3話 逃げ出せない呪縛
「余程考えなしにワシを呼び出したようだな?」
侍女は相変わらず燭台を両手でぎゅっと握って怯えているが
皇后は冷静に話し始めた。
「申し訳ございません、悪魔様。
…しかし、せめて名を教えてくださいませ。
お帰りいただく方法を探す手掛かりになるはずですから。」
名を教えろだなんて、どう返すべきか…
でも理は通っているからはぐらかすのも難しい。
サタンと名乗るか…いや、それもリスキーすぎる。
ここは…
「ワシに名などない。」
皇后も戸惑っているようで
どうしたらいいんや…と言いたげな空気を共有してしまった。
しばらく沈黙が続いて皇后がフードをとる。
「エビネ。」
「ひゃ、はいい!」
「静かに。急ぎ悪魔様に服を着せて差し上げなさい。
時間をかけ過ぎるのは危険です。
…コホン、悪魔様。私と契約をしてくださいませんか。」
「皇后様…!」
侍女が皇后に詰め寄るが
「わたくしの覚悟を止めることは許しません。」
と言ってそっと押し返した。
「契約?」
悪魔との契約…。
何か野望があるということか。
悪魔でも何でもない私が叶えられることは数少ないが
ここで皇后の弱みや目的を握っておけるのはかなりいいんじゃないか?
そして、YESとも言わないところが私のずる賢いところね。
「はい、詳細は後程。場所を移してもよろしいでしょうか。」
「よかろう。」
それからエビネと呼ばれた侍女は、ぎこちない手つきで脱がせた衣服を着せてゆく。
笑ってしまうほどに手が震えていて申し訳ないが
それだけ私が悪魔らしくできたのならと安心した気持ちにもなって、私を落ち着かせてくれた。
ごめんよ、エビネさん。
服を着せられている間に皇后が話しかけてきた。
「悪魔様、最初の契約ですが…」
何個もあるんかい。
「何があったのか聞かれたら、4人の黒魔術師を見たとだけお答えください。」
4人になんの意味があるかは分からないが
自分たちに不利になることは言うなということだろう。
「わたくしはこの帝国の皇后です。
対価として悪魔様の要望を叶えるのに、他の人間よりも多くのことができますから。」
なるほど。
今の私は皇后を裏切ることで得をすることもできるが
そちらにつくよりも皇后についたほうがいいぞってことね?
私が入ってしまったこの体が、どんな立場なのか 誰が敵で味方なのかも分からない。
むやみに動くのは怖い。
「契約などせずともよい。
悪魔は口が堅い。」
まあここは皇后と共犯関係になる方が有利ね。
「恐れ入ります。」
そう言ってほほ笑むと、くるりと背を向けた。
クールな感じの顔立ちで、ピリピリした空気感を出していたけど、この皇后も笑うんだ。
皇后は棚に並べられた樽の栓を抜いているようで、チョロチョロと水の音がしてきた。
この匂いはワイン?
アルコール臭がツンと鼻を衝く。
きっと床に書いた魔法陣か何かの痕跡を消したかったのだろう。
私の着付けが終わるころには床がワインで浸されていて、私に着せられたドレスにも床に置かれていたせいでワインがかなりじっくり染み込んでいた。
水分を吸ったドレスってめちゃくちゃ重い…
ちらっと皇后と目が合う。
「悪魔様、しばらくご辛抱くださいませ。」
私、思いっきり不快な表情出してたかも…
「エビネ、ローブを脱ぎなさい。」
侍女はあたふたと黒いローブを脱ぎ捨てて、ドレスをたくし上げた。
急に現れた太もも。わお。
太ももには、ベルトで黒い布が巻き付けてあった。
ベルトから布を外して広げて、床に放り投げる。
皇后のほうも同じようにローブを脱いでから、ドレスの下に隠していた黒い布をワインの水面に浮かべた。
ふむふむ、なるほど!
4人の黒魔術師が居たという証言を私にさせて
現場にも4着の黒いローブという状況証拠がある。
第一発見者の皇后と侍女の2人はどうしても疑われてしまうから
実行犯の黒魔術師は4人で、皇后と侍女は無関係だという言い分を作ったというわけだな~。
名推理!
てか、皇后めっちゃ用意周到じゃん。
そこまでして、この体の女に印を刻む必要があったのか…
ますます皇后の事情が気になる。
「禁書はわたくしが運びます。」
皇后の太もものベルトに、侍女はしっかりとあの分厚い本を固定してゆく。
「ありがとう。
さて、あなたは人を呼びに行かなくてはならないわ。」
「はい、」
「口にして良いことは?」
「グラティッシマ嬢がここへ入っていったこと。部屋へ戻ろうとした私たちがやはり怪しいと思って追いかけたこと。そして床にワインが浸されていて、グラティッシマ嬢が倒れていたこと。」
「大丈夫そうね。」
「はい。決してしくじりません。」
侍女はバシャバシャと音を立てて出口へ向かい、ゆっくりと扉を開けた。
ほんのりと外の光が差し込む。
振り返って皇后に一礼し、扉の奥へと駆け出してゆく。
靴音が聞こえなくなるほど時間がたつと、
ずいぶん遠くの方から「誰か!誰か人を!」と叫ぶ侍女の声がした。