30.訪れし者 ③
「ではアクセル君、君は僕たちが宮殿に侵入するのを手伝ってくれると」
かくてまずアクセルに訊ねたのは、二人の説明によりようやく詳細を知ったロビーだった。ただしどこか慎重な口ぶりで、やはりそれは彼にこれから行ってもらうであろう行為の危険性を、十分承知しているがゆえだろう。当然そこには、今なら前言撤回してもいっこうに構わないという気持ちがあからさまに含まれていた。
「もちろん。撤回するつもりはありません」
だが少年はそんな相手の心を読んだかのように、言葉を強くしてくる。その面立ちからは想像もできぬ意外な強情さだった。
「でも、前にあなたの先輩が言ったように、これはとても危険な仕事よ。やはりまだ子供のあなたがやるには……」
「もう子供じゃありません。実際一人で治療も任されているんですから」
「うーん、それはそうだけど」
むろんクロニカの方も前とは違いどうにか考え直してもらいたい風だったが、聞く耳持たないというのはまさにこのことを言うのだろう。アクセルの瞳の輝きはさらに常ならぬ鮮烈さを増している。
これには対峙する両名とも、何とも言えぬ顔とならざるを得ないのだった。
「ただ、お手伝いする前に一つお聞きしたいことがあるのですが」
――と、しかしそこでふいに声を落としたアクセル。真剣な顔はそのまま、そして言葉は物問う口調となる。
「な、何かしら?」
「クロニカさんたちが何を目的に宮殿へ行くのか、ということです。いえ、領主様に用があるというのは分かっているんですが……」
「目的……」
「僕の覚悟もあるので」
すなわち、それを知るのは<仕事>をするための必要条件ということなのだろう。特に神に仕える彼にとって、どうしても犯してはいけない大罪と遭遇する危険性があるならば。
「それを知れば、協力してくれるってこと?」
「はい。血が流れる事態になるとすれば、特に」
そう、それはまさに切なる思い。そして何より、敬虔な修道士が表情曇らせてまで恐れるのは……。
◇
――そうして街の宿で三人が話に熱入れていた、そのほぼ同じ時刻。
「ハアッ、ハアッ……」
「どうした、そんなものか? だがいくらなんでもへばるにはまだ早すぎるぞ」
「……ま、まだ全然大丈夫だって!」
サミュエル修道院裏にある小さな庭に響き渡るのは、一人の巨漢と、そしてまだあどけなさ残る少年が発する荒い息混じった声だった。
むろん巨漢はガルド、少年はリンツである。
二人はお互い木の棒を手に持ち、じっくりと先ほどから微妙な距離置いて対峙している。
その様は、まごうかたなく戦闘の実技練習だ。打ち合っては押し返し、またかわす動きあれば流す動きあり。
――とはいえ体格やら腕力やら、一目見ただけでも二人の差は完全に歴然たるものとしか言いようがない。対等どころかガルドが教官のごとく指導する立場にあるのは、従ってしごく当然のことであろう。
「く、クソ……」
何よりリンツの身体を見れば、そのしごきでもはや全身汗まみれだったのだから。
「よし、それではしばらく休憩だ」
むろんそれを見たガルドは、棒を下ろし、やがて穏やかな笑みとともに大きな口からそう零していた。彼の方はほとんど息切らしていなかったものの、それくらい、そろそろ一区切りが来たのは明らかだった。
自然と、先ほどまでの気迫もすっと影を潜めていく。
「何と言っても今日が初日だからな。それにしてはよくついてきた方だ。これくらいでもう十分だろう」
「そ、そうかなあ」
「ああ。何よりまだお前は身体が出来ていない。ここで無理をすれば、かえって怪我をする心配もある。強くなりたいなら、とにかく今は休め」
「はい……」
リンツはそれでもどこか物足りなさそうだったが、もちろん彼の身体自体は少し前からはっきり悲鳴上げだしている。今は素直に言うことを聞くしかないというのも、幼いながら十二分に理解できた。
……するとそう決まって途端に緊張が解けたのか、代わりに一気呵成と凄い勢いで湧き上がってきたのは、奔流のごとき疲労感である。ついぞ経験したことのないタイプのもので、これにはたまらず、ガルド同様棒を下に降ろすや、彼は心の底からついに本音吐き出してしまったのだった。
「ああ、マジで疲れた!」
と。
そんな二人の稽古が始まったきっかけは、リンツがリオースから、ふとガルドの過去の経歴を聞いたことだった。もちろんリオースとしては単に話のネタの一つとして提供したに過ぎなかったはずだが、しかし少年にとっては一気にあの大男へ関心が高まったくらい、それは間違いなくかなりの衝撃だったのだ。
すなわちあの男、どうやら昔は大陸経巡る傭兵稼業をやっていたらしく。
「え、そうなんですか?!」
「ああ、修道士になる前のことで、まあ私も詳しく知っているわけではないが」
「じゃあ、俺も色々戦い方を教えてもらおう!」
「え?」
かくして途端リンツはリオースなど放っておいてガルド探すや、ものすごい勢いでそこへ駆けて行き、さらにそのまま熱心な交渉繰り広げたすえ、晴れて根負けした相手から即席の弟子となることを許されたのである。
「それで、お前はどうしてそんなに強くなりたいんだ?」
……数分後のこと、土がむき出しになった庭に腰かけながら、互いに水筒を手にゆっくり休む二人の姿があった。次第に強さを増す陽射しは何ひとつ遮蔽物なきここではもう相当強く、二人とも額に流れる汗がきらきら輝き放っている。当然ながら、今日も午後は暑くなりそうだった。
「どうしてって、それは」
