第34話・静かな腐敗と新時代と
カナタの邸宅は、うちより更に大きい。手伝いも粛々としている。玄関先には見事なまでのワー庭園が広がっている。池泉庭というんだったか、池の水が隅々まで張り巡らされていて、岩が島や荒磯に見立てて置かれている。周囲を彩る花や木々とあわさって、壮大なひとつの世界を表現した庭だ。まあ、噛みしめてる暇はないんだがな。さっさとお屋敷のごてごてしたドアをくぐって、中に入った。
檜の匂いが漂う一階は、城のエントランスをワー風にして縮小したような感じだ。ヒスイ谷という小国家の城だもんな、言うなれば。木と和紙を組んで作った、趣のある照明で照らされている。たくさんの手伝いや、宗家のお偉いさんがたが行き交ったり、小さな座敷で話をしたり、将棋を指している。俺たちを案内してくれる手伝いの雉虎猫の女性が、その東端を指し示して言った。
「カナタ様の執務室は、その魔学エレベーターからになります」
手伝いも、この話を手伝いが聞いてはいけないことくらいは、既に知っているのか。まあ、話は早い。あいつに会えば、ヒスイ谷が本当に変わったのか知ることができる。俺たちが握ったヒスイ谷の危機に関する情報も、提供することができる。……少し怖いな。川に落ちたときの、全身を刺されたような痛みを思い出す。……そんなことを考えてる場合じゃない。アイクに悟られる前に、俺はにぶく輝く魔学エレベーターの陣を踏んだ。
その部屋はアイクの私室くらい、つまり相当広い。檜の匂いは更に濃くなっている。部屋の壁はまるまる本棚になっていて、ワー語が背表紙に書かれた書物で埋め尽くされている。その中心、俺らの目の前に大きな執務机があって、丸太を丁寧にくり抜き牡丹のような装飾を彫ったと思われる、手のかかった椅子が置かれている。そこから悠然と立ち上がり、その男は笑った。
水色につやめく縞模様の着物を着て、長い紫の髪を右肩で束ねた、長身の猫。……紫の猫は、血統上ある遺伝的条件が揃わないと生まれえないものらしい。縁起物として幼い頃から珍重されたカナタの顔は、なるほど相応に、大人のものになっている。髪や耳と同じ、紫色の切れ長の瞳もそのままだ。
「久しぶり、ルイ。そして初めまして、アイク王子」
「……ああ」
「宜しくお願いする。……ルイ、少し顔色が悪いが」
「構わねえ、城の大事な話だ」
カナタが、舐めるように俺の顔を眺めまわしてくる。やめろ気持ち悪い。お前の顔見ると蘇ってくるんだよ、捨てたいと思っていたものが。
「……ルイ、共同戦線とは、お互いをある程度信頼していないと成り立たないものだよね」
「……どうだかな。お前から何か、俺に言いたいことがあるのか? うちの両親を小間使いにしてるとのことで、あいつらにどんな出任せを吹っ掛けたのやら」
「ボクのその後の人生について、そしてどうしてヒスイ谷の里長を志したかについて、ルイに教えておこうかと思って。そうすれば、ルイも城からの報告を、安心してボクに話してくれると踏む」
「興味はねぇ」
「いや、ルイ」
アイクがこころもち、俺を庇う体勢をとりながら言った。
「……聞いたほうがいいと思う。私は君たちの間に何があったのか、よくは知らない。だが、お父様やお母様だって言っていただろう。カナタに会えば、カナタについていこうとする気持ちもわかるようになると。城からの報告は、そこからでも遅くはないんじゃないか?」
「……アイクが言うなら、戯言を聞いてやってもいい。だが、余りに下らなければブチ殺す。それでいいな?」
「うんうん、良いよ。じゃ、カナタ・クスノキの半生、これより開演だ」
カナタが丸椅子をふたつ部屋の端から持ってきて、それに俺たちを座らせた。俺にはちゅーるを一袋くれたので、しゃぶりながら彼の言葉を待った。
