第1話・許されざる感情
今宵こそは、愛してしまった相手に真実を伝えようと思う。
剣と魔法の大陸を統べる、アイドクレース王国が第一王子の私は、許されざる恋をしてしまった。かねてより王子としての覇気や闘争心がないと……、第一王子としての誇り高き自己主張がないと……、メイドに混じって、料理や刺繍、ヘアメイクやフラワーアレンジメントにばかり精を出していてはいけないと……そう言われ続けてきた私。そのような趣味のためなら、平気で兵法の授業をすっぽかす私。そう、第一王子なんて立場に、私は相応しくなどないのだ。
そのうえこのような恋をしてしまうなど、私は父上と母上の、そして国民の意思を酌まぬ悪い王子。だが立場と使命に追われ、公務にあたったり興味もない政治経済学についての講義を聞いたり、退屈な日々を過ごすばかりの私を支えてくれる、唯一の感情。そう、まさに忙しくもつまらない日々を送る私の癒し。その相手が今日、王都東にあるクォーツ村近くから盗賊と魔物を掃う任務を終え、私のもとへと報告に来てくれる。私は謁見の間で、その相手の帰りを今か今かと待ちわびていた。
「アイク、随分とやる気ではないか? 国の平和を守るべく働く忠実な魔導士の報告を、そうもそわそわと待とうとは。民がきちんと護られたかどうか、魔導士がきちんと役目を果たせたかどうか。国の治安にきちんと興味を持つとは、おぬしらしくもなく殊勝なことだ」
「恐れ入ります、父上。このアイク、クォーツ村に犠牲者が出ずに済んだとの報告を通信魔法で受け取り、心底胸を撫でおろす思いであります」
「本当なら、今日の昼時もメイドに混じってクロスステッチに興じていたおぬしを、武者修行に行かせたいくらいであったのだがな」
うう、父上からの鋭き視線が痛い。アイドクレース王国が王者・ラルフ。長い金髪に鷲鼻、そして髭をたたえた、私とは違い、いわゆる王という威厳のある壮年の男性だ。その屈強かつ巨大な身体は、このような夜更けには赤い浴衣に包まれている。東の島国の王から贈られたものだそうで、黒い帯には金色をした龍の刺繍が光っている。……あの刺繍、しごく丁寧に施されている。私もこんな刺繍を習いたいな……。いや、何でもなかった。思考がずれた。今は父上の前だ、これ以上女々しいところを見せては……。
「申し訳ございません。ですが父上、昨今の多様性社会、けしてクロスステッチは女性だけのものでは。一度ご覧になれば、父上もきっとその魅力を」
「いや、そこはどうでもいいのだ。おぬしも決して、実力なき剣士というわけではない。ただの一枚殻を破れば、英雄たる男となりえよう」
「はあ……お褒めに預かり光栄でございます」
「……ただ、あの者であればおぬしより確かだ。そこは我も信用している。手綱は握りにくいものの……あの魔導士は、本物だ。それは気の置けぬ友人であるおぬしも、よく知っているとは思うが」
父上が私の頭を撫で、諭すように言った。
「あれの手綱を間違えるな。敵に回せばアイドクレースの脅威となろう。だが……うまく利用できれば、城の忠臣を超えるパフォーマンスを見せる。よく見ておけ、本当の実力者というものをな。では、我は寝室へ向かうとしよう」
「はっ。おやすみなさいませ、父上」
父上は謁見の間を出た。だだっ広く白くごてごてした謁見の間には、玉座と遠のく父上の足音と、それから天窓からの月明り、シャンデリアの控えめな輝きだけが残されていた。
実力、経験、何物にも折れぬ強き意志。そのすべてを兼ね備えた、アイドクレースの英傑。これから来る彼は、その名を欲しいままにしている。しかしそんな名、正直、私にとってはどうでもいい。なんなら彼が任務を見事達成したとの報告が入っている以上、謁見の内容じたいも至極どうでもいい。そう……私が求めているのは……私の誰にもけして言えぬ決心とは……。
「おい、帰ったぜ」
謁見の間の扉が、およそ王族への謁見とは思えぬほどに無遠慮に開けられた。そうしてこの部屋に入ってきた人物。国の最北端にある、強大なる猫魔導士の里・ヒスイ谷出身の、しごく高名な魔導士。烏の濡れ羽のような黒い髪に、猫耳。黒を基調としながら、時折白や青の切り替えのついたもふもふの魔導士ローブを身にまとい、身長ほどの大きなスタッフを手にした、細身の青年。そう、その美麗な顔立ち、人の心を射貫いて離さぬ赤い瞳。大魔導士ルイ、その人だ。
「ふん。俺がせっかく帰ったってのに、ラルフはいねぇのか。ちゅーる貰おうと思ってたのに」
「こたびの任務については、私が報告を受け取ることになっている。父上は既にお休みだ」
「そう。アイクに俺の相手なんて大役が務まるか? まあお前でもいいよ。俺は誰が相手だろうと、仕事に手は抜かねぇ。クォーツの盗賊は百二十七人。首長はゴブリンと人間との混血の男性デイヴィッド。腕力以外は特筆すべき戦闘能力はなかった。村に犠牲者は出なかった。俺が手当たり次第に雷撃魔法を浴びせたら、みんな痺れた。俺についてきた足手纏いの騎士どもに、王都の収監所へ送り届けてもらったよ」
「そうか、ありがとう。雑だね」
「それほどでも。死にゃしねえ程度に、纏めてやればいいんだよ、ああいう三下は」
