第33話・つるぎをもったおひめさま
カナタを待つ間、思わず飯にありつけたな。靴を脱いで居間にあがると、真ん中に掘りごたつのある、畳張りの広い部屋だった。何畳あるんだ、これ。二人で住むには充分どころか、確かに貴族の付き合いをするにも余裕だ。その片隅で、掘りごたつで脚をあたためながら、藍色の着物を着た細っこくて小さな雄黒猫、俺の父・ヒノキが新聞から顔を上げた。
「ルイ! お帰り。里に用があると聞いていたから、家にも帰ってきてくれると嬉しいなとは思っていたけど、こんなに早く会えるとはね」
「父さん、久しぶり。二人の生活の変わりぶりを見て、驚いてるぜ、正直。俺はこんな大層な事態を招いていたのかよ。このリビングだけで、以前の家全体の三倍はあるじゃねぇか」
「ルイはルイが思っているよりも、ずっと偉大なんだよ。僕たちはそのおこぼれにあずかって、申し訳ないくらいだ。……そこのイケメンは、彼氏かな?」
「あ、その、娘さんとは親しくさせて頂いていて。違った、アイドクレース王国の第一王子、アイクと申します」
「あはは、わかってるよ、ちょっと揶揄っただけだ。カナタ宛に親書が来ているから、王子様が来ることは承知している。ルイも隅に置けないものだよ」
メルが茶を出してくれたので、三人一緒にすすった。茶器も趣のある高級な陶器だ……。まあ、確かに俺の収入を考えりゃ、こうなるのか。甘くて美味い煎茶だな、やっぱり故郷の味は落ち着くぜ。うどんすきの匂いが、キッチンから流れてくるしな。まもなく母さんが、土鍋を持って現れた。掘りごたつの中心に魔学コンロを置いて、そのうえに鍋が置かれた。
「二十歳のお誕生日おめでとう、アイク王子。ほな、乾杯!」
うどん、鶏もも肉、車エビに穴子。はまぐり、かまぼこ、白菜、ほうれん草。人参、ねぎ、椎茸、お麩。豪華な具材だな、こりゃ宗家に近い奥方も、きっと満足するだろう。アイクも興味深いものを見る目で見ている。美食の王族だろうが、ワー王国方面の料理はあまり食ったことはねえだろう。まもなく母さんも席について、皆で鍋を囲んだ。
「なるほど、ウドン。つるつるして、もちもちして、いい食感ですね」
「せやろせやろ。王都じゃそない使わへん食材やろね。他の具もいい感じに煮えとるで」
「父さんと母さんは、一日うどん食って過ごしてるのか? もちろん二人を楽させることは俺の望みだが、生活のために頑張って働いてた両親の背中を見てきたぶん、些か拍子抜けな気もするぜ」
「……そのことやねんけど」
そこで父さんが母さんを制止した。自分から話すということだろう。
「ルイ。僕たちは今、カナタの側近として働いている。収入だけで言えば、確かにルイからの仕送りで充分さ。ただ、思うところがあって、カナタの事務仕事を手助けしたり、皆に出す里の掟の草案を手伝ったり、助言したりしている。里に迷い込んだ魔物を追い払う手伝いをしたりもね」
「はあ!? カナタの……? カナタの父親には色々酷ぇ事されてきたんじゃねえのか。カナタの親たちのせいで、血反吐を吐いてきたんじゃねえのか。カナタ自身からも、俺は心無い扱いを受け続けた。それが何であいつを助ける。形ばかり名君様になったならそれもいいが、それをみすみす助けてやるのか」
「……詳しくは、カナタ自身の言葉を聞いてみてくれ。もちろん、美しく改心し、僕らに泣いて謝るような人間はそこにはいない。ただ、会えばなんとなくわかる筈だ。僕らがなぜカナタを助け、里長のポストにみすみす就かせているのかをね」
母さんがアイクの小皿に、はまぐりと穴子をよそった。どちらも、王都じゃあまり出ない食材だ。その細かい気遣い、恐れ入る。
「そないシケた話よりもやなぁ。アイク王子は、うちの娘の彼氏ゆう認識で、間違いあらへんの?」
「何言ってんだよ母さん!?」
「間違いありません。ご報告が遅れてしまい恐縮ですが」
「そうなの!?」
「違うのか、ルイ?」
「いや……まあ、そうなのか……」
確かに、この期に及んで友達なんて言っちゃ逆にふしだらだ。そういうことになるんだろう、今初めて意識したが。
「おお! 男なんてとんと縁のあらへんうちの娘が、まさか一国の王子を捕まえて帰ってくるとは思わんさかい、驚きやわ。小さい頃からルイは、何ていうか、女の子らしくあらへんというか。何回か『私』言いって諭したことも無かった訳ちゃうねんけど、『なんかきもちわるい』って。スカートが嫌いで、青い浴衣がお気に入りでなぁ」
「以前の家の屋根は低かったから、木を伝って登っていたよ、勝手に。いきなり居なくなったと思ったら、夜が明けた頃に戻ってきて『屋根でお星さまを見てた』って言うんだから、たまったものじゃない」
「ルイらしいですね」
アイクが笑っている。恥ずかしいな。
