-Chapter6-
松岡千秋です。
よろしくお願い致します。
-Chapter6-
ああ、屠殺場に運ばれる家畜はこんな気分なのか。
白スーツをバシっと決め込んだ彼が「白ウサギ」なのだろう。
彼が先頭に立ち、私は白ダウンの一味に連行される。
私、殺されるんだ……
時代遅れのジャパニーズマフィアに吊るされて惨たらしく……
いや、女だからめちゃくちゃに……
これまで味わったことのない恐怖感は、
自分の持つ、ありとあらゆるフィクション作品の引き出しを、全て開けさせた。
そろそろ開ける引き出しも尽きる頃。
「白ウサギ」に連れてこられたのは見慣れた場所だった。
喫茶「Carroll」。
頭の中は「?」で埋め尽くされた。
大昔のジョーク占いでそんなのがあったな。
いや、待て違う違う。どうしてここ?
というか「お茶会」って何?
カランカラン、と自分の開けた時よりも喧しいドアベル。
「白ウサギ」は忌憚のない様子でズカズカと私の聖域に踏み込んでいく。
気付けば"子ウサギ"は消えていた。
店の中に目をやると、看板娘と目が合った。
彼女の表情は残念とも、悲嘆とも言い難い。
こちらの息が止まってしまうほどに、苦しそうだった。
「……」
「いつもの席」で白ウサギと私は向き合う。
ああ、もう……何かしゃべってくれ……。
無茶苦茶になった私の情緒など知る由もなく、彼は悩ましそうにメニューを吟味していた。
「それじゃあ……紅茶を貰おうかな。君は?」
「あ、え……私もそれで……」
この店において紅茶以外に選択肢などないが、何故か私が真似っこしたみたいでムカっと来る。
「あの、どうして私の名前を?」
苛立ちを勇気に変え、話を切り出す。
「ううむ……君は、この店が好きかい?」
話逸らすの下手かよ。
そうは思ったが、圧倒的に不利だという自覚はあるので話を合わせる。
「はい。仕事でもプライベートでもよく来ます。」
それだけの会話をし、その後、品が来るまでお互いに口を開くことはなかった。
やがてリズちゃんが二人分の紅茶を運んできた。
白ウサギはソーサーごと持ち上げ、じっくりと香りを楽しんだのちに一口飲む。
ミョウチキリンな恰好な上に気取りやがって。と思ったが、紅茶で流し込む。
「……あの!どうして私の名前を知っていたんですか?」
先ほどよりも語気を強め、より問い掛けらしく切り込む。
「君は、復讐屋について調べていたね?」
これがネトストって奴なのか。薄気味悪さを感じながら頷く。
「知っての通り、いまはドッグタグによる個人識別が可能だ。
君の端末、アクセス履歴、契約者情報。条件さえ揃えば難しくない。」
すぐに思い当たった。
あの古ぼけたサイトか。胡散臭いとは思ったが、そんな"トラップ"があったとは。
「でも、簡単じゃないですよね?」
「我々はそうできるだけの条件を満たしているのさ。」
なるほど。そうだった。コイツはあくまで顔役。
おそらく復讐屋は複数人のチームで、中にはインターネットに精通した奴がいる。
私はきっと悔しそうな顔を滲ませていただろう。
――それは急に飛んできた。
ここまでの彼の表情は、大人の余裕を感じさせるものだった。
しかし次の瞬間に、スッと眉を中央に寄せたかと思うと、冷たい視線で私の目を刺した。
「単刀直入に聞くが。私たちに依頼を?」
「ぁ……それは……」
見た目の紳士さとは裏腹に随分と言葉を急く男だ。
唐突に聞かれても心の準備がない。
彼はストローでも咥えているかのように、ゆっくりと息を吸い込み――
「優木、孝也。だね?」
わかった。コイツが苦手な理由。
全てを見透かしたような顔をしていて掴みどころがない。
しかもそれを可能にするだけの"技量"を持っている。
「……はい。」
嘘などついても仕方がない。
駆け引きなど時間の無駄なのだろう。
「私は、復讐なんて虚しいだけだと思っていました。
考えたくもありませんが、自分の家族が誰かに殺されたとして、私はそれを望まないだろうと。
……そう、思っていました。」
「考え方が変わった、と?」
「それはまだわかりません。
ですが、孝也さんが亡くなって、瞳さんの姿をみてしまって。
私は無力なんだと、実感しました。」
白ウサギは少し考えるように唸る。
私を値踏みしているのだろう。
俯いていた視線は、再び私の目へ舞い戻る。
「……君は保険屋だと聞いている。」
まあわかっていて当然だ。
思わずカラ笑いが出てしまう。
「あはは、そんなことまで知ってるんですね。
……はい、そうです。
私はこれまで、誰かの助けになるためにやってきました。
でも、今回はそうなれなかった。」
心内を誰かに話すのはむず痒くなる。しかし存外悪いものではない。
そろそろ吐き出すべき時期だったのだろう。
「御存知の通り、資産管理をされている現代では自助努力が不可欠です。
保険屋は"相互扶助の精神"が基本理念。大勢の人間が資産を出し合って誰かを助ける。
……確かに、資産管理は便利なシステムです。
ですが、配られる手札の掛け金も全て決まり切っている。
私たちはその外側、抜け道になってあげられるんです。」
「降りた"プレイヤー"のカードを、他にディールすると。
"抜け道"とは少しばかり強気な表現だが、ルール内での"インシュアランス"というわけだ。」
「はい。管理資産と同様に相続税の対象ですが、上乗せすることが可能になるわけです。
……昔よりも弱者に冷たい。それがいまの世界ですから。」
「ふむ、種銭は常にジリ貧。それでもテーブルにつかなければならない。
……我々は無理な博打を打たされている。」
先ほどのストレートさはどこへやら。
私の揶揄に便乗する回りくどい言い回しは、彼の洒落っ気に由来するものなのだろう。
「"人生百年時代"。そう呼ばれた頃よりも医療は進化しました。」
言葉は繋がる。……ああダメだ。
堰を切ったように流れ出る。
「……なのに、平均年齢は右肩下がり。出生率の低下、自殺の増加。
日本人は二千年代以前へと逆行している。……それも加速度的に。」
止められない。
「資産管理は個々人に対しての牽制。
もはや国民は守られる立場ではなく……」
そう。
『まるで蚕だ――。』
そう言いかけた瞬間、話の筋からズレてしまったことに気付き、ハッと我に返る。
音に出せなかった私の言葉は、話題の区切りとなった。
社内の人間とも、こう突っ込んだ話はしない。
……なんとなく生きていた私だが、無意識に思うところはあったようだ。
改めて、彼はゆっくりと、私に尋ねる。
「君は、優木孝也の件について、どう思う?」
「……決して短くない時間が経っているのに、まだ犯人が捕まっていない。
それはとても……とても腹立たしいことです。」
「怒りを感じる?」
「怒り……?
