第17話・また一つ増えた、戦う理由
溜息をつきつつ練兵場に向かう俺たちを追って、声をかけてきた奴らがいた。
「あれぇ、ルイ様、ユーリ様じゃないですか! これから練兵場ですかぁ?」
「オレらもなんだよな! いやぁ、面白え戦いになりそうだぞ! はっはっはっは!」
エディとミルカか。この騒ぎを、こいつらも見ていたんだな。ミルカの手には、いつか俺がアイクに買ってもらったのに似た、リボン型の赤い飴細工が握られている。店主の口車にでも乗ったのか? 微笑ましいものだ。……あの日の俺は、アイクのお姫様だった。故郷の晴れ着を着た、アイクのお姫様。……全く、懐かしいな。
「面白えってどういうことだ、エディ」
練兵場は正直毒薬使いと剣士の戦いには広すぎるが、ギャラリーが思ったより集まったので、いい具合に賑わっている。中心に向かい合って、それぞれ薬瓶と剣を構える両者を見守りながら、俺はエディに言った。大歓声でちょっと話し辛ぇな……。
「リーチの短ぇアイクが、魔法で形状を変えた毒薬を飛ばせるアリスに敵うか? どう考えても瞬殺だと思うんだが。アリスはアイクのリーチを考えりゃ、接近戦に持ち込むとは思えねえし」
「なるほど、薬についてはわからない猫ちゃんも、戦闘の一般常識は流石だ。エディ、俺にも解せない。兄上が勝てる未来がどこに……? まさか、兄上の負けっぷりの面白い戦いになりそうだとかいう意味かい? エディまで俺みたいに性格悪くなっちゃったのか、複雑な気分」
エディは俺たちの言葉に頷きながらも、敢えて多くは語らねぇといった様子で言った。
「見てりゃわかるさ! 剣術の授業を担当するオレは、誰よりも今現在のアイクの力を知ってる。ま、見てろってな! ははは」
「エディ様、玄人な物言いと、服越しの上腕二頭筋に惚れてしまいそうですぅ」
「存分に惚れろよミルカちゃん! オレの全身の筋肉が今、君のために目覚めている!」
筋肉は裏切らないとか言い出しそうなのはさておき、教師であるエディが、何か意味深なことを……。俺たちの予想通りにはならねぇってことか? と考えてるうちに、場も温まったようだ。闘技場を包む歓声の中、司会がゴングを引きずってきて高らかに宣言した。
「さぁ皆さん! 変幻自在の毒薬使い・アリス様か! 近頃名うての剣術使い・アイク様か! いよいよ決戦の火蓋が切って落とされようとしています!」
闘技場の中心部で、数メートル離れて向かい合いながら、麗しいカップルが戦の前の言葉を交わす。
「アイク、残念ながら僕の勝ちさ。何秒もつか、数えててあげる。五秒もったら、褒めてあげる!」
「……私の剣術は、愛する人を護るためにある。なめてかかるな、痛い目にあうよ」
緊張感が、静寂が、広い闘技場全体におりる。しん、と場が静まり返ったその瞬間、ゴングの音が勢いよく鳴り響いた。
アリスは大方の予想通り、大きく身体を退いた。両手で器用に薬瓶を開け、紫色や緑色をした内容物を、魔力によって固め、アイクの剣むかって弾き飛ばす。
「ルビーマウンテンの薬学はね! 鉄を腐らせるんだ、アイク! 武器がなきゃ、丸腰のアイクは無様に溶けるだけさ」
「予想していないとでも? 随分と舐められたものだ」
アイクは飛んでくる薬液を何度も跳躍して回避するが、正直これを続けていてもジリ貧だ、一体どんな策があると……、やっぱり強がりなんじゃないのか?