「ボクは宗家の側近にあたる、クスノキ家の長男として誕生した。立場上、里の殆どあらゆる猫たちが、ボクにこうべを垂れる。当然友達もたくさんいて、手毬で仲良く遊んでいた。……手毬の他に、ボクたちが好きな遊びがあったね。非力で汚らわしい生まれの、卑しい雌猫を、凍り付いた川へ突き落とす。草履に虫の死骸を忍ばせる。道を歩いているのを見れば、忘れずに囲んで囃し立てる。生きてる価値のない、卑しい雌猫と罵る。こちらを睨んでこようものなら、張り手すら食らわす。それはそいつが卑しく生まれたからで、そいつが悪いんだと信じていた。ヒスイ谷の子供たちの常識は、あまりに歪んでいた。その歪んだ常識を、ボクはこの世の真理だと信じていた。大人たちだってそいつとその両親を蔑んだ。大人は大正義、宗家は大正義。だから、ボクたちのその悪趣味な遊びは、大正義だったんだ」
アイクが唇を噛みしめて、何か怒鳴りたいであろう言葉を飲み込んでいる。俺はまともにカナタの顔を見られない。ドラゴンよりワーウルフより、或いはシルヴェスターより……遥かに怖いよ。
「しかし、結論から言えばそいつは、類まれなる才能を持った、天に選ばれし神童だったんだ。ボクは紫猫だけど、そんな変な毛色なんて役立たずの個性じゃなくて、もっと絶対的で、神的な個性の持ち主だったんだよ、そいつは。ボクにとって、それでもそいつはそいつだった。だから今まで通り蔑むのが、正義だと思った。それが当たり前なんだ、いくら優れていても、そいつは卑しい出、それに何の変りもないはず。でも、宗家の大人たちは違ったんだ」
その顛末については、俺もよく知ってるが……カナタはそれに、一体何を思ったっていうんだ?
「その女児を生かすか殺すかで揉めたのち、あろうことか……盛大に持ち上げはじめたんだ。ヒスイ谷の宝、生き神様、選ばれし神童。国中へ誇れる逸材、と。ボクの人生観は狂った。卑しい出であれば、蔑まれるのが正義、そこに何の疑いの余地だってなかった筈。宗家の大人たちはずっと、それだけをボクに教えたはずなのに。やがてその女児は、ヒスイ谷に伝わる雷術を会得すると同時に、さっさと里を出て駆け出し冒険者を始めた。自分を散々虐げた里に、自らの力で別れを告げた。若干十三のときにね」
そう映っていたのか。俺としては、十七までは拠点はヒスイ谷においていたつもりだったんだが、確かに帰ったのは両手で数えられるほど。しかも街中にはなるべく入らず、外れの小屋でひとり自炊していたから、傍から見ればそう見えるんだろうな。
「……彼女の功績がちょこちょこ耳に入るそのころかな、ボクの父親は病で亡くなった」
そうだったのか、ゲンジの奴は亡くなったのか。うちの母さんをいびり、有毒ガスの発生する工場で働かせた仇だがな。
「ボクらクスノキ家への風当りは、一気に強くなった。当時の里長は、宗家の主でもあった。その絶対的権力の恩恵を、受けづらくなったんだ。里長に尽くし、里長の思うがままに行動してきた父のいなくなったクスノキ家には、価値がなくなったと。……ならボクが、父のかわりに里長のお人形になれば、クスノキには再び安寧が訪れる。身分の高いクスノキのままで、イジメられないクスノキのままで、川に突き落とされないクスノキのままでいられる。……でもね。ボクはそれは嫌だった。ボクを騙した宗家に、里長に、ボクは復讐してやろうと誓ったんだ」
カナタの語調に、熱と悔悟が籠っている。
「ボクが絶対的正義だと思っていたものは、正義でもなんでもなかった。大人たちは正義だと、そう教えてくれたはずだったのに。ボクたちがしていたことは、か弱きものをいたずらに傷付けることだったんだと、気付いてしまった。ボクは逃げるように、ルビーマウンテン北端に留学した。そしてさらに知ってしまったんだ。宗家、分家、血の濃い薄い。そんなのは外の世界じゃ関係なかった。ヒスイ谷の民なんて、ひとしくマイナーな地方部族。そこに優劣なんてないし、内輪もめしてる暇があったら、もっと目を向けたほうがいい問題が、この世界には山ほどあるんだと。そしてボクは復讐の夢を、具体的な行動へと変えた」
カナタが逃げずに、俺の目をまっすぐ見ている。だからなのか、俺も逃げずに、カナタの目をまっすぐに見られる。ここから先は、俺がほとんど知らないストーリーだ。
