第41話・誰にも邪魔されない結婚式を挙げるんだ
メルを見失わないように、暫く市街地の屋根を飛び移っていた。さっきこいつが捕縛されかけた、西の十四番街を過ぎた。この谷の里は基本的に、えぐれた谷の底にできたような地形になっているが……、北端には、谷底から伸び、谷の上の地表の世界にまで顔を出す、大きなホシクズ岳がある。それが眼前に、少しずつ近付いてくる。人があまり住まないゆえ、この谷に来た時のように、道はでこぼこだ。肉体強化によって岩を飛び移りやすくはなるが、それでも不覚を取ってはアイクに手を握られ、ありがたく体勢を整えた。
こんな岩だらけの道を軽々と飛び移れる辺り、やはりメルには、人を殺しては逃げ、殺しては逃げた経験が活きているんだろう。いや、メルばかりに集中していてもいけないんだが。メルがディランの内通者だとするならば、メルのしたことはディランに益をもたらすことかもしれねぇ。いっそう警戒しなきゃいけないのに、畜生。完全に動揺を止めることは、人の心がある限り叶わねぇ。あの優しいメルが、あの可愛いメルが、何だってディランの奴に手を貸して……。
「……前にも調査に来たが、厳しい道だね」
「あの時は、鍾乳洞はもぬけの空だったな。今はどんな悪夢が待ってるっていうんだ?」
ちょっと休もうにも、里の奴らの安全のためにも、メルを見失いたくないから休めねえ。畜生、削られるぜ、山道で殺人鬼を追う道のりは。エプロンから返り血を垂らしてくれているお陰で、見失いそうになってもなんとか堪えられるが……これがカナタの側近たちの血だと思うと、更に削られる。そうして山道を駆けて一時間強、俺たちはなんとかホシクズ岳のふもと、リュウセイ鍾乳洞のそばへと辿り着いた。
古代人の文明がまだ隆盛だった頃、この星の気象条件は今とは違っていた。彼らの作った兵器や科学技術がこの星を狂わせる前、ここらは温かい海だったとされる。それゆえここには鍾乳洞がある。全く、今のこの凍てつくような寒さに、舞い散る霰の鋭さを考えれば、信じられねえようなことだが。ともあれ鍾乳洞の中から、オーロラのように輝く薄明りがもれている。……メルがここに飛び込んでいったのは見た。ここは地獄の入り口だ。殺人鬼二人が手招きしている世界だ。
構わない。俺たちなら生還できる。信じるしかない。人はいつも、未確定な未来をひたすら信じて歩くことしか選べない。その理不尽さには反吐が出るが、今は……隣にアイクがいる。顔を合わせて、月明りに照らされたアイクの目を見て、そっと頷いた。言葉はいらねえ。俺たちはこれを選んだんだ、大事なみんなの未来のために。
鍾乳洞に入って少しの間は、人一人二人通れるかっていうような狭い場所が続く。そう、以前調査に来た時に確認した通りだ。しばらく堆積した鍾乳石に刺されながら、子供の秘密基地か何かみてえな狭苦しい道を通り抜けると……そこから先は絶景になっている。ホールのように開けた空間に、鋭く鍾乳石がカーテンのように垂れ、堆積した魔力で淡く青緑に光っている。足元には、同じくエメラルドグリーンの水が溜まっていて、ブーツで踏むたびにぱしゃぱしゃと音を立てる。跳ねるように、魔力を帯びた雫が飛ぶさまは、なかなかに幻想的だ。
そう、多分この最奥部で戦おうってことなんだと思うんだ。そして確かにメルはそこにいた。浴衣のうえのエプロンに大量の返り血を浴びた、殺人鬼のメルは。いつものように三角巾にポニーテール姿のまま、俺たちを見て微笑むんだ。……メルしかいないのか? ディランはどうした? まだ姿を隠しているのか? この期に及んで逃げるなよ。人を面倒な方法で呼びつけておいて。
