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第48話・たとえ君にとってあいつのかわりでも

 ヒナギク荘の扉は、昔ながらの風情を残した木の引き戸だ。少し建付けが悪いのもかまわずルイががらりと開けて、フロントで帳簿の整理をする女性に声をかけた。


「ミルカ。……久しぶりに、帰ったぜ」


 これが普段のミルカちゃんか。城近辺で見かけたときより随分質素なエプロンを纏って、髪を二つに括って眼鏡をかけている。なるほど、この姿だけ見れば、ただの街娘に見えなくもない。こっちを見て、ミルカちゃんは驚いたように目を見開いて……数秒何を言うべきかと思案したすえ、いつもの明るい口調で言った。


「……おかえりなさい、ルイ様! ユーリ様もご一緒なのですね」

「お前ならそう呼んでくれるって信じてたぜ。戦姫なんて重い重い」

「以前から英傑の名を欲しいままにしていたルイ様なんですから、今更なんじゃないですか? さておき、色々失礼しました。まさかルイ様がその……女性の方だとは思わず、あらゆる場面で男扱いしてしまい本当に……」

「普通の子がルイを一目見て、女だって見抜くのは不可能に近かったさ、ミルカちゃん。それは豪快なオーラを放つうえに声も低く、おっぱいも全くないルイの責任だよ」

「おいユーリ! おっぱいとか言うなセクハラ王子が! 十代の頃、せっせとバストアップマッサージしても膨らまなかったんだ。貧乳っていうのは不可抗力なんだ」

「あはは……私はレディとカップルを組んで、ダンスパーティーに参加していたんですね。貴族のルイ様のファン層界隈には、案の定えらく衝撃が走ってるみたいですよぉ? 罪な方です、本当に。今日は私に会いに来て下さったんですか?」

「そんなところだ。あと、ついでに貴重品として預けていた小遣い、引き出してもいいか?」

「はーい。留守中もしっかりお預かりしていました」


 庶民的な宿には、あまり来たことがないな。城にいるときは勿論VIP待遇を受けるし、リヒト・フリューゲルもいわゆるお嬢様・お坊ちゃまの集まる学院だから、修学旅行は高級宿だ。逆に興味深い。ここにはアフタヌーンティーのメニューは無いのかな?


「お茶お出ししましょうか?」

「お願いするよ。ルイが普段どんなお茶を楽しんでいたのか、興味がある」

「ユーリ様お馴染みの高級ティータイムではないかとは存じますが、紅茶とショートケーキを、この時間帯にはサービスでご用意していますよぉ。ナメないで下さいね、商店街で仕入れたティーも、淹れ方を工夫すれば貴族の屋敷のものを凌ぎます」

「ミルカちゃんの言葉なら説得力があるよ。……ここに座ればいいの?」


 フロント前に、素っ気ないソファ一対と木テーブルがある。他の宿泊者の気配は今のところあまりしないし、古木の匂いのたちこめるティースペースは、意外と落ち着くな。ルイは我が家に帰ってきたみたいな表情で、嬉しそうに伸びをしている。……連れてきてよかった。ホームグラウンドに帰ったんだもんね、逆に城に拘束していて、悪かったかな。


「……連れてきてくれてありがとう、ユーリ。愛する人と、それから力を失ってしまった俺のことも、ちゃんと迎えてくれる街があって、人がいる。そのこと、お前は俺に伝えたかったんだろう」

「よくわかってるね。俺一人の言葉では、些か説得力不足なんだ。いかに皆が君のその命を望んでるか、刻んでやりたかった。結果は上々だ」

「……ここなら、城より人に聞かれる心配は、逆に少ないか。そう、俺が力を失ったことについて、ずっと心に引っかかっているんだよ」


 紅茶が出てきた。少し啜ると、絶妙な温度で蒸らされた茶葉が、奥底からいっぱいに香りを放つさまが感じられる。けして華やかではないけど、奥深くて素朴な美味しいお茶だ。確かにこれは淹れ方だね。俺はよく知らないけど、兄上が紅茶の淹れ方についての本を、たくさん持っていたのを覚えている。色々コツがあるらしいね。