「帰郷したボクは、武器を使わないクーデターを展開した。つまり、先代ヒスイ谷里長に、里長の地位をかけた選挙戦を提案した。当然却下されたが、ボクはそれでも旗を作り、街頭で木箱の上に立ち、拡声器で演説を続けた。ヒスイ谷の正義は狂っている。ヒスイ谷の文化は古くなり、腐り切り、それはときに民を傷付ける。ヒスイ谷は新しくあらねばならない。外の世界で新しい文化に触れてきたボクだからこそ、この里を変えることができる。かつてこの里が貶めた、一人の女児の心のことを、君たちは覚えているか。覚えているならばボクと等しき、里の作った出来の悪いお人形だった自分自身のこともまた、覚えているはずだ。今ならきっと、ボクらは変われる。もっと『効率的』なヒスイ谷に。もっと『能率的』なヒスイ谷に。もっと『理に適った』ヒスイ谷に。さすれば新しい技術が舞い込み、暮らしが豊かになり、ひいては暮らす者の心まで豊かになる、と」
そんなことを、カナタが……。なるほど、ちゅーるの製造技術を購入したり、スマホの普及を促進していることと、話が繋がるな。
「街頭に人は集まり、それは署名やストライキ、デモとなって先代里長を追い詰め、ついに自主退陣へと追い込むことに成功した。ボクは満場一致のなか、新たな里長になれたんだ。ボクは住民に、ひとつ約束したよ。立場や血による扱いの差は、『非効率的』。それゆえやめる。それぞれの能力に見合った、それぞれの活躍の場で、ひとしく生きさせる。実際、それが本来の、里長の務めだと思うしね」
そう目を輝かせて語るカナタが、ふと言葉を止め、溜息をついて語気を落とした。
「しかし、ボクの『復讐』は、まだ終わった訳じゃないよ。ボクという頭にすげ変わったところで、ヒスイ谷には忖度、差別、悪しき風習、それに偏見や派閥といった『非効率的』な、くだらないものが溢れている。そう、かつてボクを騙した、にっくき敵が、まだこの里には巣食っている。辛い思いをしている貧民は、いまだ数多い。ひとつひとつ、この里を新しくしていきたい。この手で、『効率的』なヒスイ谷を積み上げていきたいよ。……こんなところかな? パチパチパチ。お粗末様でした」
……なるほど。父さんと母さんが、信頼する訳だ。自分の罪を悔い改め、よりよい里を作り、ひとりでも多くの弱者を救う、その意志を持っている。カナタには色々恨みもあるが……周囲の人を幸せにしたいと願う、『今現在』の意思については、心から通じ合えるだろう。
「……カナタ、私はルイを苦しめた君を許さない。だが、それと仕事が別であることは認識している。こちらの持っている情報を、開示しようじゃないか」
「有難いことだ。ヒスイ谷に危機が迫ってるなんていうから、なんか嫌な予感がしてしまうじゃあないか。ボクにも聞かせてくれれば、最大限協力はしよう」
そこから俺は、城の持っている殆どの情報を提示した。このところの連続襲撃事件は、国に魔法陣を描くためだったということ。それによって実現される、『黒の新世界』は、ヒューマンを絶滅させ、亜人と魔物をそのための殺人兵器に変える代物だということ。その魔法陣を完成させる最後の犠牲地点となるのが、ヒスイ谷であること、ただ、敵の禁書まで使ったディールによって、恐らく二十九日までは、何の動きもないであろうこと。
「……成程。思ったより相当、壮大な話なんだね。二十九日、ルイとアイク王子が勝利できなかったとすれば、実質ヒューマンとヒューマンの血を引く者には、人としての死が訪れると解釈して差支えない、と。……リュウセイ鍾乳洞は、君たちの滞在中によく調べておくけれど……、敵があまりに大物である可能性が高い以上、徒労に終わる可能性もあるかもしれないね」
「ディランはどこかに潜伏している筈だろう。顔写真がスマホにあるから、お尋ね者にしておいてくれよ。まあ……姿を変える術でもかけて誤魔化すのが、奴なんだろうがな。アイクはディランに近しかった筈だろう、魔力波の形は覚えていないのか?」
「物凄く申し訳なくて居た堪れないんだが、私は魔法がからっきしだ。探知魔法も全く使えないし、魔力波も『観え』ない。だからディランの魔力波の形はわからない。二十年も傍にいておいて、本当に申し訳ない」
「うーん、俺もディランとは、一度国立図書館ですれ違っただけなんだよな。その時にはそこまで大きな魔力の気配はしなかった。禁書を発動させられるような魔力を溜め込んだ奴には、とても見えなかったが」