と思った瞬間。アイクの身体の周囲で、どす黒いオーラが渦を巻き始めた。およそあいつのピュアな魂の色には相応しくない、……戦場の怨嗟さえ飲み込むような……風が立つ。舐めてかかったゆえに若干接近してしまったアリスの髪が、爆風で揺れる。何だ、これは? 何が起ころうとしている? アリスの薬瓶が飛ばされてぱりんと割れ、内容物が練兵場の土を腐らせる。
「アイドクレース軍秘伝魔剣術其の一・『千変万華』」
アイクの大きな振りかぶりと共に、剣から勢いよく黒の衝撃波が沸き起こる。耳を裂くような鋭い音とともに、それは容赦なくアリスの身体を引き裂きに、一直線に向かって――……アリスが思わず、華奢なまでの悲鳴を上げ――……
アリスの身体にぶつかる直前に、その衝撃波はぽんと消え失せ、ひとつの花束へと姿を変えて、アリスの腕の中に落ちた。
「……私の勝ちだ」
練兵場はまさかの番狂わせに大歓声。俺もユーリも呆けるしかなかった。アイク……お前いつの間にそんなに強く……。俺は嬉しいよ……。母親が息子の成長を喜ぶのは、きっとこういう気持ちなんだろうな。どうしてそんなに強くなるまで、モチベーションを保てたのか。あのお姫様男子のアイクのことだ、今も授業をさぼって料理でもしているのかと……。そもそもアイクにそんな才能が眠っていたのか。木偶の坊で有名な、お人形王子様じゃなかったのか。疑問は尽きねぇが、アイクの勝利は素直に嬉しい。
「な、言っただろ? 面白い戦いになるってな!」
エディが勝ち誇ったように笑っている。いや、まあお前の言う通りなんだが、それならそうと早く言え。毒薬がアイクの麗しい顔にかかっちまったらどうしたもんかと、冷や冷やしただろ!?
「エディ様素敵ですぅ! 流石将軍様ですぅ!」
「あいつは訓練のときに言った。自分には夢がある。そのためなら強くなれる。護りたい人のために、いっぱしの王子になる。とわに交じらぬ星であろうと、せめて平行線に飛んで、隣を見て笑うくらいは許してもらえる自分になろうと思う、ってな」
おお……なんか感動的なこと言ってるな。以前にも言ってたか、護りたい背中があると。その気持ちは人を、こんなにも変える……。息をするように強大な魔法を使える俺は……、そんな真っ当な理由を胸に抱いて戦ったことなんてそうそうなかった。そう、アイクに出会うあの日までは。
お前も俺と同じ気持ちか。その気持ちはお前を高みにのぼらせるだろう。隣を飛ぶ誰かを、幸せにしてやってくれよ、アイク? まあそれが、今負かしたアリスかもしれねえと思うと複雑な気もするが……。
「兄上がそんなことを? あんな物騒な力を身に着けるとは驚いた。まああれくらいなら、俺なら負ける気はしないけどね」
「まあ今のアイクなら、散々比較され続けたユーリとも並び立てるんじゃないか? それくらいの存在にはなったということだ! それもこれも、オレのド根性授業の賜物というわけだな! 男なら、何かを護れる強さを身につけよ! 父上の教えだぞ!」
「エディ様かっこよすぎですぅ! 大好き! 結婚して!」
「よかろうミルカちゃん! ま、もう少し大人になってからな?」
「エディ様のけち! 好き!」
ユーリと比べても、単純にアイクが負けるとは言い切れない雰囲気を感じた。オパールバレーでの実戦経験が豊富なぶん、真剣にやればユーリに若干分があるかもしれねぇが、一つミスったらユーリとはいえ終わる。今のアイクはそれくらいの力をつけている。
今度こそ、ミス・ミスターコンは終了だ。ギャラリーが散ったあと、練兵場に座り込んだアリスは、手の中の花束を見つめている。プライドが傷ついたのか、それとも……攻撃のなかに籠った、なにかしらの思いを受け止めて身動きできねぇのか。
「アリス、大丈夫かい。少し物騒な勝ち方をしてしまったね。驚かせて悪かった」
「……アイク」
花束を大事そうに抱きしめながら、アリスは絞り出した。身体を震わせて、なにかいけないことに気付いてしまったといった語調で。
「……どうしてそんなに強くなったの」
「大切なものを護るためだ」
「……それは僕なの」
アイクは答えずに、アリスの頭を撫でて抱き寄せた。傍目からは、その動きはどうしてもイエスには見えなかった。何となく困惑した。アイク、お前、アリスのために強くなったんじゃ……? アリスに並び立つために、背を護り人生のパートナーとして支えるために、強くなったんじゃ……?
