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第37話・湯けむり連続殺人事件

(ルイ)


「連続殺人事件、か」


 ヒスイ谷に来てから二週間、つまり一月十八日。かねがね聞いていたその物騒な事件の犠牲者が、俺たちがこの里を訪れてからはじめて、一人出たという。斬撃魔法によって身体を無惨に引き裂かれ、体内の魔力はすべて奪われていたそうだ。残忍な話だな、反吐が出る。


「そうなんだ。最近は被害者が出ていなかったけれど、やっぱり犯人が捕まらない以上、収まってくれる訳もなかったか。一年前くらいから、この里では断続的な連続辻斬り事件が起きている」


 カナタは俺の家にずかずかと気まぐれに上がってきては、メルの手料理を夕飯に頂いていく。全く、俺の少女期の仇だってのに、呑気にしゃあしゃあとうちの敷居をまたぎやがって。


「ここに着いて二日目、お前がうちを訪れたときに聞いた通りか。傷には魔力波がほとんど残されていない。尻尾がつかめないって話だったよな」

「ただ、ルイのような強い魔導士であれば、反撃も可能だろうね。犯人が狙うのは、魔導士としてある程度の力を持っている、猫魔導士の標的のみだが……強者を狙った際には、時々返り討ちにあって逃走することもある。もちろん、正体についての情報は、現場にいっさい残さないままだが」


 メルの料理は美味い。今日の夕飯は豆ごはんにぶり大根、お味噌汁だ。相変わらずアイクが、そのレシピを興味深そうにスマホのメモに記録している。ヒスイ谷のメニューは特徴的ゆえ、彼にはさながら宝の山、ってとこだろう。


「まあ、二人もお出かけの際は、充分に注意してほしい。強い二人のことだ、返り討ちにできるに違いないから、そんなに心配はしていないが……、誰か非力な者が襲われていたら、どうか護ってやってほしいんだ」

「お安い御用だよ、カナタ。私たちの力は、弱き者たちを助ける力。その振るい方に迷いはないさ」

「頼りになるよ、アイク王子。……それじゃ、ボクは里長としての公務に戻る。シズクとヒノキも、ついてきて手伝ってくれるかい。今回の事務処理は紙が多くて、ボク一人では若干時間がかかる」

「了解や。ひと働きしましょか」

「ルイ、アイク王子。ボクたちがいない間、また露天風呂にでも浸かってきたらどうだい? 昼間にはよく入りに行っていたが、この時間帯には初めてだろう。降ってくるような星空の中、あたたかくとろみのあるお湯で身体の芯をあたためる。健康にもいいしね」


 確かに、夜に入ったことはなかったか。ただなぁ……俺たちは温泉旅行をしている訳じゃないんだ。そのうえ里でも物騒な事件が起きている中、こんなにヒスイ谷を堪能してて大丈夫なのか?


「はーい、お嬢様、王子様。バスタオルと浴衣ご用意しました!」

「メル、俺はまだ頷いてないぜ」

「いいじゃないか、ルイ。どうせここにいても、今のところ里に貢献できるわけでもない。まあ、もしカナタの事務作業を手伝いたいとかなら、私一人で入ってくるが……。私は頭が悪いゆえ、書面の作業は城に居たころからからっきしで」

「ええよええよ、ルイ、行ってき。事務仕事のプロをなめたらあかんで? どっちみち素人が加わったって、おばちゃんOLには到底及びはせんよ。ほんなら戦いに備えて、身体をいたわったほうが『効率的』ってもんやん!」

「……チッ、母さん、すっかりカナタに染まりやがって。……わかったよ、じゃあ心置きなく行ってくる。タオル有難う、メル」

「ふかふかに洗ったタオルです! 柔軟剤の目分量は任せてください!」


 タオルと浴衣と帯と、それから一応武器を持って、俺とアイクは家を出た。星がまたたくヒスイ谷は、凍りそうなくらい寒い。風呂上りに普通の浴衣じゃ凍死するから、この里の浴衣にはヒートⅠがかけられている。俺たちが貰ったこれには、恐らくメルがかけてくれた。


