49.背く者たち ①
【 24日目 】
あくる日の、星がきれいな夜――。
戒厳令下のジグラト・シティ第一層は、異様なまでに静まり返っていた。
むろんもう日が暮れた後ゆえ、昼間よりざわめき小さくなるのは当たり前だが、それにしても人の姿がほとんど見当たらなさすぎる。
そう、いつもなら酒場や食堂へ向かう者、仕事帰りの連中などでいまだ街路はどこも十分過ぎるほど活気保っていたはずなのだ。当然皆愉しげに、それぞれの会話飽きることなく交わし合いながら。
だが、今は、滅多にないことにまるで町全体がしんみりと誰かの喪に服しているかのように、隙間なく沈黙している……。
その聞こえるのは風の音ばかりのしんとした空気に合わせ、心なしか家々の明かりが通常より大分寂しく見えることからも分かる通りに。
「ハアッ、ハアッ……」
――それゆえだろう、密かに一人夜道駆け抜けてきたその小さな人影も、いくら急いでいるとはいえ静寂の中そこまで目立つというわけにもいかず、時折辺りを警戒しながら立ち止まったり細い回り道使ったりして、結局目的地へ辿り着くまでに予想以上の時間かかってしまったのだった。
今の時刻構うことなく堂々と道歩くのは、ほぼ猟兵隊くらい、そんな剣呑な状況の中。
もちろん彼も連中に見つかる危険性は十分恐れていたのだが、しかしそれでも是非来なければならない理由、がしかと存在したということだ。そして戒厳令下ゆえ、というのがかえって彼にはこの際幸運でもあった。まさかわざわざ危険を冒してまでこんな所には来るまいと、猟兵隊の目は完全に大通り華やかせる、ただし今は閉店状態の繁華街の方ばかりへと向き、人影の選択した裏道などまったく眼中になかったのだから。
もはや人通り僅かもない、暗く寂しげな細道など――。
当然、見つかる心配はないといえただならぬ緊張感もあり、常より余計息が切れるというもの。恐らく距離の方もむしろ大分かかってしまっている。
いつも歩いていた、あの馴染あり過ぎる街だとは到底思えない。
「フウ、早く、早く行かないと……」
……すなわちそう呟きながら彼はようやく件の建物前に到着したものの、ただ気持ち逸るばかりでしばらくの間、膝に両手突き息整えるしかなす術がなかったのである。
◇
薄暗い部屋の中、男は手にした書類へしばし目を通すと、やがて溜息混じりに言った。
「……これだけか。かなり少ないな」
「ですがそれが厳然たる事実。ゴルディアスに対抗して立ち上がる者となると」
「うむ、一、二層合わせて総勢4000――対して猟兵隊だけで3000、それに正規軍合わせると11000、か」
「……それはむろん普通の人間の数。三人のブレイカーをそこへ勘定に入れるなど、到底できません」
対していかにも厳しい表情浮かべながら応じてきたのは、円卓のちょうど対面に座る中年男性。黒髪に、黒い口髭目立つ理知的な相貌だ。
するとその周囲に集う他の人影たちも、同様あからさまに、あるいは控えめにうなずいてみせる。むろん彼ら彼女らにとっても、その報告書に記された数はかなり心もとないということらしい。
そうやって皆が苦い顔見せると、男としても苦笑せざるをえない。
そもそも、こうなることは大分前から予想ついていたことなのだから。
すなわちあのゴルディアスに楯突こうという以上、そうそう参加者など増えるはずもなく、大抵の者は当然自分の命の方が惜しいに決まっている――。
窓には厳重に厚いカーテンが引かれ、明かりは卓上の燭台のみという、光よりも闇が優勢な部屋。家具の類もなく、ただ真ん中に円卓と、そして八台の椅子がそれを廻って置かれている。扉は黒髭の背後にあるきりで、出入口は見たところそれのみ。そしてその扉の傍に腰へ剣差した屈強な一人の若者が立ち固く守っている所を見ると、よほど外からの妨害を恐れているということなのか。
……そんな室内には、その護衛らしき男を除くと、八人の男女がいた。
男が五、女が三という内訳だ。
むろん皆で、卓を囲んである一件を熱心に討議しながら。