「……ようこそ、お嬢様、王子様」
お前が向かい合おうっていうのか? この鍾乳洞には、たしかに前回来たときにはなかった莫大な魔力の気配を感じる。アイクはなまくらだから分からないだろうが、俺にはわかる。身体に圧し掛かってくるような、破壊的なエネルギーが、この鍾乳洞に今満ちている。……ただ、それはメルの身体から発されているものではないな。メルから感じられるのは、あくまで強大な猫魔導士の気配。しかし、接近してみるとわかるが……メルのこの猫の気配、なんだかパチモンに『観え』なくもねえ。何かの魔術で、気配を作られているかのような……。
「……メル、君はディランの内通者だったという解釈で良いんだね? ここで、こうして向かい合っているということは」
「いえ、それは少し違いますね、王子様」
「白々しい受け答えだね、ではなぜ君はここにいる?」
「……ま、ディールまでまだ少しだけ時間があります、真実をお話ししましょうか。種明かしの時間は、いつだって楽しいものなのです」
メルはいつものように、にこにこと明るく笑っている。世間話でもするかのように、軽いノリで真実を少しずつ口にしようとしている。
「王子様、『メル・ツキシマ』なんて少女はね。世界のどこにも居ないんですよっ!」
「……居ない?」
「ヒスイ谷は、首だけ新体制にすげ変わったところで、所詮は地方部族の野蛮な里。戸籍情報のような大事なシステムさえ、まだ確立途中です。外部の者が潜り込み、書き換え、『メル・ツキシマ』という貧しい猫族の少女が、あたかも本当に昔から生きていたかのように記録を改竄することは容易い。この『メル』、よくできてるでしょう。実はアバター魔法でして。私の最新の研究で、ゴーレムに私の『意識』を乗せ、自在に操るなんて応用が可能になったんです。まあ、分身ロボといったところでしょうか?」
私とは誰だ? まさか、……今こうして話している、そのお前は……。
「そう、メルの口調に慣れてしまったね。いい加減女装はやめるとするか。シルヴェスターが一年前に『黒の新世界』の計画を持ち出してきたときにね。私は真っ先に、高名で偉大な魔族とヒューマンの相の子、ルイ様の存在を思い出した。シルヴェスターは私を信頼し、魔法陣の発動権限を私に渡すと言った。それと同時に、私はこうして『賽を振る』決意をした」
「……貴方は……」
「いたいけな少女を睨まないでくれ、怖いね、アイク王子。せっかくだから、使うサイコロについてよく知っておきたいなと思って。そう、アイク王子が夜更けに憎んでいた、好奇心というやつだ。それでメルを作り、『ルイ・アマミヤ』の生家へ潜り込んでみようと考えたのだよ」
「……ゴーレムをアバター魔法で動かすなんて所業、よほどの魔力を必要とするだろうな。事実お前は、城へ情報を漏らしディールを持ち掛けた際、わずかな時間映像を表示するだけでも魔力切れを起こしていた」
「そうだ。それを切らさぬため、そこらへんのいたいけな猫魔導士から魔力を奪い、直接『メル』の稼働にあてた。私の本体は、ご存じの通り城でデスクワークをしていた。遠くから私が魔力を継ぎ足すには、限界があるのだ。いたいけな凡人犠牲者でも、命を保てぬほど大量に魔力を奪えば、メルのガソリンがわりとしては機能する。全てはルイ様にしごく興味があって、その身辺の空気を肌で感じたかったからだ」
それだけの理由かよ。それだけの理由で……お前は数多の人間をその手にかけられるのかよ。
「サイコロというのは肌馴染みが大事でねえ……モノによって、ちょっとずつ転がり方も変わる。古代から様々な素材が使われた。サイコロ賭博というのも、元をたどれば占いを起源としている。神聖なものであり、ひとつひとつに命がある。一年かけ、またルイ様が到着してからの三週間でまた……私は満足いくほどにルイ様を知れたよ」
