第2話・とある喪女と、令嬢の思惑
(ルイ)
謁見の間を出て、急に頬が焼けそうなぐらい熱くなるのを感じた。アイクに! 大好きなアイクに会えた! それだけじゃねぇ、ちゅーるを貰った! アイクに貰ったちゅーるなんざ最高すぎる。大事に大事に、味わって食おう。またラルフの退屈なおっさん顔目にするのかと思ったら、まさかアイクと話ができるとは。アイクの俺と同じくらいの長さの金髪、王子の名にふさわしい美麗な顔立ち、青い瞳、優し気な表情、甘く透き通った声。今も強く脳裏に焼きつく、大好きな奴の姿。
内容的にももう少し、なんていうか愛情の伝わる、ぶっきらぼうじゃねぇ付き合い方を模索してんだが……俺には少々難しい。俺がアイクに『好きだ』って本当の気持ちを伝えたら……、アイクは驚くだろう。俺みてぇな……。いや、何でもねえ。俺が『そんな』なんざ、らしくねえよな……。
城の共用スペースに出て、赤カーペットの敷かれた螺旋階段をおりた。ロビーは広くて、大理石の床はぴかぴかに磨かれている。ラルフの奴を模した大きな石像をはじめ、美術品が豪華絢爛に並べられ、端にいくつか置かれた高級なテーブルを挟んで、仕事終わりの役人どもがチェスに勤しんでいる。
その一角で綺麗なドレスの採寸や、着付けの練習をおこなっている女どもが、たくさん群がっていた。何だ、ダンスパーティーの準備か? 城主催のでけぇのがもうすぐ開かれるって、街で噂だったっけな。……赤、青、金、白。色とりどりのラメの入った布に、華奢で女性らしいフリルが幾重にも連なっている。綺麗なものだ。見惚れちまうな。そいつらは俺の姿に気付いたとたん、着付けも放置して俺のほうへ突進してきた。
「ルイ様!」
「ルイ様いらしていたのですね!」
「次の舞踏会では、ぜひ私と一緒に踊って頂きたく」
……なんだか、むなしいな。作り笑いをむりやり作った。俺は自分の感情以外の表情を作るのはすこぶる苦手なので、たぶん不器用な笑みだろう。それでも女どもはたたみかけるので、必死で振り払って城の外へと逃げた。背中に、女どもの黄色い声を浴びながら。
……いいな、ドレスが似合って。いいな、舞踏会に出られて。いいな、素敵な男性とダンスできて、あまつさえ付き合えて。王子であるアイクも、もしかしたら出席するのかもしれねえな……。自分からは中々だろうが、ラルフの薦めもあるかもしれねえし……。
王都ダイヤモンドヒルズに、今日は質素な宿を取った。俺の財産なら最高級にも泊まれるが、王都南の商店街近くにひっそりと佇む、この民宿に敵う宿泊施設は俺の中にはねぇ。
「ルイ様にここに泊まって頂けるおかげで、うちの民宿も助かってますよ」
「……そうか。そりゃ良かった。ここはいい民宿だからな」
老夫婦が経営していて、息子夫婦が手伝っている、アットホームな民宿だ。何がいいって、料理と酒のアテがめちゃくちゃ美味い。アイクや城のメイドの料理にも、負けないくらいにな。部屋は五つしかないが、よく利用する俺のために、一番いい部屋をいつも特別にキープしてくれる。
「お風呂になさいますか? 狭いバスタブで申し訳ありませんが」
「問題ねぇ。結構好きだ」
そう、脱衣所で、魔導士のローブを脱いで……。中に着た藍色のぴったりしたインナーも脱いで……。ズボンも脱いで、裸になって……。
風呂場の鏡には、胸のぺったんこで男性器のついていない、貧相で少しだけ筋肉質な、女の身体がうつっている。
そうだ……。俺は、女なんだ。故郷の家族以外には、ほとんど知られていないがな。隠してるつもりはなかったんだが、俺のあまりの強さと実績、魔術の力量、そして外見や振る舞いによって、男という固定観念が世の中にまかり通っている。
ただ俺の真実は、二十一歳の処女。喪の類であることは、なんとなく自覚している。女から恋文は腐るほど貰うが、当然ながら今までの人生で、彼氏ができたことはない。そして、その初めての彼氏がアイクならいいなんて、そんな高望みを平気でしている。救いようのない喪女だよ、全く。おっぱいもねぇし……。
湯舟に浸かりながら、アイクは舞踏会に出るのか? と、ぼんやりと考えた。あいつは第一王子のくせに草食系だから、ラルフやエリザ……つまり両親の薦めがなければ、おそらく参加したがらない。とはいえアイクも来年には二十歳、王族としてはもうそろそろ、縁談のひとつやふたつ来てもおかしくねぇ筈だ。そういう訳で親の押しや、周囲からの風当りも強いだろうから、舞踏会にも本人の意思関係なく、参加する可能性は高い。俺の初恋には……そう、余り猶予が残されていない。だが、その当のアイクは、そもそも俺が女であることすら知らねえ……。
やっぱり、らしくねえのかな。俺はアイクが美しい女性と結婚するのを見送りながら、三十路まで処女を貫き魔法使いになるのか。……いや、既に魔導士だったか。忘れてた。何だ? 開けた襖を閉める猫にでもなるのかよ?
