第6話・とある猫族の少女
(ルイ)
小さい頃から、女の子らしいものが苦手だった。
髪を長くする気にもなれなかったし、人形遊びや着せ替えごっこをする趣味もなかった。スカートなんて気恥ずかしかったから、穿いたこともほぼねぇ。自分のことをわたしって呼んだこともねぇ。それでも母さんと父さんは、そんな俺を許して、ありのままを認めてくれた。
谷の中でも猫族宗家の血の濃い、つまり身分の高いガキどもは、幼いころから俺に手毬を投げつけて、渓谷を流れる小川に突き落とした。俺は抗う力を持たなかった。腕力もなかったし、木刀も棍棒も使えなかった。卑しい出のガキは、与えられる罵声と暴力に、ただ耐えることしかできなかった。
当時のヒスイ谷の首長は、猫族の由緒正しき血の薄い分家の俺たちを、取るに足らねぇ屑として扱った。重労働を課され、ろくに飯を与えられねぇ両親。その中から俺に分け与えてくれたわずかな食料。分家の雌ガキだとか笑って、酒の席に呼んで身体を触ってくる、宗家の大人。初潮も来てないガキにそれはまずいですよ、と冗談を飛ばして、笑ってくる奴ら。俺はあいつらを見返すために、強くなることを誓った。
女の子らしいものは確かに苦手だったが、ひとつだけ、気に入ったものがあった。
父さんと母さんが俺のために用意した、女児向けの絵本。強くてかっこいい剣士のお姫様が、はじめて自分を護ってくれた王子様と恋に落ちる。
『おひめさまは、おうじさまのもとでけんをさやにおさめ、ただのおんなのこになるのでした めでたしめでたし』
そのラストを何度聞いても、けして飽きることはなかった。何度聞いても身震いしたし、幸せな気持ちになった。お姫様が幸せになれてよかったなって思った。勇者様の名に縛られたお姫様が、最後には自分自身であれた。それが子供心にもロマンチックに感じた。
「ルイ、あんたはほんま、この絵本が好きやなぁ。ほんまはルイも、お姫様になりたいんとちゃうん?」
長い黒髪に紺の麻の着物をまとった母さんは、あるとき俺にそう言った。俺が六つのときだった。
「そんなことねぇ。俺には……何もねぇ。一生……お姫様になんかなれねぇ。英雄のお姫様とは違うんだ。俺なんか、幸せになれねぇ。里のやつは誰も仲良くしてくれねえし、ぼっちでかわいくねぇ、ダメな女の子なんだ」
「……堪忍な。ルイが辛い目に遭うのは、里の権力争いや派閥争いに負けるうちらのせいや。宗家の人らが持つ権力と、強大な魔力に屈する、父さんと母さんのせいや。弱くて堪忍な、辛い思いさせて堪忍な……大好きなルイ……」
母さんの言ってることは、当時の俺には半分くらいしかわからなかった。ただ、理不尽な目に遭ってるのは、なにも俺だけじゃないんだってことはわかった。俺たちは主役にはなれねえ。主役に搾取される存在なんだ。だから身体を触られても、川に突き落とされても、抗うことはできない。強くなれたら。強さは主役となる力だと、あのときは思っていた。俺たちには、それが絶望的に足りなかった。
それはまあ余談だ。結論から言えば、俺には才能があった。あいつらを見返すどころか、この国の、たくさんの奴の役に立てる才能が。そう、谷の書庫に格納された魔術書を、十歳のときに覗き見始めた。倉庫から杖を取り出すと、そのままその倉庫を吹っ飛ばすほどのエネルギーが放出されて、我ながら驚いたものだった。谷の奴らも驚愕した。俺を殺すか、谷の新星として祭り上げるか、議論がなされたとのちに聞いた。結果、俺からの無垢な反撃が怖いゆえに、才ある魔導士としての教育を施し、手綱握りにかかった。俺自身も、谷の奴らに復讐しようという気はなかったから、それでよかった。したところで、せっかく上がった父さんと母さんの地位を、再び貶めるだけなんだから、な。
ともあれ十七で王都に上京したとき、俺は既に、力を持つ者の責任をひしひしと両肩に感じていた。そう、俺が初めての勲章を貰った、あのときだ。『六十億の呪い』にあてられたワーウルフの大群から、たった一人でオパールバレー底の街を護りきったことが称えられた、あのとき。
あれは一人旅中の偶発的な出来事で、来襲を予期していた訳じゃない。だがラルフの奴は、『街をたった一人で護った青年』に興味を示したらしい。そういうことで、俺は城に呼ばれた。サファイアデザートほどじゃねぇが、最北端の雪深いヒスイ谷に慣れた俺には、ダイヤモンドヒルズの夏はなかなかに暑く感じた。フローズンを飲みながら、王都には面白い飲み物があるんだな、と感心したものだ。
街を護った、か。なんのことはねぇ。そんなことで、人が英雄になれるとでも? オパールバレーのカコウシティを護ったあのとき、街の住民はどんな目で俺を見ていたと思う? ワーウルフの夥しい死骸たちを前に佇む俺を、どんな恐怖と困惑の目で見つめていたと思う……?
