13.大宮殿 ⑤
「今度の晩餐会はシェムトとミスリタ、両都市の首脳を招いてのものとなる。準備にはゆめ抜かりのないように」
鴉の羽根を思わせる長い黒髪、やや垂れ気味の朱色の瞳とそれを縁取る濃い睫毛、すっとした鼻筋。首は長く、体形もすらりとしている。そこにタイトかつ高襟で下半身がスカートのように広がった黒服を着ているのだから、見た目的には何ともファッショナブルとしか表現しようがなかった。しかも肌は白粉を塗ったように白く滑らかで、唇には、間違いなく紅まで差している――。
それはまるで大都市の劇場から抜け出してきたような洒落男だった。
「これはエドアルト様、お忙しいところお越し頂き、申し訳ありません」
そんな怪しげな男に、髪に白いもの混じらせたメイド長が副長従え近づいていく。その親しげで慇懃な言葉とは裏腹に表情は強張り、どことなく相手を敬遠している雰囲気というべきか。そしてそれは周囲の者たちも完全に同様で、皆お喋りはおろか硬直したようにじっと身じろぎ一つしない。
そう、今までの賑わいが嘘だったかのように、はたして一瞬で場は別世界となった感があったのだ。
「ウム、いよいよ二日後だからな。もちろん晩餐会に関してはゴルディアス様も相当な念の入れよう、何せ西バルディヤの三大都市幹部が一堂に会するのだ。準備はいくらしてもし過ぎなどということはあるまい」
一方エドアルトと呼ばれた男は慣れているのかそんな緊張感などまるで意に介していない。むしろ構わずどんどん先へ続けて行ったほど。
「それにしてもなかなかの熱気と見える」
「はい、此度は一世一代の仕事ゆえ、私たちもただ今当日へ向けて練習中なのです。見ての通り全員参加で」
「なるほど、それは実に頼もしい、さすがは我が聖嶺宮殿に仕える者たち……ん?」
だが、そこでエドアルトと呼ばれた男は何かに勘づいたかのように言葉を切った。赤い眼まで、つと心持ち大きくしている。どうやらその時すぐ手前で怪訝な点を見つけたらしいのは、彼の視線の先を追えば明らかだった。
「見慣れぬ娘がいるようだが」
そしてその顔のまま、メイド長に対して訊ねる。かなり高飛車な感じのする言い方なのは言うまでもない。
「見慣れぬ……? ああ、今日入った新人がいるのでしたね」
メイド長が言うと、後ろから副長がすかさず補足した。
「はい。書類と面接を経て採用した者です」
「最近は宮殿も人が増え、我らの仕事も多くなっています。よって少しでも一人一人の負担を減らそうと、日々の人材登用は欠かせませんから」
それを受けてメイド長が説明付け加えるも、エドアルトはなぜか怪訝な顔したまま返事一つせず件の新入りを見つめている。よほど気になる点がその娘にあったということか、まさに食い入るような目つきである。その様はおかげで用具室にまた別種の緊迫感が漂い出したくらいで、何より視線に射すくめられた当人が思わず怖気覚えるには充分すぎるほどなのだった。
(な、何こいつ、じっと見つめたりして、気持ち悪い……)
そうして気持ち、クロニカが身体を横へ動かしかけた、その時。
「美しい――」
「え?」
「これだけの器量の娘、なかなかおらんぞ」
突然の黒服の男のいかにも感極まった声が、メイド長の目を見開かせていた。さらにその余りに場違いな内容に、老メイドは思わず間の抜けた声まで出してしまう。明らかに上司に対する下の者としては、失格ともいえる反応であった。
「メイドなどにしておくのは、惜しい。ゴルディアス様に差し上げるのも良策ではあろう」
だが、慌てて襟を正そうとした彼女のことなどお構いなしに、エドアルトは熱っぽく続ける。まさしく格好の獲物を見つけた肉食獣のごとき胡乱な光が、いつしかその大きな瞳には宿っていた。
「名は何と言うのだ?」
「……クロニカと申す娘です」
「なるほど、しかとその名前、覚えておく。……まあベルタ様の手前、いきなりご紹介するという訳にはいかないが、しかしこれはなかなか良いものを見つけたぞ。僥倖というやつか」
(こ、こいつどんだけ失礼なの?)
