79.光の塔 ⑯
そのどこまでも懐かしい声音は、少女のつぶらな水色の瞳をゆっくりと開かせた。
そう、それはまことに久方ぶりの、そして同時に常に待ち望んでいた、あの男の子が自分を呼び起こそうとした声。
かつて彼に何か危険が、それも人智を超えた恐るべき脅威が迫った時には、何があっても必ず助けると心の底から固く誓った……。
(あの子が、私を……)
そうして静謐たる虚空の中、膝抱えて座りこみながら、頼りなげな少女はそのかそけき声にしばしじっと耳を澄ましている。もちろんそれは気の遠くなる距離を挟んでいてもちゃんと自らの心の内へ淀みなく届き、そう、本当に小さく、だがそれでも確かにはっきりと聞こえてくるのだ。
(アクセル)
――周囲に光点数限りなく散らばった、広大にして冷たく真っ暗な空間にずっと一人だけで寂しくいたというのに、そんな彼女の胸を、加えて瞬く間に温かいもので満たしていきながら。
ただ密やかに、じんわりと。
……そして刹那少女は草原に囲まれた中、小さな村に住んでいた、自分と同じで、頼りなく、そして戦うのが嫌いだった少年の姿を脳裡に浮かべる。
今でもその赤い髪、青く透き通った瞳、少し下がり気味の気弱そうな眉がまざまざとすぐ思い出せるくらい、いと印象深く。
何より素朴な村民誰からも等しく愛されていた、とても心優しく、だがいつもふわりと柔らかい割にどこか寂しげな笑みそっと現わしていた、不思議な男の子。
(うん、聞こえた、よ)
――そう、そしてなぜかそれを遠くで見ていた少女まで、途端切なさで小さな胸、少なからず痛めてしまったほどの。
もちろん、そうした穏やかで物悲しい想起の中では、アクセルはいつまでも12歳の子供、すなわち、最後に見たあの時の、絶望に震えていた姿そのままである。
勝ち目のない敵相手におののくばかりだった彼のために、少女は初めて、黒い城めがけ自らが禁断の力、解放すること決心してしまったのだから。むろんどんなに忘れたくても、決して忘れられるはずなどない。
まさしくそれくらい、この比類なき力は滅多に使ってはならず、実際多くの複雑極まる制約があり……。
遥か足下には、燦然と輝き放つ、余りにも真っ青で、しかも巨大極まる球体。すなわちそれは母なる偉大な故郷、当然ながら少女がアクセルとの絆を決して断ち切らないように、それとゆめ離れることなど、原理上まずもって不可能な物体。何よりもその周りを一つの法に則って永遠に周回するよう、生まれた途端固く運命づけられた。
――当然のごとく、そこには彼が待っている。
限りなき慈愛で満ちた思慕向けるべき、運命一つとする少年が。
必然的に、自分はどうなろうと、畏れることなく救いの手差し伸べなければならぬ。
……いずれにせよ、かくて果てしなき距離隔てて、それでも彼の切なる呼びかけをしかと耳にした以上。
(必ず、助けるから)
いつも一人ぼっちだった静寂愛する孤独な少女は、はたしてついにその絶大な力解放するべく、下界向くおのれの<眼>に、いざ全神経集中させていったのだった。
◇
「――と、こりゃヤバい!」
ヒュウヒュウと高らかな落下音立ててそれが無数に次々落ちてくる中、クロニカは懸命にハンドル操り危険極まる攻撃避け続けていた。
何しろ数が膨大なうえに、その黒い筒のようなものは地上に落下した途端周囲もろとも一斉に激しく燃え上がってしまうのだ。油の嫌な匂い異様に立ちこめさせつつ当然辺りにはものすごいスピードで黒煙と炎の海の面積広げ出し、かくて、気がつけば広場一面地獄にも似た真っ赤な灼熱状態というやつである。
畢竟逃げる余地もどんどんと小さく狭くなり――。
「ほら、ロビー、アクセルが落ちないようにしっかり背負っていてよ!」
とはいえだからと言って従容と焼け死に受け入れるような彼女のはずもなく、クロニカはむろん威勢よく、背後にいる相棒に声を掛け続けるのを決してやめようとしないのだった。
「分かった、とにかくスピードは落とすなよ!」
そうして咄嗟にこちらも必死の形相で応じるロビー。
ちなみに彼はクロニカの言の通り、その背中に小柄な身体、すなわちアクセルをおぶっている、いや正確には紐で括りつけている。
そう、<箱舟>の来襲を前に、切り札たる少年はふいに何かを念じるようにじっと眼を瞑るや、その僅か後には突如バタリと気を失ってその場へ倒れてしまったのだ。
クロニカたちは突然のことに驚くも、しかし状況が状況なだけにすぐさま対策を検討、結果黒い筒の雨の中ロビーが背中にアクセルの身体縛り付け、そしてその青年がさらにクロニカの後ろに跨って<ファイアー・ドレイク>でとにかく逃走、という算段と急遽相成ったのである。
「たくっ、何て数なの、これじゃキリがない!」
もちろんではそうやっていつまでも広場中逃げまくっていればいいかと言うと必然的にそういうわけでもなく、そう、三人がひたすら目指すはただ一つ、この一帯で一番頑丈と思われる建造物で……。
「さあ、あの監獄まで、一気に飛ばすわよ!」
だから女ブレイカーの黒い瞳が赤茶の巨大な城砦を捉えて離さなかったのは、常識からしても、余りに至極当然のことなのだった。