「白々しい言葉ばかりを、私の前に並べつくしたのは。……私を揶揄っていたのか、ディラン?」
アイクの言葉に、メルは首を横に振る。
「まだ若いアイク王子が、そう思って心をおさめたいのも無理はないが。『メル』は可能な限り、誠実に君たちと言葉を交わした。嘘はなるべく減らした。あれは私なのだ。でなければ意味がない。君たちを知るためには、自分を晒す必要があった。あの夜君と話した私は、紛れもなく私だよ」
時計を盗み見た。十二時ちょうどだ。『メル』は役目を終え、白目をむいてその場に倒れる。そしてかわりに、何かが……何かおぞましく、人の世のものとは思えない化け物が近付いてくるのを感じる。それは俺たちの目の前の空間を爪で破り、破滅的な光と爆風をもたらしながら、異空間より現れる。ドラゴンの胴体に怪鳥のような翼、ヴァンパイアや蝙蝠のような翼、ワイバーンから抜いたような翼がそれぞれ二枚ずつ、合計六枚繋がっている。クラーケンのようなたくさんの触手にはいくつもの目がついて、じろじろとこの洞窟のあちこちを見回す。二本の大きな角が生え、黒い被毛に覆われたその顔には、辛うじてディランという人間の面影が、僅かに残されていた。
「そう、シルヴェスターは私を信頼した。だから私にはできた。頼まずとも、優れた魔物を全土から集めてくれるシルヴェスター。それを取り込み、繋ぎ、この世の中で至高の生物を創ろうと画策する私。そう、あいつは生真面目で、少しばかり謀には向いていなかったね」
つまり、この魔物は、シルヴェスターの集めた仲間と、ディラン自身の融合した姿。そうだ、決戦の火蓋は切って落とされた。考えてる暇はねぇ、先手を取るんだ。アイクと二人で同時に、後方へと跳んで引いた。アイクのほうに防壁魔法を飛ばしながら、鍾乳石ごとぶっ飛ばすつもりで俺は杖に魔力を集めた。
「ヒスイ流雷の理一の型・『まだともしびの薄明り』!」
杖に集まった金色の魔力が、龍の姿を描いてディランに突撃し、この鍾乳洞ごと吹き飛ばしかける。アイクは大丈夫か? いや、この爆風の中、指示するまでもなく、追い打ちを画策しているらしい。それでこそだ、頼りになる。
「アイドクレース軍秘伝魔剣術其の一・『千変万華』」
雷術と斬撃、二人ぶんの攻撃で先手勝ち逃げにかかる。戦いを長引かせるのは効率的じゃねえ、できる限り早く仕留めるんだ。……が、一撃で死んでくれる相手じゃねえか。爆風と青緑の砂埃のむこうに、化け物の身体がわずかに裂ける気配と、強大な防壁魔法の気配を感じる。案の定砂が晴れるやいなや、アイクの方に触手が伸び、ヘドロのような黒っぽくどろどろした腐食魔法が飛び掛かっていく。
「避けろ!」
俺の声に頷いたアイクが、岩場に足をかけて器用に跳んだ。せっかく綺麗な鍾乳洞の壁が一部腐って溶け、黒い煙を吐く。腐食魔法の『振りかぶり』の反動でわずかに動きの鈍ったディランに、アイクが斬撃を飛ばし畳みかけた。
「アイドクレース秘伝魔剣術其の三・『森羅万鐘』」
大剣の先から弓なりの形に飛び出る斬撃には、薔薇と棘の鮮烈な赤がにじんでいる。それがディランの大ぶりな身体にまともに直撃し、飛び出た紫の血液がびちゃりと音を立てる。そう、的がでけぇ。この広いとはいえねぇ空間にあの図体だからな。だが、それも想定済みだ、それでも死なないと踏んでいるんだ。俺達の攻撃なら耐えられると。いや、お前はむしろ攻撃を受けたいと思っているのか? サンプルを取りたいとか何とか言っていたな。どちらでもいい、隙ができた。あっちが一瞬怯む間に、アイクが何撃も畳みかけてくれる。ぶん、と耳のそばを風が横切る音とともに、ディランの苦悶のうめき声が、がなりたてるように響き渡った。
