32.襲撃 ②
(いい、アクセル? あなたは茶会に参加しているだけで、後は何もする必要ないから――)
「こんな日には、きっと飲む酒もさぞや美味いのであろうな」
「ちょっと、まだそんなこと言っているの? 興ざめしちゃうよ」
「ですが確かにこれで美酒と肴でもあれば最高ですね。今すぐ用意させましょうか?」
「あら、エドアルトまでそんなこと言って。これだから大酒飲みは……」
かくて相変わらず燦々と陽光照りつける中、菓子も用意されたベルタ提案の茶会は、すこぶる和やかなまま進行していた。とはいえ主に喋るのはゴルディアス、ベルタ、エドアルトの三人で、他は高級茶へちびちび口をつけながら、時折遠慮がちに相槌を打つ程度。
特にアクセルに至っては先ほどから話の内容などほとんど入ってきておらず、代わりに脳内でやたら不穏な記憶を再生し続けている始末だった。
むろん、中身は件の計画。ゴルディアスの力を無効化してしまうという。
(でも、いったいどうやってそんなこと)
(何、話は簡単、彼の<覇印>を消すの)
(え?)
(まだあの暗殺未遂事件のおかげで、<箱舟>の力は完全には戻っていないはずだから)
それにしても、彼女の口から聞かされたその詳細は余りに衝撃的だった。何せ、ブレイカーの証たる、身体の一部に現れるという超越的力の印を消し去ってしまうというのだ。もちろんずぶの素人であるとはいえ、彼はそんな話、今まで一度たりと聞いたこともない。そうした行為ができることさえ、そもそも知るよしもなかった。
オーバー・ブレイクの世界は、かようにどこまでも謎めいているということなのか。
――<覇印>。
うろ覚えながら、確かそれはブレイカーと<でたらめな兵器>が契約した、その証である。
すなわち、オーバー・ブレイクが一人の人間を自らの所有者と認めた印。28種類あるいまだ解読不能の文字の組み合わせでできたその印章が身体のどこかに刻まれることによって、初めてブレイカーは誕生する。
言い換えれば唯一の、外見だけでブレイカーかどうかを判断する指標。
だがむろんそれは唯一無二で不変不朽のもの、刻まれる時と同様、自分の意志で外すなど到底不可能なはず。
つまりは自らの力でブレイカーになるのもまずありえないのだが、そんな貴重にして稀少な印をあっさり消してしまえる、要するにただの人間に戻すというのだから、それを容易く信じろというのが土台無理な話なのだ。
いくらクロニカが勝ち気な態度崩さなかったとしても、結局どうしても不安感払拭できないのは、もはや必然過ぎるとしか言いようがない――。
「フフ、アクセルもどう、これ? 美味しいわよ」
「え?」
「そんな考え事ばかりしてないで、今は楽しみなさいよ」
そうしてますます負の感情深まりつつあると、ふいに横からベルタが優しく声を掛けてきた。
「本当気持ちのいい日じゃない」
その小さな掌にはいかにも上質のクッキーが一枚載せられている。彼にもどうぞ、ということらしい。
「あ、ありがとうございます……」
「ね? せめて今くらいは」
そしてあたふたしながらも頂戴してアクセルが礼を言うと、安心させるようにうなずき返してくる。その茶色の瞳に映るのも、まさに温もりの籠もった色。
……あなたは何も心配しなくていい、と言外に励ましているのだろう。
もちろん手紙の情報から、彼女もこれから何が起こるのか十分以上知っているはずだった。いや、むしろ完璧な共犯者ともいえ、手紙に記された通りロビー用に宮殿使用人の服を一着失敬してくれさえもしたのだから。それはむろん彼をここで動きやすくさせるためのもので、アクセルがロビーを助手と称して連れてきた時、ベルタは密かにメモを渡しその隠し場所も教えている。後は手筈通りゴルディアスを治療前の茶会に庭へと誘い出し、その余りに無防備なところを忘れ物取りに行くと言いつつどこかに隠れていたロビーが狙う――そう、それが、この計画の大体のあらましなのだった。
