから置かれる、わずかの間。その瞬間若者の瞳に輝いた鋭い光を、はたして老女が認めたのかどうか、いずれにせよ彼女の表情にももう数分前までのごまかすような色は含まれていない。むしろ次にはたして何を言われるのかすら、今では完全に悟っている様子だったのだ。

 この相手にはどんな欺瞞も一切効果がない、とでもいう風に……。


 「――そう、ジグラト・シティで一番の情報屋、千の耳のサリヤの力を」


 そうして小汚く手狭な店の中、灰髪の年若き男性――すなわち昨日相棒の娘とともにリンツとリルカを助けんと追いかけた青年――は、まだどこか訝しげな相手の瞳をじっと見つめつつ、そう厳かに告げたのである。


                  ◇


 ――ジグラト・シティ第一層。

 市の中ではもっとも格が低く、住民も貧しい者ばかりの城壁に囲まれた区画。中央大路を真ん中にしてそこは大きく東西に分かたれていたが、その東側、横道を入って行った奥は特にボロ小屋や廃屋寸前の建物が無数に建ち並ぶ裏街として知れ渡っていた。何より、東の端まで行けばバルディヤでも一、二を争う規模の大スラムが広がっているのだ。犯罪と自由が我が物顔でのし歩くところの、一大暗黒街が。

 特によそ者にとっては奥へ向かうほど危険な場所となるに違いあるまい。


 そしてその東側中ほど、細い道の途中に来客を拒むかのような佇まいで何とも見すぼらしく建っているのが、(くだん)の若者の訪れた小さな薬草屋、その名も<白鴉堂(はくあどう)>なのであった。


                  ◇


 「ケルンから仕事を依頼された男が、まさかゴルディアスのことを聞きたいだなんてね……」


 手にした木椀中の茶を啜る老婆の声は、どうにも面倒そうな響きで満ちていた。先程までの警戒モードは幾分やわらいだとはいえ、やはり相手が相手である。どうにも乗り気に移れないのは無理もあるまい。


 「本当きな臭いったらありゃしない」


 そしてそのまま、店台の向こうから対面に座った異邦の若者の顔をじっと検分するように見つめる。ひっつめにした白髪の下茶色く大きな眼は、いかにもさてどうするかという疑問符で溢れたものだ。


 「――やはりためらいますね、あの人の名前が出ると」


 対して応じたのは緑のゆったりした外套に黒の筒袴、茶色のブーツ姿で、灰色の髪をした若者。短めだが、前髪だけはやや長く額に掛かっている。水色の瞳はきわめて理知的、そしてすっきりした鼻筋と薄い唇、色白で端正な顔立ち。身体つきもきゅっと引き締まり、確かに老婆が思わず驚き見せたのも無理はない雰囲気をしていた。


 「そりゃそうさ、何せあいつはゴルディアスを暗殺しようとした男だからね」

 「――では領主に通報でもしますか、その不届き者の仲間として」


 すると老女は途端憤りの表情見せ、険のある声音で返してきた。


 「何言ってんだい、そんな真似絶対しないって確信があるから、堂々とあたしの所にやって来たんだろ? 変な仕掛けはやめるんだね」


 さらに部屋の中までその剣幕に合わせにわかにはっきり緊迫感帯び出したのを見れば、それはまさしくこの一見ただの平凡な女性が決して普通の者ではない、という見事な証明に他ならないのだった。

