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第7話・君のささやかな抵抗を、壊さないため

 謁見の間から少し離れた、王族用の茶室で待たされた。そんなに広くはないが、窓が大きくて、星や花々の彫刻が施された白い丸テーブルが置いてあって、間接照明に照らされて、カーペットが赤くて……なんかお洒落な雰囲気だ。ただ、俺はそんな優美な部屋の居心地のよさを、手放しに噛みしめる気にはなれなかった。


 王よ。正しさとは何だ? 愚かさとは何だ? 俺のこの道はどこへ続く? 俺がこの先更に名を挙げるとしよう、そのとき……、俺を導く正義とは、雷を落とす理由とは、いったい何だ? 胸に刻むなんて言ったが、俺はいったい何を大切に思っていて、何を護りたくて、どこに進んでいきたいんだ? それがハッキリしねぇまま勲章なんか貰っても、心は惑う旅人のままだ。名に、称号に、自分自身が追いつかない。俺は世界を救いたくて強くなったわけじゃない。ただ、手の届くところにいる誰かを、失いたくないだけの、ふつうの……



「待たせてすまなかった」



 ドアが開いた。……聞き覚えのある声に顔を上げれば、見覚えのある顔。服装はさきほどのままだが、ネクタイが柄物から赤に変わっている。何だよ、さっき庭にいたクッキーの兄ちゃんじゃねえか。


「ふん、城の従者だったのかよ。王子の側近だなんて凄ぇじゃねえか、まだ幼げな顔なのに。……で、アイク王子はどこだ?」

「あ、あはは……。まさか君が話題のルイだとは。猫族だとは聞いていたが」

「知らねぇ、王子はどこだ」

「私がアイクだよ。この国の第一王子」

「……は?」


 こいつが? こんなオーラのない平和ボケした顔つきの男がか?


「とても、街をたった一人で護り切った英傑には見えなかったものでね。いや、見た目で判断するのは良くないが、もう少しムキムキで、大きくて、強そうなのかと」

「魔導士に筋肉は必要ねぇし、これでも脱げば多少鍛えてる、馬鹿にするな。アイク、お前こそ、メイドとクッキー作っていて大丈夫なのか? 噂に聞けばもう十五だろう、そろそろ鎧のひとつでも纏う年頃じゃねえか?」

「父上と同じようなことを言われると、返す言葉もない。私も剣や魔術の修行はしているし、専属コーチのもとで多少の筋トレはするよ。ただ才能がなくてね……。人の命をまもれる強さを持つルイのことが、羨ましいよ」


 第一王子アイクは真面目な奴との噂は、かねがね聞いていた。しかし、剣術はまだまともなものの、魔術の技量においても、学業や兵法の会得においても、第二王子ユーリの足元にも及ばない、という悪評も添えてだ。なるほど、凡人王子。ただ、こいつの焼いたクッキーは美味しかったな……。


「……強いってのは、良いことだけじゃねえ。この世界の何が正しいのか、俺もよくわかんね……って、人が真面目に話してる間に、何ボアを中表に縫ってんだよ!?」

「悪い。本来ならば今は、せっかくの自由時間の筈だったんだ。父上の気まぐれで君と会うことになってしまったが、白クマちゃんを完成させてあげたくて。ピンククマちゃんとのペアで、はじめてひとつの作品として完成する」

「お前は真面目な奴って噂聞いてたが、取るに足らねぇ嘘だったよ」


 針を動かす手つきは速い。あっという間に、チャコペンの通りに返し縫いしていく。俺の実家でも、よく母さんが布切れを刺繍で補強していたが、あの腕をも上回る凄腕だ。


「ああ、私は王子の名に相応しくない、少し変わった男だよ。メイドたちと料理を作り、エプロンに刺繍を施し、花壇で四季折々の花を育て、それらを並べてスマートホーンで撮り、ネットにアップする。それが私の生き甲斐なんだ」

「……人の趣味を否定はしねぇ。十五のガキに、劣等感からの逃避を咎めるつもりもねぇ」

「ルイも聞いたところまだ十七の筈では……?」

「うるせぇ。……なんか、拍子抜けだよ。俺が幼い頃から憧れてた『王子様』は、こんなにも等身大なのか?」


 それは必ずしも、悪口として言ったつもりはない。ただ、女の子の俺が、相手として夢見ていた王子も人間なんだって……ちょっと残念なような嬉しいような、複雑な気持ちではある。それでもさっきこの王子は、転んだ俺のことを助けてくれた。あのときのときめきを、忘れ去ることはできねぇ。あの瞬間、俺の心の奥の方に、何かの引っかかりが生まれた。


「ルイは、王子様に憧れていたのか? 君は既に、それに相応しいじゃないか。城に君を一目見たいという女性が、集まり始めたとメイドから聞いた。みんなを護って、民に好かれる。それこそが本当の王子だ。私は……血統だけの偽物なのだ」

