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18.酒場にて ①

 皿の上に置かれた砂ウサギの(あぶ)り肉からは、湯気とともに鼻を射る香辛料のかぐわしい匂いが勢いよく漂ってきた。

 口をつけるまでもなく、間違いなく美味い料理であるという明白な証拠だ。サリヤが先ほど<水竜亭>に行ったらあれだけは食べておけと自信満々(すす)めただけのことはある。とにかく空腹にはその見た目だけで十分罪深い。

 さらにこれで値段がたったの200クライス足らずなのだから、荒野の街で取る昼食としてはむしろ上出来過ぎるほどの価値があった。下町には他にも食堂・酒場の類が数軒存在したはずだが、この逸品見る限りここ以上に上質なものを出す所など、まずないだろう。

 勢い、我慢できないとばかりに唾も飲みこんでいるというもの――。



 (これは凄いな……)


 かくてシティ第一層西の街、明るく開けた通りにある評判高き酒場には、カウンター一番奥の席で昼日中充実した料理を堪能するロビーの姿が見られた。

 思わぬ僥倖と言うべきか、この城砦都市に来て三日目、いわば初めてともいえるちゃんとした品である。もちろん今まで安宿から出てきた食事とは完全に雲泥の差、あと何日滞在するかはまだ見当もつかないが、とにかくこうやって割と早く良質の店へ辿り着けたこと自体がまずは大きかった。何よりもこれまでの二日間、ひたすら食事面に不満洩らしていたうるさいクロニカを、ようやく落ち着かせる必勝法手に入れたのだ。

 いくら彼女でも、このウサギ肉目にすれば何一つ文句は言うまい。

 そしてジグラト・シティにおける食の問題さえこれで解決することできれば、その機嫌もたちまちにして良くなるはず……。

 多少強引ながら、それでもひとまず安堵の息洩れるのは禁じ得ないのだった。

 そう、食の恨みは案外油断できない曲者、放置すればさらなる難題となりうるのは、古今東西否定し難き道理――。

 特に相手によっては、かなり神経使わざるをえないほどの。


 (――クロニカは辛いのが特に好きだからな。きっと大丈夫だろう)


 ……もちろん皿を見つめながらその時ロビーが知らず脳裡に思い浮かべていたのも、かくてまさしくにんまり笑み零してこちらを挑発する、あの勝ち気な相棒の顔以外ありえなかったのである。


                  ◇


 「どうだ若いの、うちの自慢の一品は美味いか?」


 ――と、こうしてぼんやり想起混じりに炙り焼き味わっていると、そんなロビーをふと穏やかに振り向かせるように、いかにも機嫌のよい声が掛かってきた。

 青年が卓の向こう側へ目をやれば、そこには黒髭の壮年男性がにこやかに笑み浮かべている。むろんそれはこの10人ほどが座れるカウンター席と八台の円卓置かれた、<水竜亭>のマスターだ。色黒で恰幅(かっぷく)よく、縦縞模様の上衣と、茶色の筒袴を(まと)っている。

 どうやらロビーを目ざとく初見の客と見定めたのだろう、直前にかしましくやり合っていた常連客とおぼしき女性のそれとは異なり、実に相手和ませる穏やかな雰囲気があった。


 「旅人の舌には合ったかね?」

 「……ええ、実に見事な料理です。テマの大都市でもこんなに安くて美味なものはなかなか見られないかもしれない」

 「ハハ、よくそう言われるが、この店じゃ普通のことだ。特に金がかかっているわけでもない。まあ、砂ウサギもバルディヤではよく見かけるありふれた動物だからな。要は腕次第ってことよ」


 そう笑み混じりで述べるマスターには、腕利き料理人特有の豪放さも垣間見える。あたかも自分の技量さえしかと認められれば、あとは売り上げなどどうでもいいかのようだ。


 「確かに周りは砂漠ですからね。食材や香辛料が入手困難となれば、やはり自らの技に頼るしか……」

 「そりゃ当然だな。もっとも、このジグラト・シティならマギルトとパルム、二つの市場で大体の欲しいものは手に入る。それこそ馴染みの商人でも作っておけばそこまで材料集めに苦労することもないから、他の街に比べればかなりマシな方だぞ」