そうだよな、第一王子だもんな。アイクの母・エリザの奴も民間出身ではあるが、それはもう美人だし、レディとしての振る舞いも心得ている。まあ裏じゃ気さくで大雑把な母ちゃんだが、少なくとも公の場じゃレディそのもの。肩書としては城の役人の娘でも、その品格はまさしく王妃に相応しい。
だが俺はどうだ。そもそも城との繋がりすらねえ、猫族というマイナーな地方の部族出身。そこでも権力を握る宗家とはほど遠い、地位のねぇ分家の出。美しくもねえ、可愛げもねえ、ドレスなんてきっと似合わねえ。……俺なんかがお姫様になったら……みんな笑っちまうよ。アイクに……アイクにこの気持ちを知られたら、嫌われちまうよ。
今日は生憎、城へ着く前に夕飯を済ませちまったので、宿屋の主には酒の摘みと夜食を頼んだ。一人で寝るには充分すぎるくらいのベッドルームで、古い木造りの一人用テーブルに向かいながら酒を飲んだ。辛口の白ワイン、やっぱりこれに限る。カシスオレンジなんて言ってる、世の中の女どもは可愛いな。と思いながらタッチパネル型魔学通信機器・スマートホーンを弄れば、アイクのアカウントには『眠れないので、今夜はやっぱりコレだ。私は未成年なので母上に飲んで頂くが、付け合わせのレモン、ミント、ストローを綺麗に盛れた』との文言とともに、カットグラスに入ったカシスオレンジが投稿されていた。なぜだか口元がゆるんだ。まったく、可愛い奴だ。いいねを押してやった。
「ルイ様、入っても大丈夫ですか?」
「ああ、構わねぇ」
宿屋の主人の孫・ミルカだ。二世代が若くして結婚してるから、ミルカももういい歳、十六になる。長らく全寮制の女学校で学んでいたと聞くから、初めて会ったのは最近だがな。質素な黒いエプロンドレスをまとって、眼鏡をかけて、青いウェーブ髪を顎のあたりで二つに結んだ素朴な女だ。しかし、何となく食えねぇ雰囲気を感じる。歩き方やスカートの摘み方に品も感じる、不思議な奴だ。
「ルイ様にお酌をしたって商店街の子に言ったら、一躍スターになれるんですよっ。えっへん」
「そうか……。よくわからねえが、したいようにしろ。丁度退屈だったところだ、話し相手になるのを許可してやってもいい」
「おお、気まぐれなルイ様には珍しい。じゃ、ワイン追加入りまーす」
グラスに注いでくれた。大魔導士ルイに向かってこの気さくさ、物怖じのなさ。末恐ろしい街娘だ。
「今日のおつまみ、私が作ったんですよ。極太ネギのバター醤油焼き。甘くっておいしいでしょう」
「ああ……ありがとう。野菜は苦手だが、これは美味しく食えるよ……」
「ルイ様、浮かないお顔ですが、悩みでもあるんですか?」
「ああ……。……ミルカ、誰にも言ってくれるな。まあ十六の噂したい盛りの女を、そんなに信用してもいないんだが、むしょうに誰かに話したくてな」
「前置きが長い上に失礼ですよお。ルイ様と秘密を共有できるなんて、光栄です。なんでも仰ってください」
「……俺の好きな奴が、たぶん舞踏会に出る」
ミルカが驚きのアホ面を晒している。
「……マジですか。ルイ様の好きな方!? ルイ様が恋をなさっている!? なんですって!? 本当!? 私今凄いことを聞いちゃったんじゃ……」
「……あれはお見合いパーティーでもある。つまり、奴の結婚も近いんじゃないかって。そう思うと、柄にもなく暗い気分になっちまってな」
「じゃ、その女性をお相手に誘えばいいのでは? ルイ様ともあろう方のお誘いを断る女性が、ダイヤモンドヒルズにそうそういるとは思えませんが」
「……そういう訳にもいかねぇ理由があるんだ。詳しくは話せねえが、俺には好きな奴がいる、かつそいつと踊ることはできねえ。その二つは確定している」
ミルカは俺の傍らでオレンジジュースをコップに注ぎながら、考え込むように腕を組んだ。
「うーん、事情はわかりませんが、それは難儀ですねぇ。失礼ながら推察すれば、身分とかの問題ですかね。ヒスイ谷という土地自体には、身分としてのハクはあまり……失礼ながら、特殊な地方部族といった感じですし。でも、それにしてもルイ様はたくさんの称号や勲章をお持ちですし、問題ないのではという気がします。まあそれはおいといて。偵察として、別の女性と参加するってのもアリじゃないですか?」
「別の女性な。不義理なことは余りしたくねぇんだが。俺のことを想ってくれる相手に対して、偵察に使うようなことをするのは、俺の主義に反するというか」
ミルカが俺の皿からネギを勝手に摘んだ。本当に肝の据わった女だ、宿屋の孫娘とは思えねえ。そう、なんかミルカには、初めて会った時から違和感を持っている。孫にしては年齢がいっているし、身のこなしや振る舞いに、どことなく気品を感じる。宿屋一家と顔も似ていない。語り口も街娘のものでありながら、普通なら萎縮しかねねえ大魔導士の相手という役割を、平然とこなしている。
「……ルイ様。秘密を話してくださったお返しに、私で役に立てればと思いますよお」
どういうことだ?
