第13話・国立図書館での邂逅
城で仕事がてらアイクの料理を食ったあの日から、三週間が経った。サファイアデザート南端のインカローズビーチ周辺、オパールバレー南東のガーネットシティ、東端のメノウ村。三つの自治体が魔物の襲撃に遭った。いくらなんでも相次いで事件が起こりすぎだ。『六十億の呪い』が活発になっているのか、それとも……さきのスピネル村やカイヤシティのように、呪いの影響を受けない魔物が、何らかの原因で人に牙をむいているのか。現状の把握も原因の解明も、追いついてはいない。エディも忙しいらしく、一時的にガーネットシティに派遣されちまった。クリスマスまでには帰りたいとこぼしていたらしいが、それはミルカのためだろうか?
ともあれ、ユーリと城の識者がスピネル村を襲ったオークを解剖した結果、興味深い事実を得たらしい。何でも、少なくともスピネル村の件の魔物は全て、小さな魔力装置が身体のどこかに埋め込まれていた。かつ、何かに衝き動かされたかのように動いた結果、内臓、筋肉など全身が損傷している。カイヤシティの魔物は、残念ながら討伐に火の魔法を使ったせいで、ほとんど情報が得られなかったらしいがな。何にせよ、この事件が人為的なのは確定したということだ。だが誰が、なぜ、どのように、といった情報は不明なままだ。魔力装置は今ユーリや城の学者が解析しているが、識者でもおよそ見慣れぬ、正体の判然としない代物らしい。
俺には王都待機の命が出ている。遠くでの仕事はできねぇまま、そのへんの『六十億の呪い』にかかった、ある種普通の魔物の討伐依頼をこなして時間が経った。本当に俺は、ここにいていいのか? 俺のやるべきことは、他にねぇのか? ……だが、次にどこが襲われるかを予測することは、今のところは不可能だ。俺のいねえ間に、最悪あのシルヴェスターでも襲ってこようものなら……。……考えたくねぇな。
少しでも研鑽を積もう、役に立てるようになろうと、今日は王都が運営する国立図書館に来ている。城に隣接していて、このアイドクレース王国でも、圧倒的多数の蔵書量を誇っている。一部の本以外は一般市民にも貸出を行っている、太っ腹な図書館だ。当然魔術書も、あらゆる分野のものが揃っている。俺は魔導士としては優秀だが、例えばユーリのような奴ほどの知識があるかといえば、それには至らないと言わざるをえねぇ。頭の悪い方でないのは自覚してるが、物凄く良い訳でもないのも自覚している。だからこそ、もっと強くなるための、もっと魔術への理解を深めるためのヒントになれば……。そんなことを思ったんだ。
図書館の設計は、黄金比になっているらしい。古代の神殿みてぇに、白い柱に支えられた、なんとも風格の漂う建物だ。ドアは自動になっていて、くぐると温故知新の精神が感じられる一瞬だった。中はとてつもなく天井が高くて、三階分くらい吹き抜けになっている。階段と本棚に埋め尽くされた、知の迷宮。城の識者も、ここに缶詰することを生き甲斐にしているという。……読書のための机は、吹き抜け三階の部分に大きいのが置かれている。蔵書は借りていく奴も多いから、平日のこの時間には、机に空席もあった。何か……そう、魔物を操る魔術とか……、今回の事件に関するものを読むか? それとも、ヒスイ流以外の雷術魔法に関する本を読んで、さらなる術の会得のヒントにするか?
