19.酒場にて ②
「おい、もっと酒持ってきてくれ! 壜がもう空になっちまった!」
「ちょっと、変なところ触んないでよ、このエロ親父!」
「ラクダ肉のステーキですね、今お持ちします」
「これからまた仕事だ、胃に何か入れておかんと身体が持たない。さあ食べた食べた!」
「見ろよこれ、マギルト市場で買ったイヤリングだ。フィーナには絶対似合うと思うんだが……」
……一人静かに黙想するロビーの耳には、かくしてさっきから背中越しに店内のざわめきが、休みなくずっと届いていた。
時刻は六時課(午後十二時)の少し前あたり、しかし店内はすでに相当な賑わい振りだ。老若男女、客層も実に多種多彩。地元民はもちろんだが、そのいでたちからするに、彼同様外から来た訪問者の数も多いと思われる。
何よりもそうした客の間を縫って仕事に励む店員の忙しなさを窺い見れば、この<水竜亭>がいかに繁盛しているか如実に分かるというものだろう。
まさしくサリヤの言葉にまったくもって符合した、それはジグラト・シティ全体で見ても一、二を争うという名店の光景には相違ない。むろんあの情報がなければ、ロビーにとっても単なる人気店としか見えなかったであろうことは、まず確実だ。
(もちろん、ここにも<目>は潜んでいるということか)
だが今やそれなりに知識得たロビーは皿から目を離し、背後の情景へさりげなく視線巡らせつつ、胡乱なことを考えてみる。
市中に隙間なく張り巡らされた、完璧な情報網のことを。
むろんそうした状況下では、公共の場で一言でも領主への不満洩らせば即監獄行きなのは間違いない。何より密告屋は引き換えに金を得ようと、今日もあちらこちらで生贄を探し回っているのだ。またサリヤは一応自分の家は例外みたいなことも言っていたが、場合によってはそれも怪しいだろう。すなわち自宅ですら、時には目をつけられる可能性がある……。
そう、それはまさしくゴルディアスが町を乗っ取るとともに誕生した、げに恐るべき広域監視システムそのものなのだった。
もちろん、今現在のここ<水竜亭>においてさえ、決して要らぬ油断は禁物なほどに完備された。
(まるで見えざる蜘蛛の巣だな……)
そうして青年の頭には、ふいにそんな嫌に粘ついた巨大な糸のめくるめく迷路が、はっきりと浮かび上がる――。
「<蜘蛛の巣>だ、やったぜ!」
「畜生、やりやがったな、最後の最後にっ」
「おい、これで俺はもう勝ち目なしだぜ、ふざけやがって!」
(え?)
すると、その時だった。突然背後よりそんな馬鹿にうるさい声が響き渡ってきて、耳にしたロビーは一瞬心でも読まれたのかと身体ビクッとさせた。
(いや、まさか)
むろんそんな可能性があるはずもなく、すぐ心を落ち着けようと努めるものの、それにしても奇妙なまでの同調具合だ。
すかさず、ただしできるだけさりげなさ装い、青年が背後、円卓並ぶ方へ視線放っていたのは言うまでもなかった。
「へへ、これで合計1,000クライスは儲けさせてもらったぜ。どうもありがとうよ」
「くそっ、ミスリタで遊んでくる金がこれじゃ足りねえじゃねえか……」
「なら今貸してやろうか? もちろん利子つきで」
「馬鹿野郎、それは元々俺の金だ!」
目線の先、店の最奥にある円卓には、四人の人物が座っていた。その四人とも、砂除けの灰色ローブ纏っている。当然ながら、外地へ旅に出る時の標準的ないでたちだ。
今まさに何かのゲームに興じているらしく、卓上にはかなりの枚数のカードと、加えて銅貨も広げられていた。ここからでは情報はそれだけで詳しいルールは詳らかでないものの、とにかく盛り上がっているのだけは分かる。
つまり言ってみれば、ただカードゲームが行われているだけのテーブルである。後はそれ以上でも以下でもなく、そう考えるとやはりあの<蜘蛛の巣>なる掛け声も単なるゲーム中使われた用語でしかなかったのだろう。
むろん先程ビクついたのが何とも馬鹿らしくなるくらい、それは実にありふれた日常味ある光景――。
だが。
「遊びはそれくらいにしておけ。もうすぐ出発だ」
――その中の一人の男が、なぜかロビーの心を異常なまでにざわつかせた。
一行のリーダー格だろうか、その声にはいかにもな居丈高感が垣間見える。また彼のみはゲームに参加せず、それまで別のことをしていたらしい。確かにその前にはカードも銅貨も見当たらなかった。
「早くしろ」
「ハッ、分かりました。すぐ片づけます!」
