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第43話・情けない俺を恨めよ

 ルイが帰還したのは、それから一週間後のことだった。結局、ヒスイ谷と王都との中間地点で、ルイと兄上を城からの遣いが引き取った。それゆえ、猫魔導士たちは自分の故郷を護る任務に、より早く戻れただろう。

 城を訪れたルイを見て、正直違和感があった。つやのない耳と黒髪、死体のようによどんだ赤い目、誰と何を話してもいっさい変わらない表情。頬には涙のあとが付いている。洗う気もおきないのか、洗っても追いつかないくらい泣いているのか。胸が痛む。

 ……それと、やっぱりルイの魔力基盤は損傷しているとの結論が出たらしい。精神的外傷が理由だそうだ。全く魔法を使えない訳じゃないが、以前ほどのパフォーマンスは、今のところは出せなくなっているらしい。護衛をつけておいて正解だった、って訳か。


「……ユーリ。……ただいま」

「……おかえり」


 不愛想なその言葉に、魂は乗っていない。上の空だ。心が半分、空の向こう側へ旅立ってしまっているかのような口調だ。今まで父上への正式な報告にあたっていたらしいけど、この様子じゃ、さぞかしまともな会話にならなかっただろうな。


「……アイクを連れて帰れなかった、情けない俺を恨めよ」

「君は任務を達成した。戦いの詳細は知らないけど、王都の誰も君を責めるつもりはないよ。むしろ褒められるべきだ。君がこの大陸のヒューマン全員を救った。どんな魔物より強い魔物を、打ち倒したんだ」

「恨めって言ってるんだよ。馬鹿か。ばか。お前の兄ちゃんを護れなかった俺を、もっと責めてくれよ、なあ?」

「君らしくもない。常勝の魔導士が、理性を失うところは見たくないね」

「俺は敗者だ。俺が情けないばかりに、結婚は天国に持ち越しなんだ。……はは」


 君の空笑いは見たくない。狂いかけたその語調から、目を背けたい。だけど逃げちゃ駄目だ。それも君なんだ。兄上への全身全霊をかけた愛を失った、その骸もまた君なんだ。たしかに、俺の愛した君なんだ。


「楽しい結婚式を、するんだよ。ユーリを招けなくて申し訳ないな。俺は強大だった力を、いくらか失ったらしいし。もう存在意義はないんだ。アイドクレースに俺は、もう必要ねえんだ。最後の仕事が、せめてきちんとこなせて。ユーリ達のことをまもれたのは、よかったよ」

「……それで心置きなく旅立つとか、そういうことを言うつもりかよ」

「苛立つなよ、ユーリ」

「君は知った筈だろう!」


 エントランスで叫んだせいで、周囲がいっせいにこっち見てる。……構うか。大事な人に大事なことを伝えたい一心なんだよ、俺も。不器用なりに。欠損人間なりに。


「遺される側の気持ちを! 愛を踏みにじられる気持ちを! せめて夢の中で逢えることすら、願ってしまう気持ちを! それを知ってなお、俺……たちに、それを強要するつもりかよ。追い打ちをかけるつもりかよ。ふざけるな、君がそんな腑抜けだとは、失望したよ」

「……知ってる。ユーリは、俺を大事な友人と思ってくれている」


 それくらいは察せるかよ、猫の頭でも。


「俺の知ってるユーリと、人に聞くユーリはちょっと違う。お前は純真な友情を、俺に向けてくれる。だから、お前を悲しませるのは、ほんとは良くない。……だが」


 ルイの乾いた頬を、ひとすじの涙が伝った。


「……耐えられない。アイクのいないこの世界に。ずっと怖いんだ。帰ってくるあいだ、ずっとアイクの遺体のそばで、アイクとお話していた。でもアイクは、これ以上放っておくと腐るんだ。そう、怖いんだ、アイクはもうすぐただの灰になって。まだ正式な許嫁じゃなかった俺は、その直前、別れをいうことさえ許されなくて。……あいつのいない世界で、呼吸をするたびに狂っていく。頭も心も腐食していく。だから、今は……放っておいてくれ」


 知ってるよ。どこからどう見ても、君を放置すればゲームオーバーだ。俺の人生の詰みだ。どうにか君を繋ぎとめるべきだ。その場しのぎでも、何か仕掛けないと……君は陽炎のように、ふっと消えてしまう。


