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第44話・鼻をつく死の匂い

(ルイ)


 アイクの通夜は、俺が王都へ帰って二日目の夜に執り行われた。

 遺体の状態に関する事情を考えれば、急ぐのも致し方ない。ユーリがアイクの部屋で休ませてくれたお陰で、俺も少しは冷静になれた。そうだ、せめてちゃんとアイクを送り出さなきゃ、アイクに合わせる顔がない。それだけはやり遂げなきゃいけない。その先のことは……まだ到底考えられねぇが。


 城の衣装室にあった礼服を借りて、色とりどりの花に包まれたアイクの姿を、ずっと見ていた。儀式としての通夜が終わっても、ずっとずっと礼拝堂の中で、静かでかなしい楽園の中で、月明りに照らされたアイクの寝顔を見ていた。


 棺の中で、お前はどことなく幸せそうだな。何ていうんだったか。我が人生に一片の悔い無し! っていう、安らかな顔をしている。敵に斬られて殺された顔には、おおよそ見えねえな。……お前は俺を救って、満足かもしれねぇよ。だが、俺は……。


「……まだ、居たんだ。猫ちゃん」


 礼拝堂の入り口辺りから、女性の澄んだか細い声が飛んだ。俺の低くて男みたいな声とは違う。まさしく姫に、そして王妃に相応しかったはずの……俺とアイクが、みすみす貶めた女だ。


「アリス、……お前、大丈夫か? しんどくねえか? 無理するなよ? 泣きたいときは泣けよ?」

「そっくりそのまま返したいよ。その左腕の大量の包帯は何」

「……何ていうか。お前には何を言っても、許される気はしないよ。何で俺が、『準親族』として明日の葬儀に参列することを、またみすみす許可しやがった?」


 アリスが黒いワンピースを着て、アイクの寝顔を覗き込んだ。その美しい瞳に、いっぱいの涙を溜め込みながら。


「何でも何も、ルイはアイアイのことを、幸せにしてくれたじゃないの。最期の時間を、好きな人と過ごさせてあげたじゃないの。アイアイがしたいようにさせてくれた、その筈じゃないの。いちばん望むことを、叶えてやった人じゃないの」


 ……お前は真に、アイクの幸せを望んでやってたんだ。自分本位に嘆き悲しむだけの俺とは違う。そうだ、もうアイクの死から一週間以上は経ったんだ、俺もいい加減、こいつみたいに大人にならないといけねえんだ。……アイクの望まない俺を、殺さなきゃならねえんだ。アイクの望んだとおりに、この世界のどこかに愛が待つと信じて、歩いていかなきゃならねえんだ。


 でも悲しいじゃねえか。俺らの大好きな人は、どんなに神に願っても帰ってこないじゃねえか。ほら、また……アリス、お前も泣いてんじゃねえかよ。大粒の涙を、礼拝堂のかたい床に染みこませてんじゃねえかよ。……こうして二人で泣くの、……一人で泣くよりは、ちょっと悲しくねえな。


「本当を言えばさ。アイアイに望まれなかった僕が、準親族ってほうがおかしな話なんだ。でもね、それでも僕は……アイアイを見送りたい。ルイがそれを疎まないでくれることのほうが、僕にとっては有難かったんだ」

「お前を疎む訳ないだろ。お前の恋を壊したのは俺だし、アイクを護れなかったのも俺だ」

「そういう重たいのは、アイアイが最も嫌う言葉だよ。……ぐす、やだな。これでも僕さ。……この一週間……やっとここまで来るのに、ゆうに百個の薬瓶とフラスコと試験管を壊したんだ」

「奇遇だな。俺も牙を血に染めて、包帯を何ロール使ったことか」


 この残酷な世界で、息をするたび壊れていたのは……お前も同じらしい。


「でも、そういう重ーい女はさ。アイアイ嫌いだと思うんだよね」

「確かに。笑顔でドン引きされるのが関の山だ。アイクに好かれようとするなら、ヤンデレは悪手」

「……そうそう。だから、アイアイの親友の僕のままでいたいし、アイアイの最愛のルイのままでいたいと思わない?」


 アリスは大人だな。俺はまだそこまで思考が進まない。俺はガキだから、自分の悲しみの暴発をなんとか食い止めるだけで、いっぱいいっぱいなんだ。ユーリに諭されても、アリスに諭されても、いまだにアイクとのスムーズな再会を願ってしまうよ。


「僕はきっと一生、アイアイを忘れられない。今のところ、第一令嬢の役目は放棄するつもりだ。誰とも結婚せず、アイアイとの淡い思い出とともに生きていくよ」

「……その気持ちもよくわかる。俺も今のところ、他の誰かとみすみす愛を育むような予定は、まるで考えちゃいねえ」


 なんとなく、昨日ユーリに抱きしめられた時のことを思い出した。まああれは、本人の自覚する通り、少しアベレージとは違う常識を持った人間だ。心配の行き過ぎた、ただのらしくないスキンシップかもしれねえが。……それでも王子が女性を抱きしめることの意味、全く理解してない訳ないよな、あれだけ頭の良い奴が。

 そうだ、ユーリ。噂に聞く手のつけようがないユーリ王子と、アイクの生前から俺を親身に励ますお前には、大きな乖離がある。

 ……まさかな。……そんな筈はねえ。……万一あったとして、俺は『アイクの弟』に、アイクの匂いを探してしまいかねない。そんな失礼な心構えで、ユーリと向き合うことはできない。『アイクの弟』から香る『アイクの匂い』に。昨日だって縋ってしまった。そう、あの部屋がアイクの匂いだったのはな。お前が出入りしたからもあるんだよ、ユーリ。お前らは確かに似てない兄弟だったがな。お前の匂いは、アイクの匂いにそっくりなんだよ……。


 アリスが去った後も、ずっとずっとアイクの姿を見ていた。もうすぐ失われるこの姿を、少しでも目に焼きつけておきたかった。鼻がきくからわかるんだ、俺。もうお前から、アイクの匂いがしねえんだ。残酷なことに、どれだけスロウやアイスで食い止めても、少しは異臭がする。……わかったよ、これが死だって。だからこそ俺は昨日、ユーリの匂いに縋っちまったんだ。


 お前は美しかった、アイク。俺なんかには勿体ないくらいに。

 その姿、一瞬でも長い時間見ていたい。


 でも、死体は劣化し、腐り、放置すれば蛆がわく。それが現実だ。

 ちょっと整理できた気がするよ。ヒューマンにはわからないであろう、そのにおいを嗅いだことで。お前は、もうそこにはいないんだって。抱きしめ合ったあの日のにおいは、もうしないんだって。


 お前の抜け殻に縋っていちゃ、お前の面影にしがみついていちゃ、きっとお前は、安心して旅に出られないんだって。

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