第32話・猫の里へ帰郷
(ルイ)
六日目、遂に馬車の及ばねぇ地点まで到達した。まだ陽も高い。少し歩けばヒスイ谷の、猫魔導士の里に辿り着く。想定より少し早い到着になりそうだな。着いたら忘れずに、城に親書を送らねぇと。郵便用の転移魔法でな。
「このゴーレム白馬達ともお別れか……。愛着沸いてたのにな。さよなら、一号、二号」
「ルイは物に愛着を抱く、情に厚いタイプなんだね。想像に難くはなかったが。もうそれらには魔力はない。使命を達成して旅立っていったんだ」
「うう……六日間頑張ってくれてありがとう。お前らのことは忘れねぇ……必ずディランを倒してみせるぜ」
「泣くほどか。可愛いものだ、ルイは。罪作りなこと甚だしい」
ゴーレムもそうだが、ドラム缶とかの粗大ゴミを放置していくのも、環境破壊のようで気が引ける。まあ、世界を救うための最高効率がそれなんだから、致し方ねえか。大きなバッグを抱えて、俺とアイクは手を取り合いながら、岩にまみれたごつごつの道を、一歩一歩と進んでいく。だんだん標高が下がって、周囲を苔生した崖が覆う景色に変わっていく。ヒスイ谷はまさに秘境。その入り口からして、すでに神秘的だ。
「凄い景色だな。谷の真ん中というのはこんな眺めなのか。岩場に大きな鳥が巣を作って……雛を育てているのだろうか。こんな厳しい場所で?」
「里に入れば、少しは平坦な場所が増える。そこに棲む小鳥や小動物を、狙っているんだろう。厳しい環境なのにはかわりないがな。寒いせいで農業もあまり栄えない。猫族が越してくるまで、ヒスイ谷は死の土地だったと聞く」
「ヒスイ谷についての本を、すこし出発前に読んだ。ごつごつだった谷を、住めるように爆破魔法で均したらしいね。さすがワー王国から渡ってくるだけはある、頼もしいことだ」
そんなことを話しながら圏外のスマホを見て、ふと気付いたことがあった。
「……アイク、もしかして今日、誕生日か?」
「ああ……そういえば、そうだったか。今日は一月五日だったね、そういえば。二十歳か。まあこんな岩場を渡りながらじゃ、いまいち感慨もないんだが。ティーンエイジャーを卒業か、寂しくも嬉しいよ」
「おめでとう!」
思わずアイクの手を取ったら、足場を崩して転びかけた。支えてもらって助かった、有難ぇ。
「国がこんなことになってなきゃ、成年王族だなんだっつって、盛大なセレモニーが行われてるとこなんだろうな。俺なんかからの祝福しかなくて、それもプレゼントもなくて、なんか申し訳ねぇな……。だが、心から嬉しいよ」
「このところ、プレゼントなら貰っているさ。ルイを」
「やめろ! それ言うのは! 下卑た男め、ブッ殺してやる」
「そういう意味じゃない。理不尽だな、君もしごく乗り気のくせに。いや、事実そういう意味に取られても仕方ないのだが、王都じゃろくに二人になれなかったのが、毎日カードゲーム天国に二人での食事、就寝。充分すぎる。幸せすぎてばちが当たりそうだ」
「ヒスイ谷でも、恐らく暫くは平穏な日々が続くが……気を抜くなよ。幸せなのは俺も同意だが、これは嵐の前の静けさだから」
「勿論。……そこの岩は超えられるか?」
「手助け助かる。こういう時女は不利だな……」
暫く歩き続けて、だんだん岩場の起伏がおさまってきた。平らに近くなったので、少しは歩きやすい。ただ標高はどんどん下がり続けているらしく、俺らを挟む崖は、雲の上に隠れて見えねぇほどに高くなっている。そう、崖に挟まれて、小さく丸い空しか見えねぇ里。それがヒスイ谷、猫魔導士の里だ。
一時間ちょっとくらい歩いて、岩場の段差はほとんど消えた。目の前に広がっているのは、何もねぇ、荒れ果てて苔生した空間。立ち止まった俺に、アイクは心配そうに言った。
「……ルイ、本当に里に近付いているのか? 見渡す限り、何もないが……」