「……俺は、そんなアイクに興味を持った。……気まぐれだが、お前ともっと話してみたいと思う。不思議なことだが。……ピンクのクマちゃんは、どんなのだ」

「見てくれるのか!? 嬉しいな。私のアカウントにも写真が上がってはいるのだが、えっと、この子だ」


 洋裁道具の詰められた袋から、アイクが大切そうにテディベアを取り出した。うわ、すげぇ。めちゃくちゃ綺麗なドレス着てるじゃねえか。細かいな、サテンを器用に絞って、レースを美しくあしらって、細かいビーズを貼り付けて、透明な靴をはかせて、造花の花束を縫い合わせた手に添えて。顔つきも可愛らしく、目も器用に窪んでいて、まるでプロの作家が作ったかのようなすげぇテディベアだった。これを、こいつがデザインして作ったのか。尊敬に値するな。


「すげぇな! すごく可愛いし素敵だ! アイク、お前、不真面目だが天才だよ! 面白ぇ奴。おい、お前、そのクマちゃんに免じて、俺の友人にしてやってもいいぜ。『お姫様』と『王子様』、悪くねぇ関係を築けそうだと思うが?」

「ええっ。ピンクのクマちゃんは、君をそこまで駆り立てたのか。お、男友達などできたことがないゆえ、少々戸惑ってしまうな。小さなころから、女の子のグループに当たり前に混じっているタイプでね、私は。……ルイのようなかっこいい奴の友人に、相応しいだろうか」

「……アイクは王子としては劣等生だとも聞いているが、それに精一杯抗ってる爪痕を感じる。それに、なんか、お前を見てると安心する。俺は幼い頃から、悪意に囲まれて生きてきた。だから、一寸の悪意もねぇ人畜無害なお前見てると、なんか面白くって」

「……それは大変な人生だね。ぬるま湯に浸かった私が、君の友人をきちんと務めあげられるか不安だが……城の外に友達ができるのは、嬉しいよ。私の人生は、城への幽閉の歴史。第二王子は好き勝手しているのに、生まれた順番の違いでこうも……いや、愚痴済まなかったよ」

「いい。友達なんだから、愚痴くらい聞くだろう」

「決定しているのだね。君は面白い者だ。城下町から滅多に出られぬ私に……また、土産話を、たくさん聞かせてほしい」

「城にはちょくちょく来ることになると思う。来たときには、お前に挨拶するようにするよ。金の勲章持ってりゃ、王族との謁見が自由だと聞くからな」

「……ありがとう」

「……ふん。勘違いすんな。猫の気まぐれだ」


 気付いてるか、アイク? ピンクのクマちゃんは、お前の反骨心だ。クッキーの絶妙な焼き加減も。検索して見たお前のきらびやかなアカウントも。お前は抵抗している。俺みてぇに、正解がなにかわからなくてもがいている。お前の……王子様の、そんなささやかな抵抗を壊さねぇために、俺はこの国を護るってのも、いいのかもしれねえな。

 英雄を求められるお前の責務を、俺が肩代わりしてやろうじゃねえか。お前が非力で誰かを護れないとするなら、俺がかわりに護ってやってもいい。……僅かなモチベーションにはなった。お前に会えてよかった、アイク。




 俺が戦績を積み上げるとともに、アイクはお守りのミサンガ、スペル巻物を入れる手編みの袋、寒いときのための手袋、あったかいカーディガン……色んなものをプレゼントしてくれた。友達なんだから当然だよと、そう笑うアイクに、俺は旅をして見てきた色んなものについて話した。そうして二年、俺は国きっての魔導士にのぼりつめた。


「この前行ってきたサファイアデザートは、とにかく暑いんだ。最南端のインカローズビーチに至っちゃ、白い砂からして太陽の熱を吸ってな。脚の肉球が焼けそうになる。真っ青な海に飛び込んだときの気持ちよさといったら。俺の故郷は雪深いヒスイ谷、水浴びなんざ御伽噺の中の話だった。だから海の塩辛さは感動したぜ」


 まあ、正確にはガキの頃川に突き落とされて全身に氷水を浴びたが、イジメられていた過去を、気になる男の子に明かしたくはねぇ。


「そうか。やはり水着の美女が多く居たりするのか」

「そこかよ。お前もやっぱり男だな。健康的に日焼けした、ビキニの女がたくさんいた」

「いや……私も興味がない訳じゃないが、ルイが女に見惚れている姿を想像すると、少し面白く思えてしまってね」

「何でだよ。俺はそんなもんに興味ねえよ」


 同性愛じゃねえか。俺はボーイッシュかもしれねえが、そういう趣味はない。……いや、まあ、ビキニが似合って羨ましいとは思う。あんな美女で、化粧して、長い髪をお団子にしてビーチで騒げるのは、幸せ者だなとは思う。下手したらイケメンサーファーの男とか連れてきゃいきゃい言って、スマホで写真を撮って……。パリピは喪女には眩しいぜ、全く。