『南の地を守護せし、蒼き秘石の女神・サファイアよ。ウェルシュの紋章を示し賜え』
少しの風とともに、ミルカの手元が淡く光る。そこには青い火の玉みてぇな魔力の結晶が浮かび上がって、それが型にはまった蝋のように形を変えた。どこかの貴族の家紋みてえな、獅子をかたどった紋章に。
「……ヴィクトリア・ウェルシュ。私の本名ですよ」
身分を示すと、紋章は消え風は止んだ。何を言っている? ミルカは偽名ということか? ……こういうケースは何度か目にしたことがある、あらゆる界隈の、あらゆる身分の、数多の人間と顔を合わせてきた人生だ。偉大な血を継いだ者は、自らの一族の魔力紋を、形にして示すことができる。この国では多くの場合、それがいわゆる印鑑のはたらきをする。そうか、つまり……ウェルシュ、聞いたことがある。南の大都市・サファイアデザートの大地主に、そんな名が……。
「ルイ様はやっぱりウェルシュをご存じですか、光栄です。今の身分証明書だけでけっこう理解しちゃった感じですかね?」
「……ヴィクトリア、なぜこんなところにいる」
「ミルカと呼んで下さい。簡単に言うと、一般人の生活を、この目できちんと見てこいとの父上の仰せです。社会科見学ですよぉ。土地を治める貴族は、末端の人間がどのような生活をしているか、どのようにして社会を営んでいるか、把握し管理する義務があるのです。この宿屋のおじいちゃんは、ウェルシュに仕える下級騎士の遠縁です。そんな訳でぇ」
「はあ、ミルカ、それを俺に明かして何が言いてぇんだ? お前の秘密は口外しねえが、ちょっと理解できないというか」
「そっちは察しが悪いんですね? 私、お城に行ってみたかったんです! サファイアデザートは王都から遠いんで、私はまだお城へは行ったことないんですよぉ。なかなか用事がなくって。それがダンスホールを観光できるとなったら、楽しいだろうなぁ。しかも周囲の貴族たちの羨望のまなざしを感じながら!? ああ、憧れるぅ」
「……ま、まさか」
「そうです」
ミルカが眼鏡をそっと外して、その大きな二重瞼を細めて笑った。
「ヴィクトリアのお城観光を手伝ってください、ルイ様?」
どうしよう。これはアイクに、重大な誤解を与えかねねぇ選択だ。俺がミルカとそういう関係だと……思われちまうかも……。かといって、俺の見ていない間に、アイクと誰かが進展しちまったら、それはそれで指を咥えていられねぇ事態だ。どうにかそれを阻害する必要がある。少なくとも状況を把握する必要がある。ミルカの言う通り、俺には王家直々の爵位や勲章がある、城の舞踏会への出席はおろか、王族との自由な謁見の権利すらある。だから前提条件としてはクリアしている。
伸るか反るか。だが、何もせず俺の初恋が、ただ散っていくのを見てるくらいなら……。知らねぇ間に、アイクが他の女と仲良くなっていくくらいなら……。
ちょっとばかし覗き見してやっても、バチはあたんねえよな?
「……概ね同意した。もしもあいつが参加するとの情報が入ったら、お前の手を取って、踊ってやろうじゃねぇか。俺ステップとかは余りわからねぇが」
「わあ、やった! 大丈夫、私踊りは上手だし、女からの嫉妬もふふんって返せる人なので! それと、ルイ様に特別な感情はないので、安心してください。私は背の高くて、目が細長くて、男らしいムキムキの闘士が好みなので」
「喧嘩売ってんのか……」
「……ルイ様、そのちゅーる、大切そうに持ってますね」
これか。なんか食うのが勿体なくて、酒傾けてる間もずっと手の中にある。アイクの親切のこもったもの。口ぶり的に、メイドの意思ではなく、彼自身が望んで仕入れたもの。俺のために……。俺を喜ばせ、労うために……。
「……ああ。好きな奴に貰った」
「罪なお相手ですねぇ、全く。ちゅーるはあげるのに、心はくれないんですね?」
まったくだ。お前は罪深いぜ、アイク。
俺のこんな気持ちもつゆ知らず……今晩も夜なべして、編みぐるみにでも勤しんでいるのだろう。