ルイは雑にものすごく強い。この世に反則というのがあれば、それはルイの雷撃魔法を指すだろう。実際彼は、こんな小さな事件など目じゃないとばかりに、多数の戦場、或いは犯罪に脅かされた街、それに魔物の軍勢を相手に華々しい伝説を作っている、偉大な魔導士だ。彼の活躍に惹かれ魔導士を目指す子供たちや、熱い恋文を送る女性が後を絶たないのも道理だ。
だが私にとってはそんなことはどうでもいい。ルイの黒い髪には少しクセが付いていて……外はねが美しくて……目が大きくて、鼻筋がきれいに通っていて、唇には少し色が付いていて。そうだ、美しい。その強さゆえ、ルイは父上に信頼され、よくこの王宮へ姿を見せる。だから私は知っている。ルイは良い奴だ。尊大なことや挑戦的なことを言ったり、挨拶を怠ったりして誤解されるが……ルイは良い奴なのだ。城の裏の、腹をすかせた野良猫たちに餌をやって撫でているところも、私は何度も目撃している。
「で、仕事終わったし、帰っていいか?」
「本当に雑だ。王子への報告がそんな簡単なもので済まされるのか? 普段父上とどんな遣り取りをしているかは知らないゆえ、なんともいえないが」
「時系列を追って、この下らない事件の説明するのか? 七面倒くせぇ。そんな無駄なことに時間を使う暇がありゃ、剣の素振りでもしてるんだな、映え系第一王子アイク君」
「うっ……」
ルイが私を見上げて笑う。そう背の高い男ではない。私の背丈ならば、ルイのぴくぴく動く猫耳の先まで見える。
もしもその頭を撫でたら……君は私を嫌うだろうか。そう、君のことが好きだと、男ながら君を愛してしまったと……そう告白したら、君は私を、気持ちの悪いものと蔑むだろうか……?
だめだ、さっきまで決心していたのに。勇敢な大魔導士ルイと、王国の栄えある第一王子ではない。ただの男と男、として、この気持ちを……この身長差に、そしてよく動く猫耳に萌える気持ちを、伝えようと決心していたのに……。
「……ルイ」
「何だ、まだ用があんのか」
「……昼間、城下町にてちゅーるを仕入れてきた。よかったら、労いに譲ろう」
だめだ、頬が熱くなる……。照れ臭い、どうしよう、ルイにプレゼントだなんて。ちなみにちゅーるとは、猫系の獣人に好かれるジャンクな駄菓子だ。生産に多少の食品加工設備を必要とするため、原始的で閉鎖的なヒスイ谷にはない。ゆえ、ルイは上京してすぐさま、この駄菓子の虜となったらしい。
「本当か!?」
輝くその表情、段の入った黒髪が揺れるさま、私の手を取るその指先の温度。ああ、やはりルイは本当に美しい……。彼女になってくれ……。いや、男のはずだがね……。
「アイクもたまには役に立つじゃねえか。いい子いい子」
背伸びして撫でてくれるのか。なんて萌えるんだ。なんて可愛いんだ。猫のくせに尻尾をガン振りしているし! ルイ、私はやはり……やはり……やはり言えない! 男のことを好きになったら、私は悪い子なのだろう? ちゅーるをいくら捧げても、蔑みの目線しか返ってこないのだろう? そうしたら、私は……私は、もう生きていけない……。ああ、死ぬならば……刺繍糸にまみれて死にたいものだ……。ルイに見守られながら……。
「じゃ、またな」
「……また父上づてに仕事を頼むかもしれないが、よろしく頼む。頼りにしているよ、……ルイ」
「勘違いすんな、あくまで俺はフリーの魔導士だ。金とちゅーるを弾むなら、国に貢献してやろうってだけの話でな。きちんと『お仕事』を理解すんだな、お坊ちゃま」
後ろ手を振って、ルイは謁見の間を去っていった。
……言えなかった。今日もまた。この溢れんばかりの、ルイへの思いを。腹をすかせた孤児がいれば、食いかけの弁当を譲る。伝説の魔導士が、子供同士の諍いをなだめたりもする。そうだ、こんな魅力的な……やさしい……美しい……彼に、今日も想いを……。
ルイとキスをしたい。近付きになりたい。その気持ちは本物だ。しかし……、ルイはきっとそれを望まない。それに、そんな関係に未来があるかといえば、私もしごく考え込むところではある。ルイがもしも女性であれば、勲章を数多得た大魔導士と国の栄えある第一王子、なかなかに話も変わってきていたかとは思うが……。残念ながら彼は男。第一王子は、王家の血を繋ぐため女性と結婚するのが使命。この想いは……。溢れんばかりのルイへの愛は、生き物として、人間として、王子として、間違ったものなのだろうか……?
私も眠るとするか。いちおう、この謁見の間には、気配は消しているものの護衛のゴーレムが二体立っている。その二体の魔力スイッチを切ったあと、私も床へ就くこととした。
布団の中で考える。十九年の人生の中で、これほどに愛した者はいただろうか? 父上も、母上も、民も、心から愛している。それには理屈がある。だが、ルイへの愛は理屈だろうか? 否、そうではない。たとえルイが高名な魔導士でなかったとしても……私は、きっと心からルイを愛していただろう。
……次会うときには。頼りない決心が、したそばから揺れる。ルイ、愛している。その気持ちだけは、ずっとずっと、本物だ。ちゅーるを渡したときの、君のその笑顔を思い出しながら……私はそっと、ベッドの上で目を閉じた。