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47.エーテル ①

 ジグラト・シティ第一層、東の街の、さらにその東端。そこには市壁にへばりつくように、悪名高きスラム街が細長く位置している。

 混みいった狭苦しい路地が至る所縦横に走り、そのせいで陽光下にも関わらず、どこも不気味で薄暗い。しかも所狭しとひしめき合うのはほとんど廃屋同然のボロ小屋かバラックばかり。加えて住人が日常汚物そのまま路上へ捨てていることもあり、恐ろしいことにすえたような悪臭まで全体的に漂っていた。

 そう、砂混じりの風がはるかに心地よいと思わせるほどの、あまりに劣悪な環境。

 これで歩いている人々までてんでばらばらな、ただし粗末なだけは共通した身なり怪しい連中が大半占めるとくるのだ。まさしく広がるのはバルディヤ最大と(うた)われるに値する、迷宮めいた巨大貧民街の様相以外何物でもないといえよう。


 何よりもそこは、市政の権力ほとんど及ばぬ文字通りの無法地帯。僭主ゴルディアスですら支配下に収めるのは、登位早々さっさと諦めたとされるほどの。

 よって強盗、誘拐、殺人……毎日のごとく繰り広げられる犯罪のレパートリーには、これでもかとげんなりすることこそあれ、まるで尽きるところがないのだった。


 当然降りかかる危険も数多、自分から好き好んでこんな所へ訪れる物好きなど本来いるはずもなく、よって皆が皆、何らかの深刻な事情抱え仕方なくやって来るとみえ……。


                  ◇


 「……」


 昼下がり、まるで飾りっ気のない狭い部屋の中、床に直座りしたクロニカは何かの液体入った瓶をじっと検分するがごとく見つめていた。

 普段の軽快な彼女とは思われぬくらい、その眼差しは真剣なことこの上ない。

 そう、それはまさしく、単なる嗜好品というより、貴重なる絶対的必需品へ向ける渇望如実に示すような……。


 「どうだい、品質だってばっちりだろう?」


 すると、目の前に同様座っていた人影が、さも自慢げに(のたま)ってきた。

 むろんクロニカが手にする小さな瓶を指してのものに違いあるまい。

 そのひっつめにした白髪に、ギョロリとでも表現したくなる大きなイタズラっぽい茶瞳――ロビーが何度か通っていた、それはまごうかたなきあの情報屋、『千の耳』サリヤの声だ。

 灰衣の上からやや薄めの外套まとった彼女は、傍らに自分の杖を置き、このランク的には最下位相当の一室ですでに大分リラックスした表情さえ見せている。すでにロビーとは見知った仲といえ、そんな態度はまさしくこの老女の大胆な性格を実にくっきり物語っているとしか思えないのだった。


 ――特に、この剣呑極まる非常事態時にあっては。


 「うん、こりゃ確かに凄い。間違いなく、最高級品……」


 そうしてしばしそんな老婆が見つめていると、ようやく相手――品(あらた)めていたクロニカがポツリ感嘆混じりに呟いた。そして瓶をふとコトリと床へ大事そうに置くと、改めて彼女も相手見つめ返す。その黒い瞳には、素直なまでにある種尊敬の念が浮かび上がっていた。


 「いや、さすが。まさかこんな状況下でこれを用意できるだなんて」

 「そりゃそれなりに苦労したからね。もちろんびた一文値下げなんてできやしないよ」

 「あ、うん、それは……」

 「――もちろん分かっています。早速ですが、これをお持ちください」


 そこでふと、クロニカの隣に座していたロビーが涼やかに口を挟んでくる。相棒と同じく瓶を持つ方とは別の手に、何やら中がぎっしり詰まった布袋を掴んで。

 それを見た途端サリヤが目を輝かせたのは言うまでもなかった。


 「おお、さすがに用意がいい! 危険冒してまで来た甲斐があったというもの。じゃあ品も確認したし、ありがたく頂戴しようか」

 「中身の確認はよろしいのですか?」

 「大丈夫。あんたなら信用できる。まちがってもごまかすなんて真似しないよ」


 そして満面の笑み浮かべ、サッと差し出された袋もぎ取って行く。その際傍らで恨めしそうな顔していた黒髪の娘にはたして気づいたのかどうかは、その様子からは定かでなく……。



 そこはまさしく、およそ人が泊まれる最低限のさらに下にあるような部屋だった。まず広さは人が三人も入れば、残りのスペースがもうかなり限られてくるくらいのレベル。しかも大体にして家具、調度の類が何も見当たらない。入口の向かいに窓が開いている以外は、申し訳程度というかなんというか、二つ、藁の敷かれた箇所があるきりなのだ。要は、ここで寝てくださいということらしい。もちろん掛布団の類も一切用意はされていなかった。

 いくらスラム街とはいえこの状態でおこがましくも宿屋を名乗っているのだからもはやその時点で憤激ものだが、ただし、唯一、異様なまでに安い料金という利点はあった。そう、どんなに貧しい、あるいは切迫した状況でも客を拒まぬほどの。要するにここは食事すら出ない、とりあえず雨風しのげれば結構なランクの訳あり者専用宿ということなのだろう――。



 「――それにしても、今度は何やらかすつもりだい?」


 と、すばやく布袋を懐に仕舞ったサリヤが、ふいに笑みの種類を変えた。不敵、という言葉しか浮かんでこない、しかし老女にはよく似合ったいかにも訳ありげなにたり顔だ。

 だが対するクロニカの答えは対照的にあくまでとぼけたものでしかなく、それはまた同時に相手のペースになど絶対乗らないという、彼女なりの態度示すものでもあるのだった。


 「何のことかしら? それも『今度は』だなんて、まるでトラブル常習者みたいじゃない」

 「おや、違うのかい? それってまさにあんたらのこと言ってるんだと思ったけど」

 「本当人聞きの悪い。私たち、基本的にただの旅行者なんだから」

 「旅行者、ねえ」


 むろんサリヤはサリヤでそんな小技に(だま)されるはずもない。当然のごとく、からかい装った挑発はむしろ勢いを増していた。


 「それにしては大層な宿だこと。普通の旅行者はまず泊まらないよ、こんな所」


 そう皮肉げに言いつつぐるり、大して広くもない室内を呆れたように見回したのだから。

 相手が思いきり嫌な顔をしたのは必然のこと。


 「……仕方ないじゃない、ちょっと色々あったの」

 「だから、その色々がまさに例の事件だったってことだろう? どうせその後棲み処をゴルディアスの手下に襲われるのが怖くて、前の宿引き払いここへ来たんだ。まあ無理もない、犯罪者御用達(ごようたし)って言うからね、スラムの宿屋は」

 「誰が犯罪者よ!」


 そして何より続けての()きつけるがごときその言葉は、クロニカの声音を見事憤らせてさえいたのである。


 「と、まさか、自分は違うなんて言い出さないだろうね、この期に及んで?」


 などといかにも愉快げに、声音を溌剌(はつらつ)と弾ませながら。

 はたしてさすがのブレイカーも、その鋭い一言には言葉詰まらせ……。


 「そ、そう言われると……」

 「反論なんかありゃしないだろ?」

 「うう……」

 「……もういいよ、クロニカ」


 ――すると代わりに冷静なロビーが、段々と追いつめられていく相棒見かねて、ようやく助け舟、いや降伏勧告出してきたのだった。


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