ちなみにその八人とも、大体似たような服装――フードのついた、緩やかな長衣――をしていて、今はフード外したそれぞれの顔貌から想像するに、年齢の方は例外なく40超えているようだった。
そう、そこに揃ったのは、経験も実力も充分兼ね備えたような、聡明にして英邁な八人――。
彼らが何を論じ合っているにせよ、それがかなり重大で緊急を要することなのは、そのただならぬ雰囲気からでもまず間違いあるまい。それにこうまで人目を忍んでとなると、危険すら伴うことさえ確実である。
しかも卓の上には、大きなジグラト・シティ三つの層の詳細な地図が大きく広げられているとすれば……。
「まず、大劇場に火を点ける」
そんな地図第二層の一点を羽ペンの先で示しながら、黒髭がゆっくりと皆へ告げた。商人や上級クラスの職人住まう二層の、そこは西地区中央あたりである。白黒地図の中赤い丸マークが目立って付けられていて、彼の言ならずとも嫌でも目を引いてしまう。
彼はそうしてペン持ちながらのこともなげな物騒発言の後、注意深く確認するように卓を囲むメンバー、特に目の前の男を見回していた。
「なるほど、反乱の口火、というやつか」
「何より、他地区で蜂起する連中にも格好の合図となります。しかもこれで猟兵隊たちが劇場へ参集してくれたら……」
「他が隙だらけになるな」
するとそんな黒髭の言葉を受け、納得げに深くうなずく男。どうやらその佇まい、また何より他の面々の彼に対する畏まった態度窺えば、間違いなくこの場のリーダー格に当たるようであった。
「確かに僅かながら勝ち目があるとすれば、それは最初だけだ。第二層の一角にかように奴ら誘いこみ、その隙に反乱軍が他区画を一斉に占領する――方法とすれば、もはやこれしかない」
……それは精悍な面立ちした、浅黒い肌の壮年男性。やや白いもの混じった黒髪は短く、鋭い目つきに高い鼻。顎には立派な髭蓄えている。
「そしてそうなれば我らに味方する市民も増えてきます。その全ての力を結集すれば、いかにゴルディアスでも」
「<箱舟>の状態次第だがな」
黒髭は一瞬の間の後、答える。
「――はい、確かに」
「あのオーバー・ブレイクは短期間に何度も使用することができないと聞く。そして三日前、まさに戦場にあの化け物は姿現した……そう、やはり今しか、奴を玉座から引きずり下ろす絶好の機会はないということなのだろう」
「後は残りの二人ね」
と、そこで今度は男の左斜めに座る女が口を挟んできた。真っ赤な髪で、その下の瞳は茶色い。声の感じと合わせ、気の強さが溢れ出んばかりの人物だ。
男はむろん、同年代だと思われるそちらの女性の方を振り向いた。
「キリクにエドアルト……奴らの動向は確かに気になる」
「彼らに関して言えば」
そしてそう疑問口にすると、はたしてこの面子の参謀格に当たるのだろう、再び答えたのはまたも黒髭だった。
「それぞれ領主として任命されたシェムト、ミスリタの行政等に今は謀殺されている模様です。何せ両都とも歴史ある市。いくらブレイカーとはいえ新参者の彼らが、そう簡単に治められるとは……」
「なるほど、ではしばらく戻ってこない、と。まさしく好条件が揃ったわけだな」
「これを逃すわけには絶対になりません。早急に――ム?」
しかし、そうして黒髭がさらに勇ましく語を継ごうとした、その時。
彼はふいに何かに気づいたかのように言葉をピタリと止めた。いや、その男だけではない。卓を囲む他の七人にも、一斉に瞬間ピリついた緊張感漂っている。
それは、黒髭の背後、扉のある方向。
傍らに立つ護衛も、気づけば明らかにつと張り詰めた視線をそこへ注いでいた。
――そう、その刹那彼らが耳にしたのは、扉をノックする音だったのだ。それも、三回。やや小刻みに。
知らず、まだ若い護衛が判断を仰ごうと、急ぎ男たちの方へ目向けた。あからさまにそれは怯えの混じった表情である。
そしてそれが伝播したものか、途端場の空気にも明々と研ぎ澄まされたものが現れ出し……。
(緊急の件……何事だ?)
そうして厳しい顔した男が若者に対してゆっくりとうなずいてみせたのは、それからしばしの後のことなのだった。