「……食事の席で言うことちゃうかもしらんけど、ルイには一緒に木登りしてくれる友達を、作ってやりたかったわ。お星さまを見てた理由を聞いたら、『お星さまは仲良くしてくれる。こわいことも、ひどいこともしない』って。非力な弱者やったルイが、圧倒的な力をもって凱旋する。それは感慨深いと同時に、うちらの非力さを痛感する出来事やで」
「ヒスイ谷には厳格な身分制度の歴史があると、本で読んできました。生まれという、自分の力ではどうにもできない条件によって、搾取される者がいると」
「ただ、それはダイヤモンドヒルズにも多かれ少なかれあることだ。城のメイドだって毎年、労働環境の改善を求めて春闘しているしな。労働時間に給金が釣り合わない上、子供を預ける託児所のキャパが少なすぎるって。もっと離れにいけば、ルビーマウンテンの鉱山で、病気のリスクと隣り合わせになりながら採掘作業を行い、家族に雀の涙ほどの仕送りをする父親だって山ほどいる。アイクは王となった時、それらに改善のメスを入れろよな」
「了解した。心する」
どこの世界にも理不尽はある。ダイヤモンドヒルズの商店街にも、物乞いの子供がうずくまっている。どんなにすばらしい政治だろうと、必ず取りこぼされる者は存在する。かつて寒く空気の悪い場所で働かされ、肺をいためた母さんの喋る声は、今も少しかすれたままだ。
「ルイは女の子らしくなかった言うたけど、一冊だけ、大好きな女児向けの絵本があってやな」
「そうなんですか。意外ですが、確かにルイにはどことなく乙女チックな部分がありますよね」
「そうそう。確か、こんなあらましだったよね、ルイ。大きな剣を振るう、戦うおひめさまが……ある日運命のおうじさまに出会う。おうじさまの前では、なぜか剣をしまいたくなる。隣にすわって、手をにぎっていたくなる。おひめさまも知らなかった、自分の中の本当のおひめさまが、顔をもたげる。おひめさまはただのおひめさまになる。おうじさまをまもるためにだけ、剣を持って戦う。あるとき、おひめさまとおうじさまは悪い魔物から国をまもる、大きな戦いにいく。おひめさまはおうじさまに、ひとつお願いをする。おうじさまは生きていてほしい。おうじさまが生きていなければ、自分は剣をしまえなくなる。本当の自分がどこかに消えてしまうから、おうじさまは生きていてほしい。そして見事魔物からおうじさまを護り、うちたおしたおひめさまは、おうじさまと二人きりのおうちへ大急ぎで帰り、剣をさやにおさめて……ただのひとりの女の子になるんだ」
そう、最後のシーンは、なかなか泣けるんだ。おひめさまは最後、ちゃんとおひめさまであれたんだ。本当の自分でいられたんだ。おうじさまを通して、自分はいったい誰なのかを見つけられた。俺もいつか、王子様と出会って、そして自分が女の子であることを知るんだと思った。昔は自分が女の子かわからなかったが、いつか確信するときが来るっていう予感はあったんだ。そしてそのときは来た、齢十七にしてな。
「ふん、そんな内容だったかな。よく覚えてねえ」
「ルイ、覚えてないどころか、思い出し泣きで目が潤んでるように見えるのだが」
「泣いてねぇよアイク! 馬鹿野郎! お姫様が幸せになれて嬉しいだろ、女児としては」
「旦那様、奥様、お嬢様、王子様。お鍋お預かりして、おじや作りましょうか? 一応、カナタ様が帰宅されたという一報が、はす向かいさんから入りましたが」
メルが居間の襖を開けて言った。そんなに時間が経ったか? 鍋の具は無くなったから、ちょうどいい頃合いではあるんだが。
「本当か。おじや食ってる場合じゃねえんだよな、話の内容的に。戻ってきたんなら、直ちに会いに行く」
「えー、オジヤというのを食してみたかったな。このおいしい鍋つゆで作る、お粥みたいなものだと料理本で読んだことがある」
「つゆ取っとくさかい、後でうちにおいでえな。どうせ宿のあてもあらへんのやろ、暫く泊まっていけばええよ。夜食におじやも、中々おつやで」
「ありがとうございます、お母様。それと、後でウドンスキのレシピを教わっても……? 城でも再現したい味でした」
「お安い御用やでぇ。ほな、慌ただしいけど、いってらっしゃいな」
一度家を出た。夜の里は魔力を使った紅い行燈がともって、なかなか幻想的だ。精霊の里に相応しい、神秘的な光景だな。アイクがきょろきょろと見回しては、いつの間にか魔力を充電したスマホで写真を撮影してる。全く、呑気な……。
「早く行くぜ。それ撮ったところで、ここで使えるのはヒスイ谷のローカルネット。王都のお前のアカウントには投稿できねえんだから」
「帰ったら投稿するんだ、纏めて」
「どうせ待機期間は長い。いくらでも撮る時間はあるさ。先にお仕事済ませるぜ」
「イエス、マム……」




