第54話・君の亡骸をおいて歩き出す
城のエントランスに足を踏み入れると、メイド長が駆け寄ってきて、俺にひとつの封書を手渡した。何だ、俺に手紙? こんな友達いねぇ元喪女に、誰が便りなんざ寄越すってんだ?
「ヒスイ谷の、シズク・アマミヤ様からです。速達で受け取っております」
「母さんから!?」
何だろう。また里のほうで問題でも起きてなきゃいいんだが。そうでなくても、アイクが死んだときは本当に迷惑をかけた。心神喪失の姿を晒し、自殺願望を身体から垂れ流し、ろくに眠りもせずに泣いていた。かける言葉もないといったように、母さんはあのとき、俺を抱きしめて撫でてくれた。それすら、正直当時の俺にとっては、嬉しさ半分、残酷さ半分だった。アイクを護れなかった俺に、価値のすべてを見失ったから。無価値な自分を、大事そうに抱きしめられるのは苦しかった。
だが今は違う。ユーリが俺に価値を感じてくれている。心の支えに、拠り所にしてくれている。人は一人では生きていけない。そうである限り、誰かの心を支えることを放棄してはならない。たとえどんなに辛くとも。
「……ありがとう。アイクの部屋で読む」
受け取ると、タイミングを伺っていたユーリが、俺を労うように抱きしめた。相変わらず憚りがないな、ここは城のエントランスだぜ? 今のところ名目上は、俺はお前の彼女でもなんでもないんだ。友人にぎゅうぎゅう抱きついてばかりの王子はどうなんだ。まあ……俺を全力で諭し護ったお前の体温に、俺も癒され、満たされてはいるんだが。
「ルイ、君が道を踏み外さなくてよかった。俺も君と似たタイプで、何かを塊で愛することはできないのかもしれない。でも、出会った国民ひとりひとりが、いつか本当に、心から笑えればと思う。誰よりルイに笑っていてほしい、それが原動力だから」
「……俺を救ってくれて、引き戻してくれてありがとう。誰も望まない結末から、俺を引き離してくれてありがとう。……ユーリは俺の心に寄り添ってくれる。大切な人だ、だからハグしても殴らないんだぜ?」
「確かに、以前の俺たちの関係性なら、大いに殴られていたね……。……もう零時か。ルイからのそのかぐわしい猫臭さを嗅げて満足だ、眠るとするかな」
「畜生、失礼なことばかり言いやがって! シャワーに入って、俺も手紙読むとするか。おやすみ、ユーリ」
「明日からも、苦難の復興の日々は続くだろう。お母さんからの手紙が、ルイの心を少しでも整理してくれるといいね?」
その言葉通りになることを期待しつつ、アイクの部屋に帰って、ベッドに寝転がりながら手紙の封を開けた。手紙をここに寄越したこのタイミングも、恐らく母さんは丁寧に見計らっていた。襲撃事件に重なることは想定外だっただろう、なぜならその一報がヒスイ谷に届くとすれば、今くらいの時刻になってからだろうからな。ただ、俺の誕生日というタイミングについては狙った筈だ。愛する人無しで迎える誕生日を、俺がどう過ごすかについて……この先の人生をどう過ごすかについて、きっと案じてくれたんだろう。
ざらざらした質感の、上等な和紙。そこにか細く美しい母さんの筆文字が、流れるように並んでいる。
『ルイへ。誕生日おめでとう。今日まで頑張って命を繋いでくれた、ルイは強いで。大好きな人を失ったルイを、ろくに助けたることもできんかったこと。意味のある言葉を、何一つかけられんかったこと。心から詫びたいと思っとる』
母さんは存在で、抱擁で、俺を助けてくれた。何一つ詫びることはない。醜態を見せ、心配をかけた俺の失態だ。
『ルイを産んで初めて、どう接したらええんかわからへんようになった。不用意なこと言うたら傷付ける。ルイがどこか遠くに行ってまうかもしれへん。いちばん他人を必要としている時期の筈のルイに、何もでけへん。ルイが王都へ帰ってしもてからは、遠い地から身を案じる苦しみに耐えられへんでな。そんなときカナタから、ルイはユーリ王子に、城の一室を斡旋されているらしいって聞いた。居ても立ってもいられへんから、傍でルイを見とるらしいユーリ王子に手紙を書いた。ルイは大丈夫ですかって』
ユーリに? 初耳だな。あいつもそんなことは一言も言ってなかったと思うんだが。
『ルイさんのことはお城のほうでお護りしますって、ユーリ王子は言うてた。ルイがどないしてるか、様子はどうか事細かに書いてくれはったよ。「兄上には申し訳ないのですが、私がずっと護ると決めましたから」、って。ルイは罪な女やね』
そんなことを水面下でさらっと言うのかよ。罪なのはあいつじゃないのか?
