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第36話・もう、君には届かない

(ユーリ)


 一月十二日。兄上がヒスイ谷に着いてから一週間、そして……問題の手紙が来てから五日。父上と母上の心は、混乱に混乱をきわめている。あの手紙を読んだのは、今のところ両親と俺だけだから……必然的に、彼らの困惑の愚痴を、茶を飲みながら聞いてやるのは俺の役割になる。困ったものだ、俺は本を読んでいたいんだけどな。ただでさえ、襲撃事件で壊れた王都の建物を、魔法で修復する手伝いで忙しい日々なんだ。あいてる時間くらい、書物に目を落とさせてくれよ。


「まさかルイが女性であったとは」

「ややこしいことになったねえ……」


 父上と母上が、何回目かもわからないその遣り取りを、無為に繰り返しながら溜息をついた。


 そう、兄上が到着の報告、それからディランの魔力波のこと等、ひととおり詳細を述べるとともに、手紙に書いたんだよ。ルイは女性で、かつルイと兄上ははるか以前から想い合っていた。兄上は王都に帰還したのち、ルイと婚姻を結ぶことを希望している。父上と母上がすぐにそれを了承してくれるとは思えないし、アリスを宙ぶらりんにしてしまった罪は重いが……新時代の妃として、新たな王族の姿として、ルイを姫に擁立したいと。


「こうまで話を進めてしまった手前、アリスにはどう申し訳を立てろと言うのだ。本当に馬鹿息子であるな」

「てっきりゲイなんだと思って、あたしは王族の存続のために二人を阻んできたけどさ……。どうしよう、これ」


 脳筋二人が揃うと、不毛な会話しか生まれないな。君たちが大切な問題を、いかに今は亡き識者たちに依存していたかが透けて見えるよ、しょうがないね。


「どうしようも何も、兄上は認められるまで頑としてルイを離さないさ。父上と母上に選択肢はない。兄上はそういう人だし、爵位や勲章を有した高貴な女性への王子の自由恋愛を、王や王妃といえど止められる規律はこの王国には制定されていない。おろおろするだけ無駄な話だよ」

「……まさかあんた、ルイが女だって知ってたんじゃないだろうね?」

「知ってたけど、教える義務はないだろ。あいつの企業秘密って奴だったんだから」

「おぬしは一体何を考えているのだ、ユーリ。そのような大切なことを報告せず、王子の立場がありながら傍観者に徹しようと?」

「二人がかりで俺にあたるのはやめてほしいな。第二王子にはこんな役割ばかりが回ってくる。叱るなら兄上を叱れば。ただアリスはこの状況には既に気付いているし、思ったよりスムーズに、本人たちの中では話は進むと思うよ」


 父上が少し黙り込んで考えた後、溜息をついて絵皿によそわれた一口チョコを口にした。


「……アイクは単純な奴であるし、アリスは聡明な者だ。ゆえ、ユーリの言う通りなのだろうが……。ユーリ、おぬしと話していると、不思議な気分になるな。国のためを思うなら、或いは友人であるアリスのためを思うなら、早めに我らにその事実を密告するのが筋ではないのか。ひいてはそれが、ルイとアイクという、一組のカップルの為にもなるのに」

「それは、俺が誰のためをも思っていないからだよ。俺は天体観測をしているんだ」

「その比喩に込められたおぬしの意図は、育てた我には何となく察しがつくが。王子がそんなことでは、正直この国の未来が心配であるな。おぬしは王の弟となるのだぞ。おぬしが野良猫のような気まぐれに終始して、国民は幸せとなれるのか」

「……そういう博愛は、兄上に任せればなんとかなるさ。俺も兄上に足りない知恵を補ってやるくらいの手伝いはするし、それはルイも然りだろう。兄上は、出会った全ての人間の幸せを願う。頭が足りないから願ってしまう。それは王としての資質だ。まあ、実際には彼に惚れたばかりに不幸になった令嬢もいるんだけど、さておき心から人を想う役割は、安心して長男と、それからお人好しの嫁に任せるといいよ。今の兄上には、それに見合った力もある」