その余りに身勝手な言いようはクロニカの逆鱗に触れるに十分だったが、むろん立場上ここは何とか迸り出ようとする言葉を飲みこむしかない。彼女は結局ただ、冷たくも熱のある視線にさらされつつじっとその場に立ちすくむのが関の山なのであった。
そうして数秒間、両者の間、いや室内に奇妙なほど重苦しい沈黙が降りた後――。
「――ふむ、まあ今日の所はとりあえず良いか。では、私はもう行くが、本番に向けてしっかり準備は頼むぞ。何より二日後の晩餐は、我がシティの威信が掛かっているのだから」
「はい、かしこまりました。我らメイド一同、全力でお勤めして参るつもりです」
エドアルトがふいにクロニカから目線逸らしそう話題を切り上げると、メイド長もどこかホッとしながら応じているのだった。
「執務たるエドアルト様のご教示、大変ありがたく頂戴いたしました」
――実に深々としたお辞儀を、そのすぐ後のメイド全員分まで引き連れるようにして。
「ちょっと、いったい何が起きたって言うのよ、今?」
かくて洒落男が用具室を立ち去るや、場は再び、いや前以上のざわめきで満たされることとなった。そもそもが本来それを静めるべき立場にいる二人の長からして状況を整理するためしばしボウっとしていたのだから、その騒がしさも詮無きもの、というやつである。
そして何と言っても、その話題の中心は今日来たばかりの赤銅色の肌した新人――。
「あんたえらい相手に目をつけられちゃったんじゃないの? ここに来たばっかりだって言うのに」
「本当。でも領主様のものになるって、何か凄くない? 私が知る限り、メイドから選ばれるなんて一度もなかったはずよ」
「上手くいけば一生何不自由のない暮らしができるかもしれないわね。まあ、今は愛人のベルタ様がいるからすぐってわけじゃないと思うけど」
はたして彼女を中心にして、若い娘たちの話の花があちらこちらで一斉に咲き誇っていく。そのかしましさからするに、皆とても予行演習などしている場合でないのは火を見るより明らかだ。
「あ、愛人って、ご冗談を……」
一方そんな言葉の応酬に、ただあからさまに狼狽えるばかりのクロニカ。さすが強気に見える彼女も、こんな事態へ巻き込まれるのは余りに想定外のようだった。
すると隣にいた赤毛の先輩が妙に深刻な顔となって、小さめに声を掛けてくる。
「あれは絶対冗談じゃないわ。だってエドアルト様だもの、あの方はいつも領主様に合う女の人を探しているっていうから」
「お偉い方なんですか?」
「宮殿内の仕事を全部取り仕切る人よ。当然私たちメイドともよく顔を合わせることとなる」
「う、それはますますもってマズい……」
そう告げられて言葉通りいよいよ困惑の度高めるクロニカ。愛人うんぬんはもちろんだが、加えてあの男が常に接触してくるということにも多大な悪感情抱いたのはまず間違いなかった。
「いや、あいつだけはマジで勘弁してよ……」
今度ばかりは心の中でなく、そっと口に出して呟かざるを得なかったほどなのだから。
「クロニカさん!」
と、頭まで抱えだしそうになった焦眉の新入りへ、今度は副長が声忙しなくしつつ慌てて駆け寄って来た。その険しい表情を見るにつけ、まさに何でいきなりこんなことに、と半ば呆れ返ったような感じである。その後ろで心配そうに見つめている長とも合わせ、どうやら彼女を完全に問題児扱いするのは決定済みとなったようだ。
むろんクロニカとしては自分に責任があるなど露ほども思っていないのだが、それでも刹那申し訳なさそうに頭を下げてしまったくらい、それはもの凄い剣幕なのだった。
「まさか新人のあなたがこんなことになるなんて」
「いや、それは私がなぜかと知りたいくらいで……」
「とてもおしとやかとは言えないのに。でもエドアルト様に認められた以上、次にお声が掛かったら必ず従うのよ」
「え?」
「本当に光栄なことであるのだから」
と、てっきりまたお叱りの言葉でも受けるかと身構えたクロニカは、その突然の命令に思わず目が点になってしまう。何よりまさか管理者が部下に誰かの愛人になれと告げること自体、およそ考えられぬ異常な事態であった。
「えっと、では、お断りすることは……」
「何言っているの、そんなのできるわけないじゃない。相手の方は領主様の側近なのよ」
「と、言われても――」
「そういうことなら、特別訓練も更にやりがいあるものになるわ。何せゴルディアス様に相応しい一流のレディに急いで仕上げなくてはならないのだから。久々に腕が鳴るわ」
そうして気はもはや、全く違うところへ飛び去ってしまった模様――。
むろんそれは同時に、綿密に練り上げたはずの大胆不敵な計画が初日で完璧なまでに見る見る崩れ去った瞬間でもあるのだった。
――これではとても、敵情視察しているどころの話ではなくなってしまったのだから。
(はあ、こりゃ早い所退散した方が賢明か。できればゴルディアスの<箱舟>も確認したかったんだけど。……それにしても僅か一日しかいられなかったとは)
思わずクロニカがそう盛大に溜息吐いていたのも、それゆえまさにむべなるかな、というものであろうか……。
――そしてそんな哀れなお騒がせ娘をメイドたちが何とも言えない顔で遠巻きに見守っている中。
「さあ、何しているの、お喋りの時間はこれでもう終了っ。みんな早く元の持ち場へ戻りなさい!」
年老いたメイド長が大きな声張り上げ、まさに今が仕事の真っ最中であることをようやく鮮明に思い出させたのだった。