「堅物だなぁ、ルイは。美しい女性が眼前で肌を晒しているというのに、みすみす見逃すとはね」

「……アイクは最近どうだ」

「……私か。最近、私室にアイドルのノアちゃんのグラビアポスターを貼ろうとしたら、父上にこっぴどく絞られたよ。良いじゃないか、アイドルに憧れるくらい。私も年頃の男なのだ。ルイのようなやたら無欲な奴には、理解してもらえないかもしれないが」


 う、浮気者! 俺はアイクと会えることだけを楽しみに、城からの任務を真面目にこなしてるってのに! ……いや、『男友達』が介入することじゃないんだが。俺は無欲じゃねぇよ。アイクって者がありながら、サーファーの腹筋と胸筋に見惚れてたよ。サングラスの似合う健康的なワイルドイケメン、あんなのを捕まえて一興交わす種族には、俺は一生なれねぇんだろうな?


「って、流石に報告がそれだけじゃ、面目が立たないね。近頃、父上に直訴して、魔物討伐や部族間抗争の現場に、連れて行って貰ったりもするようになった。城下町の小さな剣術大会でも優秀賞をおさめたし、『劣等生王子』を脱却すべく、もがいてはいる」

「何を殊勝な。無理することはないんだぜ。男は名声や戦、地位のしがらみと切っても切れねえ生き物だが、アイクはアイクでいれば、それでいいんだ。俺はそういうアイクが好きだし」

「いや、別に私であることを捨てるつもりはない。ただ……、少しばかり、私には夢ができた。そのために頑張っている」

「夢?」

「……いつの日か、護りたいものができたんだ。いや、護るというよりも……、力になりたい人、か。重い荷物を、いっしょに背負ってやりたい人がいる」


 ……それがどういうベクトルの感情かは、この遣り取りだけじゃ読み取れねぇ。俺が男だと思われてる以上、これ以上の深入りもできねぇ。友人か、家族か、家臣か。そうであることを祈るしかねえな。


「その人は、怪我をして城へ帰ることもある。疲れた顔をしていることも。風の噂に、厳しい戦いに精神を削られていると聞くことも。……華奢な身体に背負いきれぬほどの重圧を、私が共に背負い、助けてやりたい。それが私の夢だ」

「……そうか。そいつは幸せ者だな。そしてアイク、お前もまた幸せ者だ。護りたいものがはっきりしているというのは、力を持つ者の絶対条件だ。アイクは殊勝にもそれを満たしている。だから正しく力を振るえる。……俺にはねえ力なんだ。場当たりに生きて、でたらめな伝説を作って、それに泳がされる俺にはねえ力」


 無責任な奴は言うだろう。そんなこと一度は言ってみたいって。だが、ひとたびこの立場に置かれたとき、きっとあらゆる奴が理解する。能力に引っ張られて作られた人生。大層な大義のために戦ううちに、自分自身を失っていくこの感覚。アイクの前にいると、なんでだろうな、俺は俺でいられる。俺だって里に友達なんかいねぇ。まともな友人は、アイクが初めてだった。そして……俺は多分、それ以上を……。お姫様抱っこされたとき、あの腕の中で、衝動的に、脈絡もなく、運命的に。


「ルイは、この国が好きじゃないのか? だから護ってるんじゃないのか? それは立派な『戦う理由』じゃないのか?」

「俺は国にも街にも縛られねぇ。ただ、目の前で死んでいこうとする命を、見逃すようなことはしたくねぇ。そういうシンプルな感情だけで生きている。別に、アイドクレースが好きだ、ダイヤモンドヒルズが好きだなんて、大層な気持ちで動いてる訳じゃない」


 アイクが、何か考え込むように視線を落とした。数秒黙ったあと、俺の目を見て、手を取って、にっこりと笑った。


「ルイ、一緒に行きたい場所がある。場所というか、催しかな。きっと……君がダイヤモンドヒルズを好む、理由になってくれるはずだ」

「はあ……? 催し。王都のイベントスケジュールには詳しくねえが、なんかあるのか」

「庶民向けの、小さな縁日だ。小さなころ、何度か城を抜け出して、潜入したことがある。メイドたちの幼い娘と結託してね。庶民の普段着を仕入れ、身を包み、林檎飴と綿飴を手に……。民の活気、生きるパワー、楽しみ支え合い、祭りを作るスピリット。一度味わってみるといい」


 これはデートのお誘いか? ……いや、まあ、友人同士、気兼ねない遊びのお誘いだ。


「気持ちは有難いが、俺やお前が並んで、むやみに民衆の前をうろついてみろ、大騒ぎになって祭りどころじゃなくなる。そこはどうにかなるのか?」

「……どうにかするよ。今週末、城の衣装室に来てくれ」


 ……話の流れからして、そういうことか。なるほど、お忍びのロマンってのはこれだな? 嬉しい誘いをしてくれるじゃねえか。初めて意識した異性と、こっそりお祭り、か。俺も柄にもなく、お姫様の体験版のそのまた触りくらいは、経験できるのかもしれねぇな。

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