「里には結界が張られている。精霊の血を引く者の里だからな。野生動物はスルーできるが、魔物やヒューマンは弾かれる。これは幻だ、里は目の前にある。着いたぜ、アイク」
目の前に結界の気配がする。手を触れると、そこから光が溢れ出し、周囲の景色を大きくぐにゃりと歪める。上も下も右も左もないといったように、俺たちの立つ大地まで消え失せて、異次元のように変異した視界にアイクが戸惑うのを横目に、俺は『結界』の声を待った。やがて女性のような澄んだ声が、俺たちに合言葉を投げかけた。
『祇園精舎の鐘の声』
これに返事をすると開くようになっている。よくは知らねぇが、古代人がこの世界を支配していた時代、それも文明のまだ花開かなかった時代の、ワー王国の前身になった国の文章らしい。
「諸行無常の響きあり」
『沙羅双樹の花の色』
「盛者必衰の理をあらはす」
異空間が輝きはじめた。
『おごれる人も久しからず』
「ただ春の夜の夢のごとし」
『たけき者も遂にはほろびぬ』
「ひとへに風の前の塵に同じ」
これで完了のはずだ。歪んだ異空間に、地響きが沸き起こる。光がさらに増し、視界を支配し、思わず目を閉じずにはいられなくなる。風が立ち、足場が崩れ、どこかへ飛ばされるような違和感に襲われて――……
……目を開くとそこは村。黒い瓦屋根の、趣のある木造平屋が並び建つ、王都とはいっぷう変わったヒスイ谷の里。他の地域では見ねぇ、松という針葉樹が、街路樹のようにところどころ植えられている。道を塞がねえ程度に散乱した岩には、苔がびっしりと生えている。……なるほど、俺の悪夢の故郷、ヒスイ谷の里。なかなかどうして、相も変わらず、美しい姿をしているじゃねえか。
「あっ、ルイ様だ!」
俺と同じ黒猫の女のガキが、絹でできていると思われる着物をまとって近付いてくる。いっしょに手毬で遊んでいた数人の男のガキも駆け寄ってきた。白猫に三毛猫、色んな毛色の猫族が、この里には住んでいる。
「わあ、本物!」
「ヒスイ谷におかえりなさい!」
「こっちは噂の王子様?」
「王子様って変わった服だなぁ。ぴっちりしてて」
こいつらの年齢だと、俺が大いにイジメられてた時には、まだ恐らく生まれてねぇ。だから抵抗なく、俺を里のヒーローと受け取っているのだろう。有難いことだ。上質な手毬を手にしていることから、恐らく富裕層の……つまり宗家に近いガキどもだ。話が早い、俺たちはとりあえず、この里のトップ……カナタの奴に話をつけなきゃならねぇ。話せる限り、こちらの事情を話し、情報を交換するんだ。郵便魔法で、最低限のアポは取ってある。だからこそこいつらも、俺と王子が来ることを知ってたんだろうしな。
本音を言えば、カナタの奴とは余り会いたくないがな。あれは宗家の側近でも相当身分の高いガキで、俺を凍った川へ突き落としたメンバーの中にも含まれている。ずいぶん出世して、ヒスイ谷の里長まで上り詰めたらしいが……果たして、俺を心臓麻痺で殺したかもしれねぇ落とし前は、どうつけてくれるんだろうな?
「おい、お前ら。俺はカナタの奴に会いたいんだ。……ヒスイ谷は久しぶりで、カナタの奴が里長になってからは初めて来た。お屋敷は以前と同じ場所でいいのか?」
「ううん、変わりました。よければ案内します。ルイ様のご両親も、カナタ様のお屋敷のすぐそばに、お引越しなされました」
「……そうか。どんな邸宅だ」
「大きくて、二階建てで、立派なおうちです。当たり前ですよね、この里の誇り、ルイ様のご実家なんですから!」
ガキどもはそう言って笑う。いや、俺のガキの頃は、かやぶき屋根のボロ家だったんだがな……。今のところは、分家のカスだった俺のことを見下すムーブは、一寸もないな。多少は、ヒスイ谷の時代も変わったってことか?
