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48.エーテル ②

 相変わらず静寂支配的な窓の外からは、路上で誰かが吹いているのか、笛の音めいた美しい響きが伝わってきた。もちろん遠くから耳にするそれはしごく儚く、また物悲しくもある。特にロビーならその調べはあたかも別れを惜しむ曲のように思えたはずだが、むろん今の彼にそんな風流な感を抱いている暇などなく、その目線が捉えるのは、ただ目の前の(さか)しげな老婆のみ――。



 フウと一つ息を吐くと、利発げな青年は静かに話し始めた。


 「苦労してエーテルを用意してくれたんだ。しかも戒厳令下、ここまで協力してもらって、今さらごまかしは効かないよ。――そう、確かに僕らがあの事件を起こした当事者、そして今は完全なるお尋ね者、というわけです」


 これには、ようやくサリヤも大いに納得したとうなずいた。


 「フムフム、やっぱりね。最初からそう言えば良かったんだよ。それにしてもえらく大胆不敵なことしたもんだ、ゴルディアスがあそこまで窮地に陥ったのは、間違いなくケルンの一件以来だね」

 「! ケルン・マクシム、<雷蛇>の使い手……」


 そしてついで老女が放った一言は、クロニカたちを知らずハッとさせる。

 そう、三年前、第二階層の大劇場へ僭主が向かう途中、敢然と襲いかかった、前領主一族に雇われたブレイカー。彼の電流帯びた鞭による鋭い一撃はゴルディアスの胸を大きく切り裂き、一時彼は意識不明の状態にまでなったという。


 「そしてあんたたちはそのケルンに雇われた。――やはりあいつの目的は復讐かい?」

 「……」

 「フフ、まあ言わずとも分かるけどね。ただあいつはあの時自分のオーバー・ブレイクを敵の剣士に破壊されている。だからもはや普通の人間。それで今はどこでどうやって生きているか知らなかったけど、まさかこんな大それたこと企んでいたなんて」

 「――いちおう、僕らの師匠に当たる人なので」


 だが、次にロビーが返した言葉は、逆にサリヤを大きく驚かせるものなのだった。


 「へ、師匠? これはまたどういった経緯で?」

 「三年前、とある町で生活していた僕らはともにオーバー・ブレイクから選ばれたばかりの頃でした。でも、その時は正直言って自分の突然得た余りの強き力に戸惑っていた。二人とも天涯孤独の身で頼れる人はいなかったし、特にクロニカなんかは自らの<ファイアー・ドレイク>に対して恐怖さえ抱いていたんです。とにかく、こんな恐ろしい力要らないと思ったほどだった。――そんな途方に暮れていた時に、ケルンさんが現れたんです。もちろん当時はすでに元ブレイカーでしたが」


 そして出会った二人がまだ右も左も分からぬ素人ブレイカーだと悟ったケルンは、老婆心からか彼らにオーバー・ブレイク扱う手ほどきを種々与えることとなる。むろん三人が三人タイプ違ったとはいえ、心構えからメンテナンス方法、そして意志の通わせ方に至るまで、教えられることは山ほどあったのだ。

 何より、孤児たる二人の子供が揃って見る見る自分の知識経験吸収していく、実に優れたブレイカーの卵だったとすれば。


 「そうか、そんなことが……」

 「ケルンさんとは結局すぐ別れることとなりますが、しかしその去り行く際、彼から一つ、ある頼みごとを受けたのです」

 「それが――」


 そうして老婆がさすがに放心したように呟くと、ロビーの静かにして真摯なる答えが、そっと重なってきたのだった。


 「ジグラト・シティの領主、<箱舟>使いし簒奪者(さんだつしゃ)ゴルディアスを倒して欲しい、と」


                  ◇


 ロビーが穏やかなまま昔の話語り終えると、サリヤはもう十分だとばかりににっこりした顔となった。


 「なるほど、なるほど。ケルンの奴、そんな真似していたのか」

 「……」

 「まだ諦めてなかったんだね、弟子に後を託すだなんて」


 また、コクリうなずきながらも同時にその声はどことなく感傷的である。何かを想起するようでもあり、あるいはそれは、ケルン・マクシムという一人のブレイカーに対する、とある密やかな思いの現われなのか……。


 「もうケルンさんがどこにいるのかは僕らも知りません。ブレイカーでなくなった後、何をしているのかも……」

 「どうせ元々が家にも留まらない風来坊みたいな奴だよ。多分今は気ままに旅暮らしか、あるいはすでに野垂れ死にでもしているか」

 「いえ、でも――」

 「ま、ちゃんとした弟子見つけたんだから、最後にいいことしたとでも思って――」

 「そういえば、ケルン、こんなことも言っていたわ」

 

 と、そこで、それまでしばし沈黙していたクロニカがふいに口を開いた。瞬間ハッとサリヤに思いきり振り向かせたくらい、それは先ほどとはあまりに違う、妙に落ち着いた様相だった。


 「……え?」


 クロニカは構わず続ける。じっと、正面から相手の視線避けることなく受け止めて。


 「自分には、故郷に母親がいる。女手一つで必死に育ててくれた、大切な親が。そして彼女はまた、ジグラト・シティでも一、二を争う、裏世界で生き抜く高名な情報屋、だとも」

 「!」


 ――そして、その一言は、あまりにもサリヤにとって決定的すぎたようだった。

 それまでずっと隙の無い不敵さで鎧われていた面立ちが、ふいに刹那哀しみと、そして優しさで包まれたものとなったのである。


 そう、それはまさしく、今はもう遥か遠くへ行ってしまった、たった一人だけの息子へ向ける顔。他の人間には、決して見せることのない……。


 「――必死に育てた? そんなこと、言ったのかい?」

 「ええ、はっきりと。それもとっても誇らしげに」

 「あいつめ、まったく妙な事吹きこんで……」


 ただし、次いで口を開いて出たその言葉だけは、元の裏町で生きる強気な老女のままだったのだが。


 そしてむろん、そんな年老いた母親を見つめる二人の若者の瞳には、いつになく優しげな光がそっと宿り――。


                  ◇


 「さて、では貴重なエーテルまで用意してやったんだ。後は好きなだけおやりよ」


 そうして話がすべて終わると、フウと大儀そうな感出しつつも、老婆はゆっくりと部屋から出て行った。これでもう語ることも聞くべきこともないということなのだろう、その去り際の表情は満足げで清々(すがすが)しくすらあった。

 そう、目の前の若い二人がこれからどんな無謀なことをしでかすにせよ、もはや自分如きでは手の出せる範囲はるかに超えてしまったのだ。ならば今はただ、影ながら無事を祈るのみ……。


 気持ち、杖つきながら歩く足取りも弾ませて。



 「さあ、いよいよ暴れ回るわよ。ロビー、準備はいい?」

 「――気負い過ぎは禁物だぞ、クロニカ」

 「っと、いきなり水をささないでよ。滅茶苦茶やる気出て来たってのに」

 「そうやって結局失敗するケースも多いからな」



 ――かくて、そんな老婆の去り行く後ろ姿ボロ宿二階の窓から見つめながら、調子に乗るクロニカとそれをいなすロビー、というおなじみの光景繰り広げられたその時、二人の若者の顔は、まさに死線潜り抜けてきた歴戦ブレイカーのそれ鮮やかに取り戻していたのである。


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