38.追憶(2) ②
数分後、いまだ草の上に座りこみながら嗚咽する赤髪の少年と、それを静かに見守る二人の女性の姿があった。
雨はまだ降っている。この時期には珍しいくらいのしつこさで。
「ほら、これでも飲みな。元気になるよ」
しかして紫の瞳の女が懐から水筒出し、すっと涙流すアクセルの前へ差し出した。相手が間違いなく村の少年だと分かったためか、その表情には先ほどまでの警戒心はまるでない。むしろ美しい色の瞳には、慈しみとさえ思える光が宿っているほどである。
「……」
対していまだ声は出ぬものの、静かに黙礼だけは返し、それを受け取るアクセル。手にした途端、中に入った液体がチャポンと音立てて揺れ動いた。
「酒だよ。温まるにはこれが一番――」
そうして少年が鼻をすすりながらゆっくり水筒の蓋を開けていくのを、女はじっと見つめている。むろん今かけるべき声など大してあるはずもないのは、彼女にとって自明の理のようだった。
ただ、どうしても言わなければいけないその一言以外は、冷たい草原の中決して口にすることなどなかったのだから。
――遠くどこかで野鳥の鳴く声がしたが、それには構わず、女は優しく笑み浮かべて告げる。
「さあ、それで落ち着いたなら、話してもらうよ。いったい君の村で何があったのか。……もちろん、分かる範囲で」
そうしてアクセルは所々つっかえながら、何とか昨日村で起きた事件の顛末を伝えようとした。むろん疲労や悲しみが彼の記憶をかなり混乱させていて分かりにくい箇所も大分あったが、しかし女はその間ほとんど質問せず彼の語るに任せていた。あるいはそうやって誰かに話すことで、少年を苛む絶望が多少でも和らぐことを悟っていたのかもしれない。
もっとも女にとって得るものの多い話だったのも事実で、彼女はアクセルが喋り終わるや、すぐに村を襲った悪党、あの髑髏仮面の男の名を明らかにしたのだった。
「間違いない。それは<人形使い>の仕業だ」
その奇妙な名は、当然少年の眼を見開かせる。
「人形使い……」
「もちろん通称だけど、でもほとんどの人間が奴をその名で呼ぶ。だからもう本名みたいなもの」
「で、でも何であいつらは僕らの村を……」
その心の底からの疑問に、女――彼女はマリーと名乗っている――はしっかりとアクセルの眼を見返した。やや雨勢が弱まってきたこともあり、今は頭巾を背中の方へ外している。
美しくもどこか精悍な顔を、短めのきらびやかな金髪が縁取る――そんな若いながらも、同時にたくましさあわせ持つ女性だった。
「奴は悪名高い人さらいさ。とにかく特殊なガスで眠らせて、その後人形のように人々を操り、どこぞの人買いへと連れて行く」
「ひ、人買い?! じゃあ、レムリトのみんなも……」
「……そう、まずその線が固いね」
あくまで冷静にそう告げるマリーに、アクセルはもうほとんど言葉も出ない。
あるいはそれは、死ぬよりも過酷な運命だったのかもしれないのだから。
「……そ、そんな」
「まあ事件が昨夜起こったなら、まだそこまで遠くへは行っていないはずだけど、ただ、残念ながら今から追いかけるにしても余りに手がかりがなさすぎる。それに何より――」
「あいつらはブレイカー。追いついたところでやすやすと倒せる連中じゃない」
そこでふと、女の仲間、緋色の瞳の少女が初めて声を出した。彼女も隣にならってもう頭巾を外している。雨の洗礼に肩まで届く灰色の長髪がしっとりと濡れていた。
「……もう諦めるしか」
「と、ちょっと、ミコナ!」
そのどこか感情籠もらぬ声音に慌てて制止するマリー。外見からは姉妹とも思われぬが、しかし年齢からはそうであってもおかしくない二人組だ。
「だってそうじゃない。こうでも言わないと、この子あいつらずっと探しちゃうし、もし仮に見つけたら、何するか分からないわよ」
「まあ、そうだけど……」
「せっかく生き残ったんだから、それで無駄死になんてもったいない」
何とも突き放した言い方だが、しかしけだし正論であることには違いない。何より、アクセルが一人でもあの三人組を、そして村人たちを追おうと決心しかけていたとすれば。