「……何だろう。メルが魔法をかけたあたたかい浴衣……何か懐かしい?」


 瓦屋根の平屋の並ぶ、風情のある石畳を歩きながらアイクが言った。


「懐かしいって何だよ。アイクは浴衣に馴染みがあるのか?」

「いや、無いが。……このあたたかさ、肌なじみ、柔らかさ。……何だか懐かしいよ」

「ふうん……? 何だろうな。浴衣じゃないとすれば、メルの魔法のほうか?」

「どうだろうね。城と柔軟剤が一緒とか、そういう理由かもしれないが」


 降ってくるような星空が、釣り下げられた提灯によって、紅くぼやける。数分歩けばそこには『湯けむり処 ヒスイ谷星屑の湯』と達筆な筆文字で書かれた札とともに、木造りの趣のある小屋が建っている。すりガラスのついたドアを手で開けると、男女で部屋が分かれることもなく、無造作に木棚と籠が、縦四段・横六段連なっている。どの棚にも誰かの荷物はない。今のこの時間には、入っている人はいないということだ。床には素っ気ない茣蓙が敷かれていて、ちょっと湿っている。


「……見るなよ?」

「見るなと言われると……見たくなるのが人間というもので」

「アホか。大丈夫、速攻でタオルを巻くのは得意だ。昔この湯に慣れ親しんだ女だからな!」

「里の者とはち合わせて、気まずくなったりはしなかったのか?」

「時間を外していた。ガキが絶対来ない時間に、ひとりで来た。今みたいな時間帯だ」


 タオルをきつく巻いて、目を逸らし合っていたアイクと合流した。……腹筋、もう少し鍛えろ。まあ一時よりは良くなったんだろうが、まだインカローズビーチのサーファーの腹筋よりは見劣りするぜ。


「……見るなと言うくせに、人のことはじっと見る」

「うるせぇな。鍛えてねえなと思っただけだ」

「ルイは魔導士にしては鍛えているよね。今はふかふかのタオルに阻まれて見えないが……」

「咄嗟のときに、身体能力が物を言うこともあるからな……」


 暖簾をくぐって、小屋の外に出た。露天風呂なんだが、自然に湯の湧いてるところに、気持ち岩を並べて溜まるようにしただけだから、本当に自然の一部みてえだ。渓流の一部にでも浸かってるような景観だ。視界を大きな苔生した崖と、その淵から伸びる木の幹が丸く覆い、空は真上に見える。降ってくるような、輝く星空が、まるく見える。これがヒスイの空、これがヒスイの情景だ。


「……温かい。肌にもいいそうだね、この湯。とろとろしていて化粧水みたいだ」

「お前は本当、そんなことばかりだな。確かに美肌の湯とも呼ばれるがな。ヒスイの猫たちは、皆肌がつるつるだ」

「逆に、ルイは化粧水とか乳液とかに拘りはないのか? 王妃たる者、ファンデーションのノリ一つにしても最高でなくては」

「耳が痛いが、全く興味が無いわけじゃねえよ。俺が何か付けてるの、旅の途中も、着いてからも見てただろ。コスパを重視して、安いものを色々使っている。ネットの口コミが頼りだ」

「色々試したくなる気持ちも、凄くよくわかる。それも楽しみのひとつといえばそうだ。だが、スキンケアというのは結局質なんだ。早いうちから質がよく、かつ自分の肌質に合うものを使っておく、それが後々エイジング対策にもなる。カナタ流に言うなら『効率的』」

「アイクまでカナタに染まっちまった……。まあ王子だから、値段を心配するような金銭感覚は持ってねえのか。値段を書かない超高級ブランドとか、使えて当たり前なんだもんな……」

「とことん反りの合わないユーリとの唯一の共通の話題が、スキンケアだったよ。あの子は私よりずっと友人が多いから、色々有益な情報や、お嬢様なフリュ友から貰ったハイブランドのサンプルとかを持っている。本人も女子受けを狙うために、一応は気を配っていた」

「本当かよ。あいつは徹夜癖で全てを台無しにしてるだろ、コスパ悪ぃ。若いうちくらい、色々試して好きな香りのを探したり、話題になってる流行りの基礎化粧品に手を出したりしてみたいじゃねえか」


