2. 真昼の逃走劇 ②
「ここだ、ガキともが逃げこんだのは!」
バンダナは目の前の建物を指すと、口角泡を飛ばして言い放った。
細路をまっすぐ行った端、行き止まりの場所だ。円形で小ぢんまりとした広場になっていて、ぐるりといくつか建造物が建ち並んでいる。どれもこれも小さくて見すぼらしいが、中でもバンダナが指したその小屋はボロボロ度合いで言えば相当抜きん出た物件だった。
平屋建てで、レンガ造りの赤茶色い壁。屋根板は木材だろうか。
「け、こんなボロッちい家で籠城でもするつもりか?」
当然スキンヘッドの顔にも余裕そのものの傲岸な笑みがはっきり浮かぶ。彼が建物ににじり寄ってツバメマークの看板下げられた木扉を乱暴に叩いたのは、そのすぐ後のことだった。
「おい、ここを開けろ、急用だ!」
……すると訪問客とは思えぬ野卑な雄たけびに恐れを成したものか、僅かな間を置いて、古めかしい音とともに扉がゆっくり開かれていく。迎え撃つ三人の眼が、途端ギラリと屋内の暗がりへ向けて狂暴な光放ったのは言うまでもない。
スキンヘッドなどは、怒りの再沸騰のあまり、鼻から大きく息を吹き出したほどだ。
「はい、何でしょう?」
と、聞こえてきた丁寧な応対にも、どんな奴が出てきたのか形相は一層険しさを増す――。
「あん?」
だが、彼らはその瞬間、おそらく予想したよりは大分年若い……むしろ少年と言った方が的確なくらいの人物を目にしていたのだった。しかもなかなか可愛らしい見た目――その長めの赤い髪、つぶらな青い瞳、ふっくらとした丸顔は、一瞬彼らの闘志を忘れさせるに充分過ぎたほどである。
精悍なるスキンヘッドですら、扉口に突っ立ったまま思わず目をしばたたかせていたのだから。
「……お前がここの住人か?」
「はい、住人兼職員です」
「職員?」
涼やかな返答にやや面食らう男。自分のことを大して恐れていない様子なのも気にかかる。
だが何よりも、彼の注意を引いたのは相手の身なりそのものだった。
「修道士……か?」
全身あずき色の長衣。腰には黄色い紐を締め、背中には頭巾を垂らしている。どう考えても相当粗末な代物。間違いなく、それは正規の教会人とは異なる在野聖職者の服装と見て異論なかった。
「はい。ここで日々活動しています」
「――まあいい。それはともかく、とりあえず用件だ。ここに先ほど二人の子供が入ってきたはずなんだが」
「子供、ですか? いえ、見ていませんが……」
それでも数秒後やっと気を取り直したスキンヘッドの凄みある問いに、若き修道士は気持ち首を傾げ答える。やはり柳に風と言うべきか、悪名高き猟兵隊を直接目にしてもほとんど恐慌をきたすことがない。むしろ彼らのことをまるで知らぬようなゆったりした感さえ漂わせる。ここジグラト・シティで生活する以上、そんなことはまずありえないのだが。
その様相にスキンヘッドのみならず、隣のバンダナまでもが苛立ち募らせたのは当然だった。
「おい、何しらばっくれてんだよ! 俺たちゃあの道端で寝ていた爺さんから聞いてんだ、このボロ小屋にさっきガキどもが逃げこんだってな!」
バンダナが言うのは、広場に入る辺りの細路端で酒瓶片手にうつらうつら船をこいでいた老人のこと。一見したところ完全な夢の国の住人でしかなかったが、しかし叩き起こして話を聞くと意外やしっかり子供たちの行方は知っていたのだった。
「無駄に隠しやがるとお前らのためにならないぜっ」
そして今にも詰め寄らんと、目に獣のごとき凶光が爛々と輝く。その手を腰のサーベルの柄に思いきり掛からせて。
とても聖職者を前にしたものとは思えぬその行動に、修道士が今やはっきりと眉をひそめる。もちろん彼は完全な丸腰だ。斬りかかられたら何一つ対抗するべくもない。
しかも相手は無法者の象徴たる猟兵隊。
このままでは、陽光まぶしい真昼間に血の惨劇が堂々と繰り広げられても何らおかしくはなかった――。
広場入口付近から、青年はいかにも懸念される視線でその剣呑な光景窺っていた。修道院を取り囲む三人組からはちょうど死角となる、建物の陰となる位置だ。距離にしておよそ15メティス(メートル)。一気に飛びかかるにはかなり間がある。
「まずいな」
「マジで斬りかかりそうね、あいつ」
その背後より、続けて同じく不穏な響きをこめ放たれる小さな声。もちろん赤銅色の肌の女性である。その表情は今や大分シリアスな方向へ変わっていた。
「ここはあんたの出番ってもんじゃない?」
「……こんな所でか?」
「仕方ないわ。もちろんまだ目立ちたくはないけど、この修羅場を何とかするには」
「ウム……」
溜息混じりの言に、灰髪の青年がこちらも観念したように小さくうなずく。自然と、その細い手が腰のベルトの辺りへ伸びていた。
「――やむをえない。やってみるか」
だが、青年が腰から何かを取り出そうとした、その瞬間。