「はははは! それでいい! それで! 今私は生きている! 大陸で一番のパーティと互角な争いを! そうだ! ぐわ、がは! それでいいのだ」
クラーケン譲りの触手から、丸いエネルギーの塊となった闇魔法がいっぱいに飛んでくるので、腕で一度アイクを制止し、背に庇った。
「ヒスイ流雷術盾の理・『つわものどもが夢の跡』!」
限界だな、防壁がばきばき言ってる。金色のバリアが押し切られる前に、一度右側に走ってアイクの手を引いた。いちいち砂煙が立つが、どうせディランは俺たちの位置をきちんと『観て』いる、隠れ蓑になると思わない方がいい。体勢を立て直せ。
「アイク、揺さぶりを頼む」
「時間を稼ぐよ」
もう一度無詠唱で防壁を張ったあと、前衛をアイクに任せて俺は退いた。アイクが四方八方から斬撃を飛ばすたびに、轟音と地鳴り、刃が風を切る音が耳を刺す。その間俺はどうするか。このままじゃ決定打がない、ディランの防御力はかなり高いと見た。さっきの詠唱無しの俺の攻撃と、アイクの斬術。二人がかりでもまだ火力が足りなかった。
ならどうするか。昔から、前衛の剣士は時間とダメージを稼ぎ、後衛の魔術師は詠唱を積む、そう相場が決まっている。魔法の効力を高める巻物『スペル』を袋から取って広げた。ヒスイ谷に伝わる、とびっきりの、いたーい、しんじゃう魔術だぜ!
「『天つ風、雲の通ひ路吹き閉ぢよ、をとめの姿、しばしとどめむ――……ヒスイ流雷術秘の型・遍照の恋路』!」
爆風とともに、鍾乳洞の天井が割れる。崩落しかねねえが、もう少しもってくれ。異空間から召喚された、天女の姿をした雷の精が、いっせいにディランを焼き殺しにかかる。こんな狭い場所で使うと術者にも巻き添えがくるな、アイクは大丈夫か? 気配はする、俺の魔法発動と同時に、俺より後ろに退いてくれた。有難い、心置きなくディランを焼ける。大きなダメージへのうめき声は聞こえる。血の臭いもする、恐らくディランのものだ。効いてる。どうだ、俺の渾身の魔法は美味いか?
「ぐは、はぁ、はぁ……そうだ、それでこそ、今まさに私は『生きて』いるのだ! はは! ……ぐぅ、がは、あはははは!」
「笑ってんなよ、畜生が」
「これこそが『研究』。これこそが『戦い』。これこそが『占い』。これこそが――『賭博』!」
まだ生きてるな、しぶとい。何か飛んでくる! 避けられねぇ、さっきの魔術で力を使って、隙ができた。まともに闇エネルギーの塊を腹に受けた。痛ぇ、どっか折れたか? つぶれたか? 唇から血が零れる。
「ルイ!」
「大丈夫だ、構うな!」
「感動だ、ははは! これこそが、これこそが『生きる』ということ!」
痛ぇが、苦しいが、……まだ戦える。怯まず攻撃すべきだ、さっきので大分ダメージは与えられた筈。ディランもギリギリだ。生死の境にいるからこそ、お前はそんなに興奮してるんだろう。お前はそういう奴なんだろう。何となく察している。
「ヒスイ流雷の理ニの型・『咲きたる花をおよび折り』!」
畳みかければ勝てる筈。目の前が少し霞むが、構うな、繋げ。光の花びらがディランの触手を切り裂き、ばらばらに落とす。ドラゴンの胴体が焼け、内臓物がこぼれ落ちて異臭を放つ。そうだ、戦え。よく見えねえが、それでも戦え。俺としたことが、少し食らっちまったか。注意力が一瞬散漫になった次の瞬間、背筋が冷えた。
