23.追憶(1) ④
「お、襲われた、レムリトが?!」
「しっ、あまり大きな声は出さないで。奴らの一人にでも気づかれたら危険だから」
とりあえず屋内に入ると、レイラは休む時間も惜しいと事情話し始めた。もっとも彼女はアクセルが眠ってしまった後三分の二刻ほどして家に飲み物を取りに行った際異変に気付いただけで、詳しく何もかもを見知っているわけではない。そのためか、どうやら自身もいまだ半信半疑の感はぬぐえないようであった。
「奴ら? 集団で襲ってきたの?」
「集団、かどうかは分からないけど、私が見たのは三人。彼らはいったん広場に村のみんな集めると、そこからさらに東の方へ連れ去ってしまったの」
「東って、草原の方……」
今日の朝から、アクセルが一人でこもっていた隠れ処。そこが訳の分からない連中に踏みしだかれる絵が連想されて、少年は気分が悪くなった。
「で、でも何でそんなことを? それに、何で僕とレイラは無事だったの?」
「そんないっぺんに聞かないで! 私だってわけ分からないんだから。――でもアクセルと私が連れて行かれなかった理由は、答えられるかもしれない」
「連れて行かれなかった、理由?」
もはや疑問符で頭がいっぱいのアクセルへ、そうしてレイラは努めて落ち着いた顔示してうなずく。
「私が広場へ近づいた時見た奴らの一人に、とっても不気味な、黒い髑髏みたいな仮面着けた男がいたの。特にそいつの口が筒のように突き出た、変な形だったんだけど、そこから何だか煙のようなものが出て、村の人を眠らせるところ、私見ちゃったんだ」
「煙……」
「その時は男の後ろからだったから、気づかれなかったんだけどね。それでその時、髑髏がこんなこと言ってたの……。『まだ眠っておらん者がいたか。だがおおむねガスは効いたようだな。事前に<傀儡気>を村全体にまいておいたのだ、おそらくもう目覚めている村人など一人もおるまい』って」
「それって――」
少女が一息にそこまで言うと、アクセルは何か閃くものがあったようだった。恐怖のただ中ながらも、その瞳が理知的な光帯び始めている。
「ここが、煙の範囲外だったってことかな?」
「私もそう思う。稽古場は大分村の中心から離れているし、何より今日は強い西風が吹いていたから」
「そして男たちは村の人を皆東の草原へ――」
と、その瞬間アクセルはふと先ほどの、目覚めた直後耳にした音のことを思い出した。あの時は気になりながらも結局うやむやになったものの、しかしレイラの情報を聞いた後では話が違ってくる。当然彼の顔は分かり易いくらいに途端はっきり青ざめていた。
「あの時、僕は誰かの叫び声を聞いた……」
「え、それ本当?」
「うん、何だか小さかったけど、あれは確かに。それも東の方から」
そして唐突に膨らんでいく、嫌悪きわまる想像。むろんそれは少女も完全に同じだったようで――。
「まさかみんな、あそこで――」
しかし、その時。
「待って、レイラ、今何か聞こえた!」
刹那、レイラの言葉を遮ってアクセルの声が放たれた。そしてすかさず目の前で驚き顔した彼女の手を取り、その場でしゃがませる。もちろん少年自身、怯えに支配された様子なのは言うまでもなかった。
「え、何? 何の音がしたの?」
「あれは足音、かもしれない。東の方から」
「東って、じゃああいつらが――」
レイラはなおも問い質そうとしたものの、しかしそれは唐突に途中でぷつりと途切れる。そう、彼女も床に片膝を突きながら遅れて耳にしたのだ、アクセルが聞いたのと同じ音を。
ザッ、ザッ、ザッ……
――土の道をこちらへ近づいてくる、幾人かの靴音を。
「本当だ、足音が……」
「と、とにかく、まずは」
と、アクセルが膝を曲げた体勢のまま、つとレイラから離れて行こうとするので、少女は慌てて声を掛けた。
「アクセル、どこ行くの?」
「明かりだよ。点いているのはまずいから、消してくる」
「もう遅いよ、今さら!」
そう答え聞くや、声量は抑えながらも、たまらず少年を強く引き止める。むろんその一言は、いったん壁に吊るされたランタンの元へ向かいかけた彼を、すぐさま思いとどまらせていたのだった。
「そ、そうか、ごめん……」
「いいの、それより、他に何か助かる方法を考えなきゃ」
「でも、どうすれば」
だが段々と距離を縮めてくる足音に、結局アクセルとしてはどうしても心乱さざるをえない。そのレイラを見つめる瞳が示すのは、まさしく藁をも掴もうとする者の恐怖以外ありえなかった。
「私に一つ考えがあるの」
そこで、相手じっと見つめ、レイラがふと声を落として呟く。
それは今までアクセルが一度も聞いたことのない、重みのある声音。
しかも瞳の色まで、つと真剣な光宿らせて。
「いい、アクセル。これから私が言うこと、しっかりと聞いて」
「うん……」
そして一瞬だけ、思い詰めたような間が痛々しい空隙を生む。
はたして少年はそこに、なぜか尋常ならざる不安に似たものさえ感じてしまったのだが。
「そう、ただ一つ、これだけが生き残れる方法なんだから」
――むろん今はただひたすら、再び発された彼女の言葉に何度もうなずき返すしか、なす術はないのだった。
◇
目覚めると、薄暗い部屋だった。
いつもの見慣れた景色。感じ慣れた雰囲気。
何より隣からは、すやすやとした寝息と高らかないびきが和やかに聞こえてくる。
言うまでもなくここはサミュエル修道院、三人の修道士用寝室――。
(また、あの夢か……)
夜明けの寸前、定かになりゆく意識の中、アクセルはそうしてベッドの上、一人静かに数分前まで見ていたはずの映像を想起していた。
ここ数日間、毎夜のように目にしている夢だ。
遠い昔、遠い故郷で体験した、およそ事実とは思えぬ恐るべき出来事……。
そこにいた懐かしい人々はすでに皆過去へ消え去り、自分だけが一人残されてしまった。そのことに関する罪の意識はむろんいまだ傷跡のごとく深く残っている。
誰も助けられず、そして村はただの廃墟と化し――。
もはや自分が帰るべき生まれ故郷はどこにも存在しない。
それは忘れようにも、決して忘れられぬ永遠の記憶。
そしてレイラ、あの時自分を命懸けで助けようとしてくれた少女。
いつもずっと一緒で、いつも世話焼きだった人懐っこい幼馴染み。
――何よりあの娘のことを想うと、今でも胸は絞めつけられる。
そのひまわりのような笑顔が、いつも心のどこかで輝き放ち存在しているように。
それなのに、僕は彼女を……。
これまでもう何度も回想し、また何度も後悔し続けてきた思い出だというのに、それでもまたその在りし日の姿示されるとともに涙はとめどなく溢れてくる。
もう二度と戻らない、平和で素朴な日々。
自分ははたして彼女に償うことができるのか。
夢を見るたび、そんな自問自答は止まらない。
――たとえ答えのない問いだとしても。
永久に。
……そして朝の気配忍びこもうとする静かな部屋の中、その穏やかならぬ想い抱えたアクセルのすすり泣く音だけはしばし存在主張していたのだが、しかし今はそれを慰めてくれる者など、むろん誰一人いるはずもないのだった。