「この女の子だって、あなたがあっさり死んじゃったりすれば、絶対浮かばれないわ」
そして続けてのその一言は、あまりに決定的だった。
その瞬間、昨夜のレイラとの会話が思い起こされて、アクセルは再び涙止まらなくなる。自分の命と引き換えにまでして、彼を助けてくれた彼女。そう、確かにそうして守ってもらった命をむざむざ捨てるというのは……。
「……レイラ。あの子は自分が囮になってまで僕を」
「……」
「お、女の子の方が、奴らも逃さず狙うだろうから、自分の方が囮には最適だからって……」
「――そうか」
その後悔と絶望に苛まれる子供を見つめながら、しかしマリーの言葉はどこまでも優しかった。それは同情や憐憫だけではない、実に温かな様相だった。
「賢い子だったんだね。確かに人さらいにとっては、女の子の方が価値を見出せるはず。特に遊女屋にでも売ってしまえば……。それで、<人形使い>たちも自分を絶対追うと分かっていたから」
「じゃあ、レイラが殺されたのは……」
「おそらく村人たちの様子を見て、絶対連れて行かれるものかと必死に抵抗したんだろう。だがいくら価値があるからって、あいつらにとっては大勢の中の一人。余りにうるさいものだから、この子にだけ手をかけた――そんなところかしら」
それはあくまで話を伝え聞いた相手の憶測でしかなかったが、しかし今のアクセルにとってはより以上の事実などありえないと思わせるに値するくらい、真に迫った言葉なのであった。
「そ、そう……なのか」
少年はそうして泣きながらも、脳裡に浮かぶその幼馴染みを最後に襲ったおぞましい恐怖からなるべく目をそらさぬよう、自身に強く、何度でも言い聞かせんとする――。
「それで、君はこれからどうするの?」
「え?」
「行く当てはある?」
と、そこでふいにマリーは声の調子を、そして話の内容も変えた。見れば、少年に向けられた瞳もどことなく穏やかな感を増している。
知らずそれに対しアクセルがハッとしたのも、また事実であった。
「い、いえ、村から出たこともほとんどないし……」
「ふうん、そっか。じゃあ当然お金とかもないわけね」
「……はい」
だがその何気ない一言は、アクセルをふいに現実という荒波へ突き落としてしまう。そう、これからレイラたちの為何をするにせよ、彼にはそのための元手が何一つないのだ。これでは行く当てがあるなし、どころの話ではなかった。
もちろん今は哀しみの底、うまくそういった思考を整理できるわけもなかったが……。
「フフ、なら話は早い。私たちと一緒に行くしか、道はないわね」
「え?」
「旅は道連れ世は情け、っていい格言もあるし」
しかしマリーは構わずあくまで気軽に、何でもないことのようにそう口にしたのだった。
思わずポカンと口を開けてしまった少年を、どこか悪戯っぽく見つめながら。
そしてアクセルがどう答えようか逡巡していると、静かに、またあっさりと、マリーの隣から灰髪のミコナも語を継いでくる……。
「話は決まったみたいだから、早く行こう。ここは寒いよ。――もちろんその前に、まずはあの女の子のお墓を作ってあげてから」
……それが、アクセルとこの二人組傭兵ブレイカーとの出会いだった。彼らはミコナの言の通り、アクセルがよく籠っていた草中の<塚>に小さなレイラの墓を建てると、しばしの、しかし心からの祈りののち、今度は三人で連れ立って旅に出ることとなる。ついさっきマリーが自分たちは傭兵だと紹介した通り、次の街で何らかの仕事にありつけたらしい。
もちろんアクセルにとっては生まれて初めて村を離れる事態となったが、むろん彼に拒絶する意志などあろうはずもなかった。
いうまでもなく、その温かかった故郷はもう誰一人いない廃墟も同然なのだから。
――そして最後に木の枝と石を組み合わせて作った質素な墓へ静かに別れ告げると、アクセルはいつまでも消えぬ哀しみ抱えたまま、もう一度も振り返ることなくレムリトを後にしたのである。