受け身を取り損ねた。丸腰で宙を泳ぐ俺の身体めがけて、先の尖った触手を使っての斬撃が飛んでくる。まずい。これは駄目だ。まともに食らったら死ぬ。そうか、一瞬の隙を突かれたか。死ぬとき一瞬が長く感じるって、本当なんだな。スローモーションの中、それが俺の胸を今まさに切り裂こうとするのを、俺はなすすべもなく待って――……
そのとき俺の目の前に立ちはだかったのは、アイクだった。
まさか。やめろ、お前も丸腰に近い状態のはずだ。
嘘だ、やめろ。防壁も何も張ってねえし、こちらからの斬撃や魔術で相殺してもいねぇ。
何してるんだよ、それは自殺行為だ。
それは死のカードを選ぶに等しい。
俺の命をもたせるために。
自分の命を捨てるに等しい。
「アイク!」
触手に胸から腹にかけてを嫌な音を立てて切り裂かれ、アイクの身体が宙を泳ぐ。そのまま、数メートル先の地面に叩きつけられる。ぱしゃりと地面を覆う水の跳ねる音がする。血の臭いが広がる――……恐らくアイクのものであろう、大量の血の臭いが。
嘘だろう。
俺も冒険者をやって長い。致命傷の臭いってのはな。鼻に染みついていて。
いつになったって、慣れることはない。
「はははははは! そうだ、もっとその顔を見せろ、ルイ様! 愛する者を失う、その絶望を! ヒューマン敗北の証を! 新しい世界を前に、なすすべなく崩れ落ちる英雄を!」
誰かが死ぬ覚悟をして、いつだって戦っていたはずだった。
それでも望みを繋げれば、生きるべき者に繋げれば、大きな目的は達成できて。
結果的にそれは、数多の人間たちを、生きとし生けるものの権利を護ることに繋がる。
そう割り切っていたはずだった。
いつから俺は、こんなに弱くなったんだ?
愛とは弱さか?
愛とは最大の脆さか?
それとも、俺の弱さこそが愛を裂いた?
俺を庇わなきゃ、アイクは?
いや、あくまでも俺はディランを倒せとの命を受けている。ここで戦意を手放すな。涙を堪えろ。アドレナリンに火をつけて、この鍾乳洞ごと燃やしつくせ!
「うわああああああああああ」
陥ったことのない状態に、自分がおかれているのを感じる。ただ憎い。憎くて身体が焼け消えちまいそうだ。詠唱もねえのに、雷術が杖から湧き出て鍾乳洞を飛び交う。少し洞窟が崩れかけてるな。……崩れちまえばいいだろ。アイクと共に消えられるなら、それもいいだろ。人類の敵・ディランを殺した後でな!
「……何と……!? ……そんな、防壁が破れ」
「わあああああああ」
子供が泣き喚くみたいな、めちゃくちゃな魔術だ。俺自身も制御できねえ。制御の意思もねえ。飲み込まれる。ただ、ただ、ディランだけは絶対に殺したい。こいつだけは絶対に、生きていてほしくない。数多の命を軽んじた上に、俺の大好きな、俺の愛するアイクを奪うやつには。もう一秒だって、生きていてほしくない。泣きながら、身体から流れ出る魔力をディランにぶつけた。金色の魔力が、悪魔のシルエットをしているのが一瞬見えた。何だ、この魔法。俺もしらねぇ……こんなの、俺もなったことねぇから……ただ、身体の中の魔力がみるみる枯れて、目の前に閃光がいくつも飛んで、俺の憎悪通りにディランの翼や尾、角、さらには顔面が切り裂かれていく。
「ぐああっ……、が、これは、これは……っははは、まさか、……至高の猫魔導士の……ぐぅ、っは、魔力の今際に……立ち会えるとは」
『魔力の今際』。どういうことかわからないが、もし今が俺の死に際だったって、別に構わねえ。そこにアイクがいないなら、俺は生きていなくても構わねえ。大陸でいちばん強い魔物と思われる、にっくきディラン。ディランさえ、ディランさえ死んでくれれば。それで俺は満足だ。だから死ね、ディラン。死ね。死ね。死ね。今後未来永劫転生してくれるな。地獄の底で惨めに泣け、永遠にな!