「……アリス、愛してるよ」
「……ショックを受けたよ。気付いてしまった。アイク、お姫様だったはずの君は強くなった。それが何を意味するか、僕は……」
「大丈夫、愛しているから」
アイクがそれとなく周囲を見渡している。俺たちと、それから数人の城の清掃員だけがいる、閑散とした空間であることを確認しているようだ。アリスも周囲を見て、ギャラリーが完全に解散したと確認している。アイクは張り付いたような笑みを解いて、溜息をついた。
「……と言い続けたら、逆に君に失礼だ、アリス。悪かったよ」
どういうことだ? 惚れ薬は? アイクは洗脳状態にあるんじゃないのか? というか俺とユーリとエディとミルカが聞いてるところで、していい話なのか? だが気になるのは確かだ、正直俺たちみんな釘付けだ。
「今は父上も母上も大臣も教育係も識者も、おまけにメイドも傍にはいないようだ。アリス、不誠実な振る舞いを謝る。女性に嘘をつく男にだけは、なりたくなかったんだが」
「……よわっちい、アイアイがさ」
「うん」
「……強くなったの、さ」
「何だ」
「……猫ちゃんの、ため、なの?」
俺? どうして俺が出てくるんだよ? 当然アイクは、傍に俺もいることを確認している。俺にひとつ微笑むように目配せしああと、アリスを撫でながら言った。
「……それはどうだろうね。ただ、それがアリスでないことは謝るよ。君が万が一それでもいいと言うならば、結婚しようと思うが。だが、できればそれは避けたいね。私の心に、一定の準備が整うまでは、君に不誠実なキスを落としたくはないよ」
「アイアイ。僕にはわかる。だってちっちゃな頃から、ずっと見てきた。だからアイアイが誤魔化し上手なの知ってる。優しいからみんなにいい顔をして、その結果誰かが傷つく。そういう残酷さを、アイアイは持ってるんだ」
それは否定できねぇな。事情はわからねぇとはいえ、アイクのアリスへの愛の囁きが嘘だとすれば、傷つくのは他でもない、誰でもない、アリスだ。アイクは残酷だ、それはアリスのライバルである俺が、いちばんよくわかっている。アリスの心を痛いほど理解する俺が……。
「でも、それでも、嘘でも、愛してるって言ってほしかった。……これからも言うんでしょ。みんなが見てるところでは。一生愛する王妃様だって」
「……それはアリスにとって酷なことだ。だから、私が君に望むことは、どうか私から逃げてほしいということだ。好きと公言するのをやめ、もっと誠実で優しく、我儘でない男と幸せになってほしいということだ」
「やだ。やだよ。結婚したいよお。アイアイのばか。アイアイの……ちくしょう。ばか。僕が世界で、唯一本気になれるものだったのに。薬より好きな、唯一のものだったのに。アイアイのばか。ばか。それでも僕は結婚するもんね。寂しくても、結婚するもんね。嘘だって、結婚してやるもんね……」
力ないアリスの嘆きが、俺の心にダイレクトに刺さる。そう、アリスはアイクの一撃を直に食らった。アイクがどれだけ『平行線』様に本気か、身をもって知ってしまったんだ。その心中、察するに余るものがある。俺なら酒浸りで壊れかねねぇ、アイクお前、そんな男だったのかよ……?
「……皆。見に来てくれてありがとう。ルイ、こっちをそんなに睨んで……何か言いたげな顔をしているが、どうしたんだ?」
「アイク、お前……いや、何でもねぇ。今の俺が、お前に話せることはねぇ。お前が残酷な男だってのはわかった。平行線を辿る誰かへの愛に殉じて闇落ちするのは勝手だが、今俺は、アリスに用がある」
「……皆が私たちの様子を見に来てくれているのには、最初から気付いていた。ことに執拗に後をつけてきた、ユーリとルイにはね。襲撃事件による不安定な国内情勢、溶けていく国家予算、混迷する政治。今のアイドクレース王国に足りないのは、人々の支持を集めるための光。一致団結させ、奮起させ、やみくもに忠誠を誓わせるための光。すなわち、シンボルとしての『王子様』と『お姫様』。私とアリスの言論は、いま統制されている。アリスと私は今……国の希望の象徴として振る舞うことを、城から、および国から強要されているんだ。そんな訳で、初めて女性の頬にキスをした」
「馬鹿野郎!」
アイクの光のない目を睨んだ。