「頼りになるよ。……そのボールは、確かテマリと言うんだったか。本に書いてあった」
「そうです、王子様。みんなこれで遊ぶんです。王都のみんなは、いまどきこんな遊びせずに、スマホでゲームするらしいですね、羨ましい。ヒスイ谷では、ほんとに一部の大人しか持ってません。なにしろ技術も設備もないので、谷ではつくれない。王都から買おうにも、里はとても閉鎖的ですから、長年なかなか話が進まなかったそうです」
「そうか、スマホが無い……。魔学端末の存在しない世界など、私には想像もつかないな」
「里長様がカナタ様に変わってからは、いちおう積極的にダイヤモンドヒルズにある会社とかけあって、普及の検討を進めてるらしいですけどね」
「……カナタの舵取りは、お前らにとってはどんな感じだ?」
「ちゅーるの製造技術を王都から買ってきていただいたのは、嬉しかったです。すごくおいしいですよね、あれ。今里で大流行してて」
「本当か!? ここでもちゅーるが食えるようになったんだな、すげぇ。後でカナタに集ろう」
「カナタ様は、伝統に縛られたこの里を、次々と変えてくださいます。ご立派なかたです、まだお若いのに」
複雑な気分だな、ガキに聞いたところによれば、そこそこ人気のある名君のようだ。親のところにも顔を出してぇが、まずは仕事を優先だからカナタ……のつもりで、碁盤のように整備された住宅区画を潜り抜け、カナタの壮観たるでけぇ屋敷に来た。だが門番は俺を見るなり耳をぴくりとさせて敬礼したあと、申し訳なさそうに言った。
「ダイヤモンドヒルズからの親書は届いています。しかし、今たまたま、カナタ様は作物を荒らす、里外れの魔物の討伐に出かけていらっしゃいまして。あまり等級の高いものではない様子なので、お時間をいただければご帰宅されるかと」
「そうか。しょうがねえ。休憩も兼ねて少し待とう、アイク」
「どこで?」
「俺の家でだよ。父さんと母さんが、今どんな家でどんな暮らしをしているのか、興味もあるしな。色々土産話もしてやりてぇ」
「おお……男の天王山、彼女のご実家」
「アイクのことも、きっと息子のように気に入ってくれる」
カナタの邸宅のはす向かいに、その立派なお屋敷は建っている。ドアまでにまず門があって、チャイムを鳴らすと、手伝いとおぼしきエプロン姿の若い女が、俺たちの姿を確認しにくる。
「お嬢様じゃないですか! どうぞどうぞ、今開けますね」
「お嬢様って。初対面なのに馴れ馴れしい……」
「いえ、旦那様と奥様には、随分良くしていただいていて。お嬢様とお会いできる日、楽しみにしていたんですよ。私はメルっていいます、一年前から、ここで家政婦をしています」
ポニーテールヘアの茶虎猫であるメルの顔には、まだ少し幼さが残っている。どこかから奉公に出されているのか? 豊かになれば搾取する側となるのか、複雑な気分だ。
庭もそこそこ広くて、川に見立てられた細長い池には鯉も泳いでいて、小さな石橋がかかっている。松の木がそっと見守る中、寒い土地でも育つような花が、花壇にたくさん植えられている。葉もととのえられていて、手入れの跡が感じられる。竿にかかった洗濯物を見るに、衣類の質は俺が住んでいた頃の比じゃない。そうか、俺が頑張ったことで、父さんと母さんに豊かな暮らしを提供できていた。そのこと自体はしごく嬉しい。
二階建ての瓦屋根の屋敷の施錠を、メルは魔力キーで解除した。重い扉を開けると、なるほど、石造りの玄関からして既に、以前とは比べ物にならねぇ大きさだ。その先に上質な木の敷かれた廊下が存在しているのも、カルチャーショック。俺が里に住んでたときは、茣蓙を敷いたワンルームだったからな。
「奥様、奥様! お嬢様がお見えになりました!」
廊下の奥の、恐らく居間と思しき部屋から、足音がする。やがて俺のいとしい母さんが、表情を輝かせて俺たちを迎えた。長い黒髪を向かって左にゆるくまとめ、高級そうな黒い着物に赤い帯をしめた、奥ゆかしく美しい女性。俺の母、シズクだ。懐かしい、いとしい。俺の大好きな母さんだ。優しくて、いつも冷たい手で俺を抱きかかえて、護ってくれた人……。胸がじーんとするな。
「……ただいま」
「ルイ! よう帰って来たな。驚いたやろ、この家。この着物。全部ルイがうちらに与えてくれたもんなんよ。……こっちは、噂の王子はん? はぁー……イケメンやなぁー……」
「母さん、隙あらば奪いそうな顔すんな」
「アイクと申します、お母様、宜しくお願いします。ルイさんと親しくさせて頂いております」
「はぁー……娘がキープしとったぁ……」
「いい歳のオバサンが、二十歳の誕生日迎えた若者を寝盗ろうとするな」
「へぇ、お誕生日なん?」
「あ、はい。一応は。国難の中恐縮ですが」
母さんが顔を輝かせて、アイクの手を取った。
「お手紙でお噂はかねがね拝聴しとるよ。娘にようしてもろてるゆう事で。鍋の用意があるさかい、パーティーしようや。さしずめ、魔物払いに行っとるカナタを待っとるんやろ? なら時間つぶしにもええし」
「四人分の鍋の用意があんのか?」
「最近は、宗家に縁のある人ともよく交流させてもろてるんよ。それ用にたまたまあってん。お付き合いってやつやね。まあ過去のこと思たら、どの面下げてと思いたくもなるけどやな」
「……ルイさんやご両親の人生について、私はよく存じ上げませんが……一部を何となくお察しはします。私も王族に生まれた人間ですから、そういうロイヤルな人間関係が、えてして嘘くさいのはわかりますよ」
「話のわかる王子様やねぇ。うどんすきでもええか? ロイヤルな誕生日には、些か高級感足りひんけど」
「ウドンスキ。ヒスイ谷のお料理でしたら、ぜひ頂いてみたいです」
「じゃ、決まりやね。メル、うちが準備するさかい、メルはカナタが帰り次第連絡頂戴な」
「合点です!」
メルの声が、明るくその場に響いた。