「……ぐぅ、ぐはぁ……、……悪くない……そうか、これが、……どんな魔物をも超える……ヒューマンの抱えし……『悪魔』」
「うわあああああああああ」
「……人間の深淵に……もっとも罪深いもの……に……、遂に私は……出会え……た……」
ディランの言葉は、それなり無くなった。それでも俺はディランを焼き続けた。骨も残らず、全てが煤になっちまえばいいと思った。それがお前の罪だ。いや、アイクを護れなかった俺の罪なのか? 俺がぜんぶぜんぶ悪いのか? 俺の罪を紛らすために、ディランはこうして、死してなお焼かれ続けるのか? どっちだって構わない。アイクのいない世界で、生きていくくらいなら。俺が悪かったって、ディランが悪かったって、さしたる違いはない。
「やめろ……ルイ……」
わずかな声が、閃光の狭間に聞こえた。ふいに、心の中で暴発していた憎しみや怒りが、すうっとひいていくのを感じた。身体の中の魔力も、すっからかんだ。こんなにギリギリまで消費したのは初めてだ。
「……アイク?」
アイクが声をかけてくれなかったら、俺は自分の命まで差し出してディランを焼いた。ほんの一瞬前にそう言ってくれたお陰で……、俺は、死なずにすんだ。
焦げ臭い鍾乳洞の中、アイクに駆け寄った。煙となっていた不純物は地に落ち、血と肉の焼けた臭いの中……鍾乳洞の水と石は、ふたたび朧げに、青緑に輝き始める。
「……生きてたのか。よかった。俺……何だかわからないが、……ディランを倒して」
「……もう、……じかんがない」
時間? なんの時間だ? ディールなら終了したぜ。アイクが生きてたなら、俺はアイクを背負って連れ帰って、それで。……それで一緒に王都に帰って。……それでな。
……うん、わかってる。そんなに馬鹿じゃねえよ、俺は。いや、馬鹿なんだがな。お姫様のアイクを、護ってやれない馬鹿なんだがな。そんなこと認めたくねえから。冒険者の血が言ってる、こいつにはもう『時間』がない。誰かの『瀬戸際』に遭遇する経験は、初めてじゃねえ。そう、時間がない。俺たちの幸せな時間は、たしかに……絶たれた。
血が海のように、アイクの身体のまわりに広がっている。話せるだけでも奇跡だろう。そうだ、痛々しい傷口が、胸から腹まで口をあけて、アイクのその美しい顔から、血の気がひいていく。白く、かたく、冷たくなるんだ。
嫌だよ。
嫌だ。
どうして?
俺と結婚してくれるって。
俺を妃にしてくれるって。
お前のこと幸せにしてやろうって、思ってた。
お前なら俺を幸せにしてくれるって、信じてた。
繋いだ手の温度。
交わしたキスの悦楽。
まぐわいあった幸せ。ぜんぶ、ぜんぶ、幻になっていく?
あんなに幸せだった時間が。
消えていく?
失われる?
戻らない?
お前の笑顔は、手料理は、クマちゃんは、……愛は、消えゆくのか?
