28.訪れし者 ①
【 五日目 】
気持ちの良い朝日が南窓よりうららかに射しこむ中、クロニカは手にした何枚かの羊皮紙へじっくり視線を落としていた。その瞳が追っていくのは、いずれも丁寧な字できっちり行儀よく記された何かの書き物だ。
彼女はそれを見ながら時おりうんうんうなずいたり、あるいは首を傾げたり。その仕草からも分かるように、その手の中のものにはクロニカの知りたい何らかの情報が数々並べられてあるらしい。
ゆえに途中対面の席より相棒が声を掛けてこなければ、それはそのまましばらく熟読していそうな熱心さなのだった。
「どうだい、クロニカ。何か気になることは?」
――そんないかにも気安い一言に、クロニカはようやく面を上げる。
むろんその目線の先には、灰髪の理知的な青年、右手に羽根ペン持ったロビーが静かな面持ちでこちらを見つめ椅子に座していた。相変わらず、冷静極まる風情だ。
「そうね、あんたが酒場で会ったブレイカーらしき男とか、初めて知ったことも多いけど……」
その様子に何を感じたものか、黒髪の娘の答えはため息交じりでやや物足りなさそう。そして手にした紙はそのまま、次いで首を横に振り、小さく零しもしたのだった。
「やっぱ、周辺だけで肝心要の情報がないわ。特にゴルディアスの元へ近づける」
「確かに。主に情報屋からのネタが大半だが、領主に直接関わる話となるとかなり少ない。――もっとも君だって、宮殿へ忍びこんだにも関わらず収穫はほとんどなしだったんだろう?」
「う……まあね」
だが逆に意趣返しのようにそう問われると、クロニカとしても返事に詰まる。もちろん得意のはずの忍びこみは途中離脱という惨憺たる結果と相成ってしまった。ゆえに質量ともにむしろロビーより得たものはかなり少ないかもしれない。
「……結局、四日間でお互い手ごたえはさほどなし、ってわけね」
むろんそれでも、お互い、の部分をわざと強調するのだけは忘れなかったが。
「はあ、どうやったらお目当てのモノに辿り着けるのかしら?」
かくして最終的に再び零れるは、しかし先ほどよりはかなり大きめの溜め息……。
ジグラト・シティ第一層、西の街。そこは東側に比べればそれなりに整備されていて、薄暗い道の類もよほど奥に行かなければ遭遇することはない。何より外から訪れた旅人でも比較的安心できるくらいは、治安の優れた区画。
二人が今いる一室は、その西街、小さな通りに面した食堂兼宿屋の二階にあった。
部屋は大した広さではなく、ベッドが二台と、円卓、入って左側の壁際に衣装棚。あとは右の壁に素朴な絵画が掛かった程度の、全体的にごく質素な作りである。
そして両者とも、今は入口近くにある円卓を囲んで膝突き合わせ相談中。むろんその内容が今後の活動方針についてであるのは、今さら言うまでもない。
ただしこの情報不足の状況ではなかなか肝心の議論が進まないのもまた事実なようで。
「一ヶ月で終われれば良い方ね、これだと。ただそれまで軍資金が持つかどうか……」
――従って本日早くも三度目の、盛大にして虚しい溜息が彼女の口より放たれたとしても、それは決して不思議なことではないのだった。まさに五里霧中、前途多難とはこのことをいうのだろう。
当然返すロビーの言葉にも、自然とナーバスなものが含まれている。
「宿の方も、そろそろ変えなくてはいけないかもな」
「え、東の街ってこと? うーん、それだけは勘弁なんだけど」
「しかしさすがに収入が何もない以上、このクラスのグレードをずっと保つわけには」
と、真面目な顔してもはや会計責任者のごとき言である。
相手がさもうんざりした顔となったのも、無理はない。
「ちょっとやめてよ、まだどうにかなるでしょ? ただでさえ空気が砂っぽくて辟易しているっていうのに、これでさらにオンボロ宿にでも移ることになったらどうなるか……」
「不服なのか?」
「あんたと違って私、結構繊細な性質だから」
それゆえせめてもの抵抗の印、とばかりにクロニカは未練がましくそうぼやきながら、椅子の背もたれへと思いきり身体預けるのだった。
「本当、何とかしなくちゃ」
最終的に、大仰な素振りで天井まで仰ぎ見つつ。
――と、そんなもやっとした気持ちに調子合わせ、かくて安物の椅子が腰の裏ギシリと耳障りな音鳴らした、しかしその時。
「あれ?」
ふいに彼女らの耳は、部屋の扉をノックする音を捉えていた。
当然、二人は勢い同時にそちらを振り向く。
「はい、何の用でしょう?」
むろん重なったのは、クロニカのすかさず冷静に物問う声。
「お客様が来られています。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「客?」
だが女性の声が返す言葉は思いもよらない内容で、その意外さに娘は知らず目を丸くする。そして慌ててロビーの方を向いたものの、彼は首を振って心当たりがないと意思表示するばかり。言うまでもなくクロニカの方もそうで、間違いなく、それは二人のあずかり知らぬ未知の客人が今まさにこの宿を訪れているという突発的事態を表していた。
すると俄然、緊張感がいや増していく。何せここはある意味敵地そのものなのだ。すなわちいつどんな所から危険がやって来るかなど、まるで予想しようがない――。
「……えっと、念のため聞きますけど、どんな方が?」
それゆえ、再度発されたクロニカの問いには、密かにただならぬ鋭さがこもっていたのだった。その黒い瞳にも、あからさまに警戒の色宿らせつつ。
「男性の方です」
――そんな室内の状況など露知らず、扉の向こうからは至って普通の答えが何の躊躇もなく返ってくる。特に緊張した感もない。少なくともその様子からするに、やって来たのは猟兵隊など明らかに危険な感漂わす類の者ではないようだ。ならば入って来るなり、勢い騒動を起こされる心配も低いのか……。
「そう、じゃ、他に何か特徴あります? いえ、今日何人か来客があるので、そのうちの誰かな、と思って」
だがそれでもクロニカは慎重には慎重を期して、しつこいばかりに訊ねるのをゆめ忘れることがなかった。その警戒心怠らぬ様を見るにつけ、彼女もなかなかどうして馬鹿にできない経験値を持っているといえよう。
あるいはその刹那、ある種の勘、第六感めいたものが発動していたのかもしれなかったが。
その訪問者が、自分たちにとって実に重要な存在となる、ということを。
「えっと、赤い髪で、修道士の服を着た、まだお若い方です」
――そう、何よりもその証拠に相手がそう告げた時、クロニカの脳裡にはハッと思い当たる、一つの面影が確かに存在していたのである




