第51話・逢魔が時の誘いと裏切り
五月四日の誕生日当日、俺はユーリから習った敵対心ダウンの魔術をかけて、城下町から少し西に歩いた先の、閑静な墓地にやってきた。段々畑みたいな土地に、整然と十字架の墓標が並んでいる。参拝客はちらほらとしかいねぇが、誰かを悼み花を沿える人々の、静かな祈りが感じられる場所だ。
アイクの墓は、とくべつに眺望のいい、この丘の頂上にある。お供え物を抱えながら、急な階段を登るのは少し辛い。身体がなまってんのか、全く、冒険者の名折れだぜ。それでも心に火を燃やしながら階段に挑み、見事アイクの墓の前に辿り着いた。
十字の墓標が立っているのは他の者といっしょだが、やはり王家とあって大きいし、装飾も豪華だ。記念碑もたてられている。堅苦しいものではなく、アイクが生前好んだ花やぬいぐるみ、リボンに料理用具があしらわれている。死んでまで、お前は映えるんだな。
初夏の風が頬を撫でる。今日は天気がいいから、アイクも良い眺めを楽しめて、さぞかし嬉しいだろう。十字の墓標の前に立って、作ってきたカシオレ瓶をぶっかけた。……この供え方はまずいのか? 墓参りについてはよくわからねぇ、アイクが苦笑いしてたら悪いな……。残ったぶんを俺の盃に注いで、ぐいっと飲み干した。甘ったるいな、世間の女子はこんなジュースみてぇなものを好むんだよな。だが、アイクが憧れたものと思うと、なるほどこの甘酸っぱさも、癖になる気がするから不思議だ。
焼き菓子、小さな編みぐるみのマスコット、色とりどりの花も供えて、俺は手を合わせた。
「アイク。……俺は二十二歳になった」
アイクからの返答はない。あるのは墓だけだが、不思議と傍にいてくれるような安心感がある。
「ハッピーバースデーを、お前は歌ってくれてるな? わかるぜ、俺とアイクの仲だもんな。お前とは、これからどんどん年齢が離れていくばかりだよな。永遠に二十歳か。……この世のものとは思えないほどの、妙齢の美しいアイクは、もういない。できれば、お前がお人形なんて名を返上して、よれよれの爺ちゃんになるまで、ともに在りたかったんだがな」
アイク、頷いてくれるか? 俺の儚い言葉は、天に届いているか?
「最近、手芸を始めた。紅茶も勉強してる。アイクの趣味はすばらしいものだ、やってみて初めてわかる。……お前が生きてる間に、もっとたくさんそんな話ができればよかったのに。何をとっても後悔ばかりだ、寂しい、寂しいよ。愛してるよ、アイク、大好きだよ。会いたいよ……会いたい……心が潰れそうだ……」
涙が零れ落ちてくる。抑える必要のない場所だ、人もあまりいない。人目をはばからず、開いた両目からひたすら涙を流した。
「……アイクには、申し訳ないんだが。この帰りな、俺手芸店に寄って、ユーリにカーディガンを編む材料を買っていこうと思うんだ。ユーリは俺によくしてくれる。お前が可愛がっていた弟だ、見逃してくれ。アイクとはまた少し違っても、大切な人だ。何よりお前の遺言だ。誰かを愛せってな。俺にとってユーリは、とても大事だ。お前と結婚式がしたい俺のことを、ここまで現世に繋ぎとめてくれた奴だ」
鼻水で呼吸困難になる。しゃくり上げて泣かずにはいられない。三十分くらい見境なく泣いたあと、誕生日なのに泣いてばかりだな、と、ふと思った。十字架をまっすぐ見て、むりやり両ほほの筋肉を上げた。……お前はきっと笑うだろう。俺も……いつか笑うよ。お前に会えてよかった。
飽きずに墓の前にいた。手芸店が閉まるかもしれねぇと気付くまで、ずっとそこにいた。アイクと二人きりだ。結婚式はできなくても、デートはできる。俺はこの墓に、一生通い続ける。本当は、片時離れるのも名残惜しいが。アイク、お前の遺言と、それから可愛がった弟のためなんだ。お前の大好きだったあの手芸店、五時で閉まるな。婆ちゃんが店を閉める前に、白い毛糸をたくさん仕入れておくんだ。お前に編んでもらった実物と、部屋にあった編み図、参考にするからな。
