24.導火線 ①
【 四日目 】
涼やかな靴音とともにその男が入ってきた時、左右両側に巨柱二列立ち並ぶ室内の最奥部、銀の玉座に深々と腰かけたゴルディアスは、ちらとそちらへ目をやっただけだった。そしてそのまま再び、取るに足りないとばかりに視線は手にした書状の文面へあっさり落ちてゆく。
そこは白亜に染められた部屋。すなわち宮殿中もっとも厳かな、最高権力者のみが居座ること可能な場所。
王にも比すべきこの豪傑がここで動じる理由など、もちろん一つとてない。
「閣下、ご報告いたします」
対して赤いカーペット上進んできていかにも恭しく跪いたのは、裾の広がった黒服纏った洒落男――エドアルトである。格式ばった感ありながらも相変わらず雅やかな身なりの彼はそのまま、三段上がった位置に座す主君見上げ、玉座の間にふさわしく丁重に述べたのだった。
「シェムトのガナン様ご一行、およびミスリタのアメルダ様ご一行、ともにただ今ご到着でございます」
「フ、同時か……どこまでも腹の探り合い続ける双方にはまことふさわしい。まあ、いずれにせよ長旅の疲れはあるはずだ。エドアルト、心をこめて歓待してやれ」
「承知しました。ではその前に、ひとまず閣下との謁見と参らせていただきます」
「うむ、それは良いとして」
――と、ここで赤の外套身に着けた領主は初めて目線上げ側近をじっと見つめる。そこには何やら懸案があるようで、表情も険しい。そして続けて声の音量も一つか二つ落としたところ見ると、今は完全に人払いしているにも関わらず、どうやらやけに他者の耳が気になるようであった。
「――キリクからの報告は読んだ。準備には何も抜かりないようだな」
そんな書状を手にしながらの言に、こちらはにこやかな笑み浮かべ応じるエドアルト。
「おっしゃる通り、彼なら与えられた任務はすべてつつがなく達成するでしょう。特に此度は自らの得意分野なれば……」
「奴の力なら当然か」
「ちょうど会食の行われるころに、朗報が届くはずです」
その一言はゴルディアスをようやく満足させる。
「ならばもう言うことなどあるまい。後は本番に臨むだけだ」
「晩餐会では下の者に至るまで我々皆尽力いたします。どうかお任せください」
そして彼はさらに眼光を自信あるものへとした。
「宮殿の料理人たちも、今宵はここぞとばかりに腕を振るうことでしょう」
「よし、二人をまずは舌で驚かせてやれ。シティの類まれなる栄華、両都へ見せつけてくれよう」
むろん部下のその威勢良い言葉に、領主が再び声を元の威厳ある響きへ戻したのは言うまでもない。
「どんな勝負事にも、先手を打つというのは大事だからな」
――かくて、ぎらついた野心隠れなく、彼の顔には猛々しいまでの虎のごとき哄笑があからさまに浮かんでいたのだから。
◇
ずらりと並んだ宮殿のメイドたちを前にして、メイド長、そして副長の二人は背筋をピンと伸ばしいかめしくも直立していた。
長はややふくよかな老齢間近の、対して副長は痩せ型で中年の、といういかにも対照的な組み合わせである。両者ともに緊張感みなぎる表情で、同時にそこにはプロとしての誇りが確認するまでもなくたわわに漏れ出している。むろんそれはこれから彼女たちにとって一世一代ともいえる大仕事が始まるゆえ、今日は気合いをはてしなく入れざるをえないから、というのが大きな理由だった。
何しろ、今まさに荒野のただ中で他に類を見ないほど贅を尽くした晩餐会が開かれるところなのだ。給仕職に就く者として、これ以上誉れある舞台など存在しないのは論を待たなかった。
「さあ、みんな、準備は良いかしら? もうすぐ御客人方が参られます。これまでの仕事そして訓練を思い出し、くれぐれも瑕疵のないように!」
そうして今はテーブル上様々な物品が置かれた用具室に、メイド長の静けさ破る凛々しくも厳しい声が隙間なく響き渡っていく――。
「ほら、そこの二人何やっているの! お喋りなんかしていないで、さっさと向こうへ持っていきなさい!」
そして数分後には、副長の鞭のごとき厳しい叱声が室内を所狭しと飛び回っていた。