「……アイクが淹れたのと同じくらい、美味しいだろ?」

「街宿のお茶も悪くないね。……で、何が引っかかってるって?」

「ディランは確かに、俺が葬ったよ。大陸いちの魔物は死に、それは国民の知るところにもある。だが、シルヴェスターはまだ生存している可能性が高いと考えられるよな?」


 絶望で魂がひしゃげていても、それを忘れないくらいの冷静さはあるか。


「俺は力を失った。今あいつと相まみえたとして、勝てる未来は見えねぇ。あいつが王都に来襲したとして、誰があいつを倒すんだ?」

「……それについては、確実ではないにせよ策を練っている」

「……何となくわかるが、お前が戦うとか言い出すんだよな?」

「王家の紋章を貰っちゃった以上、しょうがない。第二王子くんはパワーアップしちゃったから。力のある者は、それを正しく振るう義務を得るって、君の口癖だったよね?」


 そんなに心配そうな顔するなって。どうすれば伝わるかなと思った結果、自然に手が伸びて、向かいに座ったルイの頭を撫でた。


「俺は確かに以前、シルヴェスターに敵わない雑魚だったけど、……考えはある。何を会得すれば勝てるかは、頭にある。具体的な策を、父上に申し出るつもりだ」

「エディもいるんだ。お前は本来戦闘員じゃない。……あまり無理するな、と言いたいが。無理する気概でなきゃ、あの化け物にはそうそう敵わない。それは俺も体験済みだ」

「……それに関しては、君は心配するな」


 するなって言ってもしちゃうのはわかるよ。ただ、俺はルイを安心させたい一心で日々行動している。そんな顔をさせるのは本意じゃない。だからこそ君を非日常へ連れ出したかったのに、結局はこんな話になるんだね。


「必ず護るから。君だけじゃない、王都を護れるように、エディと頑張る。憎まれっ子世に憚るというだろ、俺みたいな男は大概がしぶといんだよ」

「……信じられる訳ないだろう……」


 ルイの声が震えている。


「……俺が背中を預け、信じたアイクは死んだ。……お前からは。『アイクの弟』からは。アイクの匂いが絶えず流れてくる。不安を感じる理由なら、それで充分だ」

「それくらい心配してくれるっていうのは、嬉しいことだけどね。『男』は愛する人に心配されると、存外踏ん張る気概が湧いてくるっていうのは、君も体験済みのはずだ」

「きゃー、ちょっと見ない間にそんな話になってたんですかぁ」

「ミルカ、突然口挟むな」

「あはは、すみません、ケーキお持ちしましたぁ」


 シンプルなケーキだね、デコレーションも少ない。兄上なら物足りないって言うだろうけど、クリームがまろやかで、新鮮な牛乳を使っているのがわかる。後を引かずすっきりとした味わいで食べやすい。なるほど、ルイが好む宿の実力、侮れない。


「……本当に隠す気さらっさらねえんだな……」

「好きな人に、自分は女だってこと隠し続けたせいで、散々こじれた友人もいるのでね。隠し事がいかに悪手かはわかっているから」

「うるせぇな。……お前はアイクの弟だ。だから……ことにアイクが死んでからの俺は、お前に『アイク』を求めて傍にいる部分もある」


 知ってるよ。そんなに罪悪感を露にした表情で言わなくてもいい。そんなこともわからずに、俺だけを見てほしくて近寄るほど、俺は考えなしじゃない。君は今も兄上を愛している。それは何よりの大前提だ。それと、俺自身も兄上を愛していたよ。みすみす兄上を寂しがらせるようなことがしたい訳じゃない。


「……お前の中に、『アイクの匂い』を求める。在りし日の安心感を、幸福を、貪りにかかる。俺はお前を見てはいない。その不誠実を抱えたまま、こんなことを言うのはよくないが。……ユーリに死なれたら、俺は生きていけないよ」

「あのね、ルイ。何か勘違いしてるみたいだけど、俺は今兄上の『かわり』になれるなら、それで充分に本望だよ」


 はっとしたような顔だ。君はけして頭の悪い女性じゃないが、こういう話題になると急に、俺の二手三手後ろをいくね。元彼氏いない歴イコール年齢ちゃんは、伊達じゃないよ。


「君が少しでも安心するなら、救われるなら、誰かのかわりでいいだろう。君が一瞬でも笑ってくれるなら、誰かのかわりで何が悪いんだ? 俺は君が笑っていられるアイドクレースを作るんだ。だから君は、兄上の匂いのする『かわり』を見て、笑っていてくれよ」


