57.追憶(3) ⑥
7、8メティスほど先からその叫び声が聞こえた瞬間、アクセルはふいに金縛りにあったかのように我知らずピタリと動きを止めた。
(ミ、ミコナ……?)
それは耳を塞ぎたくなるほどの、げに凄まじき恐怖に彩られた響き。しかもおよそあの少女からは今に至るまで決して聞いたこともないような。
「!」
さらに恐ろしいことに、間を置かずしてそのミコナの目の前では突如瓦礫が意志持つように不気味に蠢いていく。
――そしてあろうことか見る間にその中から残骸掻き分け這いずるがごとく、まさにあの不吉な鎧纏ったブレイカーが禍々しい姿現してきたのであった。
見間違いようのない、それは黒と僅かな青だけで構成された、暗黒色の騎士。
さらに身体に纏わりついた石の塵芥まるで構うことなくその場ですっと立ち上がった毒操る男は、下にいるミコナ冷たく睨めつける。
そう、あたかもその様は、獲物前にしていやらしく舌なめずりする蛇のごとく――。
「そんな、どうすれば……」
だがむろん、そのあまりの恐怖の場面に立ちすくむばかりでとてもマリーの後追えなかったアクセルには、その時身体震わせながら茫然自失と呟いた以外何ら選択肢見えなく、
「ミコナー!」
……ただほんの一瞬、前へ走り出したマリーの魂削るような絶叫だけが、彼の混乱した意識の中へ届いてきたのであった。
◇
「ミコナ!」
その突然の緊急事態に、当然のごとくマリーは急ぎ駆け出していた。
恐怖と苦痛のあまり倒れこんだ少女と、突如として瓦礫跳ね除け再び姿現した、仁王立ちする黒鎧の男。
眼前に待ち構えるのは、まさしく悪夢のごとき異様な光景だ。
特に先ほどのダメージまるで感じられぬ態で再度ザカリエが手を伸ばし、ミコナに襲いかかろうとしている上は。
「――そんな、まだ生きていた?!」
必然的に、また取り出したサラマンダー持つ手にも力が入っている。
とにかく、早くあいつを少女から引き離さなくてはならなかった。
鎧に仕込まれたその死に至る毒の威力は、噂だけでも相当悪名高いものがあったのだから。
肌の一部しかと触れられたらそれだけで、もはや致死的な状況へ陥ってしまうという……。
とはいえここで火弾放ってもミコナが巻きこまれるのは必定で、マリーにはとりあえず駆け寄るしか今のところ術は無い。急げ急げと、ただ気ばかりが急いていくばかり。今しもザカリエがミコナの首掴もうとしているというのに。
はたしてこんな状況で勝機があるとすれば、とにかく相手を少女から遠ざけて、至近距離から火弾食らわせるのみ――。
(ミコナ、今助けるから!)
かくてマリーは必死の形相その面に浮かべたまま、相棒の窮地救おうと、薄暗い室内猛スピードでひたすら駆け抜けて行くのだった。
◇
次第に薄れ行く意識の中、ミコナは目の前にしかと恐怖そのものを捉えていた。
黒き面の中に妖しく輝く、二つの小さな青い輝きを――。
それ以外情報は何もないというのに、その表情はまるで自分見て笑っているかのよう。それも、冷たく、いやらしく、そして狂おしく。何よりも隠しようのない憎しみが、首絞める両手となって刺すように責めてくる。間違いなく、相手は殺意という名の狂気にどこまでも囚われているのだ。
自らの全てを、ただ復讐へと捧げたように。
――やはり、生半可な攻撃程度では、この男に通用するはずもなかった。どうやって甦ったのかは皆目分からないが、いずれにせよ完全にとどめ刺せなかった時点で、こちらの負け、ということだったのだろう。
そうして今さらながらぼんやりと浮かぶのは、後悔と、そして悟りにも似た諦め……。
かくて身体はすでにただならぬ悪寒と熱を帯び、まだ意識保っているのが不思議なくらいだった。いや、むしろ相手が加えて首を絞めているおかげで、それが刺激となって目覚めているのかもしれない。
……そのためか、先ほどから少しずつ、眼前のザカリエとは別に脳裡へ他の顔が二つちらつくようにもなっている。
おぞましい黒面とはあまりに異なる、どこまでもミコナの感情穏やかにしてくれる、馴染のものが。
一つはもちろんマリー。金髪の下光る紫の瞳が、相棒を絶対に見捨てないと強く輝いている。出会ってからこれまでずっと見続けてきた、そして成長してからもずっと見るはずだった、少女にとってもっとも愛と力を感じる瞳。かすかだが聴覚がどこかで彼女の声音感じているのも、やはり自分のことを助けに来てくれたということなのか。
――そしてもう一つ。マリーとはまるで違って、二年経った今も全然頼りにならない、赤髪と青い瞳した同い年の少年。いつもの通り、その眼はいかにも気弱で心細そう。生まれて初めて、ミコナに守ってあげたいとすら思わせたくらいに。
その少しおどおどした表情に、しかしミコナは今不思議と心が温まっている。何だか、マリーとは違う意味で気持ちが安らいでいくようなのだ。
まだ、たった二年の付き合いだというにも関わらず。
(フフ、本当変な子……)
そうして刹那心の中で零れる、小さな笑み。
あるいはそれは絶大なる苦しみから気を逸らすため心が生み出したつかの間の幻想だったのかもしれないが、しかし少女はそれでも全然構わなかった。
何より最後に、愛しい人たちの顔を優しく見せてくれたのだから。
これなら、旅立つ時も寂しい思いをしなくてすむ、と。
ただ、それでも一つだけ、ミコナにどうしても捨てられない心残りがあったとすれば……。
(でも、アクセル、あなたの本当の力は――)
――だが、そうやって少年の顔思いながら最後の言葉浮かべる前に、ふと、少女の意識は全き暗闇の中へと静かに落ちていったのだった。




