41.戦乱 ③
食事の載った盆携えメイド長がしずしず部屋へ入って来ると、ベッド傍らの椅子に座っていたベルタは声もなく面を上げた。相変わらず青い髪に蠱惑的な瞳しているが、今身に着けているのはいかにも地味な灰色の長衣だ。全体的に布地もやけに厚ぼったく、それはまるで尼僧の着る服のよう。
普段の彼女を飾る目もあやなきらびやかさなど、そこには一切なかった。
「エルマ……」
「さあ、ベルタ様。お食事の時間です。少しはお食べになってください」
「うん、でも……」
そうして部屋の中ほどまで入ってきた品の良い女性に、しかしベルタはなぜか少し口ごもる。そのいやいやをするような沈んだ表情からするに、どうも食事自体乗り気でないらしい。
その証しに、差し出されたバンと魚、スープの皿を決して受け取ろうとはしなかったのだから。
「まあ、レイゼルより聞きましたよ、今朝も何一つ召し上がらなかったと。そんなに食欲がないのですか?」
「うん、今はどうしても……ごめんなさい」
そしてまるで子供のように首を振る。どうも常よりこの穏やかな年長の女性を相手にするとついこういう甘えた態度取ってしまうが、特に今はそれが顕著だった。
だが慣れているのか、メイド長の方もなかなか今日は引き下がらない。
「それはいけませんね。ただでさえ今はお部屋から出られず塞ぎがちになっているのですから」
「でもそれは私の責任だから、仕方ないわ」
「そんな……」
とはいえゴルディアスの愛人にそうもはっきりしょげ返られると、さすが彼女としても他に言うことがない……。
二週間以上も前に起きたブレイカー侵入事件。あれ以来、結局ベルタはアクセルとの関係ゆえずっとこの自室に閉じ込められたままだった。
幽閉と言うほど顕著なものではないが、しかしいまだいちいちどこへ出るにしても、外の衛兵のお伺いを立てる必要がある。ましてや宮殿の外へ出て行くなどもっての外。
これではまさしく籠の中の鳥も同然の状態だった。
そう、彼女が何よりも忌み嫌う。
「確かにあの修道士を呼んだのはベルタ様、ですが」
そんなベルタへ、メイド長がやっとのことで声をかけた。真心から心配していると分かる、実に慮った口調だ。どうやら彼女は彼女で、相手に対しどこか実の娘の如き親愛な感情抱いているらしい。
それゆえキリクなど宮殿の一部の人々のようにベルタを非難する視線など、そこには微塵もあるはずがなかった。
そう、ゴルディアスに災いを招いた、その原因の一つとして……。
「フフ、エルマ、ありがとう。いつも心配してくれて」
「なにをおっしゃいます。私としては当然のことを――」
「ね、それで、一つ聞きたいことがあるんだけど」
と、そこでふいにベルタが一つ物問うてくる。
おやと思ったエルマは気持ち姿勢を正し正面から相手を窺った。その茶瞳が、今までの諦めとは一味違う光宿らせていたからだ。それは不安というべきか、気がかりというべきか。
「はい、何でしょう?」
「戦は、始まったのかしら?」
それはやはり先ほどどころか常にはない真摯な口ぶり。よほど気になるとみえ、エルマが何か言うまでずっと待ち続ける様相である。
それゆえメイド長も明確な答え持たぬにも関わらず、それに穏やかな笑み浮かべてしっかり答えてやったのだった。
「ああ、やはりそのことですか。確かに気にはなるでしょう……。ただ、私のようなメイドにはほとんど預かり知らぬことゆえ、情報はほとんど入ってきておりません。それこそ市街地の人々と何ら変わることはないのです」
「そう……、そうよね」
「ただ」
だが、そこでエルマは一つ思わせぶりに言葉を切る。むろんそれは間違いなくベルタの気を引くには充分すぎる小さな間だった。
「ただ? 何か知っているの?」
「いえ、知っている、というほどではありませんが……」
「?」
「今朝がた、エドアルト様とキリク様のお二人が配下の者連れどこかへ出発されたのは事実。宮殿の者たちも、いったい何事かと驚いたほどです」
「え、それって……」
宮内の業務全般を取り仕切る執務と、宮殿警護の最高責任者がともに揃って不在――。
ただでさえゴルディアスが不在だというのに、それは確かにかなり異常とも思える事態であった。
自然、その不穏な感にベルタが声を潜めている。
「ついに始まる、ってことかしら?」
「私には分かりかねますが」
もちろんメイド長がはっきりうなずくことはなかったが。
「で、でも」
「とにかく」
そして初老のメイドは、さらに色々問いかけてきそうな若い娘に対し、ふと年長者の威厳垣間見せゆっくりと、最後に諭すように宣ったのだった。
……そう、母が娘によき知恵教えてやるように。
「何が起こるにせよ空腹ではとても対処などできません。いずれ訪れるその時のためにも、どうかお食事はなさってください。――これは何より、ベルタ様のためでもあるのです」