「アイク。……ごめん。ごめん。嫌だ。嫌だよ。俺のせいで……俺は、俺は。俺の命にかえても、お前には。生きててほしかった」
「……ごめん。……さいごにいいたいよ」
「嫌だ、最後なんていうなよ、お前のこと、俺が連れ帰って、医者にみせてやるから。だから、だから、……愛してたよ。ごめん。ずっと愛してるよ。永遠に愛してるよ。愛してる。狂いそうだ。愛してるから、だから、待ってて、俺のことを――……」
「……あいしてくれてありがとう、るい。……ながいきを。……こころから、しあわせに」
「待ってくれ。俺が長生きなんて嘘だよな。……すぐにお前のところに行くから。行くから、待っててくれよ。待ってて。結婚しようよ。俺、お前と結婚したいよ。それが天国だって地獄だって、どっちだって構わないんだよ。結婚するんだよ。お前がいれば、どこだって天国なんだよ。お前さえいてくれれば、それだけで俺は幸せなんだよ。だから待ってて。絶対いくから。いくから、すぐにお前を追いかけるから」
「……るい。……だれかをあいして。……いきて、おいて、いのちつづくかぎり」
「残酷なこというなよ。アイク、アイク。……おい、返事しろ」
アイクの血のついた口角が、わずかに上がった。
「……ありがとう。……あいしてた。……だれかのものになるの、……すこし、さびしい」
目をうすく開いたまま、アイクはもう喋らなくなった。心音もねえ。アイクの身体から、命が失われた瞬間を……俺は悟った。アイクは帰らぬ人となった、俺の腕のなかで。まだ身体はあたたかいが、ヒスイ谷の寒気が、アイクの体温の名残を、容赦なく奪っていく。すぐに遺体はつめたくなって、少しかたくなって……まるで蝋人形みたいで、アイクじゃないみたいで。いや、『これ』はもうアイクじゃない。アイクはもう……この世界から、永遠に失われたんだ。これは、永遠のさよならなんだ。
「う……う……うわああああああああああああ」
叫ぶとともに、大量の涙が溢れ出して、とまらなくて、胸が張り裂けた。すぐに後を追いかけたかった。あのときアイクが、最期の力を振り絞って俺を制止していなければ、そうなっていたはずだ。それが……救われちまって、でももう生きていく希望もなにもなくて、身体の魔力もからっぽで、それだけじゃねぇ……魂のなかの魔力基盤に、違和感がある。今魔法を使おうとして、恐らく今までのパフォーマンスは出せなくなってる。詳しくは医者に診せなきゃわかんねえが、どっちでもいい。アイクのいない世界に価値はないが、しかしアイクは俺を護った。有難いことだ。だけど弱いから、俺は、願ってしまう。天国に行きたい。天国に行きたい。アイクと俺の楽しい結婚式を二人で挙げて、二人はそのままひとつに交じり合って、何にも邪魔されることなく、お互いをお互いの中で感じて。そんな結婚式をしようよ、アイク。
ディールは行使され、俺たちはヒューマンの敵・ディランを討つことに成功した。大陸のヒューマンや亜人たちは、護られた。作戦は成功だ。だが、そんな世界の大きな勝利にすら、俺は興味を示せねえ。
アイクの死体の瞼を、そっと閉じてやった。ただでさえ色白だったお前の顔は真っ白で、髪がぱさついてきて、手をにぎると少しかたい。それでも俺は……少しずつ朽ちゆく許嫁のそばで、ただ無為に涙を流し、項垂れ、縋りついた。里からの調査隊が迎えに来て、俺たちの戦いの顛末を確認するまで――……ずっとずっと、最期の時間をともにしていた。
アイク、お前との約束、守れる気はしねぇ。ごめんな。俺はやっぱり……お前を葬儀で弔ったのち、お前と同じところへ旅立とうと、そう決意してるよ。その決意のおかげで――……残酷な今を、辛うじて生きていられるよ。
愛してたよ。
護れなくてごめん。
逝って辿り着いたその先で、そうちゃんと謝って。
もういちど、お前のその笑顔を見るんだ。
誰にも邪魔されない結婚式を、挙げるんだ。