少し……違うかもしれません。」
怒り……?憤り……?
なんだ?どういう言葉が適切だ?
そもそも私が彼らに頼む復讐ってなんだ?
それはただの"ひと殺し"の依頼では?
ああそうだ、そういえば瞳さんはここに来ていた。
カウンターのすぐ横。私も知らない、この店のパンドラ。
……マスターと出てきた。
ああ、私は馬鹿だ。いまとなっては解る。
――リズちゃん"も"彼らの仲間だ。
この店の本当の顔。そうか、そういう……
いや待て、違う。それはそれだ。
いま考えるべきは……私のことだ。冷静に、整理しろ。
私はいったい、どういう「理屈」で動いている――?
目の前にいる人間を置いてきぼりにして、自分の世界に没入する。
仕方ないだろう。この際、細かいことは許してくれ。
頭の容量は埋め尽くされる。子供が必死に言い訳を考えてるみたいだ。
理由、理屈、理論。理詰めで考えるほどに、感情と思考は解離していく。
この紳士は嫌なタイミングを知り尽くしている。
私の頭と心がちょうど分離したところに本音を見つけようとしてくる。
やめろ、話しかけるな。
「君の"それ"はなんだ。可哀そうだと憐れんでいるのか。」
「……違います。」
だから、やめろ。
「不幸な人間を見て、自分の幸せを再確認しているのか。」
「違う。」
余裕がない。
「なら手を差し伸べる自分に酔っているのか!」
「違う!」
だからそれ以上は――
「君は"自分"が救われたいが為に他人を利用しているのか!!」
「違う!!!」
一日に何度も大きい声を出させるな。
頭に血が上るとはよく言ったものだ。
音を伝える空気振動は、前に飛ぶよりも早く、自分の頭に響く。
「私は、ただ……幸せになって欲しいんです!!
何かを喪ったとしても、ただ一つ、何かの為に生きていける。
誰もが、ただそれだけを、当たり前に幸せだと思って欲しい。
当たり前に「幸せ」を生きる事は悪い事ですか!
全ての人間が「希望」に縋るのは悪い事なんですか!
私は……誰かの為の、何にも縋れなくなった人間の……
最後の「希望」になりたいだけなんです!!」
意味不明だ。でもきっと私の本心であり、少しの嘘だ。
私の抱いていた"不安"は、優木夫妻への贖罪の気持ちだったのだろう。
叩きつけた言葉は嘘じゃない。
でも、彼女らの未来への償い。
それによって自分の苦しみから解放されたい。
強く思う。誰かの為に生きたい。
みんなが公正に、幸せになる権利を与えたい。
「誰か」のせいで、「誰か」が不幸せになるならば、
その「誰か」を殺してでも「誰か」の幸せを傷付けさせたくない。
私は最後に一言、付け加える。
「……何にも縋れなくなってしまったら、きっと誰も生きていけないから。」
酷い考えだ。
だが私の思想の究極形はそういうことになってしまう。
それを認めなければならない。
「……君のことは充分に解った。
すまなかった。責め立てた事を許してくれ。」
ふざけるなよこのジジイ。
私にこんな考えをさせておいてすまなかった?
デパートの金券かビール券でも貰わないと気が済まないほどにムカついてる。
……だが、彼のおかげで自分がよくわかった。
「君の行く道は、険しいものだ。だが……」
白ウサギはそう言うと思案しながら鼻と喉元と唸らせる。
「アリス。」
そう声を掛けた先はリズちゃんへ、だった。
"アリス"?どういうことだ?
「ああ、そうか。ふむ。まあそういうことだ。」
あれほど苦心を浮かべていたリズちゃんはゆっくりと目を閉じた。
そして諦めたように"開かずの扉"へ手を掛ける――。
「君は正しくない。だが間違ってもいない。
わざわざ灰色に色を挿す必要はない。それでも……」
扉が開く。
「物事には嫌でも決着が付く。」
マスターだ。それ以外はあり得ないが、彼が――
「常連には悪いが、今日は店仕舞いだ。
さて、"秘密の茶会"を始めよう。
ようこそ、Grimへ。」
灰から黒へ、世界は表情を変えた。
何卒、よろしくお願い申し上げます。