 コスパ派とハイブランド派、もとい庶民とセレブは相容れねえ。俺も使えるものなら使ってみたいが、染みついた質素な暮らしは、そうそう身体から抜けるものじゃねえんだ。だから高級ホテルじゃなく、ヒナギク荘に滞在していたんだろうしな。貧富っていうのは金銭的な実情より、本人のメンタルというか、感覚にあらわれるものなんだなと思う。


「じゃあ、後でルイのお気に入りのも付けさせてくれ。風呂上り用に持ってきているだろう?」

「一応はな。じゃあ俺は、アイクの高級品を品定めしてやるか」

「あはは、女子どうしで話してるみたいで楽しいね」

「それ俺の台詞じゃねえのか? お前は本当に芯から女子だな……」

「温泉でガールズトーク。よく若いメイドの子たちが、そんな旅行計画を立てていた。羨ましく思っていたんだ。私も交じりたい。ただ悲しいことに、どうせ女湯には入れない」

「ここが混浴で良かったな。俺も、人とスキンケアの話とか初めてした。無骨な冒険者パーティには、誰もシトラスの香りの美容液について話してくれる奴はいねぇ」


 水面から出た俺の肩に、アイクがそっと湯をかけてくれた。まるで友人みたいだ。そりゃそうだよな、まあ、元々友人だったんだから。この湯に浸かるときの俺は、いつも独りだった。誰もいないのを確認して、タイミングを盗み見て、ひとりで星を眺めながら、湯に身体をひたしていた。ひととき安らぐのは感じたが、いつも寂しさが先立っていた。

 今はいっしょに、風呂上りの化粧水のことについて話してくれる奴がいる。そいつが俺と、ずっと一緒にいたいって、王都へ手紙を送った。それは結果的に、俺に大きな力があったから出来た縁なのか? ……自分の力を持て余していた俺にも、今はヒューマンの敵を倒すっていう役割がある。みんなを護れて、人の役に立てて、ヒスイ谷の里長だって変わって、そして……大好きな人と結婚できるなら。意思のある重火器って運命も、悪くなかったのかもしれねえな……。


「……アイクと出会えてよかった」

「黙っていると思ったら、いきなり噛みしめるんだな。……そんなのは今更だ。お互い、もう五年近く前にわかっていたことだ」

「最初は俺より、クマちゃん縫うの優先したくせに」

「懐かしい話だ。今は何より君を優先したいのに」


 ラルフの悪戯があって、今の俺たちがある。何かひとつ違えば、俺たちは一緒に、ここにいなかったかもしれない。

 のぼせ気味になってきたので、風呂からあがった。ヒートⅠのかかった浴衣に身を包むと、じんわり温かい。湯冷めから俺たちを護ってくれる。メルの優しさだ。


 アイクの使う化粧水は、とろみがあってこっくりしている。乾燥肌の奴に合いそうだ。俺もどちらかというと乾燥しがちだから、これは中々付け心地がいい。突っ張りがなくなって、肌が柔らかくなる気がする。


「ルイの美容液、香水みたいにいい匂いがするね。うっとりする」

「だろ? 柑橘系のいい匂いがするんだ。風呂上りに幸せな気分になれるだろ」

「そうだね。ただ、この香りが肌にとって刺激物じゃないといいんだが。オーガニックかどうかが分かれ目だ」

「それは確かにな。敏感肌じゃねえから、あんまり気にしてこなかったが」


 そんなことを話しながら『湯けむり処 ヒスイ谷星屑の湯』を出た瞬間、俺の鼻を突いた臭いがあった。リラックスしてた全身の神経が、急に尖るのを感じた。――血の臭いだ。どこからだ? 魔物か何かの来襲かよ?