とりあえず、『六十億の呪い』なき魔物の生態について、理解を深めようと思った。一連の事件ではそれらが村や街を襲っている訳だし、もしかして呪いなくしても、奴らが攻撃的になる瞬間はあるのか? と。
本棚に手を伸ばすと、ちょうど向こうからやってきた学者ローブの男性が、同時に手を伸ばした。手がちょんと触れて、慌てて俺もそいつも、互いに手をひっこめた。
「あ、……悪い。どうぞ」
「いや、お兄さん、どうぞ。私は後で構わない。急ぎではないからね」
城付きの識者のローブだな。どこかで見た顔のような気もする。眼鏡をかけていて、髪が白くて、なかなか整った顔立ちをした、ダンディで知的な男だ。
「……ん? 貴方は、ルイ様ではないか。ルイ様のような強い方が、ここで勉強とは。向上心恐れ入る」
「お前、何か見たことある顔だ、城の集まりとかでな。そう、宴会の席で、一度自己紹介をされたこともあるような気が……」
「覚えてくれて嬉しいよ。ディランという、しがない城付きの魔学者だ。ユーリ様の部下にあたる」
こういう時にしがないって言う奴は、大抵しがなくない法則がある。ディランの佇まいからは、賢さと強さが滲み出ている。恐らく優秀な学者なのだろう。
「……ルイ様、この本を読みたいということは、やはり最近の魔物による襲撃事件のことが」
「ああ、そうだ。俺では解明の力になれねぇとはいえ、何らかのヒントがあれば、ってな。……そういう理由もある、この本はやっぱりディランに譲ろう。俺よりもお前の方が、真実に近付ける可能性が高い。ディランは頭がよさそうだ」
「お言葉光栄。ご厚意に甘えて、この本を読ませて頂くことにしよう。もちろん、私が読み終えれば、ルイ様にお渡ししよう」
「気にするな。雷術の本でも読むし。……ディランは、今回の騒動を起こしている存在の目星のひとつでもついているのか?」
ディランは困ったように首を傾げたあと、横にゆっくり振った。
「残念ながら。……ルイ様、魔物の奇行以外にも……我々には様々な命題が存在する。『六十億の呪い』の詳細の解明。魔力とは一体何なのか、科学で説明しきれるはずのそれを説明できない現代人の無力さも、学者の一員としては古代人から受けた屈辱だ。その真実に少しでも近付ければ……私たちの生きる意味となる、そして世界へ生を受けた真の喜びとなる。そうは思わないか」
「お前は真面目だってことは、よくわかるよ、ディラン。俺としちゃ、魔力はあるんだから利用すればいいじゃねえか位の感覚で……。飽くなき探求心は、尊敬すべき心がけだ。まあ、少しばかり杓子定規すぎる気もするが。屈辱まで感じるというのはな」
ディランが本をぱらぱらとめくりながら、『これなら十分で読めそうか』と呟いた。馬鹿いえ、そんな分厚い本をか!?
「私も城の役に立ちたいし、人々の叡智が進展するための道を開拓したい。微力ながら……この世の真理に、人間が少しでも近付く手伝いをしたい。この場所は、人がそうして歩みを続けることを、手助けしてくれる場所。ぜひ存分に、読書を楽しんでいこう。……では、失礼。読み終えたとき貴方の姿が見えれば、これはお譲りしよう」
「ああ、大丈夫だ。この『アイドクレース王国歴代雷術全集』の方が気になるから。また城で出会ったりしたら、挨拶させてくれ。お前は感心な学者そうだし」
「恐れ入る」
去っていった。勉強熱心な学者だな。ああいう性分じゃなきゃ、学問ってのは究められねぇものなのか。雷術全集は四巻あって、けっこう分厚い。ここで一冊くらい読んでいって、あとの三冊は借りて麦酒を片手に読むか? 俺の性分は、仕事は、どかんと吹っ飛ばすことだ。ちまちま読むのは得意とはいえないが……、これも勉強だ。