俺は思ったよ。俺は俺を間違えちゃいけねぇ。あいつらはきっと、それを恐れていた。その力が間違った方向に振るわれることを。次の犠牲者になることを恐れた。目の前にある、出来のいい重火器の暴発を恐れた。礼の金も品もくれたが、きっとあいつらは、俺のことが、きっと……。
力がなきゃないで、雌ガキと尻や胸を触られる。あればあったで、爆弾や砲台と恐れられる。そう、母さんは、自分たちが強ければ幸せみたいに俺を諭したが、必ずしもそうじゃない。強けりゃ強いでまた、平和を脅かす脅威にしかなれねえんだ。俺は結局、主役にはなれそうもない。俺は何を考えて、どう生きていけばいいのか。俺のこの命に、そして行いに、旅に、そして今から貰う勲章に意味はあるのか。そんなことを考えながら、俺はダイヤモンドヒルズの人混みをかき分けて、初めてのアイドクレース城に向かった。
勲章ってどこに置けばいいんだろうな? 金メダルみてぇに噛むのか? ヒスイ谷の両親とこへ転移魔法で送れれば、親孝行にもなるか? 重さにもよるな、距離の長い転移魔法は、一般的に300グラム程度の重量が限界だ。そのため荷物や物資の遣り取りは、転移魔法ではほぼ不可能とされている。また、生命体を送ることも不可能。精々が手紙の遣り取りくらいだ。ちなみにスマホのインターネットも基本、同じ自治体……例えばダイヤモンドヒルズ内の城下町のみとか、ヒスイ谷の猫魔導士の里のみとか、小さなコミュニティの独立したネットワークにしか繋がらねぇ。もちろん、集落を離れればふつうに圏外だ。ゆえに、親にこの栄誉を伝えるとすれば、手紙に添えて勲章を送るのがいちばん早ぇ。慣れねぇが、これを家に飾ってくれって、俺は元気だって、これからもがんばるって、手紙を書こうか。
城の正門には、いっそうたくさんの人間が集まってる。でけぇ城……真っ白で、そこここに薔薇の装飾があしらわれていて、窓がぴかぴかに磨かれている。正門前の庭園も、噴水が三つもあって、置かれたベンチで城のメイドや職員、役人たちが歓談したり、忙しく走り回ったりしている。王都には、こんなたくさんの人間がいるんだ。地方部族出身にはカルチャーショックだな……
城の扉をくぐろうとしたら、ふいに向こうから体格のいい男性が飛び出してきて、ぶつかった。バランスを崩した。受け身を取れねぇ、やべぇ、転ぶ――……
「危ない!」
走ってきた誰かが、転びそうになった俺の身体を受け止めた。……金髪で、青い目をしていて、美しい顔立ちで、真っ白い綺麗なスーツを着ている。……ん? これ、この体勢、……お姫様抱っこじゃねぇか!? マジかよ!? 俺は今、美しい男性にお姫様抱っこされてるのか!? 照れるじゃねえかよ、馬鹿。
「……大丈夫か、お嬢さ……あれ、遠目で見たときはお嬢さんかと思ったが……男性か。いずれにしろ、怪我はないね?」
「ああ、ありがとう、助かったよ……」
その男の笑顔は素朴だった。顔立ちは美麗なはずなのに、気取りを感じなかった。悪く言えば、少しの気負いを感じているような気配がある。何か事情がありそうな顔つきだったが、転んだとこを抱っこしてくれただけの男に詮索するのもよくねぇ。礼を言って去るのが正解だろう。
「……待ってくれ。猫族の来訪者は目立つから、恐らく間違っていない。君、城に来るのはきっと初めてだね?」
「……だったらどうした?」