「……どこで寝泊まりするつもりなんだ?」

「ヒナギク荘か、そのへんのベンチか、道路に直か。どこだっていい」

「……魅力的な誘いをひとつ。兄上の部屋が、綺麗に清掃されて残っている」

「アイクの部屋。……アイクの匂い、するかな」

「それは保証できないけど、思い出はあるだろ? 国を救った英雄を、そのへんの路上で寝かせちゃ、アイドクレース王国の名折れだからね」


 ルイの手を取った。小さくて細い手だ。以前俺がまだ幼く背の低かったとき、ルイはとても大きく、眩しく見えた。逞しい青年ってイメージがあったけど、何のことはない、こんな小さな手だった。こんな頼りない体躯だったんだ。俺が躊躇なくルイと手を繋ぎたがったことに、彼女は一瞬驚いたらしい。……下心はない。ただ、君にもっと寄り添えればと思ったんだ。


「……はは、口説いても何も出ないぜ。俺はアイクのお嫁さんだからな」

「……そんなつもりはない。俺は君を護りたいだけで、自分のものにしたいとか、そんな我儘を言うつもりはない。ルイにとって兄上がどれほど大きな存在だったか、傍で存分に見てきたんだからね」


 魔学エレベーターを踏んで、どうにかルイの手を引いて七階へ連れてくることに成功した。兄上の部屋は、彼が帰還したときのために、メイドによって綺麗に整えられている。結果、遺体安置室へ無言の帰還となってしまったけど。


「お嫁さんといえば……アリスはどうした。俺と同じ目にあってるはずだろ? 心中察するに余りある」

「心身のバランスを崩して、一度アイオライトドールのお屋敷に帰ったよ。両親や従者がケアにあたっている。葬儀の際にはまた城に来るそうだよ」

「そうか……アリスも……辛いだろうな」


 言葉少なに、ルイは兄上の整えられた部屋を見渡した。ソーイングセットや料理本、作りかけの編みぐるみ、色んな銘柄の紅茶、それに造花で作った手芸作品が、テーブルに整然と並べられている。二つのベッドは、シーツをきれいに天日干ししてある。ソファには、兄上が編んだレースのベールがかけられていて美しい。棚という棚にテディベアが飾ってあるのを見れば、兄上の生前の人となりが自然と感じられる。


 テーブルの前について紅茶を差し出すと、ルイは色のない唇をつけながら言った。


「護りたい、か。ユーリ、多大な思い遣り、本当に感謝する。お前にそう言われて、僅かながら救われたよ。アイクは死に際……俺が寿命をまっとうし、誰かに愛されて過ごすことを望んだ。それが最期の望みだった。ユーリのその気持ちのベクトルは俺には察せないが、もしも俺に、何らかの執着を抱いてくれるなら。それはとても有難い。こんな自暴自棄の自殺志願者を、思い遣ってくれてありがとう」

「そうそう、その冷静な物言いこそがルイだ」


 ルイは黙って、兄上の作った中でいちばん大きなテディベアを抱きしめた。ルイの背丈の半分くらいはある。そう、暇さえあれば作っていたよな。


「……兄上は一生で、本当にたくさんのテディベアを量産した。ウエディングベアがお気に入りで、バージョン違いをいくつも作っていたよ」

「そうそう。いつか自分も、こんなふうに綺麗な衣装を着て、花嫁とチャペルでキスするんだって。そんな淡い夢を抱いていたらしいな。今頃、アイクが生きてさえいれば。斬撃から俺を庇わなければ、俺があのとき、僅かでも隙を見せちまわなければ。……アイクと俺はキスしていた筈なんだ」


 望む通り、君と兄上の話をできるのを嬉しく思うけれど……、結局はそこに行きついてしまう。不用意にテディベアに話を向けたのは失策だった。


「兄上は頭が悪いから、遺される君の気持ちまで、考えが及ばなかったんだろうね。兵法の授業を抜け出したり、城の人間としての一般常識を全く知らなかったり、いろいろ足りないところはあったけどさ。……でも、余りあるくらいの、無垢で単純な優しさを持っていた。それは時に人を傷付けるけど、多くの人をまもる資質でもあったよ」

「意外に、『博愛の王』には相応しい人間だったよな。アイクの死体に、何度も言った。お前なら、アイドクレース王国史上最高の、最も優しく慈しみ深い王になれたはずなのに、って」


 ふいにルイが涙をこぼし始める。あとからあとから、大粒の涙が流れて、そのうちしゃくり上げはじめる。ずっとこの調子で泣いているのか? かわいそうに。言葉もない。こういう時どうすれば、目の前にいる人の心を救えるのか。俺はその研究をしてこなかった。それを死ぬほど後悔している。こんなに悲しいのは、こんなに苦しいのは。こんなに『生きてる』のは、初めてかもしれない。


「う……わああああああ」


 床に崩れ落ちて、ルイが泣き喚いた。獣人に備わる鋭い牙で、自分の腕の内側を抉りにかかる。牙が柔肌に立ち、当然ながら、裂傷から血が大量に溢れ出す。慌てて俺が敷いたティッシュに、鮮血が滴り落ちた。すぐにルイの腕を掴んだ。俺の服にぱらりと血のしぶきが飛ぶ。構うか。君は女だ、いくらひょろい俺相手とはいえ、この歳の男の腕力には敵わない。だから君のその不毛で浅はかな行為を、止めることができる。すぐに、恨み呪うようなうつろな瞳で、君に睨まれるけれど。