ときおりページが捲れる音が響くだけの、静かな空間。吹き抜け三階部分の大きな机につくと、隣には一般人に紛れたユーリがいた。まあ普段も兄に似てオーラは無いんだが、静かに読書してると、いっそうただの学者みてぇだ。こいつ最近常にアカデミックドレスだしな。それが辞書のような本を、非常に速いペースで読み進めている。ユーリの速読は、ガキの頃から目を見張るレベルだったという。絵本は瞬殺で、戦力にならなかったらしい。しょうがねえからエリザが、この図書館で分厚いハードカバー本を借りてきて、ユーリはそれに没頭していたらしい。わからねえ言葉は辞書を引きながら、ガキのレベルを超えて、健気に……。
「……何を見てるんだ、ルイ。気になって集中できないじゃないか」
「あ、いや。邪魔して悪い。殊勝だなあと思って……」
「今目に焼きつけておけば、バニーガールパブでオーダーを待っている時とかに、脳に焼いておいたこの本を読み返せるだろう。本っていうのは、何度も読むことでより価値が高まるよ。そういう訳でいま俺は真剣なんだ」
「おい、十七歳の王族がとんでもねぇこと言ったぜ、今。酒は飲むなよとだけ言っておこう」
「パブでの俺は、二十歳の城の学者。ノンアルコールカクテルがお気に入りなね」
バニーガールに持っていかれたが、脳に溜めといた本を読めるってのは凄い能力じゃねえか? こいつは本当にアイクの弟なのか? 血って不思議だな……。
「そんな場所に行ってる暇はあるのかよ。少なくともスピネル村の件は、人為的な事件だったと結論が出たんだろう。埋め込まれた装置の解析に、お前は追われていると思ったが」
「いや、その件については俺らの敗北だ。あれがどのような作用を魔物に及ぼし、結果狂暴化させた可能性があるか……ということについては、ほぼ分からずじまいという結論になる。或いは世間で『禁書』とされている、タブー魔術が使われている可能性が高いだろうね。俺でもわからないってことは、それくらいしか思い当たらない」
「かなりやべぇな……。相手はあれ以来みすみす尻尾を出さねえし、暗礁といったところか」
「これは禁書一歩手前の本だ。読めるのは城の関係者のみ。……といっても、結局結論には辿り着けそうもないね。時間の無駄だし、邪魔されても怒らないよ。全く、勝負に負けるのは性に合わない。俺も未熟者といったところか」
それに関しては、そんなことはない。ピンセットで摘めそうな魔力装置の存在を突き止め、それによって魔物が人為的に狂暴化していたらしい痕跡がある、とまで解析したのは、魔学班の偉大な功績だ。
「ルイはこんな場所で何してるんだ。乙女は恋愛小説でも読むのかな」
「そんなの読んだことねぇよ……。雷術の全集を見て、攻撃魔法の幅を増やせればと」
「好きそうなのにな。絶対ハマるよ。リリア・スノウマンって作者の恋愛小説知らないかな? 中でも『空と海のピアニッシモ』は絶対ハマる。素直になれない冒険者の男女が、少しずつお互いの気持ちを確かめ合いながら強大な敵に挑み、最後には結ばれる。その過程が丁寧に丁寧に描写されている。有名な賞も受賞した名作だ」
本に目を落としながらだが、語調には熱が入っている。
「おお……。ユーリから恋愛小説をガン推しされるとは意外だ。てっきり難しい学術書ばっかり読んでるのかと」
「リヒト・フリューゲルの女子生徒や女性研究者たちの間でも、流行っていたんだ。女子の好きなものを勉強しておくのは、戦略上大事なことだろう」
「何の戦略だよ……」
「それに、事実面白い。あれを読むと人生の初心に戻れるというか、汚れてしまった自分が綺麗になる。カタルシスだ」
「はあ……。確かにお前は、王子のくせに汚れてる印象しかねぇ……」
「薄いから、雷術に飽きたら合間に読んでみるといいよ。多分、二階部分のいちばん奥、左から三番目の本棚にあったのを見かけた」
