4. でたらめな兵器 ②
すべての流れを完全に一変させてしまったのは、一人の見知らぬ若者だった。
調査終了へと趨勢が大分傾いていたある日――その取り立てて特徴のない男は、ふらりと帝都へ現れた。
もちろん、まさかその彼がのちの歴史に大きく影響を与えることになろうとは、その時誰も思わぬくらいありふれた身なりだった。
彼は昼日中まっすぐアルス=ドラグナの宮殿に辿り着くなり、門番に向かって奇妙なことをのたまう。それは長年ここで真面目に勤める老人でも初めて耳にした類の、まるで夢の話でもしているかのような不可思議な言葉。彼がいかにも胡散臭げに表情しかめたのは言うまでもない。
「ここに、僕を呼んでいる誰かがいる……、早く行かないと」
当然、まともに取り合うなどありえなかった。そもそも見た目は単なる貧しい村人のそれでしかなかったのである。彼はまるで虫を追い払うような邪険な態度で応じた。
「ほう、ここにねえ。まあ、だとしても前もって連絡がない限り、中へ通すわけにはいかん。さっさと村へでも帰ることだ」
そのまま、もう処理は済んだとばかりに老人はあっさり相手から関心を逸らす。それで、こんな妙な男との関わり合いは終了したはずだった。
「識別番号1787259……、巨大な金属の車の傍にいる人たちに、そう伝えてください」
「ん、番号?」
だが彼は依然門番の前に突っ立ったままで、しかも輪をかけて奇妙な一言を告げる。その声はどこか夢見がちで、しかし同時にやけに真剣な響きも宿していた。
そう、老人に再び耳を傾かせるには充分だったほどに。
「金属の車って、あれのことか……?」
老人はしばし黙考したのち、ポツリと零す。むろん、あれのことは彼もよく知っていた。現状世間から忘れ去られつつあるとはいえ、実際自分もこの目でしかと目撃したことがあるのだ。宮殿へ引かれていく時見た異様かつ威圧的な姿の印象は、今でもとても捨て去ることなどできなかった。
そしてそれに合わせて、脳裡にある記憶もパッと瞬間甦る。
帝都下町にある酒場の壁に貼られていた、政府からの告示。あれはもう三か月前、夕食時のことだったか――。
『遺跡から発見された鉄の車。それに関する有益な情報を持ってきた者には、しかるべき報酬を与える。詳しくは学術院まで』
白い紙には、確かそうあった。そして、その報酬を貰える期間はまだ終わっていないはずだった。
老人は一瞬息を飲むと、同僚にひとまず持ち場を任せ急ぎ宮殿の中へと走り去って行った――。
そう、まさにこの時、<でたらめな兵器>は歴史の真の主役となることを約束されたのである。
「やっと会えるね、君に……」
若者の恍惚とするような呟き声とともに。
◇
「アルク=サスクタム=エル=ノ・クバ……」
その日、金属の車はついに長い眠りから目覚めた。
研究所へ通された若者が車体を前に、何とも厳かな、周囲の人々にはまるで理解できぬ祝詞にも似た声音を発した直後だった。
あれほど頑なだった扉が、とても信じられぬという学者たちの驚愕で見開いた視線の中、あっさりと解放されたのだ……。
皇帝と謁見あいなったのは、そのすぐ後のこと。今まで関心薄れていたとはいえ、帝は一目でようやく動き出した物体が秘める力に勘づいたらしい。彼は若者を正式に帝国政府へ仕えるよう求めると、準備が整い次第何回か演習を行なうよう命じた。
間違いなく使える戦力と判明したなら、即座に投入しようとしているのは明らかだった。
今まさに、遠く東南方面で激しい戦いが繰り広げられていたのだから。
――そして半年後、史上初めて<でたらめな兵器>は実際に戦場へと向かったのだった。
<火竜機>と名付けられた物体は、それからわずか一週間で、勢いあったカムリ軍を木端微塵なまでに叩きのめしてしまう。突然出現した移動する大砲が放つ爆音と猛火に、万を超す反乱軍は皆震え上がった――すなわち結局現実に行われたのは、戦争というより一方的な殲滅としか表現しようのない事態でしかなかった。
反乱は瞬く間に鎮圧された。
帝都でこの勝利の報を聞いた皇帝は大層喜び、宮廷総出で祝杯を大々的に上げる。そして歓喜もつかの間のこと、側近や学者たちに、他にあのような兵器が埋もれていないか大陸中くまなく探し出してくるよう命じた。むろん間違いなくあれが帝国の力になるという確信からだが、同時に敵勢力の手に渡ったら大変なことになるのはあまりにも明白だったからだ。とにかくその前に入手か破壊をしなければならない。
だが、ではそうやって探し出すものの呼称が「あれ」のままでいいかと言うと、いかにも体裁が悪い。
応急措置的に、その場で未知の物体に名が与えられることとなる。
そして思案の末、学者たちはある妙に冗談めかした名称を絞り出した。
一見畏怖のかけらもない、卑俗きわまる名前。
しかし同時に、どことなく危うさらしきものも含まれた――。
<でたらめな兵器>
それがすべての始まりだった。
運命の歯車は、こうして音もせず静かに動き出していく。それはやがてこの強盛なる帝国すら飲みこんでしまうほどの、凄まじき大波ともなろう。
道具は揃い、世界は変わろうとしていたのだ。
……たとえそれが望まれるものではなかったとしても、もはや止めうる術など何ひとつないままに。
時はアクシオム帝国メルキド朝第十代皇帝シャハンナムの、衰徴はてしなく遠き栄光満ちる御世。
むろん迫り来る破局の調べに耳を傾けられる者などいまだ誰一人いるはずもない、それは絶頂期とでもいうべき輝かしい時代なのであった。