 若者がすぐさま陳謝したのは言うまでもない。


 「失礼しました。別にあなたを試すつもりはなかったのですが」

 「……いいってこと。でもまあ、こう見えてもあたしにだってそれなりの矜持(きょうじ)はあるんだから」

 「了解しました。以後気をつけます……。それで、あなたのことはパルカさんかサリヤさん、どうお呼びすれば?」


 ことのついでに若者がそう問うと、瞬間あっさり落ち着きを取り戻した二つ名持つ老女は妙にさばさば答えていた。


 「そりゃ情報屋としてだからね。もちろん()()の方で頼むよ」

 「分かりました。ではサリヤさんの方ですね」

 「で、あんたは? どうやら北国の出身みたいだけど」


 そしてじろじろ遠慮なく相手へ視線浴びせながら、続けて自分側の質問に移る。その瞳の色を見る限り、まだ訝しさが相当程度残っている感じではあった。


 「僕の名前ですか」

 「そうさ。いくらなんでも名無しの男に情報売るわけにもいかないよ」

 「――ロビー。ロビー・フロイドと申します」


 と、こちらは意表をついてしっかりした会釈混じりの自己紹介。

 むろんそれは一瞬老婆サリヤが目をパチクリさせたほどの、この町には余りにも場違いといえる礼儀正しさなのだった。

 思わず返す言葉までどこか(せわ)しなくなる。


 「おっとと、まったく調子狂う子だね。あたしの顧客でそんな態度取る奴一人もいやしないってのに。もうちょっと軽くできないもんなの?」

 「いえ、これでも相当くだけた感じだと思うのですが……」

 「本当に? いい所のお坊っちゃんじゃあるまいし。大体そんな奴がこの砂漠の町にやってくるもんか。――まあいい、お互い名乗り合ったところだし、そろそろ始めるかね。知りたいのはゴルディアスのことだろ?」


 それでもとりあえず気を取り直したサリヤの声は、ロビーと名乗った青年をようやくホッとさせたようだ。彼の応答には、さも嬉しげな感がありありと含まれていたのである。


 「おお、では取引は」

 「成立さ。もちろん情報の中身は金次第だけど」


 そしてお茶を一口飲んでから口許に浮かぶ勝ち気な笑み。余裕にして不遜な色さえそこには多分に現れている――そう、それはまさしく、シティの海千山千相手にも決して後れ取らぬという自信がはっきりと発露した印に他ならないのだった。


 「後、いくらケルンの知り合いだからって、絶対値引きはしないからね」


 ――裏街で長年生き抜いてきた女が持つ、並々ならぬプライドの。


 

 「では、ゴルディアスは滅多に宮殿の外に出ることはないのですね?」


 独特の味に戸惑い覚えたものか、茶を口に含んでから一瞬微妙な表情を浮かべると、ロビーは老婆の顔を真っ向から見つめ言った。やはり実に生真面目で(さか)しげな面立ちだ。まだ若いこともあり、どことなく若葉のごとき青臭ささえ漂っている。

 サリヤはそんな見慣れぬ若い男の視線をまともに受けながら、諭すように静かに口を開いていたのだった。


 「ああ、そうさ。奴は四六時中()()に籠もったまま。特にここ2、3年はほとんど下の街に降りてくることもない。市民でも、最近領主様のご尊顔を拝めたのはほんの数えるくらいだろう」

 「禁欲的、というわけでもなさそうですが」


 ロビーの自身も明らかに信じていない言葉に、老婆は知らず失笑めいた顔で返す。


 「禁欲? とんでもない。あの欲の権化がそんなはずないよ。何せもちろん籠っているとはいえ、その場所は結局大宮殿。別に汚い町にわざわざ行かなくても、いくらでも遊ぶ機会なんかある。食いたいものがあれば作らせ、欲しいものがあれば取り寄せる。まさに悠々自適の生活さ。女だって下には余るほどいるから、何一つ不自由しない――うらやましい限り」

 「――外出を控えている。それはやはり、3年前のあの出来事が関係しているのですね」


 そんな卑俗な言葉には特に反応見せず、若者が問いを重ねた。彼にとってそれは些末な問題に過ぎないということだろう。

 サリヤは深々とうなずく。


 「暗殺未遂事件。あれは第二層で起こったからね。以来、ほとんど下に降りることはなくなった」

 「そして彼の住まう宮殿は鉄壁の防備誇っている……」


 と、考え深げにポツリと呟かれたその声に、サリヤは刹那微妙に表情曇らせたものの、しかし僅かのことでそれもすぐ引っこんでいた。おのれを秘すように次の瞬間には元の手練れな情報屋の顔に戻っている。