「有難う。……読んでみるかな。雷術四冊は、ぶっ通しだと眠っちまいそうだしな。真面目に勉強する予定だったんだが」
ふとユーリが、本に落としていた目を上げた。まさかもう読んだのか、いや『記録』したのか!? 凄すぎる……。俺のほうを見て、揶揄いや揺さぶりの意思のない、純真な思い遣りのこもった声で言った。
「リリアは恋多き作家だったらしいよ。だから、ルイの心の中のものを整理する、ヒントみたいなものを与えてくれるはずだ。もうすぐクリスマスイブだね、そうだ、もう三日後に迫っているのか。この季節だからこそ、ルイに染みるものがあるはずだ」
「……配慮に感謝する。恋愛ものの物語といえば、絵本くらいしか読んだことなかったから、新鮮だろうな。ユーリはどうするんだ、城のクリスマス会。例年通りなら、フランクなイベントになるだろうが。パブの女とでも見て回るのか?」
「流石に城のイベントに、そういう世界の女性は連れて歩けないよ、俺の立場的に。まあ、そうだな。アリスの奴と無理矢理にくっつけられる兄上の受難でも覗き見て、楽しむとするかな」
そうだ、アイクの意思がどうあれ、周囲からの働きかけによって、アイクはアリスと過ごす運命にあるのは明白。舞踏会の時だってそうだった、アリスは王族に近い高級貴族の第一令嬢、王室とアイオライトドール家を結ぶために生まれてきたようなものだ。だから常に特別扱いを受ける。そこに他の女性の介入の余地はほぼねぇ。そのうえ幼馴染ときた、アリスはいかに嫌味だろうと、変な魔薬をいっぱい作って遊んで悪趣味だろうと、至極見目麗しく血筋正しい、アイクのためのお姫様だ。
「……複雑そうな顔をしているね。そうそう、そんな君にこそ読んでほしかったんだ。それと、ルイも誰かと過ごす予定はなさそうだな」
「うるせぇ、傷に塩を塗りこむな。ないに決まってんだろ。二十一年彼氏ができたことねえんだから」
「君も兄上の惑う様子を覗き見て、一緒に楽しまないかい? アリスのような性根毒物女と、あのピュアでイノセントな兄上の相性は、お世辞にも良くはなさそうだ。まだ君の方が可能性があるくらいにはね」
「慰めはいらねぇ……」
「アリスの奴は兄上が大好きらしいが、果たして兄上はどう躱すのか。そうそう、エディとミルカの行方も気になるな? エディの奴、前日の夜中にギリギリ帰還する予定なんだってさ。全く、未成年相手にやるね、エディも。奴らの恋模様がどうなるか、どんなハプニングが起こるのか、観察して笑うのはさぞかし楽しいだろうな」
「はあ……悪趣味だなぁ、お前……。まあ、俺もそいつらの動向が気になるのは確かだ。アイクにもミルカにも、幸せになってほしいからな。よりにもよってユーリとイブを過ごすのは、なんとなく複雑な気持ちもあるが……。どうせ喪女の俺は暇だ、それでもいいぜ」
「そうか、嬉しいよ。井戸端仲間ができてさ。追って待ち合わせの連絡は寄越すよ」
「わかった。まあアイクにとっちゃ男と男に見えてんだ、勘違いされる危険性もねぇ。安心して過ごすとするか。……じゃあ、また」
「ああ。俺は何とかして禁書に触れさせて貰えないか、城にかけあう用事もあるのでね。ここらへんで」
ユーリに言われた通り、二階の一番奥、左から三番目の本棚に『空と海のピアニッシモ』と書かれたハードカバー本がある。そんなに分厚くねえな、二百二十ページか。文字の間隔もあいていて、一ページあたりの文字数も眩暈のする感じじゃねえ。雷術全集とともにそれも持って、貸出用の受付に会員証を見せた。さて、今日も宿に帰ろう。……王都待機命令が出されているせいか、まるでミルカの宿が俺の家みてぇだな。本来俺の住処は荒野や山のふもと、サバイバルが性に合ってるんだがな……。