 自分でも、どうしてここまで真剣になれるのか、正直わからない部分もある。ケーキを食べる手も止めて、俺の言葉に固まるルイの唇を見つめることに……どうしてここまで真剣になれるのか。

 あの日みんなが揃った謁見の間で、母上にも言ったけど……俺は胸の大きい女性が好きだ。それに更に補足するなら、髪の長くて、メイクが得意で、短いスカートの似合う、器用で恋愛慣れした女性が好きだ。

 本当、どうしてなんだろうね。理由なんてないんだ。俺のいだいていたそれらはまやかしで、火遊びでしかなかった。いまルイを目の前にすると、どんな理論も価値を為さなくなる。胸が小さく、髪が短く、化粧っけがなく、スカートが嫌いで、二十年以上も男性と縁のなかったこの女性を目の前にすると。そんなつまらない何もかもが、どうでもよくなる。


「……解せないが、止めても無駄なのは兄譲りだな。全く、そこらをふらつき回っては生き急ぐ兄弟を……見つめる奴の気にもなってくれよ?」


 そう、今そうして笑ってくれるなら、どうでもいいと思わないか?


「お前に策があるってのは、確かに了承した。そのうえで心配なのも確かだが、だからってユーリを護ってやれるだけの力を、今の俺は持ってない。つまり口を挟む権限はないんだ。……どうして力を、失っちまったんだろうな。かつて俺は、俺自身の抱く力の強大さを持て余したが。無いなら無いで、肝心なものを護れないんだ。どっちにせよ辛いなら、力を持つほうが遥かに幸福だ」

「一概に言えないのは、君も知っての通りだけど、大綱をいえばそうかもね。医療班に、君の魔力基盤の回復に全身全霊をかけるよう命じるよ。それは国益にも繋がるし」

「……ユーリ、お前の策ってのは、もしかして『禁書』か」


 鋭い。


「……それについては、答える必要はない」

「認めたな。……禁書は術者を呪いで呑む魔術という伝説を、聞いたことがある。ディランはうまく使いこなしていたが」

「あくまで伝説だ。やってみなければわからない。元々俺にそこそこの地力があったのは、ルイも知っての通りだろう。人間だった頃のディランには、並ぶことができていたと思う。それが増幅された今、その力を制御できるだけの力が俺にある可能性は高い」


 ルイ、悲しまないでくれ。もうこれ以上、泣かないでくれ。君の赤い瞳にたまる涙が、俺の心に痛い。


「……ユーリ、俺、お前のことが大切だ」


 いつになく素直なその言葉と、控えめな笑顔には、心の奥を掴まれてやまない。こうして君の笑顔を補給しなければ、生きていけない身体にされた。何よりの喜びを、君はそうして与えてくれる。


「その内訳は、さっき言った通り。そんな誠実じゃない俺を、ユーリは許してくれる。お前までいなくなったら、俺は、俺は……もう壊れて、おかしくなって、引き裂けて、ぐちゃぐちゃになって」


 あながち比喩でもないことは、恐ろしい。医療班の者の見解でも、ルイが若干心を病んでいることは否定できないらしい。冷めかけの紅茶で、不安止めを飲み下す君を見るのがつらい。


「俺は死なない。兄上の雪辱を晴らしてみせる。君を、国を幸せへ導いてみせる。……こうまで匂わせておいて、はっきりとはまだ言ってなかったね。今日も言わないけど、言わないことで君には伝わるだろう」


 ルイの手を取って、かじかんだその指先を包むように温めた。

 クリスマスパーティーの時には、もう既に。いや、それより以前。君を女だと認識したその瞬間から、俺はなにか形のないものを、ぼんやりと抱いていた。それがやっと形になって、眠っていた俺の目を覚まさせ、人生を変えたんだ。


「形のない、君への約束とけじめだ。君が心配して、応援してくれるなら。必ずや王都は護られるだろう」

「……お前は優しい奴だ。皆がいくらお前の悪評を吹聴しようと、俺だけはずっとそれを見誤らない。親身な友人になって、誠実でない俺を許して、そのうえで王子になってくれた」

