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第28話・深海に沈むが如く

(ユーリ)


 この期に及んで、俺は呑気に喪失感を抱えている。


 俺は兄上とルイを見送った後も、ずっと城の正門に立ち尽くしていた。国難にあったゆえ皆意識することすらできていないが、今日は大晦日だ。当然、城恒例の年越しカウントダウンパーティーも中止となっている。兄上と友人を見送った俺は、次に何をすればいい。パーティーがあればあったでうざったいものだが、無いなら無いで手持ち無沙汰に感じる俺は、確かに以前とは変わったのかもしれないな。


 毎年うざったいこと極まりなかったクリスマスも、今年はなかなかどうして楽しかった。それは目の前の奴らがやってる、至極くだらなくもいとおしい営みに、気付けたからだった。それを観察して、傍から意味もなく揶揄って、そんな何の益もない遊びに、価値を確かに感じた。

 俺はリヒト・フリューゲルでも噂話の類は好きだった、それは認めよう。でもそれに価値を感じた訳じゃなかった。暇つぶしだったり、探し物しようと求めた結果の空振りだったり。それは対象に、ある種の愛をいだいていなかったからだ。だからどれだけ笑おうが、どれだけ語り合おうが、暇つぶしだった。そこに『分かりたい』という意思はなかった。あくまでリヒト・フリューゲルで俺が分かりたいのは、魔物の不可思議かつ魅惑的な生態について。或いは、数字の織り成す神がかった神秘について。それ以上でもそれ以下でもなかった。


「ユーリ、いつまでここにいるんだい。そんなにアイクやルイが心配かな?」

「……母上」


 母上の銀髪は眩しい。だけど、俺の白い髪は、母上から貰ったものじゃない。似て非なるもので、それゆえに俺は、幼い頃子供たちの間で、肩身の狭い思いをした。父上の目も母上の目も赤くない、それが証拠だ。無表情の奥で真剣に悩んでいた俺に、兄上はある時『ユーリは雪兎の生まれ変わりか?』と呟いた。気まぐれで天真爛漫な子供だった兄上のことだ、深く考えて発した言葉じゃないだろう。ただ、続いた……『きれいでいいね!』という言葉には、僅かながら救われたのを覚えている。


「最近、あんたからいい香りがするんだよ」

「正気かよ。俺最近、魔物や人間の死体しか弄ってないよ。母上の感じるそれは死臭だ。全く、母上まで俺みたいなマッドサイエンティストに……」

「違う違う。何ていうの? 人間の情緒の香りがさ。そして年頃の香りがさ」


 猪の母上が、比喩を覚えたらしい。それもまたいとしいことだ。以前の俺なら、何も思わなかっただろうけれど。


「あんたを産んだ私も、あんたの面倒をよく見たアイクも、あんたの正体を引き出すことはできなかった」

「……不気味な子供で悪かったね」

「そんなふうに取るのはやめなよ、不遜なユーリらしくもない。そうしてあげられないことに、もどかしさと罪悪感を抱いていたんだよ。……だけど、最近のあんたは、何か楽しそうだね。ずっと籠っていた殻から、顔を出して……漸く『ユーリとは誰か』をあたしらに教えてくれる。そんな直感がある」


 母上は思ったより、思慮の深い人だったんだな。まあ、俺の頭脳がどこからきたかといえば、母上側からの隔世遺伝という線が強い。その間に挟まれた母上も、あながち空っぽという訳でもない訳か。


「それにアイクやルイが、ひと役買っているんでしょ。元々あんたは、友達の少ないほうではない。だけどね、ルイとクリスマスパーティーを巡っていたあんたは、今まであたしが見たことない顔をしてたよ!」

「……見てたのか。どこからだよ、全く。王妃も忙しいだろうにね」

「別に、たまたま貴族への挨拶回りの途中に、見かけただけだよ。一瞬見ただけでも、母親のあたしにはわかるんだ。あんたに本当の友達ができたって。いや、ルイの方はどうかね。正確には……本当に友達になりたい奴ができたってね」


