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22.追憶(1) ③

 (アクセル……)


 (え?)


 (アクセル、よく聞いて……)


 (何、この声。誰――?)


 (今すぐ、逃げて。村から)


 (逃げる……ここから?)


 (そう、もうすぐあいつらがやって来る……)


 (え、あいつら? 何言っているの?)


 (奴らが来たら、恐ろしい目に遭う。とにかく、逃げて、そしてあなただけは生き延びて)


 (な、何言ってんだよ、村の人見捨てて僕だけ生き残るなんて、……そもそも誰がこの村を襲うっていうの?)


 (奴らは血も涙もないけだもの、今のあなたでは勝ち目なく、そして誰一人守れない。だから)


 (だから、それは誰なの? 何でこの村を襲うの? 教えてよ!)


 (逃げるのよ)


 (そ、そう言われたって、レイラたちがいるのにそんな卑怯な真似は――!)



 そう、アクセルが霧の中絶叫したところで、奇妙な夢はぷっつりと切断されていた。そして目眩(めまい)めいた浮遊感とともに、ふいに世界が現実へと一挙に変化していく。

 目の前には板敷の広々した床。白く清潔な壁。ぼうとしたランタンの光。

 間違いなく、村西外れにある稽古場の中だ。

 だが窓の外はすでに真っ暗で、何よりやたら肌寒い。

 どうやら練習の最中、小休止のつもりが不覚にも眠ってしまったらしい。夢を見る直前の記憶では、まだ時刻は日が暮れる寸前だったはずなのだから。

 おそらく壁に背中預けうとうとし始めてから、経過した時間は一刻(三時間)ほど。

 それにしてもやたら現実感があって、怖い夢だった。もちろん悪夢というのともまた違う。とにかく、不思議な、しかしそれでいてどこか温かい人の声を聞いた気がするのに、それにも関わらずいつまでももやもやしたものが残っている……。

 あるいはそれは、霊の如きかそけき存在と会話した後の感覚、とでもいうべきか。


 (そうだ、今は……)


 だが、意識がはっきりし出すのにつれてその声もやがて記憶から薄れていき、アクセルの頭は代わって、とにかく現状、自分の置かれた状況を掴もうと猛スピードでフル回転し始めていた。


 大陸東方のテマ・ヘシュキア内に位置するこの辺りは四季に恵まれた地域だが、同時に夏が終わると途端冷涼さ増す気候帯でもある。とりわけレムリト村は比較的高地にあり、秋の夜ともなれば暖房要するくらい寒々しくなるのは周知の事実だった。

 そんなタギオの月の夜、かくて少年は白衣纏ったまま、やけにがらんとした稽古場内でたったの一人。周りには誰の姿もない……。


 (あれ?!)


 と、突然アクセルは今さらながらとてつもなく大事なことに気づいた。言うまでもなく、いくら見回しても共に練習していたレイラがどこにもいないのだ。昼間は指導者たるバルテ老人も稽古場に座を占めていたが、しかし彼が夕刻前に帰宅した後は、まさにレイラと二人きりでずっと特訓していたというのに。

 そうして突然彼女がいなくなっただけで、実に賑々(にぎにぎ)しかった空間が、今はやたら虚ろに感じられる。


 (外にでも行ったのかな?)


 途端心細さとともに湧き上がったのは、心配げな感情。

 とはいえいくら耳を澄ましたところで、いつも元気なレイラの声が掛かるはずもない。代わりに充溢(じゅういつ)するのは、耳が痛くなるほどの冷たい静寂。


 (自分の家、かな?)


 いまだぼんやりした頭のまま、かくてアクセルはやむをえずとばかりに、ようやく屋外の様子を確認するためそこから立ち上がろうとした――。


 その瞬間だった。


 「え?」


 アクセルの耳が、つと何かを捉えていた。

 刹那彼は動きを止め、耳そばだてる。そして次いで音のした方、東側の窓へ、不安に彩られた視線も向ける。

 その姿勢のまま待つこと、時の経過にして十秒ほど。

 ――だが外の闇は、相も変わらず無表情で、固い沈黙保ったまま。

 全てを包みこむ、変わらぬ静かな夜でしかない。


 (今のは、気のせい? でも、確かに悲鳴が……)


 しかしむろんそれで少年の気が晴れるはずもなく、彼はやがてそうっとした足取りで、窓辺にゆっくり近づくのを止められなかった。それくらい、先ほどの音は妙に胸騒ぎするものだったのだ。

 そう、あれはまさしくかなり遠くからではあったが、誰かの悲鳴に違いなかった。それも、嫌でも耳に残るような……。


 そうして窓の桟に手を掛け、前へと身も乗り出そうとした、しかしその時。


 「アクセル!」

 「わっ」


 突然背後から発された声が、少年を文字通り飛び上がらせた。

 不安めく物思いは思いきり消し去られ、目を大きく見開きつつ慌てて振り返る。


 「アクセル、良かった、無事だったのね!」


 ――そこ、稽古場の玄関へ続く扉口には、探すべき相手、レイラが一人立っていた。むろんまだ彼と同じ、練習用のひらひらとした舞衣装だ。


 「……ハアッ、ハアッ」


 だが、そうやってやっと明かりの下へ戻ってきたというのに、なぜか息は荒く、表情も険しい。明らかに、それは何かよからぬことが起こったという雰囲気としか思えなかった。


 「ど、どうしたの、レイラ? そんなに慌てて」


 当然、アクセルも再会を喜ぶというより怪訝と怯えの入り混じった顔で問うている。あまりにも意外な事態となって、さすがに脳の処理が追い付いていかないという厄介な状況でもあった。


 「ハア、ハア……、アクセル、とにかく落ち着いて、しっかり聞いて」

 「えっと、うん……」

 「早く、逃げるの。あいつらに捕まる前に」


 ……そうしてレイラは、いまだ肩を大きく上下させながら、いきなりとんでもないことを告げてきたのだった。

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