「フム、まあ子供であれば誰しも力を持ちたいと願うのは分からんでもないが、それにしてもえらい熱心なのでな。――やはり、それはリルカのためということなのか?」
「うん。もちろん、それもあるけど……」
そうしてガルドが汗を拭きながら穏やかに聞いてくると、リンツはうなずきつつも、しかし何か他に言いたいことがあるように口ごもるのであった。
「ん? 他に目的があるのか?」
「えっと、目的っていうほどはっきりしたものじゃないけど、確かにあるよ、何で強くなりたいかって聞かれると」
そしてじっと相手の眼を見るその瞳は、まこと真剣味溢れていた。
「――いつか旅に出たいんだ」
「旅?」
「うん。とくに目指す場所のない、そして終わりもない」
「ほう、そういうことか」
そう答え聞くと、ようやく合点がいったようにガルドは大きくうなずく。加えて気持ち受け止めた上で少なからず同感であるのも、その真摯な表情からするとまず間違いない。
当然それを見たリンツが同意してもらった喜びで顔明るくさせたのは、言うまでもなかった。
「あ、分かります? この気持ち」
「まあな。リオースから聞いているとおり、俺も元は傭兵だ。それこそ根無し草のごとく大陸中を旅して回っていた。だからそのどこかへ行きたいという思いは難なく汲み取れる。常に新しい何かに出会える希望、とでもいうべきか」
「そう、そうなんですよ。やっぱガルドさんは分かって――」
「だがな」
と、しかしそこでガルドはふいに声音を落とすと、さらにリンツが驚くくらい瞳までもどこか憂慮の色で染めたのだった。
「何ごとにも代償はつきもの、ということだ。つまり、旅する人間になる以上、失う何かも必ず出てくる」
「え、失う、って……」
「そうだな、たとえば――」
そして彼のどこか追想めいたものに彩られた言葉は続き……
「俺のように、家族の愛情、とかな」
最後に締めくくったのは、その少年の動揺を誘わずにいられない、悲哀に充ちた一言なのであった。
かくて余りの戸惑いに、少年が思わず声を失ったその時――。
「お、やはりここにいたか!」
広場に通じる建物脇の細路を抜け、リオースが賑やかしく入ってきた。相変わらずの生真面目にして口うるさい感じとはいえ、その声の大きさに今のリンツはなぜか幾分ホッとしてしまう。それくらい、ガルドの零した一言は彼の心を静かに乱していたのだ。
「おお、リオース。どうかしたのか?」
そしてそれはガルドも同様だったようで、彼は数瞬前の暗い翳を魔術のようにすぐ引っこめると、元の豪放な声で同僚に応じていた。
「うむ、リンツに用があるんだ」
「リンツに?」
「え?」
だが、少年を見るなり突然リオースが放った言葉は、リンツを別の意味でまた驚かせる。元より修道院では管理職ともいえる立場にいる男、自分と関わることは今まで少なく、もちろん何か用事を言いつけられることもまったくなかったのだ。
自然と、青い目を大きくしてしまう。
「急いで前室へ来てくれ」
しかし当のリオースはそんな少年の内心まったく預かり知らぬようで、彼は構わすリンツを手招きすると、さらに声を大きくしたのだった。
「君に来客なので呼びに来た。何、大丈夫。ゴルディアスの手の者では絶対ない。……いや、むしろ君にとっては味方、つまり、やって来たのはリンツたちのご両親をよく知る人なんだ」
◇
「大丈夫。私たちの仕事ってのは、間違っても暗殺じゃないわ」
窓の外、遠くから物売りの元気な声が聞こえる中、クロニカのその声は真摯な響きで満ちていた。いまだ不安な表情浮かべるアクセルへ向けられた瞳も実に澄んだ色で、決してこれが嘘ではないと証している。
そして何より、ふいに先程までとはあからさまに変わったその静かともいえる雰囲気窺えば、彼女の実直さ加減は明らかというもの――。
「本当――みたいですね」
当然、アクセルの反応も重みを持った言葉となる。そもそも彼の問いに真正面から向き合って答えてくれた時点で、手伝うかどうかに関わらず、その懸念は深く共有されたのだ。ようやく胸襟を開く気持ちになったとしても、決しておかしなことではなかった。
黒髪の娘もそれをしかと感じたとみえ、知らず笑み零したのだから。
「フフ、元々そういうのが苦手ってのもあるんだけど」
「でも、そうだとすると、一体何が目的なんです?」
もっとも、それで少年の疑問が消えたわけでは決してない。
「ええっと、何ってそれは……」
「――要するに、ゴルディアスの無力化さ」
するとそこでするり解説入れてきたのは、もちろんロビー。冷静な彼らしく、その声はどこまでも平常感きわまりなかった。
「無力化?」
「そう、もっと単刀直入に言えば、彼にオーバー・ブレイクを使えなくさせる技」
「え? オ、オーバー・ブレイクを……? でも、まさかそんなことが」
あろうことか、地上最強兵器の力を、いわばブレイカーから奪い取る――かくてそのさりげなくもとんでもない危険発言を耳にした途端、アクセルは思いきり混乱したのだが、対して青年は引き続き落ち着いた態そのものだ。しかもふと見ると、隣の相棒に至ってはさらにお構いなしの状態。いや、その声はむしろさらに輪をかけて軽いほどなのであった。
「フフ、それができるのよ。もちろん本人の命も奪うことなく――」
――加えて突然、悪戯っぽい奇妙な光までその瞳に爛々と輝きだしたとくれば。
「あなたたちって、一体何者……」
ゆえに少年はそうポツリと呟きながらも、ようやくこの外から来た二人組のその得体の知れなさに、まざまざと不審感覚え始めていたのである。