「どうした、ルイ、杖を構えて」

「……血の臭いがするな。どこだ?」


 目を閉じて、人の気配を探知した。十数メートル先の路地の暗がりに、魂の抜けかかった猫魔導士が『観え』る。そのそばにいるのも、猫魔導士のような気配を纏った者だ。……まさか、辻斬り。お前が犯人か。だが、俺の見知った者の、魔力波の形じゃないな。魔法で隠したり、変形させている可能性も高いが……


「血!? それはもしかして、件の」

「そこだ。柿の木が生えてるとこの路地」


 駆けつけると、ぐちゃぐちゃに切り裂かれた死体のそばから、黒い影がさっと塀に飛び移って逃げようとする。追おうと俺も塀に飛び乗ったが、スピードで敵わないと悟るや、その黒い影は強力な転移魔法を使った。妨害してやる暇もねぇ、畜生、逃げられたか。……まだ遠くまでは行ってないだろうが、俺の探知魔法がなまくらなせいで、もうあいつの場所がわからねえ。あいつ相当な手練れじゃねえか? 強い奴を殺し損なうのも、敵わないからじゃなく、抵抗に対応することで足がつくリスクを回避しているのかもしれねぇ。だとしたら、俺やカナタみたいな者といえども、危ねぇということになる。


「……死んでるね。女の子だというのは、辛うじてわかる」

「慣れないだろ、あまり見なくてもいいんだぜ、アイク。詳細は俺からカナタに連絡するよ」


 犯人の再来襲を警戒しながら、カナタに通話をかけた。


『はいはい。ルイ、どうしたの。いい湯だった?』

「辻斬りの犠牲者と思わしき遺体を発見した」


 電話口でカナタが、一瞬息を呑むのが聞こえた。


「十代から二十代くらいの、白猫の女だ。胸から腹にかけてが、鋭利な何かで裂かれている。傷口から彼女自身の魔力が抜かれているらしく、身体にほとんど残留していない。……犯人らしき影も目撃したが、転移魔法で逃げられた。相当な手練れだ。場所を教えるから、遺体を回収してやってくれ」

『……他の遺体にも魔力が残っていないのを考えると、だ。犯人の目的は、魔力を集めること?』

「かもしれねぇな。ともあれ身元を解明して、弔ってやりてぇ。里の同志が惨殺されるのは、辛いことだ」

『了解した。……ルイのスマホの現在位置、王都から買った技術で逆探知できるよ。すぐに向かう。君たちはボクに遺体を引き渡し次第、家に戻っていいよ。湯けむりデートの後に、物騒な事件に巻き込んですまない』

「俺も死体を調べるの、手伝った方がいいか?」

『どっちみち、医学的知見で調べるには、ヒスイ谷には些か識者もまともな医者も足りない。ボクも人体や魔物の身体、魔学について詳しいほうとはいえないしね。残留したわずかな魔力波の痕跡を、みんなで『観る』くらいしかできない。その手伝いをしてくれるなら、それは有難いことだけど』

「それならここで待ってるから、合流しよう。俺も……旅行だけじゃなくて、少しは里の役に立ちたいから」

『わかった。じゃ、後で。五分くらいで合流できる』


 カナタは即来てくれたが、アイクは何とも微妙な表情をしている。当たり前だ、こいつは俺とパーティを組める力量とはいえ、こういうグロい経験については一般人とそう大差ない。人の死体なんて見慣れてない。こいつはどうせ魔力も観れないし、早めに帰らせるのが筋ってものだ。少しでも休ませて、動揺をおさめてやりてぇ。


「アイク、お前は俺の実家に帰れ。ゆっくりしてろ。そのほうが肌にもいいぜ、な?」

「……情けなくてすまない。……君はこんな厳しい世界で、日々を生きてきたのだね」

「……死は一寸先とはいえ、慣れる日は来ねえよ。じゃ、できるだけ気にせずに、ごろごろしてろよ?」


 アイクが頷いた。俺の家の門からメルが飛び出てきて、アイクを出迎えている。大丈夫ですかとか、何かあったんですかとか……アイクの顔色が悪いのを見て、気遣ってやっている。良かった、あいつがいれば大丈夫だ。きっと梅昆布茶でも淹れて、アイクの気持ちを少しでも解してくれるだろう。安心して、俺はカナタの邸宅の離れ――……ヒスイ谷魔学診療所へと向かった。

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