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46.避難所 ④

 「何か言いたいことがあるか?」


 ――刹那の、しかし重苦しい沈黙の後、ロイスは再び口を開いていた。

 死の影がなせるわざか、その表情はあくまで穏やかながら、やはり隠しようもなく暗い。あるいはアクセル自身の感情がその印象に少なからぬ影響与えているのかもしれないが、いずれにせよ院長の言葉を否定する術などあるはずも無かった。


 ただ、それでも、どうしてもたった一つだけ、彼には確かめなければならないことがあった。自分の行ないがはたして本当に正しかったのか、そんな切実な問いも含めて。


 「――薬は」

 「む?」

 「あの薬は、効かなかったのですか?」


 そうして、声音震わせながらも何とか絞り出す。


 自分が、修道院の固い掟にまで反して領主から得ていた秘薬。ゴルディアスはアクセルの頼み聴き入れ、はるか東方カルタイドより大枚はたいてそれを取り寄せていたという。

 間違いなく、あれなら効果はあったはずだ。特に三ヶ月前、使用して最初のころは。だが、ロイスの衰弱著しい最近のこととなると……。


 「ああ、ウルズの霊薬、か」

 「! 知っていたのですか、あれのことを」

 「東方で生み出された、値は張るが難病にこそ効果ある薬。私もかねがねその名高き噂は聞いていた」

 「では……」


 その知識に驚きでアクセルが目を丸くすると、しかしふいにロイスは表情陰らせる。彼にとってもこのことは伝えるに難がある――それは少年が不安になるような、そんないかにもいたたまれない(おもて)であった。


 「うむ、そうだな、確かに効果はあった。かなり身体が楽になったほどに。――ただし服用していたのは前のことだが」

 「……え?」

 「今は、そうここ最近は一滴も飲んでおらん。余命いくばくもない私には重宝過ぎるのだ、あれは」


 瞬間、少年は相手が何を言ったのか理解できなかった。意味不明というべきか、それはまるで元気だったころ、よく自分へ向けられていた冗談のように。ただし、もちろんそれで笑みなど零れるはずもなかったが。


 それゆえ、彼の問いは完全に呆然としたままのものとなった。


 「ど、どうして。……いえ、それよりまず、薬は?」

 「うむ、安心しろ。あんな貴重なもの捨てるはずはない。私の持ち物の一つとして、壺に入れてここにも運んである。もちろんリオースたちにも知られぬように」

 「じゃあ、今すぐ――」

 「アクセル、それはならん。あの薬は、助かる可能性持つ本当に必要とする人が使えば良いのだ。私のような、死がすぐ傍で待ち構える人間でなく」


 対してあくまで凛とした姿勢でそう答える院長に、アクセルはどうにも惑乱した思いしか抱けない。何より、今まで必死な思いして、そう、あの傲慢なる領主を治療してまで、ずっと努力してきたのだ。それなのに、これではまるですべてが水の泡……。

 だが、無情にもロイスの静かな言葉は続く。


 「……むろん今のお前では、私の選択は理解したくても到底できまい。いや、ひょっとしたら歳を経てもついに分からぬことすらありえる。これはあくまで個人の信念。そもそも――」

 「そんなことより!」


 と、そこでついに少年は声大きく荒げてしまう。向こうの連中に気づかれた可能性が大だが、もちろんそんなこと一切構いもしなかった。ただ、今はロイスにひたすら伝えなくてはならないことだけが厳としてあったのだから。そうすることで、どうにか彼を心替えさせようと。


 「多分、僕が修道院の掟を破ったのを知って、院長は服薬を拒んだということでしょう?! でも、そんな悠長なこと言っている場合なんですか、本当に、本当に死ぬかもしれないんですよ!」

 「そう、少し前から気づいていたよ。あれは間違いなくゴルディアスから与えられたもの――だが結局あの薬は私の病の進行を遅らせるだけ、しかも許されざる罪の代償に。それでも、飲めというのか?」

 「それでも、僕はロイスさんに一分でも、一秒でも長く生きてほしくて――」

 「……そうか」


 だが、そこでふとロイスが少年(さえぎ)り一言洩らす。一瞬はるかな追憶に(ふけ)るように、どこまでも遠い、そう、遠い眼差しをしながら。


 「そういえば私も確か昔、マリーに同じようなことを言ったな。サミュエル院を開設したばかりの、あの頃」

 「え?」


 そしてその言葉は、アクセルを我に返ったように絶句させていた。


 それは記憶の中の、絶対に忘れるはずもない懐かしい名前。

 何より彼を守り、ともに戦い、傷ついた――。


 「――彼女は最後の戦いで、死に至る毒を与えられた。治療法見つからぬ、恐るべきブレイカーのわざだ。そしてそれ以来、ほとんど寝たきりの身となる。今の私と同じように。……それでも彼女を診た私は、マリーに、一つだけその苦しみを、ほんの少しだが和らげる方法があると提案した。自らの<覇印(デュナミス)>を消し、ブレイカーをやめることを。オーバー・ブレイクは確かに使用者に絶大なる力与えるが、また同時にある種の負荷も与えることとなる。そして自らのオーバー・ブレイクが破損によって弱まっている今なら、その印も容易に消せる。そうすれば、必然的に多少は毒の進行も抑えられるはず。……以上のことを(かんが)みれば、この提案は実に理にかなったものと思われた。

 ――しかし」


 その双眸をふと春の草原のように穏やかにさせ、ロイスはしゃべり続ける。


 「彼女は、(かたく)なまでにそれを拒絶した。別に死にたがっていたわけでもないというのに。――そうだ、ブレイカーであることはマリーにとってこれまで駆け抜けて来た人生のすべて。そうでなくなることは、ある種死に敗北したも同然のこと。それだけは、オーバー・ブレイクとともに生きた彼女のプライドが許さなかったのだ……」


 そして語りきると、大きく息を吐く。

 もう全ての体力を使い果たしたかのように――。


 「そ、そうだったんです、か……」


 その後に響いたのは、ひとりポツンと取り残された、アクセルの呟き声。

 そう、自分は今まで、そんな重要なこと全然知らなかった。

 彼にとって、とても大事な人だったというのに……。


 そのまま愕然と立ち尽くしてしまった少年へ――


 「お前なら分かってくれるな、アクセル。人には何があっても、死を前にしても捨てられぬ揺るがぬ矜持(きょうじ)がある、ということを……」


 そうしてロイスは最後に余力を込めて告げ、後は眠るように、ただ従容(しょうよう)と自分の運命受け入れ、静かに目を瞑るのだった。


 どこか場の空気を、しんと研ぎ澄まされたものへと変貌させて。


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