手芸店の閉店には、ぎりぎり間に合った。コットン百パーセントの並太毛糸を手提げ袋いっぱいにつめて、俺は城への帰り道を歩いた。この季節になっても、墓地の方角からふと涼しい風が舞い降りてくる。寒冷なダイヤモンドヒルズの常だが、何かアイクからの挨拶のようにも思えて、頬が少し綻んだ。
いつまでも城に世話してもらうのも悪いし、俺もそろそろ自立した未亡人にならねぇとな。毛糸をたっぷり買っても、城周辺やダイヤモンドヒルズ外れでこなした仕事で最近得た金は、まだ潤沢に残っている。そこらの酒屋で、気兼ねない夕飯でも食って帰るか。メイドに任せてばかりじゃ、冒険者の名も廃れっぱなしだからな。
城のすぐ傍のエリアより、この少し北寄りの街並みは人が少ない。果ての高台に墓地があるのもあって、どこかうら寂しい、かつ神秘的な雰囲気が漂う。家も少なくて、畑だとか自動販売機だとかが脈絡なく転がっているだけの、下りの坂道だ。ただ丘の上で建物が少ないとなると、眺望はいい。夕陽で真っ赤に染まったダイヤモンドヒルズが、よく見える。
「ルイ様」
刹那、背後に刺すような鋭い視線を感じた。身の危険を痺れるように感じながら、受け身を取って振り向くと……そこにはあいつがいた。因縁の相手、宿敵、或いは共にディランに出し抜かれた相手。白黒の継ぎ接ぎスーツに狼の仮面のヴァンパイア。この大陸を破滅に堕とそうとした罪人。こいつの姿を俺は、一日だって忘れたことはねえ……、
「シルヴェスター」
俺がそう答えるのと同時に、王都の四方八方から、小刻みな爆発音が響き渡った。
誰かの悲鳴、混乱の気配、かなり大勢の魔物の魔力波も、同時に感じる。こんな沢山の魔物が、突然王都に来襲した!?
「……スマホ、鳴ってますよ。出なくていいんですか?」
「ユーリかエディが心配してくれてるんだろうが、誰が宿敵を前にして、呑気に通話なんざ取るか。……そっちこそ、攻撃しなくていいのかよ」
たくさんの魔物と人間との、交戦の気配がする。お前、さては仲間たちの気配を、今の今まで魔術で消してやっていたな? 奴らが安心して王都を不意打ちできるよう、サポートしてやっていたんだろう。そして親玉は俺の前、か。まずいな、俺もけして馬鹿の極みじゃねえ。シルヴェスターと向かい合った時点で、今の俺は負け確だ。
「自分で言うのも情けないことだが、俺を狙いにきたのは徒労だったぜ。俺はディランとの件で力を失っているって、お前も知ってると思ったが。勿論元英雄の名にかけて、王都のためにこの命を捨て、お前を全力で足止めするが――……」
毛糸を放り出して杖を構えたが、どうにもシルヴェスターは構え返そうとしない。逢魔が時の赤い坂道のうえで、悠長に俺の顔をじろじろ見ている。攻撃の意思はないのか? 王都に散るこいつの部下たちには、少なくとも攻撃の意思はあるように感じるし、人魂の生まれる気配も感じる。敵にはかわりねぇ。だが、親玉がどうして俺を眺めて、思案するように腕を組むばかりなんだよ?
「こちらも情けないことなのですが、ディランを信じたことは最大の失策でした。野望は潰えた。貴女の前に現れた、この私は敗者なのですよ。部下も有用なものは大抵ディランに吸い取られ、現在王都を侵攻している部隊も、以前と比べれば些か出涸らしです。ヒューマン絶滅の決定打にはならないでしょう」
「何が言いたい。確かにディランの話を聞いてりゃ、お前はあいつに出し抜かれたも同然のようだが」
「そんな私ですが、もう後戻りはできないのです。ヒューマンを滅ぼさない限り、私たちの正しさは証明されない。いいですか、ルイ様。これは貴女にも益のあるお誘いなのです」
益がある? どういうことだ?