『何度か遣り取りをさせてもろて、ルイが少し落ち着いてきたって聞いたから、手紙書かせてもろたよ。何か有用な、意義あることが言える訳とはちゃうねんけど、ユーリ王子のことは、多分かなり大事にした方がええよ。アイク王子のことは、うちらも耐え難い悲しみとして、この胸に刻み込んどる。ただな、どんな恋人も、夫婦も、どんな家族も、せーので死ねる訳とちゃう。それが現実や』
それは知識としては知っていることだが、実際それがこの世の道理だと思うと、辛いことだな。
『どんな命にも、残酷に終わりはやってくる。父さんと母さんも、順当にいけば、ルイより先に死んでまうよ。もちろんその順番をすっ飛ばしたアイク王子の件は、確かにこのうえなく残酷な事件やった。ただ、いつの日も、ここに存在するのは『今』やねん。『今』がここにあって、そこで誰かが自分を必要としてくれる、或いは支えてくれるなら。『今』を放棄することは、誰にも絶対に許されへんことやねん』
俺の『今』には、なお俺のことを想う奴がいる。案じる奴がいるし、憧れる奴もいる。それは幸せなことだ。
『もし仮に誰も居なく感じたとしても、もう亡き愛する人に焦がれるとしても、『今』を繋ぐことで、新しい支点が、拠り所が、愛が見える。『今』の中に、すこしでも輝く砂の一粒でも見つけたら、それを愛することや、ルイ。先が見えないのは不安や。でも振り返れば誰かがきっとおる。その人を愛して生きることで、それは即ちアイク王子を生かすことにも繋がるんやで。ちょっと抽象的な話になってしもうたけども』
母さんはぼかしてるつもりだろうが、言いたいことはわかるよ。アイクを亡くして日も浅い、どうしても全身全霊をかけて振り向く気にはなれなかった。でも覆されたよ、あの自由奔放で気まぐれなユーリに、今日あそこまで言わしめてしまったんだ。逃げてばかりは、嘆いてばかりはいられねえらしい。
『うちはルイがどんな道を歩もうと、いつもルイの幸せを願っとるよ。ルイはいつだって正しい道を歩んできた。けどな、親っていうのは、子供がいい子やから愛する訳とちゃうねん』
今日道を間違えかけた俺のことも、母さんは愛してくれるのか?
『ルイの存在がうちらを助け、支え、そして幸せを与えてくれる。英傑なんて呼ばれとるけど、ルイはただの村娘やったとしても、うちらに極上の幸福をもたらしてくれたんや。それを忘れずにな。どんなルイも、うちらにとってルイなんや。ルイはルイのままで、ありのままで、できればこれからも、清い道を歩んでくれたら、こんなに嬉しいことはないで』
清いかどうかはわからねえ。母さんの価値観と、世界の理はときに異なる。今日もひとりの、無抵抗の魔物の命を奪ってきた。それが『すべて正しい』と胸を張れる行為かどうかは、神でさえも知らねぇ。
だが、どうであったとしても、母さんは俺の心のそばにいてくれるんだな。その『今』に、俺は縋ることにするよ。人はそうすることでしか、きっと生きていけないんだから。
『休み休み、立ち直っていき。ルイが生まれた時のことを思い出すわ。産声を聞いたときの感動を、今でもありありと思い出す。父さんと母さんは、いつでもルイの幸せを願っとるよ。母さんより』
産声、か。俺もあのままなら、いつかはアイクの子の産声を聞いていたんだろうか。そう、女っていうのは、そういう喜びをその身に備えている。母さんはその生まれついた聖性で、俺のことをこんなにも愛してくれる。
前を向かなきゃ駄目なんだ。腕についた牙の跡は、ようやく茶色くなってきた。目の前のブラインドも晴れ始めた。ぜんぶ、傍で大事な人たちが呼んでくれていたおかげだ。ごめん、アイク。俺、もう行かなきゃ駄目なんだ、きっと。もう一度会える未来を、永遠に殺した。リヴァイヴは城が回収したが、……俺はお前との再会を殺した。お前にそっくりな奴を焼いたよ。ああ、眠れやしない。アイクの死に顔を二度も見て、そのうえで俺は、ここから歩きださなきゃならない。
ごめん、結婚式ができなくて。俺、しばらくそっちには行けないみたいだ。
ここですべきことがある。ここで会うべき人がいる。ここで寄り添うべき人が、俺のことを見てくれている。
寂しい思いをしているか? ごめんな。命ある限り、俺はお前との結婚式と決別しなきゃいけない。それどころか、もしかすれば……お前とよく似た匂いの誰かと、結婚式のひとつでもすることになるかもしれねぇ。
シャワーに入りたての身体が、次第に湯冷めする。『今』を生きる限り、それを温めるのは命ある人たちの声。布団にもぐりながら、俺は思った。通ってくれるおかげで、この部屋はアイクじゃなく、ユーリの匂いになってきた。俺にはその違いがわかる。それがどんなにかなしく、うれしいことかも。