「離せ」

「嫌だね」

「構うな」

「それを兄上が望むか?」

「猫は我儘な生き物だ」

「それなら他人の我儘も、許してくれるよな?」


 腕に噛みつけない体勢を作る。ルイの自由を奪い、無為な自傷を止めさせる。なおかつ、俺の我儘の全貌を、君にはっきりと伝える。……全てを同時に成立させようとすると、俺の取るべき行動は何だ?


 そんな浅薄きわまりない問題を、頭に描いてしまった。一瞬だけ、一足でその答えに飛びついてしまった。床に崩れ落ちた君を、力いっぱい抱きしめてしまった。ただでさえ失われたその温もりを、さらに搾取しようとしてしまった。夢にまで見た君の心のまんなかを、ぶん取ろうとしてしまった。……駄目だ、こうまでの『我儘』は許されない。


 すぐに離れて、ルイの手首を掴んだまま黙った。自制心って言葉の意味、自由人の俺は今までよくわからなかったけど、これのことなんだね。成程、理に適っているけど、悲しい言葉だ。ただ、とりあえず腕の自由を奪わないと、またこの猫ちゃんは血を流しかねない。悲しいのもわかる、寂しいのも、苦しいのもわかる。俺もそうだから。でも……


「兄上が見て悲しむような行動を、君が取るのは誠実じゃない。そんなこともわからない君じゃないだろ?」

「……誠実なんて言葉から、程遠い生き方をしてきたらしい奴に……。まさかそんな説教をされる日がくるとは」


 呆れられた。どんな形であれ、冷静さを束の間取り戻させたのであれば、その言葉は悪手じゃない。


「君たちを見て、誠実を学んだ。君たちの寸劇は、誠実の教科書だった。それなのに、間違った理論を書き加えないでほしい」

「……悪かった。アイクの望まないことをするのは、俺の本意でもないんだ。ただ、時々、感情がどばっと波になって襲ってきて、アイクのいないこの世界に、我慢ならなくなる。頭がまともに働かないくらい、苦しくなるんだ」

「……まともに眠っていないだろう、その顔。この部屋で少し寝たら、少し気持ちも落ち着いて、葬儀にきちんと臨めるかもしれないよ。君が親族と同じ立場で葬儀に出られるよう、父上にかけあってあげてもいい」

「ありがとう。……ただ、これ以上アリスの立場を踏みにじりたくないのも事実なんだ。彼女が許すなら、で構わねえ。同じ悲しみを背負ってる仲間が、許してくれるならな。家族として花を手向けたい気持ちも、灰になる直前まで送り出したい気持ちも本物だが」

「……そう。連絡しておく。アリスはきっと許可するだろうね」

「この部屋を斡旋してくれて、ありがとう」


 鼻からいくつか小さく呼吸をして、ルイは続けた。


「アイクの匂いがするよ。僅かだけどな。獣人は鼻が良い。……お前の言う通り、少し眠るよ。長いこと、連続した睡眠が取れていなかったんだ。ここなら、……傍にアイクがいる気がするから」

「眠れるならそうしてほしい。俺もちょっと用事があるしね。兄上の葬儀の準備だとか、懇意にしてくれている貴族への連絡とか」

「……大変だな、悲しみの中だってのに」

「俺が真人間じゃないのは、ルイもよく知ってるだろ。欠けてるからこそ城の役に立てることもあるってのは、皮肉だね」

「……そんなことない」


 ルイは血の止まった手首をかばって、布団にもぐって……少しだけ笑ってくれた。


「ユーリは普通の奴だよ。自信を……持ってくれ」


 俺が普通? ……そんなこと言う『変な奴』、初めて見たよ。絶えず俺をつついていた一抹の疎外感を、あっさりと退治しにかからないでくれ。そんな美しく、かなしい笑顔で。

 メイドにルイの身辺の世話と、様子の監視を命じて、俺は兄上の部屋を出た。父上は葬儀の行われる、離れの礼拝堂へ行ってしまっているだろう。合流して、城の事務員や聖職者といっしょに、明後日執り行われる葬儀の準備を整えなきゃならない。嘆きたいときに限って、嘆く時間もないのは皮肉なことだ。兄上が務めた『王位継承者』は、こんなにも重いものだった。クマちゃんに逃げたくなる気持ちもわかるよ、兄上。それでも兄上が、ない頭を振り絞って全うしきったその名を……今度は俺が、きちんと護るから。

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