「誠実でないのは俺も同じだ。兄上を失い傷心の君を、救うという名目で搾取しようとしている。自らの我儘を通そうとしている。……だから同じだ。愛した人を一生大事に思っていくその君を、護る盾になるのが、俺のせめてもの望みなんだから」


 ミルカちゃんが皿とカップを下げる機会を失ってるのに、言い終えるまで気付かなかった。人に聞かれているところでする話じゃなかったけど、まあミルカちゃんなら……。城の共用部や街で、誰が聞いてるかわからないまま話すよりは良かっただろう。


「あはは。口外はしませんよぉ。ただ、組み合わせとしては意外ですね。そう言われればそういう気配もありましたが。なぜかクリスマスを一緒に過ごされていたり」

「あれはアイクへの愛が高じての行為だ、ミルカ。俺は喪女だったから、ストーカーになることでしか愛情を示せなかったんだ」

「意地を張らずに、最初からドレスでも召されて、アイク様とダンスされればよかったのに。外野に近い私が、偉そうにルイ様にかけられる言葉はそうありませんが……。旅の前、お守りのサファイアを託した友人として、ルイ様には『もう後悔してほしくない』です。どうか今のまま、素直であってください」


 ルイは外野なんて思っていないさ、ミルカちゃん。旅立つ前君から貰ったっていうサファイアの原石、ルイは今も肌身離さず持ち歩いている。きっと大事な人だ。


「……善処する。……ユーリ、さっきから凄くスマホのバイブ鳴ってないか? 大丈夫なのか、こんな所にいて」

「いや、それが、多分少しまずいんだよね。城付きの識者候補の面接を再開しなきゃ。父上がやってもいいんだけど、質のいいのを採ろうと思うと俺がやらなきゃいけない」

「あの二十人は、他国で言うところの官僚みたいな役目を兼ねているだろう。居なければお前らが、本来やらなくてもいい裏方の仕事までこなすことになる。何か城から発表するにも、いちいち原稿から作るはめになるんだろう?」

「その通りだ。いてくれると助かる。大量殺人が起きたポストを人々は気味悪がるかとも思ったが、杞憂だった。報酬はいいから応募総数は上々。そんな訳で、ほんとはここに来るのもギリギリだったんだけど、まあルイの為だしね」


 我ながら、俺がこんなに尽くす男だとは。どちらかといえば、女性を侍らせて奉仕させて、両手に抱くのがお気に入りだったんだけどな? 能力至上主義のリヒト・フリューゲルでは、兄上のような天才的美形でない俺でもそれが可能だった。今じゃ懐かしい思い出だ、たった一人の女性を、こんな辛抱強く励ますことになるんだから。


「悪いけど、父上がチャットアプリで悲鳴を上げている。俺は帰ろうかな。……ルイはどうする?」

「というと、ここに残る選択肢を与えてくれるのか?」

「君を一人にするのは心配だが、ここにはミルカちゃんと、ウェルシュの従者の老夫婦がいる。この宿にいる君は、なんか城にいるよりも元気そうだ。ホームグラウンドの空気をしばらく味わいたければ、また夕刻に護衛の者を寄越すけど、どうだろう」

「……ありがとう。何から何まで。ここにいると落ち着くのは確かだ。アイクの部屋はアイクの匂いがして、あいつがいなくなった直後は縋ってた。でも、たまには離れることで……あの夜の後悔から、少しでも解き放たれたような感覚になってるよ。……久しぶりに、爺ちゃんの手料理でも楽しんでいくかな?」

「わあ! うれしい! 私も腕によりをかけて手伝いますよぉ」

「じゃ、夕飯の終わる頃に迎えの者を寄越す。……ゆっくり過ごして、ルイ」

「ありがとう」


 君を励ますという目的は、見事に達成された。王位継承者の仕事は尽きないし、求められる品位も言動の重みも、予備でおまけの第二王子とは大違い。その職責に兄上も畏怖したのだろうか、思春期を迎えるころ兄上の一人称が『私』へと変わったときの衝撃は、今も忘れられないよ。


 城へ帰る道すがら思う。俺は本当の恋を知り、殻を破った。自ら舞台に立ち、誰にも見せたことのなかった姿で勝負することを選んだ。それで少しでも、あの大切な女性が笑ってくれるなら。俺は、きっと――命をかけられるよ。

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