「かつて私は、貴女はいつか私にこうべを垂れると言った。それは『黒の新世界』を意図してのことです。ですが今は別の根拠からそう言いたいと思います」
「お前みてぇな悪趣味な仮面野郎に? こうべを垂れる?」
シルヴェスターは小さく息を吐いたあと、囁くように言った。
「『蘇生術』をご存じですか」
数メートル離れているはずなのに、その言葉はまるで耳元数センチで囁かれたかのように、あやしく俺の耳に貼り付いた。
蘇生術。命失われたものを復活させる、伝説の禁止魔法。存在自体からして眉唾物とはよく言われるが、実は城の禁書に含まれているとかいう黒い噂も、同時によく小耳に挟んだな。具体的な方法や術式、スペルについて俺はいっさいの知識を持たないが、何某かを犠牲にすることにより、死者を蘇らせる――……そんな危険な魔法を、古代アイドクレースが研究してたなんていう御伽噺もある。
「始まりの禁書『リヴァイヴ』。禁断の女神を、今私たち魔物側が、この手にしていると知ったらどうしますか?」
お前が今手元に一瞬顕現させた、その『Ⅰ』と書かれた重々しい本は……?
やめろ、俺の心を惑わすな。お前は知ってるんだな、俺が最愛の者を失ったって。それももとはといえばお前が悪いんだろう。俺はそんな誘いには断じて乗らない。アイクともう一度会えたらとか、あの笑顔をもう一度見られたらとか、そんなことは断じて考えちゃいない。動揺してなんかいない。俺の決意を、積み上げた生きる希望を揺らすな。いっきょに『もしかして』『ともすれば』『いつまでも』『大好きな人と』『結婚式』――……そんなキーワードに変えるなよ。
頭が痛い。眩暈がする。ふらついて膝をついた。シルヴェスターは嘘をついてるかもしれない。だが、本当のことを言ってる可能性だって、無い訳じゃねえ。今は城側にない禁書もあるって、聞いたことがある。ディール・オブ・ジ・アビスもそうだった。なによりさっきの『Ⅰ』の書には、並々ならぬ莫大な魔力の気配を感じた。ただの難しそうな書って訳じゃなさそうだ。もしかして、あれは……。本当に……?
『ルイ様』
あの書から声が聞こえる。ふと見ると、シルヴェスターの傍らには白く薄いロングドレスを纏った、長い青髪の美女が立っていた。慈しみ深そうな笑みを湛え、神々しい雰囲気を放つ彼女の右手には『revive』という赤い刻印がある。観察している限りは、シルヴェスターはその美女に気付いてはいないようだ。俺だけに見えている?
『貴女の恋人、アイクが……戻ってくるかもしれません。私を研究し、改造し、進化させてください。貴女ならきっとやり遂げる』
アイク?
会えるのか?
まさかな。
こうしてる間にも、街からは爆発音と悲鳴が響き渡り、銃や魔法の音が散る。
そんな全ての災厄から、営みから逃れて。
俺は無責任に、そして罪深く、もう一度アイクに会えるのか?