 紅茶は美味いけど、兄上が給湯室で淹れたアールグレイのほうが、香り高かったなぁ。


「……選択肢はない上に、二人の王子の手綱をまるで握れない。アイドクレース王国王者の名折れであるな……。自らの子と話しているのに、相手が誰だか、雲を掴むような気分だ」

「……祝ってやりなよ、素直に。あのダメお姫様だった兄上を、立派な王子様に変えてくれたのは……他ならぬルイなんだよ? 使い物にならなかった王位継承者を立て直した女、王妃にする価値はあると思うけどな」

「……その割には、寂しそうに言うのだな。語調と話の内容が一致していないぞ」

「本心だよ。どちらもね。生きる楽しみを、得たそばから失ったのは事実だ。このところ、誰とも話す気になれなくってさ。リヒト・フリューゲルであんなにお喋りの大好きだった俺は……、王都に帰ってからも、両親に言えないような場所でいっぱいバカ騒ぎしてたはずの俺は……、どこに行っちゃったんだろう?」


 ああ、そうか。紅茶が美味しくないのは、王都に君がいないからだね、ルイ。簡単なことだ、ルイを認識する前の俺は、もうどこにもいないんだ。どこに行っちゃったかなんて論じるほうが無粋な話なんだ。ルイをルイとして見始めた、依存し始めた瞬間に、以前の俺はふっと消えてしまったんだ。


「どっちにせよ、王都襲撃事件のせいでそういう店が営業してないのも、理由のひとつなんだけどさ。眩しい網タイツの奥のふとももを、もう一度目に焼きつけたいものだよ」

「敢えてスルーするぞ。恩赦と思え。ユーリ、おぬしの提言は重く受け止める。我は五年足らず前、腑抜けのアイクを変えるためにルイをアイクへと近付けた。その結果としては、確かに満足のいくものだ。アリスにはまこと申し訳ない話ではあるが……、互いが互いに影響を与えあい、伸ばし合う関係を築ける夫婦に、ルイとアイクであればなれるだろう」

「そうそう。それが言いたかったんだよ」

「調子のいい子だね、あんたは……」


 父上と母上がティーテーブル上に投げ出したその手紙を、もう一度、俺は手に取った。簡素な和紙の便箋に、ヒスイ谷で採れる炭を使ったインクで、残酷な事実だけが綴られている。

 アリス、俺たちの結末はこれだ。悲しすぎるよな? 悔しすぎるよな? 兄上が整然とした字で、愛と真実を綴るこの手紙を見て……そしてなにより、それに添えられた、ルイの丸く幼い筆跡を……この手紙の内容に同意するサインを見てしまったとき。兄上の妻になることを真に望んでいると、まざまざと見せつけられたとき。


 ああ、俺はルイが好きだったんだ。

 そう思い知らされてしまった。

 俺の知っていた性でもなければ、恋でもない。

 でも確かに、それは『好き』という気持ちだった。


 ただそばにいたいという気持ちだった。

 困っていたら助けてやりたいという気持ちだった。

 笑顔を見られたらうれしいという気持ちだった。

 貰ったものは、一生大切にしたいという気持ちだった。


 君は俺の命を作り出した。そしてそのそばからそれを奪っていった。

 君は俺の世界の神だった。それなのに創った世界を捨てていった。


 残酷な猫の女神様。

 それでも俺は、スペル入れ、大切にするから。傷んでも繕って、一生大切にするから。

 それが俺の――……君へのささやかな復讐だから。


 恨んでごめんね。たぶん、そうなんだ。

 たぶん……はじめて異性を愛してたんだ。俺なりに、不器用に、精一杯に。

 さよなら、大好きだったはずのルイ。

 近くて遠い世界で、愛するアダムと、どうか幸せな日々を。


 俺と見た、涼しい風の泳ぐクリスマスイブの空なんか、忘れてさ。

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