「ルイも察してると思うが、ボクはディランが『正体』つまり『魔力波の形』を隠す魔術をかけていた、或いは今もかけている説を推す。高次な魔導士にはできることだろう。向き不向きもあるけどね」
「俺はできねぇが、できる奴はできる。そうでもしなきゃ、魔導士のうじゃうじゃいる里に潜伏なんざ無理な話だろうしな」
カナタの方は、たいして情報を持っていないのか。来て損した気もするが、まあ里の危機を長に伝えておくというのは重要なことだ。
「君たちのほうに情報的メリットが少なくて、まこと申し訳ない。ただ、ルイとアイク王子がここに来る前日だったかな。この里の結界を破って、誰かが入ってきた気配があった。正式な合言葉で入った訳でもなければ、迷い込んだわけでもない。ボクたち魔導士が丹精込めた結界を一部『破壊』して入った。結界の損傷部分に、この里の者ではない何かの魔力波が残っていた。……ただ、あれは……人ではなかった。魔物の魔力波に近い。あれがディランである可能性もあるから、それも併せてお尋ねの掲示を出しておくよ」
「魔力波を紙に磔にしたり、それを観るなんてことが、魔導士には可能なのか?」
「器用な魔導士が多いからな、この谷には。紙に『不審者』の魔力波の一部をコピーして封印し、それをみんなに観てもらい、覚えてもらい、同じ魔力波を持つモノを探してもらう。別におかしい話じゃねぇ、ヒスイ谷の常識に照らし合わせれば」
「そうなのか、役に立てず、知識もなく申し訳ない」
「いや、アイクには戦闘で役に立ってもらうよ。……すると、ディランは魔物である可能性があるってことか? 人間の気配しかしなかったし、アバター魔法で会話した時にも、あいつがヒューマンであることを前提に話が進んだが……」
「……妙なんだよね、そこなんだ、ルイ。人なるモノの気配もすれば、人ならざるモノの気配もする。魔物の中でも、精霊の気配、幻獣の気配、悪魔の気配、妖怪の気配……色んなモノの要素が混ざりあって、溶け合って、ひとつの趣味の悪いオブジェを作り上げている……そんな魔力波なんだ。……うん、観てもらうのが早いね。この和紙に、魔力を縮小した複製を記録している」
目を閉じて、その和紙を『観た』。……何だ、気持ち悪い。視覚的に喩えるとすれば、腕が三本、脚が七本、尻尾が四本、牛の胴体と犬の胴体と鶏の胴体が接続していて、頭は三つ、それぞれ人の顔と山羊の顔、魚の顔つきをしている。……みたいなちぐはぐさだ。普通、魔力波を観ればそいつの人となりが、何となくわかるものだが……こんなキメラみてぇな訳わかんねえ魔力波ははじめて観た。
「気持ち悪い。こんなのと戦わなきゃいけねぇのか? シルヴェスターの純然たる紅い魔力波のほうが、まだいくらか綺麗だったぜ」
「それが君のお仕事だろう、ルイ。ボクらは君ほど強くないし、正直足手纏いにしかならない。おまけに君を助太刀したら、谷が吹っ飛ぶんだろう。そこの王子様に助けて貰うんだ。一応アイク王子を引っ込めて、ボクとルイで行く選択肢もありそうだが……話を聞くに、恐らくアイク王子のほうがボクより強い筈だ。ボクは知能を有するレベルの魔物は一人では下せないが、アイク王子は旅路であっさり倒したんだろう」
まあ、情報の交換は終わった。この気持ち悪い魔力波を観たら、それがディランであると疑うべし、ってことだ。
「調査隊は里全体に派遣し、何か情報が手に入れば、追って君たちに連絡する。……うんうん、ルイの家のあの虎猫に、連絡をしておいた。お嬢様をお迎えに行きます! だって」
「メルか。有難いと言いたいところだが、はす向かいだよな? 迎える必要あるのかよ?」
「世話を焼きたがりだからね。ルイとアイク王子が着くの、傍から見ても驚くくらい、凄く楽しみにしていたよ。どうか応えてやってくれ」
「メルのその気持ちがうれしいよ。有難く頂くこととする。カナタ、有難う。私は君を許しはしないが、君の真心は受け取った」
「……人生ってのは後悔の連続だ。願わくば、ルイとアイク王子にその瞬間が来ないことを祈ろう」
カナタの言葉が、ひそやかに執務室に木霊した。