(上手くいくのかな、そんなに……)
むろんそんな笑顔を見ても、今のところ多少の慰めにしかならないのはやむをえなかったが。
(ロビーさん、大丈夫かな)
結局、非力な自分にできることは、こうやってお茶を飲みながらじっと何かが起きるのを待つだけ。大した戦力にはなりようがない。
今まさに、一帯を巻きこむ戦争が起きようとしているのに……。
これでは心の中で、忸怩たる思いにもなるというもの。
「さあて、少し歩くか」
と、アクセルが気もそぞろにクッキーを一口かじろうとしたそんな時、一番東の席に座していたゴルディアスがあくび混じりにのんびり宣った。そして椀を卓上にコツと置くと、ゆっくり、その場から立ち上がる。これには特に北席の秘書と執事が慌てた表情見せたが、しかし領主は二人にはまるで構わず、ただ左横のエドアルトの方だけを向いた。
「さすがにのどか過ぎて眠くなってきた。戻る前に、少し体を動かす」
「庭を散策いたしますか?」
「ああ、ただ一人で行く。お前らは構わずここにいて良い」
そしていかにも悠揚と、実に朗らかな一言である。贅を尽くした食卓で酒を豪快に飲む男にはあまり似合わぬ言動であったが、いずれにせよエドアルトはそれにかしこまりましたと一礼するだけで、特に止めることもなかった。
褐色の巨体が、かくて一人四阿からゆるりと出て、春の陽射しの中へ入って行く。いかにも無防備に――。
(あ、外へ……)
もちろんアクセルがその一連の流れを見逃すはずもない。彼は知らず零れ出ようとする声を必死におさえ、ただひたすら、ベンチからゴルディアスの様子をじっと窺っていた。
言うまでもなく、ロビーがどこにいるにせよ、今が千載一遇のチャンスなのは間違いないのだ。
彼は必ず一撃で仕留められる、宿でそううそぶいていたのだから。
自然と唾をゴクリと飲みこみ、握る手にも力がこもっている。
「フム、金を掛けた甲斐がある。我ながら実に素晴らしい庭だ」
一方ゴルディアスはそんな後ろのアクセルの内心など露知らず、呑気にもその身はだんだん四阿から離れだしさえしていた。周囲を確認することさえせず、気の向くまま花を見たり、木の匂いを嗅いだり。当然武器の類も今はまったく携行していない。まさに気楽な姿である。
当然、遥か遠くの木立から何者かが自分を狙っているなど想像の埒外のはずで、むしろこれだけ警戒感に欠けているのも珍しいほどだろう。それくらい、ベルタの提案が功を奏したということでもあった。
そう、後ろに置いてきた茶の香りと合わせ、現出するのは何とも緊張感のない、穏やかきわまる一日の情景。陽射しはかくてまだまだ高い……。
「ゴルディアス様」
――しかしその時。
「何だ?」
ふいに背後からエドアルトがやけに張り詰めた声を発し、思わず僭主は振り向いていた。続けて知らずこちらも眉吊り上げた表情を見せる。
すると目の前には、いつの間にかスッと立ち上がっている、白肌眩しい側近の男。
しかもその両手には、今まで見たこともない、何ともゴテゴテした作りの黒光りする籠手がきっちり装着されている。
「おい、急にどうした?」
「そこから決して動きませぬように」
そして彼はおもむろにそのうち左手を肩の高さまで、主君に掌向けたまましかと掲げてもみせたのだった。
そこに映るのは、青く明滅する小さくも精緻な幾何学模様。円の中、全体にちりばめられた様々な図形や文字らしきものたちがいかにも怪しい。
それを見たゴルディアスが、途端思わずハッと目を見開いていたように。
「不覚でした。曲者です」
そして続けて彼がいかにも冷厳にそう告げた瞬間――。
「あ!」
「な、何だ!」
――はてしなく乾いた空気の中、突然何かが弾けるような甲高くも不吉な音が、園内の静寂を鋭く切り裂いていたのである。