 「――あんたが何を目的にしているかは知らないけど、今のあたしの持つゴルディアス関係の話はこれくらいだよ。悪かったね」

 「いえ、滅相もない。実に参考になりました。それに、度々ここには伺うことになると思いますので」

 「そうかい。じゃあ滞在は長くなるってことだね」

 「ええ。仕事が終わるまでは」


 そしてその一言は、老婆に再び不敵きわまる笑みさえ零させたのである。


 「仕事、ねえ。――ならついでに参考になるかもしれないから、一つ教えておくよ」

 「え?」

 「とっておき、って訳じゃないけど、まああんたここへ来たばっかりだろうし」

 

 そうして身を乗り出してまでサリヤが語り始めたのは、何とも耳を疑いたくなるものなのだった。

 ――冷静に見えるロビーでさえ、思わず目を見開いていたほどに。


                  ◇

 

 「要するにね、もうすぐ戦争が始まるんだよ――」


 「……本当の話ですか?」


 意外な話の運びにもっともな疑問を禁じ得ないロビー。ここに来て初めて眉間に皺まで寄せて、その驚きは想像を絶するものがあったようだ。

 目を光らせ不穏な色浮かべる老女とはどこまでも対照的に。


 「ああ、それもこの西バルディヤ一帯が戦場になるような。何せシェムトとミスリタ、リーダー格の両市が今にも矛を交えようとしているんだから」

 「しかしなぜ」

 「何、話は単純さ。つい先日、シェムトの幹部クラスが路上で何者かに襲われ絶命した。現場にはいくつか犯人の残したとおぼしきものが落ちていたが、駆けつけた警吏がそれを調べたところ、どうやらどれもミスリタの人間を示す品ばかり。当然、事件の背後で糸を引いている奴の正体もおのずと明らかとなった」

 「それは」


 ロビーがそこで我慢しきれずに口を挟むと、老婆の方もニヤリとやり返した。


 「フフ、やっぱ気になるかい? 確かにあまりにできすぎだからね。当然シェムト側にもこれは何かの奸計、ミスリタとの戦争を誘発させるものだと指摘する理性的な者は何人かいた。――だが大きな流れとしては、どうにも開戦ムード一色って感じかね。もちろん単純に怒りで我を忘れた奴らが大勢だけど、中にはこれを機にミスリタを占領しちまえって企む連中もいる。特に商人たちにとっては、相手は生粋の商売敵、とにかく憎くて仕方がない。いわばどさくさ紛れの典型ってこと」

 「ミスリタの方はどうなのです?」

 「もちろん弁解はしたさ、自分たちがそんなことをやるはずがないって。だが相手はもはや完全な沸騰状態、今のところはほとんどお手上げって感じだね……」


 そうしてつかの間訪れる、小さな室内の沈黙。老女は自分の言葉の余韻を楽しみ、一方若者は立て続けに得た知識をうまく整理しようと黙考している――それはそんな静けさだった。


 「――止められないのですか?」


 やがて数秒置いてロビーが静かに口を開いた。相手の気を引くくらい、さっきよりもさらに怜悧な光が瞳の中光っている。


 「いかんせん元々仲の悪い者同士だからね。頭を冷やせって言っても無理がある。とはいえ何とかしようと外から手を出す奴がいないわけでもない――戦争なんかやめろって」

 「そんな人間がいるのですか?」

 「まあね、一応」


 そんなあからさまに半信半疑な若者へ、サリヤが告げた。中でも()()の部分に特別アクセントがかかったような、何とも奇妙な口ぶりだった。


 「……誰なのです、それは?」

 「誰って、あんたさっきからそいつのこと聞きまくっていたじゃない」

 「え、それってまさか……」


 そして唖然とした問いに対する、一瞬の間。外を吹く砂風の音がやけに目立って聞こえるくらい、それはにわかに緊迫感をまとっていた。


 「――そう、まさに他ならぬ僭主(せんしゅ)、ゴルディアスその人なんだよ」

 

 はたして続けて放たれたのは、単刀直入、まさしく一撃にも等しき言葉だったのである。

  

  

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