「貴女の弱体化は、薄々お察しの通り、永続のものではありません。それを知っているから、私はわざわざ貴女のところに参りました。魔物の姫として、私と共に歩んで頂けるのなら。再びヒューマン亡き世界の実現に向けて、活動を再開するためのシンボルに、希望に、そして巨大な軍事力になって頂けるのなら。……ぜひ一緒に来て頂きたい」
「……本当に、……アイクは……生き返るのか?」
震える声で、そう訊いてしまう自分がいた。
だめなのに。そんな幻想に縋っちゃだめなのに。
アイクはきっと喜ばない。自分の命を喜ばない。
俺がアイクをそんな存在に作り変えちまったら……きっと、あいつを不幸にする。
アイクと初めて会ったときの、不器用で自信なさげな笑顔。顔を輝かせてクマちゃんのことについて語る声。ゴロツキから俺を護ってくれたときの、毅然とした態度。今でもありありと思い出す。
お前はいつも、お姫様が窓の外を見るように俺を眺めた。眩しいものを見るように。俺にもお前の純粋さが、優しさが、清らかさが眩しくて。お前が笑ってくれるだけで、ああ生きててよかったって、ああ生まれてきて本当に幸せだって、出会えて嬉しいって、ずっとずっと一緒に人生を過ごしていきたいって……そう思った。
お前はやがて俺を想い、強くなり、ヒスイ谷までの道のりでも俺を護った。一人の王位継承者として、最期まで存分に役目を果たした、立派な男だ。そんな男が……、……許嫁を、生き返らせたいがために……、悪なるものに与した女をみたら……、幻滅するか?
「必ず生き返ると保証はできませんが、そこも貴女を見込んでのことです。蘇生術の研究には、莫大なエネルギーを必要とするという。貴女が体内に保有できる魔力の多さは尋常ではない。出力の量も然り、まさしく才能というものです。貴女なら研究に、そして術式に耐えられる可能性があるかもしれません。……貴女の許嫁が生き返った暁には、特別に殺さないでやっても良いですよ。ヒューマン畜生とはいえ、姫の大事な『王子様』ですから」
シルヴェスターが礼をする。リヴァイヴも慈愛に満ちた目で、俺の会得と研究を待ち望んでくれている。……三か月をかけて、辛うじて繕った心が、音を立てて崩壊していく。涙がとめどなく溢れる。こうしてる間にも、ダイヤモンドヒルズの民は死んでいく。それなのに、俺は俺一人の我儘のために、敵の親玉に一矢報いることもなく……。
……アイク、それでもいいんだよ、俺。
お前の遺した言葉を守って、なんとかこの世界に価値を見出そうと生きてきた。
ユーリは俺を心から愛してくれた。城の皆も、王都の皆も、あたたかく見守ってくれた。
でもな、もう俺にとって、そんなことさえ無意味に思えちまうんだ。
そんな魔のさす瞬間は、人間の心にしばしば訪れる。
お前の居ない世界なんてな。何もかも無価値なんだって、お前が死んだあの時に確信した。
その確信をどうにか揺るがそうと。
どうにか誤魔化して、お前の望んだ通り、人間らしく殊勝に生きようと。
そう思っていたが。
ダメだ、俺。
縁日のとき、お前の隣で思った通りだ。
俺は塊で人を愛せない。
殊勝な英雄にはなれない。
お前だけを闇雲に愛した。
お前への愛だけが、戦う理由だった。
そんな弱い奴なんだ。
弱っちい、弱っちい……屑なんだ。
「……そんなに涙を流されることはない。……貴女のお力によって、愛する者は再び顕現するかもしれない。私はディランと違い、貴女を邪魔しない。どんな世界であっても、愛する者のいる世界なら、それでいいではないですか。愛とは素敵な感情です」
シルヴェスターの甘い甘い誘いは。
俺の弱い心を、粉々に打ち砕き。
そして、救う。
「どうです。私の手を取って下さいますか」
シルヴェスターが、黒い手袋に包まれたその手を、俺のほうへと差し出す。ああ、ここに、ここに禁忌がある。愛がある。アイクがいる。アイクがこんな俺のことを、どう思おうと構わない。軽蔑して、捨てたとしても構わない。アイクがいる世界は。俺にとって楽園なんだ。アイクがこの世に存在しているというだけで、俺の人生は――……うそみたいに、きらきら輝きだす。色を得て、光が広がって、そう、それはまるで『天国』。
無惨にも腰の抜けたまま、俺は舗装された煉瓦道を這って、ゆっくりとシルヴェスターのほうへと近付いた。視界もぼんやりとして歪むなか、なんとか……最後の力を振り絞って、差し出されたその右手に、俺の右手を伸ばして、そして遂に俺は……シルヴェスターの手を取った。やっと、やっと、三か月ぶりに、心から笑えた!