そんな男が自らの地位を証明するように命じると、当然三人はあたふたかつ一斉に遊戯をお開きにし始める。広がったカードもすぐさままとめられていったが、見れば、その三人が三人ともなかなか精悍な面立ちをした、身体つきも相当頑健な男たちだ。あるいは皆手練れの戦士だと紹介されても、そこに何ら驚くべき理由はない。実際、たまたまこの町を訪れた傭兵という可能性も、雰囲気等から充分ありえた。
何よりここジグラト・シティにおいては、そういった連中を見かけるのは日頃よくあることなのだから。
……しかし、むろんロビーの眼は、すぐにその戦士めいた三人を通り越して、再び件のリーダーの方へと移っている。
それくらい、男の放つオーラには強烈過ぎるある種の迫力があったのだ。
切れ長で、鋭い目つきをした男。白い髪は肩に届くほど長く、赤銅色の肌に、細い眉、高い鼻。やや頬のこけた顔立ちで、顎も尖っていたが、しかし全体から発する雰囲気は、やはり屈強な戦闘のプロというものである。特に肩幅は広く、それだけで膂力はかなりのものがあると思われた。
――そう、まさしく、纏った空気だけで周囲を圧倒できるクラスの、戦巧者。
ロビーの眼が、つと瞬時に男の秘めているであろう、その実力をかように弾き出す。
いずれにせよ間違いなく、ただの一般人では持ちようがない佇まいだ。
かてて加えて、そうした通常の範疇では決して捉えきれない謎めいた迫力が彼からは零れ出ているようにすら感じられる。
歴戦の戦士といえども、どうあがいても放つこと適わぬ、選ばれし者のみに許された特殊で特異な光輝くオーラ。ただしその中の、今はごく微かな一片。
あるいはひょっとしたら、それは……。
(――ゴルディアスに何か用があるみたいだけど、だったら一つ忠告しておくよ)
その時、ふと脳裡を一つの声がかすめた。もちろん朝方、さっきのサリヤから聞いた話の続きだった。
(あの男自身が並ぶもの無き強さなのは確かだが、その前にあいつに何の障害もなく近づくこと自体、まず不可能だろうね。厄介極まる取り巻きが守っているのさ、もちろん猟兵隊なんかとは格が違う。――そう、あいつの傍には、常に二人のブレイカーが控えているんだ。さすがにあたしも使用する武器などその詳細は知らないけど、存在するのは確か、そしていずれにせよどちらも実力者なのは間違いない。要するに、ゴルディアスに接近するためには、最低でもその二人のブレイカーの相手をしなきゃならないこととなる……)
ブレイカー――<でたらめな兵器>を使役する者。
この世界における、最強の力思うがままに駆使できる、唯一の属性。
崇高にして忌み嫌われもする、狂った戦闘機械――。
そんなブレイカーが、まさかゴルディアス配下に二人いるとは思ってもみなかったが、いわば彼らは領主に仕える側近にして参謀のようなものらしい。要はゴルディアスに次ぐ、シティにおける二大幹部の位置づけだ。
当然正味の実力は未知数ながら、間違いなく強敵となる存在。仕事を果たすうえで、厳重なマークはどれだけしてもし過ぎ、などということはありえなかった。
――そして今、まさに目の前に座している、ローブ纏った白髪の男。
得体の知れないオーラは相変わらず甚だしく、刺すような気配が余りに刺々しい。何よりも、冷え切った薄茶色の眼の中で、昏く攻撃的な炎がゆらゆらと燃えているようにすら感じられる……。
そのきらめきを見た瞬間、ロビーの中で、はたして何かがカチリとはっきり音を立てて繋がっていた。
(間違いない、彼は――)
そんな心中の、秘めたる呟きとともに。
「よし、では出発する」
「ハッ」
「今宵には向こうへ到着するぞ」
やがてリーダーの言葉を合図に、男たちは席から立ちあがった。皆荒々しいながらも、同時によく統制の取れた、すばやい身のこなしだ。
そして最後に、ローブ翻らせ白髪の男が立つ。それだけで周囲に威圧感放ったように感じられたのは、やはりロビーが男の力に気づいていたからだろうか。
だがそんな青年の思いなど露知らず、彼が一つ号令出すと、休憩終えた一行はかくして身支度整え酒場から去る準備を始め出す。むろん疑いなく、これからバルディヤの荒野へ勇んで出て行くようだった――。
辺りには、有象無象の終わりなきさんざめき。
むろんそんな中その胡乱な四人組の動向に注視した者など、まだ他には誰一人としていない。
誰もが皆、自らの蕩けるがごとき享楽にただ現抜かしているだけ……。
……そうして喧騒いまだ止まぬ中ふとロビーは額に一筋の汗流していたのだが、彼は真剣な顔のままでいっこうそれに気づかず、はたしてしばらくの間、椅子から立ち上がることさえできなかったのである。




