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20.追憶(1) ①

 さらさらと葉擦(はず)れの音鳴らして吹き渡る穏やかな風が、その時少年の赤い髪を優しく揺らしていった。湖面のように、同時に広大な草原の至る所一斉に走り出す、小さな波の数々。辺りに漂うのは、むろんさわやかでいつも心和ましてくれる、芳醇(ほうじゅん)なまでの草いきれだ。

 そこは大海めく緑色した世界のただ中、少しだけ盛り上がった、塚のような場所。

 黄色の麻の上衣に茶色い筒袴履いたアクセルは、そうして朝からずっと、その控えめな隠れ処で風の音通り過ぎるのを耳澄ましている。草の中ひとり、小さく膝を抱えぼんやり座りこみながら。


 ――その姿はまるで、緑野に棲む寂しげな小動物のよう。


 とはいえこうして遮蔽(しゃへい)された世界に身を預けていると、確かに余計なものは何も見えず、また聞こえることもなかった。

 目に映るのは緑、耳に届くのは風と周囲の草々が立てる音ばかりなのだ。

 むしろ、これでは静寂の方がよほど雄弁に何かを語ろうとしている、そう思われるほどだが、それゆえにアクセルは以前より大分少なくなったとはいえ、ここで一人ぼっちの一日過ごすことがまだ幾度もあったのである。

 すなわちそんな風に無垢な自然に癒しを求めねばならぬくらい、10歳の少年の心にはいまだ決して埋められない大きな喪失感が残っていたのだから。


 ……あとどれくらい経てばそれがなくなるのか、まるで見当もつかないくらいに。


 見上げれば太陽はいまだ高い所に位置していた。秋の一日とはいえ、日が暮れるまでにはまだいくばくかかかるのだろう。そうして眩しいながら茫漠とした空気の中、空虚に身を委ねているこんな時間はいつまでも、そして飽きることなく続くように思われて仕方ない。


 ――しかし、アクセルが知らずそんなことを夢想しながらゆっくりと目をつぶっていった、その時。



 「アクセル、もう!」

 「わ!」


 突然静寂に抗う声を引き連れ、背後の草むらの中からその少女は一人姿現したのだった。


 「――今日もここにいたのね? でもバルテさんが待っているから、早く戻らないと」

 「あ、レイラ。って、師匠が?」

 「もう、ちょっとボンヤリし過ぎ。明日はもうイルゼ祭当日だから、今日が舞の練習最終日なんじゃない」


 そこに立っているのは、予想通り一人のよく見知った少女だった。

 茶色い短髪に、つぶらな緑色の瞳。肌は小麦色に焼け、頬にはそばかすも浮いている。そして着ているのは、茶色の上衣に橙色のジャケット、同色の筒袴……。

 もちろん少年のびっくりまなこに、草掻き分けて現れたそんな相手はさらに声へ険を乗せ言葉継いでくる。そこにどこか世話焼きな風もあることといい、どう見てもアクセルと同年代ながら、精神的には姉のような位置にいる少女のようだった。


 「あ、そうだったっけ……」

 「そう! だから今日はいつもより早めに迎えに来たの、だってアクセル、放っとくと夜までずっとここにいるんだもの」


 そう勢いよく続けると、少女はさっと右手を少年に差し出した。さっさとこれで立ち上がれということらしい。むろんアクセルには何ら拒否権なく、刹那の後には、まだどこかボウっとしつつも少女の手をしっかり掴む彼の姿があった。


 「お昼だってまだなんでしょ? 私の家で用意してあるから、戻ったら食べたほうがいいよ」

 「うんそうだね、確かに。あと、それと――」


 確かに気づけばかなりの空腹状態だった。よくこれで今まで我慢してこられたと自分でもさすがに呆れるほどだ。

 彼女は気遣いからかはっきり言わないが、確かにもうそろそろ、他の村人たちが言うようにこんなことは止めた方がいいのかもしれない。


 ――と、そんなしばしの時を忘れた状態から戻った直後ではあったが、しかし立ち上がってパンパンと身体はたきながらも、彼はここで言うべき言葉だけは、いつも通り決して忘れなかった。

 自分を探しに来てくれた眼前の、茶色い髪の少女への感謝は、何があろうと少しも変わるはずなかったのだから。


 「ありがとう、レイラ」

 「え?」

 「いつも迎えに来てくれて」

 「あ、うん……」


 しかしてその傍目には何でもない一言になぜか相手――レイラが毎回頬を赤らめ口ごもってしまうのも、二人の間ではもはやお馴染みの事象、ということでしかなかったのである。


                  ◇


 タギオの月(11月)、すなわち実りの秋も大分深まった頃。

 その日、レムリトの村は朝から明日の祭の準備に追われ、ずっと上も下も大わらわの状態だった。草原と森に囲まれた家の数30件程度、人口100人足らずの集落だが、何せそんな小さな村にもいよいよ今年の収穫を祝うイルゼ祭の日がやって来たのだ。

 言うまでもなく、それは一年で一番規模の大きい、村の生活の総決算ともいえる大祭。

 村中総出で今や浮かれ騒いでいるとしても、そこに何ら訝しむ点など一つもありはしないはずだった。

 特に集落中心にある大きな広場には何日か前から派手な演舞台が特別に仰々しく設えられており、今からこの上で幾つもの演技が行われるのを待っている。むろんそこが祭の最大の目玉となるのは、まず間違いないと見ていい。

 明日は一日中、笛や太鼓に琴の音色、そして舞に合わせた歌が休みなく響き渡ることとなるのだから。

 むろん、レムリトの民であるアクセルとレイラも、祭りではそれなりの大役を担う予定となっていた。何より二人は今年で10歳、すなわちクライマックスたるミュカの舞に参加できる最後の年齢を迎えている。

 5歳の年から必ず始めなければならないその舞は、小さな子供たちが目もあやな衣装纏い、祭りの最後、夜中に披露されるもっとも幻想的にして神聖な儀式。何よりこれを捧げることによって、ようやく村は一年無事に収穫できた感謝を天に向かって報告することができるのだ。

 当然、子供たち、そしてそれに舞を教える大人たちも特別熱が入るというものである。

 そして言うまでもなく、レイラが草原へ少年を迎えに来た一番の目的も、そのミュカの舞最後の練習に参加させるがためであったのだった。


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