 「ファムとカルタイド、二つの都市をつなぐ道はいくらでも商品を運んでくると」

 「その通り。もちろん大勢の人間も、な」


 そして浮かべる誇らしげな表情。やはり彼にとってこの町は自慢の種そのものということか、それはそんな思いを隠しようもなく示す顔なのであった。

 そう、まるでここが世界の中心ででもあるかのように。

 ――その一言はロビーを大きくうなずかせる。


 「なるほど、ここがすごく賑わいのある町なのもそれで納得です」

 「ああ、何せ砂の道の途上にあり、しかもシェムトとミスリタ、双方へ通じているからな。一年中人の姿は引きも切らない。商売人にとってこれほど儲けられる場所もないというもんだ」


 対してマスターの方は、髭ひくつかせながらそうのたまって、さらにぐるりと店内見渡したのだった。

 

 と、話がそんなシティの地勢へと及び始めようとした、その時。


 「マスター、お客さんが呼んでいるよ!」


 ふいに若い女性の発した声が、男を左の方へ振り向かせていた。


 「おっとと、これは失礼」


 マスターは声のした方に手を上げてそう応じると、刹那ロビーへ視線戻してから、さも申し訳なさそうな声となる。


 「私はもう行かなくては。ではお客さん、ゆっくり楽しんでいってくださいよ」


 そしてすぐ元の豪放な店主の表情取り戻すや、慌ただしくカウンターの先の方へ足が向かっていく……。


                  ◇


 かくて他愛のない話の後、一人残されたロビーはしばし考え深げに皿へと視線落としていた。

 ただし、実際には目の前の料理に思いを馳せるというわけでもない。

 むしろそういった(たの)しげな内容とはまったく異なる、やけにきな臭さ漂う内心……。


 (フム、あのマスターの様子から分かるように、一見するとまさに平和そのものの町だな。店の数も多いし、人通りももちろん途切れることがない。……だが)


 フォークで肉を一刺ししつつ、そう心中の呟きは続く。


 (常に、そしてどこにでも監視の目があることもまた事実。それも<猟兵隊>だけでなく、秘められた目が)


 (――いいかい、あんたが何やらかそうとしているか知らないが、とにかくこの町を甘く見ないことだ。シティには常にゴルディアスの<目>が向けられている。だから自分の家などよほど限られたスペースでなきゃ、ここでは誰もあいつの悪口を言おうとしない。ひとたび外に出れば、聞こえるのはあいつを称える声だけさ、何せ密告が怖いからね。そしてそれに比べれば、猟兵隊なんてただのお飾りみたいなもの、しょせんは領主の権勢の象徴に過ぎない……)


 そしてふと思い出される、今朝がたのサリヤの声。その顔は、珍しくやけに深刻なものだった。


 (皆、<箱舟>が怖いから、ゴルディアスの言いなりさ。市参事会の連中も、日々何とか自分の身を守ろうとあくせくするばかり。むしろ本来市の為に働くべきあいつらこそが、今や市民を監視する急先鋒みたいなもん、誰も彼もが競い合うように領主へ反抗的な人間を告発しまくっているくらいだ。そしてそんな奴らに雇われているのが<密告屋>。要はただの元チンピラだが、四六時中町をうろついてはネタを集め、特に怪しい者がいたら雇い主にご注進、その報酬で飯食っている御仁たち。……今のシティにはこの密告屋が至る所にうようよいる状態だからね、誰だろうとまったく油断も隙もないってわけ)


 ……もちろん権力者がその座に留まるのに情報が必要不可欠であることは百も承知だが、しかしそれにしても話の通りなら、ここの状況はなかなか度が過ぎているようだった。まさに疑心暗鬼の坩堝(るつぼ)、逆に言えばゴルディアスはそれだけ、常に鋭く目を光らせていなければならないということなのだろう。

 何より出身地も定かでない傭兵上がりの領主、自らへ歯向かう勢力には、当然過敏過ぎるくらいに過敏となっているはずなのだから――。


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