随分と城の事情に詳しいらしい、情報通の城の事務員か何かか? まだ少しあどけない顔をしたその男は、はにかむような笑顔を見せて、俺に小さな袋に入ったクッキーを差し出した。
「初めてのお客様には、なるべく配っているんだ。メイドと一緒に作ったクッキーだよ。アイドクレース城を好きになってもらいたいから」
やはり城の関係者のような言い方だ。何にせよ、貰えるなら受け取ろう。念のため、悟られねぇ程度に解析魔法を使ったが、毒物は入っていない。親切な男だ、とても美しい容貌をしているし。まるで王子様……。俺とは縁遠い種族、だろうな。
「ありがとう。親切な奴だな。お前の顔は、覚えておいてやるよ。光栄に思え」
「あはは、偉そうな人だ……また会えるといいね」
城に入るとボディチェックを受けて、王室付きの騎士が何人か俺に付き添った。凄え、王様の石像が飾ってある。ロビーは広くて開放的で、シャンデリアの光がおちてとても優雅な雰囲気だ。忙しく行き交うメイドだけでなく、歓談する貴族たち、軽食で乾杯する役人たちで溢れて、似合わぬアットホームさもまた感じさせた。ラルフ・アイドクレースが名君だということは、城のこの空間を見るだけでもまざまざとわかった。
謁見の間でラルフと向かい合った時も、特に緊張はしなかった。王様を絵に描いたようなおっさんだなと思った。青い鎧にマント姿が映える。
「此度の活躍、誠に大儀であった」
「はあ……。よくわかんねぇが、貰えるものは貰うぜ」
「おい、お前。王に対してそのような物言いは慎め。敬い、崇め、丁寧な口調で礼儀正しく」
「良い良い! 若干十七でありながら、我を目の前にしてその物言い。胆力がある。我はルイを至極気に入るところである!」
従者を制止して笑い出した。意外に陽気なおっさんだな……。ラルフ曰く、俺はこのままの態度でいいってことだな? 敬語の使い方なんてわからねえから、有難い。
「紫の勲章、そして赤き勲章に次ぐ栄誉のある、金の勲章を授与しよう。『先代王妃キャサリン記念・第三国民栄誉褒章』が正式な名だが、まあ覚えなくともよい」
「はあ……。三百グラムは超えるか?」
「さては、即実家に送るつもりであるな? もう少し噛みしめたらどうだ、小童。まあ良い、恐らく超えぬ」
王だけあって、察しがいいな。無礼な事実がバレちまったのは、王には申し訳なかった……。
「数多の人命を護り切ったその功績、まこと尊敬に値する。……がしかし、勲章とともに、強大な力を持つおぬしには、伝えておきたいことがある」
「……何だ」
「これからおぬしのもとには、名うての魔導士として、数多の依頼が舞い込んでくるだろう。魔物の討伐、民族間の争いの鎮圧、名家の人物の警備等……。当然ながら、城からもおぬしに仕事を依頼する機会があると心得よ。……その中で……おぬしの持つその力の意味を、違えぬよう。更なる精進とともに、英雄となるための、正しい道を進むが良い」
「了解した。胸に刻む」
便宜上そう言っておいた。王は忙しいらしく、謁見はその後まもなく終了した。去り際に、王は言った。
「我の息子……第一王子アイクと、茶室で会ってはくれぬか。あれは腑抜けゆえ、おぬしのような武に長けた猛者の影響を、少しでも受けてほしくてな」
「俺で良いなら。王子か……」
「どうかしたか?」
「いや、本物の王子なんだなって」
「王には気負わぬくせに、王子には気負うのだな。まあよい、また会おう、ルイよ」