 ……母上の指摘は、概ね間違っていない。人を看破するのには慣れている方だけど、看破されるっていうのは、こうもぞわぞわするものなのか。気持ち悪いが、スッキリする気もするな。自分でもわかってない部分が、洗いだされてさ。


「母上は気付いていないかもしれないけれど。……兄上はきっと、ルイのことが好きだね」

「いや、気付いてるよ。気付いた上で、アイクを婚活パーティーへと送り出した。十八歳の博士の母親をなめて貰っちゃ困る」

「……そうかよ」

「友達の関心が、別の奴の所に行くのが、あんたは多分嫌だね」

「……もはや否定はしない。そういう浅ましさを、俺は十八年間、最も嫌った筈なのに」

「しかしそれは、少なくとも今のところ、アイクの抱くようなベクトルの感情ではない。やだ、あたし今晩は名探偵じゃない!? かっこいいなぁエリザ王妃は! にひひ」


 息子が命を懸けた旅に出たっていうのに、そんなに呑気な理由が知りたいよ……。まあ、それだけ兄上と、それから『王家の紋章』、誰より大魔導士ルイを信頼しているんだろうけどさ。


「見通され続けるのは性に合わない。まあ、母上が言った、その通りなんだけどさ。友人になりたすぎて、依存しちゃってるんだよ。理屈じゃなく、あいつは俺の籠ってた殻を粉々にして、そのうえで別の猫じゃらしへと、無責任にまっしぐら。猫というのは我儘な生き物だ。そいつの我儘に付き合うことで、そいつに依存したい、拠り所のない、俺の正体が……、一瞬だけ満たされる。そこに人間としての喜びを見出した。生まれて初めてね」


 そこに今のところ、性や恋の介入する余地はない。それは母上の見立て通りだ。俺は純粋に、気になっているんだ。存在するだけで俺の殻を無責任に破っていく、俺にとって特異な『友人』の存在が。


「あんたのその感情。あんたはあたしと似て、ちょっとばかし非常識だと思うからさぁ。アイクやルイへの純粋な心配、もちろんそれもあって、あんたはここにいる。ただ、もうひとつなにかの感情が、恐らくあるんじゃないの?」

「……国難にある中倫理的じゃないが、事実だよ。猫じゃらしに放った猫が、……帰ってこないことを恐れている。あいつらが死ぬと思ってる訳じゃない。生きて帰ってくるのは本心から信じているさ。生きている上で、もう帰ってこないんだよ」

「あんたの精神は、どこまでもロックなんだねぇ。秩序立てた人格を持つ奴であれば、そんなこと心配してる場合か! ってなるけど、成程、ユーリにとって『心』への好奇心とは、国難すら忘れるほどに、手放したくないものって訳だ」

「……まあ、学問畑の人間だ。好奇心の前には、いかなる感情も敵わない。兄上を愛してるのも、心配なのも本心だけど……、やっぱり、こんな悠長で呑気な人間に、『王家の紋章』が来なくて正解だと、心から思うよ」


 ダイヤモンドヒルズの空に、わずかな星が瞬く。城の周りは明るいから、オパールバレーで見たような、降ってくるかと思うくらいの星空は見られない。

 順調にいけば、今頃君たちは、ダイヤモンドヒルズの郊外へと差し掛かっているはず。荒野の夜には、きっと満天の星空が輝くだろう。その星を前に、君たちは何を思うんだい? ここで拠り所を失って、正体を得たそばから枯れる俺の儚い願いは、どこへ行くんだい?


「あんたを十八歳まで育てて、初めて会話した気分だよ。言葉を発するまで長かったね!」

「……はじめまして。エリザベート妃」

「いやあね、気色悪い。でも、あたしが綺麗に産んでやった男だ、悪くない気分だよ!」

「どっちなんだかハッキリしろよ、全く考えのない女は、これだから調子が狂う」


 ここにも理解者がいる。十八年傍にいながら、俺がみすみす見逃していた……俺の理解者が。……よく、母親を海に喩える小説を見かける。ずっとその意味を理解できずにきたけど……ああ、俺の母親も、確かに海だった。星空を見ながら、猫への執着破れ沈んでいくのも――……なるほど、心地いい。

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