元より機嫌がいい時でも相手に威圧感与える女性である。それが多忙を極める時ゆえ、声にもさらに鋭さがこめられている。おのずと年若いメイドたちがビクついてしまうのも、決して無理からぬことではあった。
もっとも、そんな彼女の怒りが収まらぬのには、何か他に大きな理由が存在するからのようで……。
「ちょっとアニス、今日の副長ヤバくない?」
はたして赤毛のメイドが卓上の水差し取ろうとした時、声をかけてきた同じ年頃の同僚の顔にも、何とも言えぬ困惑めいたものが浮かんでいたのだった。
金髪をショートカットにした、活発そうな娘である。元より仲が良いのか、その声はいかにも気安い。何より対する相手が何の気も遣わず答えたのを見れば、それは明らかだった。
「確かにヤバいわね。私が知っている中でも、今日のご機嫌斜めぶりはもちろんナンバーワンよ」
「で、でも何か嫌なことでもあったのかしら? あんなに怒りっぽくなってるなんて」
怯え見せながらもそう重ねて訊ねてきた同僚に、赤毛のアニスはさっと視線向ける。ポニーテールとした髪型に、そばかすの浮いた頬。それはむろん、いつぞやクロニカがにせメイドとして潜入した時、僅かな間相手していたあの娘だ。
彼女は一瞬意味深な間を開けると、作業する手はなるべく止めずに、しかしそれでいて詳細かつ簡潔にそのあたりの事情を説明してやったのだった。
「そりゃあったわよ、それも飛び切りのやつが。まああんたも知っているとは思うけど、原因はまちがいなくせっかく目をかけようとしていた娘に、あっさり逃げられたあの一件ね」
「あ! あのクロニカって人の……。やっぱりあれが相当尾を引いているんだ」
「尾を引いているも何も、あれからずっと怒りっぱなしなんだもの。別に私じゃなくたって、誰だって原因には気づくと思うわ。おかげで思いきり八つ当たりされる娘も多いわけだし」
「八つ当たりって、ちょっと……」
と、相手の余りの遠慮のなさに、同僚はむしろ自分の方がビクつくのを禁じえないほどだった。
「聞かれたらどうするのよ?」
「大丈夫、あっち行っちゃったから。でもまあ確かに、雇った一日目に消えるようにいなくなったんじゃ、怒りも湧いてくるというものね」
「そう、一日で……あの人、よっぽど副長にしごかれるのが怖かったのかしら?」
とはいえやはり話の続きは気になる。周囲の状況を窺いながらも、娘は結局さらに次の問いへと移っていた。
「それもあるとは思うけど、後はやっぱり、エドアルト様に目をつけられたのが――」
「アッ、ゴルディアス様の愛人になるっていう!」
そんなつと勢いづく相手に、慌てて制止の素振り示すアニス。
「しっ、さすがにそれは言っちゃだめ! メイド長からも絶対口外するなって言われているでしょ?」
「そ、そうだった……でも、あの話、相当嫌だったってことか」
と、知りたがりの同僚がそうしてようやく納得の表情見せると、アニスはそこで一息ついてから、自身も腑に落ちたように大きくうなずき返すのだった。
「そうよ、それしか考えられない。何せこれだけの好待遇の職場から一目散に逃げ出したんだもの。結構レベル高めの潔癖だったのね、彼女」
むろん、まだメイド歴浅い人間と思っただけで、いくら事情通の彼女でもあのクロニカの秘された正体となるとあとは知りようがないのだろう。そもそも偽物が白昼堂々宮殿に侵入していたと考えること自体、想像すら及ばぬ特異的状況なのだ。
それもある特殊かつ胡乱な目的ひっそりと携えて。
――いずれにせよもういなくなってしまった存在である以上、結局さっさと忘れて、目の前の仕事に励むしかより良き選択肢はない。
「さあ、話はもうおしまい。急いでこれやっちゃうわよ!」
かくてざわつく部屋の中、赤毛のメイドはまだ考え事していた同僚にそう急かすよう声かけるや、周りであくせく働く仲間たちとともにやがて真剣な面差しで元の作業真面目に再開し始めるのだった。
そう、夜まで続く盛大な宴は、今やもうすぐ開始の鐘を鳴らそうとしている――そんな彼女たちに、無駄なお喋りに興じている暇など本来あるはずもなかったのである。