「お前の言いたいことはわかる。国がどんな状態なのかも、民が何を求めているかも。だがアイク。お前みてぇな男に用はねぇって言ってるだろ! 俺が話したいのはアリスだ! お前みてぇな残酷な男、俺は……俺は大嫌いだ。王子としての逆境に、クマちゃんやクッキーで抗ってきたのが、お前じゃなかったのかよ。国のためにアリスを傷付けて、何がしたいんだよ、お前は!」
「……不快な思いをさせて謝る。ルイはアリスと話したいようだし……私は少し、席を外すとしよう。城に戻ったら、またアリスと『夫婦』を再開しなければならない。それまでの、若干の猶予だ。私にとっても、皆にとっても、アリスにとっても」
俺の言ってることは、滅茶苦茶な感情論だ。傍から見りゃ、国の安定のために周囲に決められた許嫁との仲を深める、それの何がいけねぇのか、逆に俺自身に問いたいくらいだ。だが……アリスの痛みは、俺の痛みだ。一人の男を愛する気持ちは同じ。国のために犠牲になるアリスの涙声なんか……聞いちゃいられねぇ……。国のために女を犠牲にできる、賢くて殊勝なアイクの言葉なんか……聞いちゃいられねぇ……。
エディとミルカが、気を遣って場から去った。聞いちゃいけねえ話だと思ったらしい。悪いな、放置してこんな修羅場に突入しちまって。ユーリだけは遠慮を知らねぇ生き物なのか、或いはこの光景に引っかかりがあるのか、少し離れて俺たちの応酬を見守っている。
アリスは座り込んだままだ。美しいドレスを土に汚して、偽物の花束を抱えて。大粒の涙を、静かに砂に落としながら。
「アリス」
「……何」
「惚れ薬は、嘘か」
「……そうだよ」
ユーリが何度も俺に言おうとしたことだろうが、確かに『惚れ薬』の論理は破綻している。特定の相手のみに起こる催淫ってことだろう。そんな器用な薬、あったら世の中に恋の悩みは存在しねぇ。俺と違ってとてつもなく頭のいいアリスなら、或いはできるんじゃねぇかとも思ったが、やっぱりそんなうまい話、世の中にはねえのか。
「真実はアイアイが……いや、アイクが語った通りだ。それに、そんな薬、僕はお世辞にも好きじゃないね。もしもこの世にそんなのがあったとして、気に食わないから使わない」
「……そうか」
「本当の僕で勝負したい。その結果、こんなふうに突き放されるとしても。国の安定のため、人形の妃として祭り上げられても。いつかアイクが僕を見るって信じて、ほんとの僕で戦いたい」
アリスは健気だ。俺たちを揶揄う目的か、妙な嘘で自分を飾ったが……。こいつに出会ってからはじめて、俺はこいつに共感したし、好きになれた。そんな女が、恋破れながらも傷に塩を塗り続けられる人生を送るのは、余りにも辛すぎる。
「猫ちゃん。君はこの期に及んで、自分は関係ないと思うかい。僕からすれば、その性分もまた、アイクとは別のベクトルで残酷だ」
「そうは思わない。アリスの勘付いている通り、俺はアイクのことが好きだ。ライバルとしては微力だが、お前の痛みを理解してやれる位の甲斐性はある。俺はあんなアイクと、結ばれたいなんて思わない」
「……そう。……その間にも、僕とアイクは愛を囁き合い……この流れが続けば、やがて唇でキスをし、子を為し、偽物のロイヤルファミリーを作る。そんな状況なのに、猫ちゃん……いやルイは、僕の心を慮ってくれるのかい」
「当たり前だ。お前は……俺の同志だ。こんな世界に……こんな情勢に……踏みにじられる恋心がある。……俺にはまた一つ、『戦う理由』ができた。連続襲撃事件の処理が終了し、平穏が戻れば……もしかすれば、王族の自由が戻るかもしれねぇ。お前の無念、俺の戦いの糧にする。そのときには、正々堂々勝負だ、アリス」
アリスがようやく顔を上げて、涙でぐしゃぐしゃの顔で笑った。メイクも崩れて、なんなら鼻水まで出てぐちゃぐちゃなのに、なぜだか今まで見た中で、いちばん美しいアリスだった。
「ありがとう。……猫ちゃんを、僕の友達にしてあげる。どん底でここから立ち上がれなかった僕に……親身になってくれた人」
やっとアリスが立ち上がって、ドレスの土埃を手で払った。俺にひとつお辞儀をしたあと、城のほうへ帰っていった。そうだ……城ではまた始まるのだろう。アイクとアリスの、偽装王子夫妻が。