「お、おい、待てよ……」
二人の同僚の背後にいたもう一人、ポニーテールが突然慌てたような声を上げてバンダナを制止したのだった。
「何だ、どうしたっ」
むろん力まかせに目的達成する気満々だったバンダナは、いい所を邪魔されていかにもうるさげに仲間を振り返る。特にその声音に妙な切実さがこめられているのが気になったらしい。物問う一言も実に荒々しかった。
「いや、ここって、もしかしてサミュエル修道院じゃねえか……?」
一方そんな大声などいっこうに構わず、さらに焦りを、いやビクついた感を増していくポニーテール。元来いかついはずの顔も、今はなぜか青白く怯えた風まで装っていた。
「サミュエル、だと……まさか」
するとポツリ呟いたのは、相手のありえない反応にむしろポカンと口を開けてしまったバンダナではなく、その隣、スキンヘッドの方だった。ポニーテールの言葉を受けたものらしく、修道士を見つめたまま彼もつと示すのはあからさまな焦慮の色だ。よほどその修道院の名が衝撃的だったとみえる。
続けての言にも、隠しようのない驚き、そして戸惑いが含まれていたのだった。
「赤い髪――じゃあ、お前はまさか……?」
対する若き修道士は、相手の表情の変化に何を見たものか、静かにその場でたたずんでいる。やはり穏やかな、争いごとの似合わぬ風体。波立たぬ湖面思わせる鮮やかな青い瞳だけが、雄弁ともいえる賢しげな光放っていた。
ハッとしたように、我知らずスキンヘッドが確信めいた一言を洩らす。
「そうか、ここが――」
「何だ、奴らの動きが止まったぞ?」
視線の先で繰り広げられた不可解な光景に、青年は思わず訝しげな顔となると、腰のそれを引き抜く右手も止めた。
それくらい、あまりに予想外の出来事だったのだ。
「まさかあの子が説き伏せた……?」
「ただの坊やじゃないってことかしら?」
むろん語を引き継ぐように聞こえてくる声にも鮮明なまでの驚きがこもっている。相棒の面食らいぶりも相当なようだ。
「……まったく、色んなやつがいるみたいね、この町は」
次いでふとにじみ出てきたのは、隠しようのない好奇心。一瞬その大きな眼が、いかにも意味深に細められる。
「こりゃしばらく飽きそうもない、か」
……はたしてその時、彼女は関心をもはや別のところへ移動させたかのごとくに、小さな笑みを口元へ零していた。それは目の前で背中を見せる青年が気づけば盛大な溜息洩れ出てきそうな、何とも大胆不敵な風――場違いにも、まさに久々のやりがいある仕事に心躍らせる、いわくつきの微笑としか思えないのだった。
◇
「ちっ、仕方ねえ。ガキども命拾いしたようだな……だが今度同じことやりやがったら、絶対容赦しねえぞ」
つと、スキンヘッドは舌打ち混じりにそう言い捨てると、さらに怒りはいまだ収まらぬようながら、しぶしぶ諦めの態で扉から身体反転させた。当然それは、傍らにいたバンダナに目を白黒させるには充分過ぎるほどの唐突さだった。
「お、おい、急にどうしたんだよ。ガキはいいのか?」
「それどころじゃなくなっちまった。さすがに俺も、ゴルディアス様のご機嫌を損ねる真似だけはしたくねえ」
「ゴルディアス様……? 一体どういう――」
意味なんだ、と続きを言いかけて、しかしバンダナはふいに驚愕で目を見開く。赤髪の修道士を改めて見ての、分かりやすいくらいの狼狽である。
「こ、こいつがあの……」
「そういうことだ。まさかここでいざこざ起こすわけにもいかねえだろ。そんな馬鹿なことしたら、永久追放ものだぜ」
と、もはや完全な白旗状態。どうやら彼にとって、いや他の二人にとっても、眼前の修道士は禁忌に触れかねない存在であるようだ。
あれほどきな臭かった雰囲気が、気がつけば妙に間の抜けたものとなっていたのだから。
「……ったく、今日はとことんついてねえ。ガキに石投げられるわ、ゴルディアス様のお気に入りと会っちまうわ」
そして不満げにブツブツ言いながらも、足はすでに小屋から離れだしさえしているのだった。
黒の上衣に、黒の筒袴。銀色に光る胸当てと、いかにもごつい同色の肩当て。さらに腰には物騒きわまりないやや湾曲したサーベル。
そんな悪名高き領主ゴルディアスの親衛隊員をして、まるで手を出させない事情とはいったい――。
「……」
むろんその答えを知っているはずの修道士は物言わず扉口に立ったまま、スキンヘッド先頭に次第に広場から遠ざかっていく荒くれ者たちの背中を、ただじっと見つめ続けるのみなのであった。
……どこか儚げともいえる、青く澄みきった瞳で。
エクリュシス暦21年、春訪れしピオトの月(4月)。
陽射し鋭く、景色の先では陽炎がいつまでも弄ぶようにゆらゆらたゆたっている――それはそんな気だるげな気配包む中、わずか一幕だけ起きた、つむじ風のごとき出来事であった。